2003
august

8/4
8/5
8/7
8/22
8/22−2
8/25






8月4日

他人の家で知らず知らずのうちに酔っ払ってしまっていたようで、何を喋ったのか大して憶えていない。憶えておく必要があるほど重要なことを僕が口にするとも思えなかったから別に構わないのだけれど。僕は大抵の場合、軽口かその場限りの思いつきでしか物を言わない。空っぽだ。僕には視覚も聴覚も味覚も嗅覚も触覚も等しくあるけれど、中身が無い。僕は卵の殻だ。大事な中身は、とっくに落っことしてしまっている。

目を覚ますと僕は1人だった。身体中に張り付いた汗が気持ち悪かった。世の中は常に動いている。そして僕だけが取り残されている。とりあえず顔を洗って少し落ち着くと、身体の芯に居座るアルコールの気持ち悪さに気付いた。少し酒に弱くなったのかもしれない。肝機能の老化現象か、或いは風邪のせいか。冷蔵庫を勝手に漁るものの水もお茶も無い。アイスだと思って口にしたものは単なるチョココーンだったから、ますます喉が渇いた。オマケにエアコンが無い。エアー・コンディショナー。現代人必須である所の文明の利器の最たるアイテムが無いなんて。チョココーンの件(トラップとしか思えない)と合わせ、客人に対する嫌がらせとしか思えない。温度計は33度を指していた。

屋内でのコンディションリカバリを諦め、節操無くギラギラと照り付ける太陽の下に出るという危険を冒すことで、やっと水分を補給することができた。タイトなTシャツの僅かな隙間に汗が流れ落ちる。選挙ポスターに写るジジイの張り付いた笑顔が癪に障った。大体なんだそのポーズは。いったい人生のどんな局面で、そんな不自然なポーズをとる必要に迫られるんだ。E999のイヤホンからはTheRentalsが流れていたけれど、今の気分と目に映る風景に対し、あまりにアンマッチだった。

地下鉄に乗って学芸大まで行き、都立大までの、碑文谷公園を通る僕のいつものお決まりのコースを歩いた。僕はどうしたらいいかわからないときに決まってこのコースを歩く。歩いたからどうなるものでもないけれど、途中の古本屋や、雑貨やらインテリアやらを並べている店を冷やかし、小さな幾つかの小料理屋と飲み屋のメニューを入口でチェックする。僕をイラつかせる先刻と同じ選挙ポスターに出会ってしまったけれど、「絶対オマエなんかに票を入れない」と呪いの言葉を2回口に出してみることで若干溜飲を下げることができた気がした。

公園でロバとアヒルとカメ、それに金持ちたちが散歩させている毛並みの良い高そうな犬を観察した。ロバは優しそうだけれど、どこか人生に疲れた老人のような顔に見えた。アヒルとカメはキュートと言えない事はないけれど、何も考えていなさそうだ。金持ちの連れている犬は、人生の苦痛とは無縁に見えた。彼らは僕の無くしたものを持っていて、僕は彼らの知らないものを抱えている。誰かが飼ってくれるなら犬も悪くないな、と思った。

公園の出入口に1匹の猫が居た。目と鼻からドロドロとしたわけのわからない液体を盛大に垂れ流し、何処を見ているのかわからない目は、或いはもう何も見えていないのかもしれない。恐らく致命的な病気にかかってしまったのだろう。見たところ野良猫のようだし、残念ながら素人目にも助かる見込みは極めて少なそうだ。野良猫は他にも数匹いたけれど、病気の猫には決して近づかない。死の迫っている厄介者は孤独だった。絵面としては何とも気色の悪い、目を背けたくなるものだったけれど、僕は何となくその猫を見ていた。猫は小刻みに震えながら、しかしその場を動かなかった。猫は死に際に姿を隠すと聞くけれど。君はどうしてそんな姿を晒しているんだろう? 哀れんで欲しいのか? 或いは自分はまだ1人で生きていけると思っているのか? 猫は答えない。当たり前だ。その猫を見ているうちに、何だか酷く不安な気持ちになった。似たもの同士の運命的な出会いのようにさえ感じられた。冗談じゃない。小さく口に出してもう1度言ってみた。僕は不安なときには口に出してものを言う。アウトプット。確認作業だ。冗談じゃない。

家に着いて、シャワーをした後、道中買った3つのパンを1リットルパックの牛乳で流し込んだ。食べ終わった後、僕は病気の猫のことを思った。今も彼(或いは彼女)は、あの場所で小刻みに震えながら佇んでいるのだろうか。ふいに、あの猫にもう1度会いたくなった。同時にもう2度と会えないだろうと思った。明確な理由がある訳じゃない。何となく。そんなことを思いながら、僕はそのまま眠ってしまった。

案の定、僕はうなされた。こうなるのは解っていたはずなのに。馬鹿げてる。夢にはあの猫が出てきて相変わらず目と鼻からドロドロと膿のようなものを垂れ流しながら、酷く絶望的な台詞を僕に向け言い放った気がする。詳しくは憶えていない。悪夢なんて憶えていなくて結構。でも起きたときの酷い気分は勘弁して欲しい。いつも通りの酷い朝だった。目を覚ましたときには既に悲しかった。泣きたい気分だった。ことさら自分が望んだ訳でもないけれど、僕もそれなりにいい歳になってしまい、泣きたいときに泣けなくなってしまっていた。僕はこの1年近く、常に絶望的な気持ちで生きているけれど1度も泣いていない。涙が出てこない。いや、違う。1度だけあった。あれは、そう、ときに意外な言葉が琴線に触れたりするものらしい。あの病気の猫は僕にいったい何と言ったんだろう。落とした僕の殻の中身は今、どうしているだろう。もう1度、いや、いやいや、ぐるぐると不毛なことが頭を飽和状態にさせていたけれど、僕は今日も電車に乗って会社へ向かう。理由付けはまだできていない。

夏の日差しは眩しく、空気はムッとしていた。
ワクワク感を失った夏を、僕は前ほど好きではなくなったようだ。



8月5日

こんなコトなんざ、わざわざ明言する必要を感じない至極当たり前のことだと思っていたけれど、少なくとも僕の場合、リンクするサイトはそのほとんどが僕の特に鋭くも優れてもいない感性と好みに引っかかるサイトであり(若干の例外はあるかもしれない)、そのことと個人に対する好き嫌いはあまり関係が無い(これもまた若干の例外はあるかもしれないが)。自分の好きな曲を作り出すアーティストに対して、人間的に好きになれるかどうかは別の問題(少なくともイコールじゃない)だと思うのだけれど。それと同じじゃないかな。



8月7日

デザイナと僕。

上の人が揃って外出中につき、やる気200%オフの2人。


「ねえ」

何よ。

「寝ていい?」

ふざけんな。つうか、死ね。

「眠いのよ」

知るか。…ん、こ、これは!

「ぐう」

た、大変です!

「…何よ」

今日で、タマちゃん日本上陸1周年です!

「し、知らね〜!」

ねえ。

「何よ」

寝ていい?

「死ね」



ホント仕事した方がいいと思う。



8月22日

朝、出勤時。
リュック型のバッグ、ヘッドライト、グローブ、登山靴を装着して出勤。



グッド・マウンテン。


「マウンテン? つか、その格好なに?」


そこに山があるからさ。


「いや聞いてねえし」


カチカチ(ヘッドライト点灯)


「うわ、眩しいよ!」


そこに山があるからさ。


「死ね!」



そんな訳で、明日は富士山に登ります。



8月22日−2

NoCCCD!!

僕は新譜を買うことが少ないので、CCCDはちょっと厭だなあ なんて、のん気な意見だったんですけど、最近手持ちのCDの中にもCCCDが増えてきまして。特に最近お気に入りのRoyksoppの1st(SpecialEditionのやつ)がCCCDってのにご立腹。
よく言われている、音質の問題については、CCCD音質悪い!と思ったことが無いから、正直よくわからない。比べて聴けばわかるのかもしれないけど。それと、対策したってイタチごっこだから無駄 とか、買うやつは買うし買わんやつは買わんから大して変わらないのだ とかって意見も、まあそうかもしれないけれど、これだけファイルの交換が一般化してしまうとメーカ側が牽制の意味も含めてその対策を考えるのは当然な気もする。
ただ善良な目的での私的複製を完全禁止ってのは厳しいと思うし(その為にMP3プレーヤーを買った人は気の毒だね)、今の時代に「パソコンでCDを聴く事は許しません」というのはナンセンス。そもそもCCCDに対して完全に動作保証しているCDプレイヤーが1つも無い、という現状は馬鹿げている。それにプラスして、移動時のE999以外、家でも会社でもパソコンでCDを聴いている僕の個人的な実害状況もあり、CCCDには大反対です。つうか、困る。パソコンで聴けねえええええええんだよ!



8月25日

俺もさ、目の前にそびえ立つ富士山を見上げたときにはさ、若干の不安にかられたりもしたけれどね。次の日、やつは俺にひれ伏していたね。完全征服さ。剣が峰のあの岩に座ったその瞬間、俺は日本で1番高いポジションに居る男になったよ。


朝日
 富士山から見る朝日。
 上にも下にも雲があります。



ただし、肉体的、金銭的、時間的に多大な犠牲の元に。正直辛勝。