ヒントの記事

学校ではテストのあとに、答えを言ってやり方を一斉指導したらそれで終わりです。それ以上の指導の時間がないからどんどん次の勉強に進みます。だから、出来ない問題を見直すことすら子ども達はしないことが多いのです。×になった問題は、1か2かも見分けのつかないままに「だめだった問題」として子どもの劣等感を増幅する原因になってしまうだけです。

ある程度自分で学び、自分でわかる「成績優秀な子」は、この見直しを自分でして、欠点を修正することも出来るのでしょうが、自分でそんな事が出来る子はほんの一握りなのです。

ですから、それを大人が一緒にやって上げるのです。
「あ……この問題、ここが惜しかったね!」
「あれ?マイナスがここ、落ちてるじゃん!」
「ここ、内容はあっているのにね〜。漢字で×されちゃってもったいないなぁ〜。」
そう言いながら、一緒に「なぜ間違えたのか」を見直し、「わかっていたのに間違えた」問題には、みんな◯をしていく。

……そうすると、多分、ほとんどの子どもは「うっかりミス」による減点が20点ほどもあるんです。

その「うっかりミス(わかっていたのに間違えた)」による減点を、本来点に足してやる。
つまり、子ども達に「実力点」を出して見せてあげるのです。

すると……
「え〜〜〜〜〜!、自分は、こんなにできたの?こんな点、とれるの?」
たいていの子はそう叫んで、目の色が変わってきます。

一例を挙げましょう。
Aちゃんは、家庭教師で教えているときは、とても出来がいいお子さんでした。
平均80とってもおかしくない力を持っているのですが……実際は平均60〜70の得点なのです。
教え始めてから最初のテストも、「これなら平均75は行くだろう」と思っていたのに、ふたをあけたら60点。

なんでだろうなぁ?
そう思って、一緒に見直しをしながら話をしました。
まず、見直しをしてテストの後半になると得点が落ちることに気が付きました。
「なんで?時間がなくなるの?」
「ううん、あのね、テストの後半になると、ものすごく眠くなっちゃうの。」
……そうか、後半になると集中力が切れちゃうんだ。

「そっか……でも、テストで必死になっているのに眠くなるって珍しいよなぁ。」
「う〜ん、なんか、自分は数学とか全然だめって思っているから……問題見るだけで眠くなるの。」

Aちゃんは、決して「だめ」じゃないんですが、妙に自己肯定感が低い子でした。その理由もよくわからなかったのですが……次の言葉でその理由がわかりました。

「テスト帰ってくるとね、ものすごく怒られるの、出来が悪いから。だから、お母さんに見つからないように隠しておくんだけど……。」

そっか。
この子は、点数でいつも判断されちゃっているんだ。
だから、「悪い点を取ること」に対しての恐怖感と緊張感が、逆暗示をかけちゃっているんだ。

お家の人の「何、この点?もっと頑張りなさい!」という気合いは……実は、いかに多くの子ども達に「自分は出来が悪いだめな子なんだ」という悪い暗示を掛けるキーワードになっていることに気が付いていない親御さんがとても多いのです。この言葉は、「悪いイメージ」を子ども達の中に植え付けていて、子ども達に意欲を持たせるどころか、ダメ人間だと教え込んでいるようなものなのです。

なんと、その子の数学のうっかりミスは「45点」もありました。
そうして出してあげた実力点は100点に近いのです。
その点を見た途端に、それまであきらめから失われていた目の輝きがぱっと戻り、表情の明るくなったその子はこう叫びました。

「え〜〜〜、なに、私、こんなに出来るんだ!やだ、もう一度テストやり直したい!」

「実力点」によって、「自分がここまで出来るんだ」というイメージを持つことの出来た子は、そこで自己評価を改めるのです。親や学校から与えられた「点数が悪いから出来が悪い」というイメージを払拭することが出来るのです。

そうしてその「実力点」に近づける努力をはじめます。自分に対しての悪いイメージを良いイメージに切り替えることで、「より良いイメージを目指せる可能性」を子ども達は得ることが出来るのです。

良いイメージを持ち、よりよい自分への目標が持てるようになればあとはそれをめざすために努力しはじめます。だって、お家の人に怒られているだけの自分よりも、そっちの方が誰だって嬉しいじゃないですか……。誰だって、怒られるよりも誉められたい。認められたいのです。わけわからないけど頑張って来たのに、わけわからないから出来なかった。けれど、「うっかりミス」に気をつければもっと出来るんだ、とわかり、そのイメージを持つことが出来たら、そこに向かう気持ちが当然わいてくるのです。

テストの点を見て怒る前に。
お家の方はどうか、その「中身」を見てあげてください。
ご自分のお子さんたちの「実力」を見てあげてください。

たったそれだけで、その「実力」を感じて励ますことで、お子さんたちは「よりよい自分」に向かうエネルギーを受け取ることが出来るはずなのです。多分、ただ叱っているより親も子どももよっぽど気持ちがいいはずだと言うことは、容易に「イメージ」できることだと思います。

「結果点」ではなく「実力点」で子ども達を見てあげてください。
それだけで、絶対に子ども達は変わってきます。

そしてそれは、テストのみならず、生きていくさまざまな場面で必要なことなのだと思います。

虹

Photo:Midori Komamura

雑誌の裏によく「記憶術で成績アップ!」という広告を見かけます。あの記憶術について突き詰めたことはありませんが、一般的にいわれているのは「何か別の刺激と絡めて覚える」こと。

教科書に書いてあることは覚えないけどそこにのっている写真に落書きした記憶が残っていたり、先生の話も雑談の方が覚えていたり……と、本来覚えようとしていることではなく、必要でない雑談みたいな記憶の方が残りやすいということはいわれます。逆に「覚えよう」として、その言葉を何回繰り返しても、それだけでは記憶にとどめることはとても難しいのです。

先日テレビに、ものすごく長い数字を覚える人が出てきました。その人の記憶の仕方は数字にそれぞれ一つずつイメージを当てはめておいて、数字を聞きながらそのイメージを連ねて物語を作っていく……というもの。語呂合わせの発展形のようなものなのでしょうか。

ルート2を一夜一夜にひと見頃、ルート3を富士山麓にオウム鳴く、原子記号の順番も、水兵リーベぼくの船……ただひたすらにその語呂合わせを繰り返すだけではなかなか頭に定着しませんが、頭の中にはかわいい水兵さんがちっちゃくて白い船を浮かべて水兵帽で敬礼している様子が浮かべてみたら……その光景を頭に描いた瞬間に、それらの数字はしっかりと頭にこびりついて離れなくなりますよね。

いくら覚えやすい語呂合わせを先輩たちが作ってくれても、「イメージ」を持てないとちゃんと頭に刻み込むことはできません。

だからこそ、どんどんイメージを貯金する必要があります。それは「学びに必要」なイメージよりもむしろ「遊び」とか「雑学」のように一見役に立たないものの方が良いのです。自分の中に、より強烈な印象を植え付けられる色や形や温度を持った記憶だったらなおよいでしょう。

(2に続く)

オヤジカンガルーハッチ

Photo : Midori Komamura

ref=dp_image_z_0.jpeg「次の日から食べ物がほとんど無く、食パンを4分の1にしたものが1人分でいつもおなかがすいている状態でした。そんな日が何日か続いていました。」(石巻 小6)

「その時はすごくおなかがすいて死にそうでした。ぼくの友だちもすごくおなかがすいてもう死んでんじゃないかと思うくらいだら~としていました。そうしている間におにぎり1個ずつわたされとてもうれしくて十分くらいかけてたべました。」(南三陸町 小6)

「震災の前、大好きな私の家で家族みんなで生活していたこと。お母さんと一緒にご飯を作ったこと。家族みんなで食べたこと。いつでも電気がついて蛇口をひねれば水が出たこと。当たり前のように思えていたことその1つが決してあたりまえなのではなくて、とても大切で幸せで何よりも宝ものだと思うのです。」(南三陸町 小6)

「よるになるとさむくてみんなでくっついて、ねました。カーテンをかけてねました。おなかがすいてさみしくて、はやくかぞくにあいたかったです。でも先生たちがずっとおきててくれてうれしかったです。」(気仙沼市 小1)

「私は、この震災で多くの物を失いました。唯一残ったのは、命です。この命は、今まで以上に大切にし、亡くなった人の分まで一生懸命に生きようと思います。」(気仙沼市 中2)

「1ヶ月たった。ご飯もだいぶよくなり、ご飯・おかず・みそ汁が出るようになった。この頃になると店も開店して、買い物もできるようになった。母に、『何か買ってあげる』と言われても、今なにがほしいのか?前は、ほしい物がたくさんあったのに、今は何がほしいのか、わからないぼくがいた。」(釜石市 小4)

>>>文藝春秋社8月臨時増刊号「つなみ」~被災地の子ども80人の作文集~より引用<<< :::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*::: 震災後に、たくさんの人びとが現地に支援物資を運ぶ活動に取り組んでいました。当時自身で動くことができなかった私は、出来る事……と考えた時にそういう支援活動を取材で取り上げ、記事としてWeb上に掲載することで支援活動を応援すると共に『被災地の現実』を伝えて知ってもらう活動に取り組みました。 その活動の第一歩になったのが長野県小布施町の浄光寺を中心に今でも活発な支援活動を行っている「笑顔プロジェクト」の取材記事でした。五回連載の三回目の記事では、メンバーの1人が最初の支援活動に女川を訪れたときの報告記録を取り上げました。 『女の子の3人が私のところに来て、
「私ね、クッキー大好きなの。本当に嬉しい、ありがとう。」
「久しぶりのおやつです。」
「おやつの中でクッキーが一番好き。」

クッキーでこんなに喜んでくれるのかって思った。もっと、あれが欲しかった、これが欲しかったって言われるかと思ったこの子たちの給食はパンと牛乳だけ。

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「もっと」という言葉は、どの子からも聞くことがなかった。自分の与えられたものとそれを持ってきてくれた想いに、心から感謝する子どもたち。「もっとわがままになってもいいのに!」と思うけれど……子どもたちの喜ぶ姿に逆に胸がつまりあふれそうになる涙を抑えて笑顔を作るメンバー。』

被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その3)より

冒頭に引用した子ども達の言葉にも、「もっと」という言葉はひとことも登場しないのです。その一方で子ども達が何回も何回も記述したり口にしたりする言葉があったのです。それが「ありがとう」……でした。

子ども達は、「無いこと」「無い状態」に陥ってはじめて、自分のまわりに「あるもの」が見えたのです。家族がいること。毎日米のご飯が食べられること。住むところ、寝る場所、身体を包む温かいもの。そして「未来」。

当たり前に目の前にあったものを失って何もなくなったその時に、はじめて何が本当に必要なものなのか、が見えたのです。だから「もっと」とより多くを望まなくなり、そして今ある物に感謝して喜びに変わったのです……だから心からみんな発するのです。「ありがとう」と。

しかし、その子ども達の一方で「現実」は美しい物ばかりではありませんでした。先に引用した笑顔プロジェクトの取材記事から。東北を訪れたメンバーたちが炊き出し活動を行っていたときのこと。

仕切りのないところでゼリーを配り始めると列を作らず、四方から延びる手。一個ずつ配る私を差し置いて、すべてを持っていこうとする。
それが本能だ。 自分の身を守るための行動だ。 生きていくための手段だ。そう思ったけど、 遠くでこちらを見ている方の姿を見つけ、このままではいけないと思いっきり声を振り絞って 「少しでも多くの人に行き渡るようにご協力ください。」 その言葉で、元に戻してくれる人もいた。

被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その3)より

当時、マスコミの報道は一斉に「日本ではこれだけの災害でも盗難はまったく起こらない。我慢強く潔癖な国民だ」という「美しさ・我慢強さ」アピールをしていました。けれど、現実はまったく違ったのです。この記事にあるような姿、店に押し入る暴動が起きたこと、津波が来た途端に一斉に被災地入りした窃盗者、そして自衛官が目を背ける首や手のない死体の山……せっかく残った自宅の2階で寝泊まりしていた人が壁の無くなった1階をあさっていた泥棒と出くわして殺害された、という話も聞きました。……それはすべて、メディアの報じなかった「人が生きるための姿」であり、事実です。日本人は決して美しくも立派でもない。「人間」なのです。

被災地の人たちがみんな、協力し合ってひたすら苦境に耐えているわけではないのです。けれど、メディアが報じる綺麗事に隠れて見えなくなっていたこれらの姿の方が「ありえること」……そして、これがここに至るまでの「日本社会の姿」を具現化しているような気がするのです。

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(4、私たち一般の人間がすること。)
(3) 「もっと」をやめて「ありがとう」と生きる。

突然の夕立。激しい雷雨におびえていると、バチッと音がして当たりが真っ暗になる。
見ていたテレビも部屋のあかりも消えてしまい、何も見えなくなる。

いつ復旧するともわからず不安になっていると「ご飯ですよ~」と声がかかりホッとする。食卓に向かうと、そこにはろうそくの光。静かに揺れるその灯火を囲んで、家族が肩を寄せ合って食事をする。

どのお店も7時になると閉まってしまうから人びとは買い物を済ませて家路を急ぐ。だから夜7時を過ぎるとほとんど人通りはなくなり、当たりは夜のとばりに包まれて、見上げる空には星がきらめいているのが見える。

……実は、これ、災害時のことでもなんでもなくごく日常によく見られた光景でした。どこの家にもろうそくは常備されていて、停電は当たり前。傘や腕時計、みんな高級品。だから一度買ったら大切に使い、故障したら修理。
でも、テレビもラジオも、故障して困ってお願いすると近所の馴染みの電気やさんがひょいと来てさっと直してくれた………。「ありがとう!」「いや、またどうぞ!」そう言って帰る電気屋さんはものすごく頼もしかった。家電は貴重品。毎日の食事は残さず大切に食べないと目の玉が飛び出るほど親から怒られた。

昭和30年代~40年代に子ども時代を過ごした今の4~50代の年齢層が生きてきた時代は、そんな時代でした。

ものがないので、無くしたり残したり壊したりすることは「もったいない」。人びとは物と共に生きていた毎日でした。

やがて高度成長時代からバブルに突入すると、人びとは「ものの命」についてを考える事があまりなくなりました。壊れたら新しい物を買う方が安上がりだし便利。食べるものはいくらでもあるからお腹がいっぱいになったら残して捨ててしまうことに抵抗が無くなり、傘や時計などは使い捨て。電気をつけっぱなしでも「もったいない」という言葉が聞こえなくなり、かわりに聞かれるようになったのは「もっと」でした。

「もっと遅くまで」「もっと明るく」「もっと便利に」「もっと多くのものを」「もっと速く」

次から次に出る新商品。もっと便利でもっと格好良い物が修理するより安く手に入るから人はそちらに向かうのはしょうがないのかもしれませんね。でもそうして大量生産するために多量の原材料が必要で、大量の電気や燃料(石油)が必要で、古いものはどんどん捨てられて多量のゴミが発生して……。

「もっと」とより多くを望むようになったことで地球はどんどん削られていったのです。そしてゴミの山が積み上がっていき、人は物に対しての想いや感謝を忘れていきました。その「使い捨て」文化はやがて、物だけでなく人にも及びはじめました。「人の命」の重ささえも見失いかけていたのが、震災前の私たちの社会の姿でした。

そして起きた、未曾有の災害。人も、物も、多くの物を失いました。私たちはさらにこの先、「放射能」によってさらに多くの物を失っていくことでしょう。

物がない。人もいなくなった。
けれど私たちは明日にむかって進まなくてはなりません。ここから先をどう描いたら、私たちは失った物の重みを忘れずに新しい未来を築くことができるのでしょうか?

それは、本当に、たった1つの想いを切り捨てて、たった1つの言葉を想い出すだけなのです。

切り捨てるべきは「もっと」。
そして想い出すのは「ありがとう」。

……それはまさしく、被災地の子ども達の作文にあふれているまったくそのままのことなのです。

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「節電」を声高に人びとが叫んだ時、私は自分の子供のころのことを想い出しました。

「節電中なのでご不便かけます」と書いてあるチラシのお店の中で不便を感じることなど一度もありませんでした。夜の街灯。深夜まで明るいネオン。「本当にこれが必要なの?」……そういう目で自分のまわりを見回せば、色々が見えてくるのだと思います。

太陽の下で活動し、夜になったら休むという自然の摂理を曲げて「もっと」を望むから余計な電気を食い、余計なエネルギーが必要になるのです。

「原子力発電がなければ電気が足りない」……本当にそうでしょうか?こんなに世の中夜遅くまで明るくする必要はあるのか?こんなに必死で電気を生み出して、それを大量に使うのはどこでしょう?それは決して個人の家ではなく……「電気が足りない」と言っているのは一般の人びとではなく……「企業」なのじゃないでしょうか?

なければないで、やっていられるのです。
ただ今までは「あること」が当たり前だったから、無い状態を知らない。知らないから怖い。今、ここまで来た社会が突然それをやるには大変かもしれません。「無理だ」という人もいるかもしれません。

けれど、幸いにして「そういう時代を生きた人たち」が今まだたくさんいるのです。物がなかった時代。今よりももっと、人の技術も進んでいないから災害から受ける被害も今の比ではなかった時代の人たちが……。戦争。ヒロシマ・ナガサキ。戦後の荒廃の時代。そして何回も日本を襲ったたくさんの災害。それらの物を生き抜いて今に生きる人たちが、そして、そういう時代の「歴史」という記録が、まだちゃんと私たちには残されているのです。

まわりを見回せば、そういう時代があって、そういう人たちがいる。そういう人たちが「もっと」と望まず「ありがとう」と感謝して生きてきた時代の話・その時代の知恵を、過去が私たちに残してくれた大切な蓄積・記録として紐解いて今に生かすことができたら。

私たちはきっと、また立ち直ることができるはずです。より良い明日を見つけること、その手がかりを掴むことができるはずです。「また、再建しましょう」と救助された疲れも見せずに笑顔で語ることのできる、こういう人びとに学びながら。

さいごに。
この被災地巡りの旅に、わたしがもっていって現地の人びとに手渡した物があります。
それは「希望」です。

希望は、いったいどこから生まれてくるのでしょうか?

長い長い記録のまとめの一番最後に、その事を書きたいと思います。

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被災地をめぐっての3日間~7希望が生まれる時 に続く。

7月3日。Youtubeで発信された1つの映像がマスコミよりも敏感にある政治家の「暴言」を報じた。その映像が、マスコミは最初まったく問題視していなかったその暴言を一気に「大問題」にと変容させた。

政治家の名前は、松本龍。復興相として就任後初の被災地入りでの宮城県知事との会見での彼の発した言葉と態度が問題視され、激しい追及にあって2日後の5日に復興相と防災相の辞任へと追い込まれた。

松本元復興相の態度とその発した言葉は上から目線で横柄で、大震災への対応にみんなが必死になっている状態の中で、被災地の人びとを傷つける許されざるものだ。

その糾弾に立ち上がったのはWeb上の人びとだった。そこにメディアが追随した形だ。
Twitterでこの情報が拡散し、Facebookでもシェアされ、それと共に松本龍復興相の追放を要求するFacebookページが作成され、そこではかなり激しい言葉が交わされていた。

目的は「大臣の追放」。そのためにかなりの怒りのパワーがここに集結していた。これだけの力がまだ、日本の人々にも残っていた。社会の無力感から怒りすら忘れてしまったのかと想っていたけれど、ここまでの力をぶつけることができるのだ……。「間違ったこと」「許されないこと」に対してきちんとNO、と言えること、それに対して怒りをぶつけられること。
社会がきちんと正しい方向に進むためには絶対に必要な力がこれだけ残っていて、その力を集めることがちゃんとできる。今まで人びとが無力感に動けなくなっているのかと想っていた私は、それを感じて少しホッとした。

けれど、その後……あれだけのエネルギーを持ってこの大臣を追及して辞任に追い込み、大臣が「辞任」を表明したことでFacebookページはそのままストップし、あそこに捧げられた情熱もどこかに拡散してしまった。当然メディアの興味もまったく向かなくなり……そして政治は、日本は、被災地は……何か前進しただろうか?

実は、こういう流れは今まで何回も起こっていた。政治家の不祥事、暴言。政治家に限らず様々な企業や組織でも起こってきたこういう「責任問題」。その度に、メディアや国民が怒りを持ち、それを書き立て、そしてその結果テレビや新聞の向こうで「申し訳ありませんでした」と代表が頭を下げ、トップが辞めることで「一件落着」になる。

……そしてそのあとは?

正直な話、「まったく何も変わっていない」。TOPがかわり、辞めることで矛がおさまる。その企業やその部署には監査が厳しくなるのかもしれないが、また別のどこかで同じような問題が発生し、そしてまた同じように引責問題で誰かが頭を下げて辞め、そこで事態は収拾する。

今までずっと、その繰り返しだった。だから、今回もこれだけのエネルギーでこの大臣を辞めさせたが、それは「首のすげ替え」が起こるだけの話で、その体質や組織自体が変わるわけではないから……何も変わらない。そして当の本人も、大臣を辞めるだけで議員を辞めるわけではないからあまり痛みがない。

あれだけのパワーが集まって迫ったら、もっと奥に潜む「根源」を断つことも可能なのにもったいない……わたしはそう思う。

このパワーの矛先を向けるのは、松本大臣でよかったのか?同じようにそのあと菅総理も交代し、首のすげ替えが起こっても、国民よりも我が身第一で上から目線の「永田町の体質」はまったく変わらず、ゆえに大震災後の緒問題も原発問題も何も解決していかない。

こういう問題を引き起こすその原因はどこにあるのだろう?
こういう「大問題」に隠れて、私たちはもっと本当に怒りをぶつける先……「諸悪の根源」を見失ってはいないのだろうか???

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「東日本大震災」が起きた直接の原因は、3つの地殻変動による大きな地震と、それによって引き起こされた大津波です。その破壊力は甚大で、あっという間に多くのものを失いました。

けれど、天災に対して怒りをぶつけても仕方がありません。
なぜなら、私たちはこの地球の「住人」なのだから。人間は地球というアパートに間借りして住まわせてもらっているうえに他に行くところはないので、アパートの現状の中で住人みんなが環境やその維持に心を配って住むしかないからです。

けれど……人間は地球というその借家に好き勝手をして傷つけてしまったのです。地球というアパートが地震で揺れた時、住人の不始末でその被害が果てしなく大きく広がってしまったのです。……つまりそれが「人災」です。

被災地の復興に立ちふさがる行政の動きの悪さ。なかなか行き渡らない支援金や支給品……規則や法律、そして組織の融通がきかない事による行き渡りの遅れ。それから情報の不備や偏りによる地域格差。それによる復興の遅れ。すべては人災です。

さらにもっと大きな許すことのできない人災がこれです。

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自分で制御しきれない「原子力発電」という爆弾を抱え込んでいた住人(東京電力および原発関連の事業)がいて、その扱い方もきちんとできず、何か起きたときの責任さえ取れないままにひたすらその巻き起こした「被害」についての責任から逃れようとし、そのデータの公表や実態を明らかにせずに隠蔽しようとし、責任を問われるとその所在を人に押しつけようとしました。

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(画像は2つとも東北地方太平洋沖地震 原発関連wikiより借用)

その管理を委託されているはずの管理人(国)は、自分から招き入れたその住人を制御も管理もできず、しっかりと責任を取らせることもできず、もっと悪いことには、そのせいで被った被害を埋め合わせるために他の住人たち(国民)にも家賃値上げ(増税)という形で一緒に責任を取らせようとしています。

もともとこの福島の原発の原子炉を作ったのはアメリカの会社ですが、実はこのような大規模な事故に耐えうるものではなかったことがその会社で35年前に指摘されていたのを放置(米GE製の福島原発原子炉、安全上の問題を35年前に指摘)し、うやむやにしたまま操業していたのです。なのに「想定外」と言って逃げようとし、その事態の収拾に当たっては会社の社員ではなく下請け、孫請けの人びとを「使い捨て」状態にしている事実、この事態をきちんとしたデーターとして公表もせず、その分析も人任せ、ひたすら表舞台から逃げ隠れ。そしてそれによってもたらされた被害は地震や津波の比ではありません。

東電の株主総会に出席した人の話を聞くと、その対応は明らかに無責任なものであり、そしてそこで発せられる言葉は被災地の人びとだけでなく、日本、さらに世界の人びとにも影響を及ぼす被害をもたらした者としてありえない、先に辞職に追い込まれた松本大臣の比ではない聞くに堪えない「暴言」に近いものであったと聞きます。さらに、その被害を受けた人たちに対しての「補償」に対する態度すら、こんな状況であるということです。→『東京電力株式会社が行なう原発事故被害者への損害賠償手続に関する日本弁護士連合会会長声明』 

これはもう国をあげてその責任を追及し、怒りを持って東電という存在自体を根っこから覆さなければならないレベルなのではないでしょうか。風評被害、農作物・水産被害、土地の汚染、人々が家に帰れない異常事態……それらの全責任が東電による「人災」です。東電は全世界に対しても今回の件に関して責任を取るべきなのです。

しかし、この「暴言」や「暴挙」に対して……残念ながら松本大臣の時のような勢いを持って東電に迫るものはいまだにありません……「野放し」なのです。

この東電に対して国・政府はもはやなんの制御力もなく、そしてメディアはまったく「追及」しようとはしません。株主総会の状況も、それから現在その対処に当たっている人びとの様子も、さらに立ち入り禁止の区域の状況も、そして「これから何十年も影響を及ぼす放射線に対してどんな対策を立てていったらいいのか」の手立てすら、政府やメディアから仕入れることはできないのです。

(原発の問題が明らかになった途端にそれまでうるさいほど騒いでいた報道関係者が30キロどころか50キロ圏よりも近づかなくなりました。そこで生活しなくてはならない人たちがたくさん居るのに、その人たちの実態や苦しみは報道されることがないのです。)

そのため、当然国民に流れるのは不安や憶測です。見えない、わからない。正しい情報は入らない。そしてこの先どうしていったらいいのかもわからない。「風評」が出るのも当然の状況をつくり出しているのです。東電、国、メディア。すべての逃げ腰がこの状況を作り上げているのです。その責任の重さを、いったい誰が追求するのでしょう?そして、この状況を一体どうしていったら私たちの「明日」につながるのでしょう。子ども達へと「未来」をつなげていく事が出来るのでしょうか?

4、私たち一般の人間がすること。

(1) 「正しい情報」を得る努力。

一つ目に大切な事。それは、「正しい情報を受けとめ、そしてそれをしっかりと把握すること」。

その正しい情報を得れば、より良い社会や方向に向かうためには何をどう正していったらいいのかを判断し、良いものは取り上げてさせたり広めたりする一方で、今回の東電や動かない政府のような正すべき者に対しては、その根っこまで探り当てて修正や治療、時に新しく作り直すことを求めて皆で迫ることが可能です。

が、今回の震災に関連して……特に原発の問題に関しては情報がまったくといっていいほど入って来ません。たぶん、今、日本の国の中で「正しい情報」もしくは「使える情報」を手に入れることは難しいのです。

必死で正しくデータを分析した情報、そして原発に対抗するための情報や手段を訴えている人たちもいます。しかし、なぜかそういう情報を政府も日本国内のメディアはまったくといっていいほど取り上げません。

それが顕著だと私が感じた一例が7月27日に国会( 衆議院厚生労働委員会)で東大の東大アイソトープ総合センター長で教授の児玉龍彦氏の発言です。ここまで具体的に現地の状況を報告し除染の緊急性と子ども達への影響を訴えているにもかかわらず、メディアでこれを重く捉えて緊急事項として報道したところは1つもありませんでした。

国会はまったく動かず、さらにこの模様はYoutubeを通じて一晩で30万を超えるアクセス数があったにもかかわらず7月末には一度削除さえされています。(その児玉教授のまとめはこちらから見ることができます。東大・児玉教授の放射能についての発言まとめ

児玉教授自体はその1ヶ月後くらいに動かない国に対して失望の念と再度の対応を要求するようにメディアを前に訴えていますが、これもまたまったく伝わっていきませんでした。東京プレスクラブ: 東京大学児玉龍彦教授緊急記者会見映像(2011.8.22)

この3月から様々な情報を追いかけていますが、それらを見ていると日本のメディアにはすでにもう役に立つ情報の発信能力や、正しい情報によって国や社会を動かす力、未来につなぐ力はありません。

この東日本大震災に関し、特に原発に関して「信憑性のある情報や状況」といえるものは……海外のメディアによる取材・報道……それが逆輸入の形で入って来た物ばかりでした。(一例:福島第一原発労働者の実態を撮影:小原一真(独ZDF)、)

私たちは、国から正しい指導も方針も得ることは出来ません。そして、日本の国のメディアからも正しい情報や報道を得ることは出来ません。Web上では様々な情報が流れていますが、どれが正しくてどれが間違っているのかの判断を簡単につけることもできません。実際が見えないから情報が欲しいのに、実際を知らないとその正誤の判断もつけられない。

では……国にもメディアにも頼らずに「正しい情報を受けとめ、そしてそれをしっかりと把握すること」のために、一般人である私たちは一体どうしたらいいのでしょうか?

被災地巡りの3日間の2日目、仙台での夜に、ネットを通じて出会った人たちとの会話の中から、そのためのヒントを私はもらったのです。

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被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(3) につづく

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付記:ジャーナリストの烏賀陽 弘道さんが、原発20キロ圏内に潜入し、そのレポートを最近発表しています。原発20キロ圏内の「真実」がそこに見ることができる貴重なレポートです。さらに、そのレポートが浮き彫りにしているのは……。これは皆さん、どうかお読み下さい。

寒気を覚えた無人の町の異様な空気突入!この目で見てきた原発20キロ圏内(前篇)
略奪されたコンビニの暴力的な現実突入!この目で見てきた原発20キロ圏内(後篇)

付記2:風評被害の一例……本当にこれは一例なのです。福島の人たちの心をこれ以上傷つけ苦しめてはいけない……一刻も早くにこういう心ない言葉を発する人を減らす人間が「自らを恥じる」ような正しい認識を広めていかねばいけないと思います。
親父の告白・・・。(口調が厳しいのでスルーでも可)

9月11日。この日は、東日本大震災からちょうど半年後の日。
この日の各新聞の朝刊の見出し……一面のtop記事のタイトル。

鉢呂経産相が辞任 不適切発言などで引責(朝日新聞)
成長導く復興めざせ 東日本大震災から半年(日経新聞)
就任9日、鉢呂経産相辞任…官房長官が臨時代理(読売新聞)
震災で見えた国防の穴 (産経新聞)
鉢呂経産相が辞任/被災地 遠い復興 (毎日新聞)
鉢呂経産省が辞任/希望の光 迷い 守る~大震災きょう半年 (中日新聞)

震災半年 死者1万5781人、不明4086人 避難・原発 見えぬ収束 (河北新報・仙台の新聞社)
Six months on, few signs of recovery (The Japan times)

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私が調べた新聞8紙のうち、鉢呂氏の辞任がTOPだったものが4紙。震災の復興やその後についてを書いた記事が3紙。そして、震災関連かと思いきやそれをきっかけにして「国防の甘さ」についてを書いているのは産経新聞。なぜこの日に「国防」なのか……首をひねった。

震災復興についてを記述した3紙のうち、1紙はジャパンタイムズ、もう一紙は仙台の新聞社「河北新報」の新聞。全国紙で一面に扱ったのは日経新聞ただひとつだった。

TOP記事ではないにしろ、中日新聞は一面のど真ん中に赤子を抱く母の姿。放射能の不安に我が子の未来を迷う母の記事。毎日新聞は扱い的にTOPと同等の印象なので見出しに両方併記した。

この報道を見て、何を想うのかは個人個人の想いもあるだろうけれど、私は正直国内の扱いに対してはこれでいいのか?という想いを持った。鉢呂氏の辞任は、いったい国民のどれだけに影響のあることだろう?東日本大震災の被災状況を半年という区切りでしっかり考察することが、日本の社会のこれからにとってたった八日間の在籍の大臣が辞めることよりもずっと重要なことなのではないか?

対するジャパンタイムズの一面では津波・地震・そして原発という3つの「災害」からの検証と原発にからんでの食糧問題、そして遅々として進まない復興についてをかなりの紙面と図を使用して記述してある。

……このメディアの報道の偏り。そして、震災関連の情報の扱い。
日本がこれから、再建の道を歩んでいくときにこのあり方を見直すべきではないかとそう思う。

3月11日の大震災。
その大きな被害と派生する2次、3次、4次災害……今もなお不明者が数多く残り、遺体安置所が現地にはまだ存在し、職を得られぬもの、避難所生活のもの、その精神や身体の不安は消えてはいない。膨大な量のゴミ、つぶれた車。何より先の見えない、これからさらにその影響が心配される原発の問題。さらにそこから派生した風評被害。経済に及ぼす大きな影響。

半年たった9月11日にがれきの山に囲まれた石巻の地で、14:46に鳴り響くサイレンと共に黙祷を捧げたときに感じた「震災は終わっていない。まだこれからなんだ。」というあの想い。

いまだ先が見えない問題が山積みの今の状況で、私たちはそこから何を感じ、何を学び、そして未来にそれをどうつなげていったらいいのだろうか?

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私たちの「明日」のためにできる事は何か

その団体や、その人間でなくては出来ない事があります。逆に、どんなに頑張っても出来ない事もあります。
それを見極めてできる事を出来る人が、できる範囲でやること。無理をしないこと。大切なのは「頑張ってたくさんやること」ではなく、「想いを長続きさせていくこと」。

では。具体的にはどういうことなのでしょうか。

1、被災地のするべき事

「被害から半年」という区切りの中で見てきたときに、復興の仕方には大きな差が出ていました。
それはなぜか……という疑問の中に、地元の人のこんな声を聞きました。

「場所によって復興に差が出たのは、国やいろいろなところから支援を待って動かなかったところと、自分たちでやらねば、とどんどん動き始めたところの差。」

被害の形はみんな違います。地震の被害。津波の被害。原発の被害。それから風評の被害。
そしてそこから派生する産業や経済の停滞・沈降の有様。人の流れの変化。

だから、一概に「半年」という区切りで比較することは出来ません。けれど、福島での「移動保育プロジェクト」の上國料さんの言葉にもあるように「やってみなくちゃわからない」し、「必要なのは、今」なのです。「自分たちのことは自分で」……慰霊碑を建て、植樹をし、新たな取り組みに向けてどんどん動いていた閖上地区。風評には負けられないとキャラバン隊を組んで全国を回り歩き始めた会津。町が壊滅して、警察が機能しないからと不審車や侵入者、盗難から自警団を作って地域を守ったという石巻。被災地に根ざした地域の新聞社だから、と「伝えること」を第一に地域の情報や現状を訴えている仙台の河北新報。地域の情報を集めてコーナーを組んでいた茨城の書店。「お上からの支援」を待ってはいられない。だから自分たちでどんどん動く。共通していたその姿勢が、明らかにその土地の空気から前向きさと、新しい流れを感じとらせてくれました。

 その土地に住み、その土地を知り、その土地に生きた人たちだからこそ、「どう立て直したらいいのか」が誰よりもわかるはずなのです。だから「自分たちで取り戻そう」とどんどん動くこと。これがまず、とても必要なことだと思います。そうして前に向かって進もうと動くことは、失ったものを思って動けないでいるよりもずっと早くに活気ある心を取り戻すためにも役に立つはずです。

そうして被災地の人たちが自らで動くことによって、「必要な支援のあり方」が見えてきます。「自分たちでやる」事が必要だからと言って、復興を被災地の人たちに任せっぱなしは当然無理に決まっています。心も体も傷ついた人たちの力が「復興」に向かえるように、まわりはそのための環境を整えて力を添えることが大切になってきます。

2、行政のすること……特に「国」
 
この国は、首都東京を中心に動く中央集権国家です。東京から発信されたことが地方に届いて物事が動きます。それがもたらす長所と短所を理解して、やるべき事をしっかり見極めていくことが大切です。

 当然国の中央に「実際に支援活動に動く」事を望むことは無理です。国という大きな組織を動かすには膨大なエネルギーと時間がかかります。だから中央はそれをすべきではありません。国がそれをやると、手続きに時間がかかり、組織を作り実際に動き始めるまでにはかなり手間も金もかかってしまってもろもろが後手に回り手遅れになります。

「中央に物事が集まる」ことと、それを「発信する機能」を長所としてまず活用するべきです。つまり、現地の情報収拾と正しい情報の発信です。避難所の情報を個人や私的グループが集めるにはものすごく困難を要します。しかし、国はそれを容易くできるはずなのです。

 避難所情報を集める。原発の情報や今後の予想も含めてデータを収集する。そのために必要な専門家を集めて分析し、実用化されたデータを流す。どこの避難所にどんな物資が言って何が足りなくて、という「情報」のみを集めて流す。どこのボランティアグループがどんな活動や支援ができるから、どこの避難所や被災地にそれが必要かを見極めて情報を提供する。……そういうことをネットワークを組んでひとまとめでできるのは、国という公的機関だけなのです。

 それから、被災地支援に必要な専門家をその地に派遣する。放射能関連の具体案を提供できる人材をセレクトして福島に送り出す。壊れた町を新しく作りあげるためには、今回の被災の形を考慮して、そういう分析をしつつ町づくりの専門家を派遣する。支援物資の必要なものをとりまとめて企業などに協力を依頼する。動けそうな被災地の会社があれば、そういうところにも依頼をどんどんかけて仕事を与える。

 そして、そのために必要な各地区の役場の人材が、今回の被災で失われたのだったら、各地の役所から人材をセレクトして派遣する。

 情報や人材のとりまとめ。そしてそれを発信や派遣すること。全体を把握して的確にそれができるのは国だけです。それからもう一つ。必要だったら法律を変える。今回の非常時にも、法律にしばられて出来ない事や動けないことがたくさんありました。緊急事態に適応できる法律がない限りは、臨機応変に改訂していかなくてはなりません。法律は守るため(囚われるため)にあるのではなく、社会を動かし、人を守るためにあるのですから。

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「公的機関のやってくれるのを待っていたら、いつになっても始まらない。」……それが、被災地のあちこちからの生の声でした。そしてそれは今回の震災のことに限ったことではありません。今までの社会の歪みを生み出してきたその多くの原因は、公的な機関が臨機応変に動けなくなっていることから起きていることも多かったのです……。

今回の被災地対応でも、国会は非常時緊急で法律を変え、人事を考え、支援金の分配はその地方を知っている人間とその支援に派遣した人間に任せ、必要な情報を集め、それをとりまとめてどんどん発信することができたらこんな風に地域差や風評被害や……隠蔽工作や情報操作などはなくなったはずなのです。

首相や内閣の人事等に無駄な時間を割くような「ヒマ」は、被災地にもこの国全体にも、全くなかったと私は思う。(はっきりいうと、今の日本の政治の状況では誰がTOPでも誰が大臣でもまったく変わらない。ここに書いたことが出来る人をぱっと大臣や要職に起用できるほどの采配も配慮も出来る人がいないのですから。)

そんな状態の国に、何かを期待することや何かをしてもらうことを待つことは無駄だということ、それを私たちは頭に置き、国は国のできる事……机上(情報)の整理と分析と発信に集中してもらい、やることは国民である私たちがどんどん動いていくこと。それが今、必要なことなのだと思います。

そうして、実際にそう動いている人(企業やグループ、著名人を含め)たちが今の復興を支えているのが現実です。本来のリーダーは、こういう中から生まれてくるべきなのです、そして今の時代に、そういう各地の現状をしっかりと掴んだリーダーが、地方を作りあげていくことは十分可能だと思います。

江戸時代に飢饉や災害から民衆を救ったリーダーは、幕府や朝廷ではなく、その土地の豪農や豪商であったという「旦那文化」を持っていた日本ですから。それはきっと出来るはずなのです。

3、メディアのするべき事

 まずは奇をてらった報道や衝撃性のみを追いかけ、視聴率、購読数重視の報道をやめること。そして、情報操作が明らかにあることも今回のもろもろのことからこれだけ露見しているのだから、メディアは自らの報道姿勢をしっかり見直して、本来のメディアのすべきことを再確認することだと思います。

まずは、「正しい情報」を「正しく発信」するだけではなく、「活用できる情報」をしてより多くの人が動けるように、復興へのイメージを持てるように、メディアの持つ伝達力を最大限に活用することだと思うのです。

そのためにはまず、2,で書いたように国が正しい情報を集めてしっかり分析し、使える情報として流すことで、それをメディアが正しく伝えることと同時に、国がもし、中途半端で使えない情報を出したらメディアがそれを「ダメ出し」するくらいの気概を持つべきだと思うのです。それが出来るのはメディアだけだから。

本来は、メディアでも提出された資料を分析し、正しく判断・検証する人間がいるべきだけれども、それがかなわないとなったら、必要な人災に取材をしたり依頼をしたりしてそういう機能を果たすべきなのだと思うのです。「今、国全体が本当に必要な情報とは何か」と考えてそれを伝える。それが出来るメディアだったら、9月11日のトップ記事は震災半年の遅々とした復興状況や先の見えない原発の恐怖に苦しむ人たち、海外からの非難の声……そういうものを伝えるはずだと私は思ったのです。

国が正しく進むために「三権分立」という形が考えられました。(今は正直言うとちゃんと機能していないと思いますが)国が正しい情報を把握し、それをきちんと考えて発信しているかという「情報の見張り番」がメディアのあるべき姿だと思うのです。そうしてきちんと必要な情報を要求し、正しい分析とそれに基づく具体的な復興案を要求し、それを拡げて伝えていく……メディアのできるとても大きな役割だと、私は思います。

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では………

4、私たち一般の人間がすること。

は、なんでしょう。「自分には力がなくて何もできない」と縮こまっている人、恐縮している人もいます。
でも、それは違います。ちゃんとみんなにできる事があるんです。

それを、この次の記事に書こうと思います。

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被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(2)  に続く

今回のブログは、書くことにものすごく配慮せねばならない。
「フクシマ」の被害は明らかに他県とは違うからだ。

津波被害、地震被害、これらのものは目に見える。だから情報が無くても目で確認することはできる。
しかし、フクシマが背負っている被害にはこれらにくわえて「放射能」という目に見えない敵がいる。目に見えないものはわからない。わからないから恐ろしい。……それは、人が根本的に持っている恐怖心を煽るものであるからなおのこと根が深い。それが「風評被害」にもつながっていく。

たとえば、病気にたとえると骨折のような怪我や風邪ひきのように視覚的に感じられる病気は理解しやすい。けれど、うつ病のような精神的なものや、内臓の疾病のような外から見えないものは見つかりにくいしわかりにくい。そして自分も他人も理解しにくいから治りにくいし治しにくい。治療方法についても、専門家でないとわからない部分があるので手の施しようがない。……それが、今回のフクシマの陥っている状況なのではないのだろうか。

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9月11日。
この日朝、水戸を出発して常磐道を北上しました。
この日の第一目的地は福島県の郡山。

最初の計画では、常磐道をできるだけ北上して海岸沿いを宮城まで……と思ったけれど、原発の影響で立ち入り禁止になっている区間があります。どこまでかを調べてみたら広野インター以北とのこと。そこまで無理して入り込む必要は今回はないし、仙台近辺の状況をよく見るためにもルートは常磐道から磐越に入って東北道を北上するルートに決めました。

参考までに。
水戸ー郡山2

その折に福島の郡山近辺を通ります。そこでFacebookで知った「福島移動保育プロジェクト」の活動に取り組んでいる上國料竜太さんが、郡山で活動していらっしゃるので、上國料さんにお会いしてお話を聞くことにしたのです。

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福島移動保育プロジェクト」とは、毎日放射能の汚染におびえて深呼吸もできない子ども達に深呼吸できる時間を!というコンセプトのもとに、放射線量の少ない地域に乳幼児~小学生を連れて行って保育する試みです。

あの原発の問題以来、ここ郡山近辺でも外で遊ぶ子ども達の声が消えたそうです。
上國料さん自身のお子さんも30分以上は外で遊ばせないようにしているし、ご自身が預かっている保育所のお子さんたちも同様だそうです。

そんな状況にありながら、ではさっさと安全な場所へ……といってもそれぞれの生活や事情があって、なかなかそれも出来ない人たちがほとんどです。けれど、子ども達は外で元気に遊ぶことが一番。思い切り飛び回ってお腹いっぱいに空気を吸うことができるように。せめて昼間の保育の時間だけでも……そういう想いから上國料さんはこのアイディアをFacebook上に書き込んだのが7月23日だそうです。

そこから2~3週間の間、お金のこと、システムのこと、様々な問題をクリアして約1ヶ月後の8月30日に第1回目の移動保育が実施されたのだそうです。

しかし、このプロジェクトが確実なものとなって行くにはまだまだ課題は山ほどあります。
たった一回の移動保育で子ども達の安全が守られるはずもなく、永続的に長いスパンで取り組まないと意味がありません。そのためにはまだまだ費用も必要ですし、常に放射線に関しての情報も得ていなくてはなりませんし、子ども達に対しての様々な対応も必要です。

現在は主にFacebookを使って活動の報告や支援の呼びかけをしていますが、こういうことに対しては民間の反応がとても早くて、いくつかの協力企業も出てきているそうです。また、飲料メーカーとの協力も得て自販機の売上げの一部を運営費として活用できるシステムも組まれているそうです。

こうしてシステムを確実なものにしていき、今現在は1人500円でお預かりしている費用をいずれは無料にしたいと上國料さんは語っています。

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「結局、他県に頼る支援のあり方は長続きしません。県外避難には限界があります。本当の意味でフクシマの復興のことを思うのだったら県内で経済がきちんとまわる仕組みを考えないと成り立たないと思うのです。」

上國料さんのこの言葉は、その後の被災地の状況を見て回るほどに私の中で重みを増していきました。被災地のことを何よりもよくわかっているのは、そこに生きる人たちです。その人たちがきちんと生活できる状況を作らないと本当の意味での復興は成り立たない。

原発問題に悩むフクシマのみならず、この言葉は被災地や、そしてこの先どんどん大変さをましていく日本の社会全体に対してもしっかりと心に留めなくてはならない言葉だと感じました。

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この訪問の時に、上國料さんが私に見せてくれた一枚の資料があります。

26julyJG.jpg「放射能汚染地図」とタイトルされたこの資料は、群馬大学の早川教授がまとめたもので、3月以降大気中に放出された放射線量を4月8日に文科省がネット上に公開した数値データをもとに作られた物で、これを見ると爆発以来どんなふうに放射能が風に乗ってひろがったのかがよくわかるのです。

そして、これを見ると「フクシマ」だけが問題なのではなく、東日本の多くが何らかの影響を受けていることも、また「フクシマ」の中でも安心して活動できる場所があることも一目でわかる地図でした。詳細は、この地図を作った早川教授のブログ「放射能汚染地図の読み方」をごらんください。

ちなみに、先ほどの政府が示した「30キロ圏内」の注意地区の地図とこの日、郡山に向かうルートとこの地図を重ねてみると………

水戸ー郡山3

こんな風になるんですね。

実は、今回「フクシマ」を通ることに、私の息子はとても恐怖心を持っていました。そして、水戸で夜のご飯に「海に近いからお魚美味しいだろうし、お寿司食べようか。」と言ったら「絶対嫌だ」と言いました。息子は、今回の旅行に当たって彼なりにいろいろ調べていたようです。そして福島原発から放射能の水が海に流れたこと、風の向きで30キロ圏内でなくても放射線量の値の高い地域があることなどから「怖い」になったようです。

それに対して私は「今回通るところは30キロ圏内からははずれているし、大丈夫だよ。」という声がけしかできませんでした。その「大丈夫」の中には、「高速道を通過するだけだから」というニュアンスも含まれていたわけです。それは確かにそうなのでしょう。けれど、3月以降放出された放射線はその土地土地の土壌に染みこんで、それが時には風に舞う塵に乗って、時には海の流れに乗って、この先も消滅することなく回り続けます。

それは「ここは30キロ圏外だから」という言葉で安心できるものではありません。そして、そのばらまかれた放射線の有り様は、政府からはわかりにくい数値データとしてしか提示されてきません。さらに、その放射線に汚染された土壌を除染するシステムも充分ではありません。ここに来て、以前みた東大の児玉教授の「子ども達のために」と必死で声を荒げて訴えていたあの声がより現実味をまして迫ってきました。

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一方でそういう事実をふまえながらも考えなくてはならないことがあります。それが「風評被害」です。

先の汚染マップで示したように、放射線の流れは福島のみに降り注いだわけではありません。そして福島の中でも流れが届いていない地域もあります。「福島」という発音だけで恐れを持ってしまう状態は避けるべきなのです。

上國料さんが行う移動保育は、決して他県に連れて行くというものではありません。同じ福島県内で深呼吸も土いじりもできる土地もちゃんとある。

一方で「被害」はわたしたちにも及ぶ可能性がある。「自分たちももしかしたら」という感覚を持ってこの問題を福島だけのものにしてはいけないのだと思うのです。世の中には流れがあるから、すべてのことはその流れの上にあるから、いついかようにしてその流れが自分に向かうのかは誰にもわかりません。正しい知識で防いでいかないと、いずれは日本全体がその影響を受ける可能性は充分にあります。

福島の人びとは、福島で生きるから自分たちが今の状況の中でより良い明日のために精一杯戦っています。それを単なる「恐れ」だけで避けるのはその頑張りを踏みにじることになる。
かといって、じゃぁ、「福島のものを怖がらずに食べましょう」も違うと思うのです。今の福島にとって、何が必要なのか。どうしたら福島の経済が回り出すのか。「今」を正しく見た上で防ぐべきところは正しい知識で防ぎ、けれど必要以上に恐れることなく考えていくことが大切なのだと思いました。

ちなみに、先に書いたように「福島」を恐れていた息子は、この旅の帰り道で会津若松に立ち寄ったときに、「ぼくは福島でまだお金を落としていないから」と、会津の名産の絵ろうそくを求めるためにあちこち奔走していました……。こういう形の支援を彼は考えていたのですね……。

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「とにかく、考えていても始まらないから。」

移動保育プロジェクトを立ち上げてあっという間に第1回までこぎ着けた上國料さんはこう言いました。「公的な補助なども考えないのでしょうか?」との問いに、「公的な補助を待っていたら時間がかかりすぎますから……。」と答えました。

今までの状況を見ても、それはよくわかります。考えていても始まらないし、子ども達の健康を考えたら国のなかなか進まない支援などあてにせずに一刻も早くやらねばならない。

今回のこの移動保育プロジェクトに限らず、そして福島の人びとの健康に限らず、この問題は日本全体に大きな影響をもたらすものとして一刻も早く意識を持って、正しい認識を持って、みんなで取り組んでいかなくてはならないことなのだ……たとえば風評被害を減らすために正しい知識や情報を学び取ること、それだって大切な支援の一つだ……。と、そう思ったのです。

そして願わくば、こういう正しい情報を正確に一刻も早くに公表できる日本の国であって欲しいし、除染など専門知識や技術が必要なジャンルに必要な専門家が必要なだけ動けるような体制を整えて欲しい……。(今現在、国が出してくる情報よりも海外からのものの方がわかりやすく信憑性があるのが現実です。海外の情報のように「わかりやすく」「活かしやすい」情報をなぜ自分の国のニュースで得られないのでしょう?)

国や公的機関自体がすぐに動けないのだったら、今それぞれでできる事を精一杯頑張っている人たちに活動できる資金やシステムを整える支援を即座にとってくれたら……。それが何より大きな支援になるのに……。

その部分についてどうにもままならない国や東電の姿には、やはり怒りすら覚えるのです。

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福島移動保育プロジェクトは、現在活動用の募金を受け付けています。また、スポンサーも募集しています。

民間で頑張っているこういう活動が多くの人に支えられて未来を開いて行かれるように、多くの人の協力が得られるように祈りつつ、上國料さんと別れを告げて次の目的地仙台~石巻に向かいました。

福島移動保育プロジェクトの詳細や活動の報告などはこちらのページからどうぞ。

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被災地をめぐっての3日間~3石巻・仙台 へつづく

今朝、目に止まった一つの記事があります。

Silenced by gaman」……「我慢という沈黙」

Japan: Silenced by gaman | The Economist より

すみません、これ、私が勝手に意訳したタイトルなのですけど、文面を読んでいて日頃強く感じていたことを思い起こしたので、こんな風に訳してみたのです。(もっと適切な役があったら是非教えてください)

記事の内容は、大約ですが「日本人は昔から我慢が美徳とされている。けれど、それが果たして『美徳』としてもてはやされていい物だろうか?」という投げかけから始まって、先週までに東北地方に投げかけられている三つの『課題』についてを考察しています。

一つ目は4月17日に東京電力の「当面収束に半年〜9か月」という発表について。

二つ目は4月14日に菅総理が行った「東日本大震災復興構想会議」について。

三つ目は、「エネルギー政策」に対する国のあり方について。

この三つの観点で考えた時に、日本の人は「我慢」という美徳の名の下にこれ以上沈黙を続けるべきなのだろうか?という投げかけの記事なのです。

この記事の最後にはこう記述してあります。
”If they are finally running out of gaman, it might be a healthy sign.”
(もしも彼ら(東北の人びと)が我慢の限界にきたら、それは正常なことなのではないでしょうか。)

私は常日頃から思っていたことがあります。「日本という国ではなぜ、革命が起きないのだろうか?」……と。

かなり過激なことだと言われるかもしれません。でも、ずっと人間…、日本やこの地球の歴史を見てきたときに、人びとは耐えられない圧力に対して「抵抗」という術を持っていました。それは時に暴力をともない、人を傷つけたり時に血を流し命を奪ったりという悪い形ででてしまう事もありました。

けれど、もしもそれがなかったら……「抵抗」という抗議の声がなかったら、私たちの今の幸せな「普通の生活」は成り立っていなかったんだろうと思います。

ここにあるのは「上」と「下」との関係。為政者と民衆との闘い。力のある者とそうでない一般の者との闘い。……というように、立場の違う者同士の間に起こる「不理解」がもとになって出来る「不整合面」の不自然だったり理不尽だったりする圧力からの解放……。つまりは、今回の災害の原因になっている「地震」の起こるメカニズムのようなものなのです。もっと言うと、「自然現象」の一つ。

ところが。
第二次世界大戦が終わり、日本が負け、そしてそこから立ち直ろうといわゆる「挙国一致」状態で日本が高度成長を遂げた頃から……いつの間にかこの「自然現象」は見あたらなくなりました。私が成長してくる過程で、東大の紛争・連合赤軍、そういうかなり衝撃的な「革命」の見出しが新聞記事に踊りました。

決してそれを肯定しようとは思いません。だけれども、そこにあった「エネルギー」は……「生きている人の力」を感じさせてくれる命の爆発は……強烈な印象を子供心に、そして社会全体に投げかけていたのは確かです。人の命を危ぶませ、暴力により世の中に一石を投じるという革命のあり方は推奨されません。けれど、「それしか訴える手段がなかった」状態に陥った社会にとってはこれほどの命の爆発が必要になっていたのは確かだろうと思います。

ところが、ここ数年。
日本という国とその社会全体は明らかにおかしな方向に迷走し、人や物の命の重さ・その熱さが忘れ去られ、かなりの「不整合面」があちこちで発生していたのにもかかわらず、「革命」は起きない。暴力に限らず、人びとはどうにも「あきらめ」てしまい、下を向き、そして自らの内面に向かって心を病み、命を絶つような状況が多発していることに対しても次第に「不感症」になりつつあった。

つまり……「怒っても当然」のことに対しての「怒り」さえも、失われつつあったように思います。

この記事を読んでいてそれを思いました。被災者の人たちは怒っていいんだと思います。それは、天の与えた災害に対してではなく、そこに至るまでの社会のあり方と、災害のあとの国のあり方に対して。

怒りは必要です。
「我慢するべき」怒りは当然ありますが、「我慢してはいけない」怒りもあるはずです。
その怒りが、社会や世の中を進めていくのですから。前進させるのですから。

かつては、人は力によってしかこの「訴える力」を持てなかった過去もありました。けれど、今は違います。ネットがあり、様々な表現手段が許されている今は、力に頼らずとも言葉や行動でそれを表すことができるはずです。下を向いているのではなく、正しい視点を持って正しい情報を集め、そしてそれをきちんと受けとめることができる人たちがどうしたら伝わるのか、どうしたらそれを形にできるのかを考えて集約することができるはずです。

エネルギー論争も、本来のこの日本の力を持っていたら原子力に頼らなくても太陽光などのクリーンで自然なエネルギーを大きなパワーに変えることが出来る力はあるはずだと思います。かつて日本がそれほど電気に頼っていなかった時代の状態を想い出してみたら、「電気が必要」な部分と「必要でない」部分をきちんと見分けて電気に頼らない社会が生み出せるはずです。

(実際、「節電状態」の今、真夜中が暗く星空が見える状態の快適さを想いだした人も多いのではないでしょうか)

人びとの応援の声が莫大な支援金となって形になっているのだから、それを「この先の復興」という大きな目標のために被災者の立場に立って、その目線や視点から有効に活用して行ったら、それが形になったら、失った物に心を寄せながらより温かく人の血の流れる町づくりが可能になっていくはずです。

たとえば、先日目にしたこの記事。
東日本大震災:家電6点セット購入に 赤十字社の義援金

果たしてこういう義援金の使い方が、寄付した人びとや、もっと言うと被災地の人びとの「本当の望み」にかなっているのかどうか?そういう観点で物を見たときに、「我慢」するべき事と「我慢しなくても良い」部分に対しての観点がどうにもずれているように私には思います。お金の使途を決めるのは、赤十字や国ではない。寄付した人たちの想いと、それを受けとめた被災地の人たちの本当の意味での「復興」……元気な世の中に戻るための力になる、という観点で考えるべき事なのではないでしょうか。

そのために、私たちは……自分の持っている「きちっと自分の足で立って歩いて行かれる社会」に必要な物、そのイメージを最大限に生かして拡げて、力にしていくことが大切なのではないかと思います。

確かな視点。
目先のことに囚われない、長い目で将来を見つめる目。

「我慢すること」は、人から押しつけられるのではありません。
「我慢」とは、自分の目標に向かい、明るい未来に向かうときにそれをかなえるためにすることであって、あきらめるためにする物ではありません。

我慢して下を向くのではなく、前を見つめて歯を食いしばって進む我慢。

自分と社会全体の進むべき方向の基準に基づいて「我慢すること」を自分で決め、確かな視点と方向性を持って今、力強い復活のイメージを目指してみんなで一緒に歩いて行くときなのではないでしょうか。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

最近、本編は休止状態でコラム「INTERMEZZO」ばかり書いていますが、このご時世と言うことでしばらくご容赦ください。たぶん、「イメージする事」の大切さや過去に学び、前に進むためにとても大切であることを「今この時」考え粘らない状態なのだと思います。だから、本編は一休みして、今この時に皆さんと考えたい事、考えるべき事をしばらく記述していこうと思います。

その時に必要なのが「個人裁量」なんじゃないのでしょうか。今回も、その”個人裁量”……つまり、「人としての想い」で救われた命がたくさんあります。マイクを握ったまま人びとを避難させて自分は間に合わず亡くなっていた消防士さんの話。今、原発の現場で被曝の恐怖を恐れず闘っている人たち。違憲と非難されながらもそこで研鑽を積んだ自衛隊と、その自衛隊に救われ肩車に誇らしげに微笑む少年の写真。

その一方で自分たちは被害に遭わなかったけれども少しでも力になりたいと使えそうなものを必死で集める人々。Twitterで自分の寝る時間も惜しんで必要な情報を繋ぐ人びと。

決まりに縛られずに個人の想いで闘っている人たちがたくさんいます。
それが「現場」なのですけれど、いまだにその「現場」と乖離した「お役所仕事」に支配されている人びとがその妨害をする。

先ほど、原発で今苦しめられている福島県の元知事のインタビュー記事を読みました。そこにはこう書いてありました。

「役所は一旦道が引かれると、止まらない。誰にも責任を取らせないし、取りたくないが故にみななぁなぁでその道を進んで、止めらない。原子力の問題を通じて、このことが判った。」

(2011年3月20日、佐藤栄佐久元福島県知事に緊急インタビュー記事より引用)

これは「いじめ」の増長、悪質化にもつながっていますし、「頑張った人間がバカを見る」と言われるようになった今の日本の社会の根本にある病巣のもとでもあります。原発がなぜ、必要なのか充分な討論もされないままに推し進められたその結果を見つめようとしない関係者の姿。ここにも「馴れ合い」という一つの悪習が巣くっています。

日本ほどの技術を持っていたら、たぶん原発の開発や維持に掛けるだけのお金を持ってしたらきっと充分な太陽光発電の開発がもっと早くに可能だったはずだと私は思います。そっちに行かなかったのは政府主導で行われた「現場との乖離」によるお役所仕事の結末のように思います。

今、浮き彫りになってきている日本の病巣。
災害によって見えてきた「人のあるべき姿」。

こういうものを今、真剣に考えて見つめ直していかないといけないときなのだと思います。
日本が、再び世界に胸を張れる国になることができるのか。

「また、再建しましょう」

戦争。チリ津波。そして今回の地震による被害。
そんな大きな波を何回もかぶってなお、こう言って笑える大先輩が日本にはちゃんと居ます。

こうしてきた「現場の人間」を心の柱にして……こういう人のあり方こそを「ルール」にして、私たちはいいかげん「お役所仕事」の「決まり」に支配され、「慣習」に押しつぶされてきた今までを脱ぎ捨てて「人がルール」の日本に立ち返るべきなんじゃないのでしょうか。

ところが、いつの間にか……最近は「決まり」があり「慣例」があって、そこからはみ出すことがいけないことになってきていて、「オレが責任持つから」という「上の人」がいなくなり、現場の物は上の人が出す指示や命令が絶対になり、それを守れないと責任とるのは現場の者。せめられるのも現場の者。

責任はどこにあるのか?といったら「現場に即した指示ができない上の者」にあるように思うのですけれど、そこには誰も言及しません……出来ないんですよね。

「お役所仕事」という言葉があります。
これは、「お役所とかお役人さんは決まり事以外のことはやらない」という個人裁量のなさを非難した言葉のように思うのですが、実は現代の社会って、お役所に限らず、会社でも、学校でも、社会全体でこの「お役所仕事」が蔓延していたように思うのです。

最初にあげた支援物資の話。それから実際に当日のライブで「寄付を募ろう!」って思ったけれど「個人でそういう事をされては困る」というひと言でその話も進まなくなりました。すべてが「こういう決まりだから」「こういうルートでやってもらわないと困るから」という理由からのことなんです。

さらに、Twitterなどでいろいろな発言を見ていますけれど、そういう中でも同じような現象は起きています。「不謹慎」発言や「偽善者」発言ははその最たるものじゃないかと思います。

こういう事態に陥ったら、被害にあって大変な人がいるから楽しいことは不謹慎だ。旅行なんてとんでもない。笑いなんてとんでもない。そんな発言は不謹慎だ!……「不謹慎」というルールが人を支配してしまうのです。そのルールからはみ出す人は「悪者」であり「あってはいけないもの」なのです。

逆に、こう言うときに自分のことのように必死で応援したり様々な行動をしている人に対して「偽善者」呼ばわりをする者もでてきました。かっこつけ、いい子ぶり、目立ちたいから……。「偽善者」という枠にはまる者は、たとえ相手がそんなつもりじゃなくてもその人にとっては「偽善者」になってしまう。

でも、ちょっと考え直してください。

「決まりだから」
「上がこう言っているから」
「不謹慎だから」
「偽善だから」

○○だから……という言葉のその○○に入る言葉を決めたのは誰でしょう?そしてその○○という言葉は、一体誰のためにあるのでしょうか?

決まり。ルール。上司の命令。
そういうものは「人がより良くあるため」に発するものであるはずです。
そして、人が発するものである限り「誤り」だってあるのです。

単に今までの慣習だから、常識だから、自分がこう信じてきたから。
そんなものに左右されたものがたくさんあるんです。

人は、人である限り「絶対」なんて不可能ですから当然「過ち」はあるはず。かつて「個人裁量」「現場裁量」がちゃんと認められたのは、こういうことがわかっていたからでした。決まりがあったって、現場では何が起こっているのかわからないから、決まり通りに行かないこともある。常識だと思っていたこと、大丈夫だと思っていたことが崩れることも絶対にある。(今回の原発のことに関してもそうですよね。「絶対に安全」という事はない。地震の規模が「想定外」であったことも、また人の常識でははかりきれないことでした。)

そういう「ありえないこと」に出くわしたとき。
決まりや常識では動かせないもの、救えないもの、抗えないものがでてきます。

○○だから……では太刀打ちできないことがまだまだたくさんあるはずなんです。

〜(3)へ続く


graphics8.nytimes.comより

先日、住んでいる町のイベントがありました。
そこに関わって出た話です。

私は、バンド活動でこのイベントに参加することになっていたので、イベント前の二日間、練習をしました。その時にこの震災の話になったのですが……。バンドのボーカルの人が支援物資を持って行ったときの話をしてくれました。

「乾電池をオークションで500コ落として持って行ったんだよ。市で集めていたのに合わせて。で、そのうち1つのパッケージだけ袋があいてたんだ。でも明らかに使ってないってわかる状態だったんだけどね、集めていたひとに言われたんだよ、“新品じゃなくちゃ困ります”って。」

この「新品限定」っていうのも何とも困ったルールだと思ったのです。
実は、私もこの災害に関して支援物資を家にある物で間に合うのだったらかき集めて持って行こうと思ったのです。娘とその情報をもらいに役場に行く途中のラジオでその募集の話をしていました。

やっぱり「新品に限る」とのアナウンス。それから他にも、個々にバラバラに持ってくるのは困るので箱単位、とかでも「購入してまで持ってこないでください」とか、指定した物以外はダメ、とか……。

「ああ…それじゃ無理」と思って娘とあきらめました。

正直、家もそんなに余裕のある生活しているわけじゃありません。だから家に「買い置きしてある物」で「新品」で「まとまった量のある」モノなんか無いんです。毛布も子どもたちが小さい頃使った保育園のおひるね用の小さいのとか、そんな物しかないんです。

新品を……と言われたら、やっぱり買いに行くしかない。
で、ふと思ったのがこのあたりのスーパーでそういう物が品薄になっているという話。もしかしたら買ってでも支援しようとまとめ買いした人のいるのじゃないのだろうか………と。

確かに、支援物資は不要品集めと違いますから、気持ちよく使ってもらえるモノを集めたいということもわかります。でも「新品」に拘る必要はあるのでしょうか?大切なのは「今すぐに必要な物が使える形で届く」事なんじゃないのでしょうか?

現場からは「足りない」の声が上がっていて。余裕のある地域の者は「なんとか届けたい」と思い。

だけど届けるためには個々で受け付けていないのだからお役所に頼るしかない現実。
一つでも多く、一刻も早くに物を届けたいという思いから家にある物で「使える物」を持ち寄りたいという想いがこの「新品に限る」というひと言でさえぎられてしまうんですよね。

確かに、電池なんかはシールはがしてしまうと使えない物かどうかもわからないし、そうして持ち込まれた「不要品」を処分する手間を考えれば「新品に限る」はとてもよくわかるんです。だから今回はそれも仕方ないのかもしれません。

その上で、ひとこと日頃思っていたことを添えたいのです。

かつては、「現場裁量」とか「個人裁量」という言葉がごく自然に行われていました。ある程度の立場にある人、上司、そういう人たちからは「オレが責任持つから思うようにやれ」という言葉を聞くことが多かったのです。

そういう「信頼」を受けた方はまた、その信頼と期待を裏切れませんから「自分に責任」を持って行動しました。

お互いに、自分の行ったこと、自分の信頼、そういう物すべてに自分で責任を持って行動していました。だからその中でもし、失敗があっても人のせいにはしなかったし、自分で何とかしようと頑張りました。責任持ち、信頼しあった者同士で物事を一生懸命に解決していきました。

そこにあるのは人間の温かさ。人の心のこもった行動。
だから、もし、失敗があったとしてもその人を責めるよりはみんなで何とかしようと考えてやって来た……。

(2)へ続く

Photo : Midori Komamura

1「ゆとり教育」はなぜ失敗したか。
(1)「勉強」と「学習」は全く違う。〜エジソン成功の理由

まなび

Photo : Midori Komamura

 
 

第1章でも触れたように、今でこそ発明王と称されるエジソンも幼い頃は「劣等生」でした。

どうやらエジソンは「学校の勉強」は得意でなかったし、科学理論に詳しかったわけでもなかったようです。けれど、なぜあれほど多くの発明で人に役立つことが出来たのでしょう。

彼が友人に残した言葉によると「自分は頭で(考えて)発明をしたのではなく、自然界のメッセージの受信機として宇宙という大きな存在からのメッセージを受け取り記録(=発明)していたに過ぎない」……のだそうです。

この彼の言葉からも、あの数多くの偉業は彼自身がいかに「イメージする力」と、それを「拡げる力」に支えられて成し遂げてきたのか、ということがわかります。

机の上でひたすら紙とペンを相手に計算していただけでは出来ない事だったのです。

彼は、幼い頃に学校からはみ出して教師からは劣等生扱い。だから彼の母親が彼を自らの手で学び導いたのだと伝えられます。(この真偽については様々な説があるようですが)

母親は、彼の好奇心に満ちあふれた「なぜ?」「どうして?」という質問の中に、彼がイメージしようとしていることを見取って、それを支え、拡げる教育をしたようです。

エジソンの母を伝える文では「いい点を取る子=いい子供」という感覚とは全く逆の理念を持ち、エジソンの力を見抜くことの出来なかった学校を「興味を持たせられない教え方が悪い」と辞めさせ、彼女自身がエジソンを教育しながら彼の「なぜ」「どうして」を解明しようとする姿に徹底的につきあった、といわれています。

(2に続く)

二つのプロジェクトから見えたもの、掴んだ可能性の未来について宮内氏と語るうちに、ひとつのぼんやりとしたイメージが浮かび上がってきました。

今の社会・世の中は、まるで嵐の海のようなもの。先は見えないし、それがいつおさまるともわからない。その荒れた海で避難する場所も見えずもみくちゃで息もつけない。時に嵐は、がっしりした大きな船でもたちまち飲み込んでしまう。ニュースを賑わせる大企業の突然の破産や倒産、経営危機。みんなが必死に嵐と戦っていて、どうしたらいいのかわからなくて。みんなが嵐を乗り越えるために必死でいろいろな手段を講じているけれど……なすすべもなく抗う力も失いつつある。

それを乗り越えるためにはどうしたらいいのだろう。

自分たちも、まだそれが見えない。実際にいろいろ無我夢中で取り組んではいるけれど、どうしたらそれがちゃんと実を結ぶのか、何を目指してどんなふうにしたらいいのかわからない。……その「イメージ」がない……。「乗り越えるイメージ」が欲しい……。

今の時代にありながら、ちゃんと苦難を乗り越えてしっかり立っている人々がいる。そこにはきっと、乗り越えるためのヒントになる「何か」があるに違いない。そういう人たちに会って話を聞いて、その「何か」を集めてみたらどうだろう?

今この時に必要なのは、「乗り越えるためのイメージ」……そしてそれは、嵐にも負けずにしっかり立つことができる人々の持っている「何か」。それこそが訳のわからない苦しい状態を抜け出し、この先進む方角を示してくれるための「羅針盤」になるのではないだろうか。

いろんな人に会って、話を聞こう。そこから何かが見つかるかもしれない。その人々の言葉を集めて、自分たちだけでなく、おなじようにもみくちゃになっている人々にも伝えられるような“何かの形”にしてみたらどうだろう?

こうして、二つのプロジェクトから見えた可能性をより確かなイメージへつなげる手立ての一つとして、オーディオバイオグラフィー【羅針盤】の構想が生まれたのです。

かりがわたる

Photo : Midori Komamura

2-4そして【羅針盤】へ 〜社会という荒波を進むための指針〜

こうして、「日本の社会は大丈夫」というイメージを得、可能性を見つめるエネルギーを得ることが出来たのですが、一方で「現実」「現状」が持つ大きな課題もはっきりと目の前に山積みになりました。

日本は大丈夫、という要素も可能性もありますが、しかし逆をいうと「大丈夫ではない現実」が立ちはだかるからその可能性を探らねばならないわけです。

たとえば、一番切実なのはお金の問題。何をやるのにもお金がかかります。実際、N-ex Talking Overを半年で休止しなくてはならなかったのもそれが大きな理由でした。

同じく、若い世代がなぜ情熱を持ちながらそれを実際に生かすことができないか、という理由にも重なってきます。まだ財力の余裕がない若い世代は、活動にお金をかけることが出来ないし、自分の生活を維持するためには収入を得ることも必要で、収入を得るための仕事の時間が本当に目指すものにかける時間を圧迫する。これも現実のことです。

それから、年代や立場の差。

世代や立場を超えて交流できる場が消滅し、「異なった環境から生まれた意見」が討論される場がないことのほか、少子化・核家族化による年代バランスの崩れ、発展のために急激に進んだ競争社会、失敗が許されにくくなった環境、固定化・形骸化された決まりや伝統、もしくは増え続ける規則による思考の停止状態……。様々な要因が絡み合って、年配と若者、土地のものと外からの者、収入の多少、などの立場の二分化・二極化を創り出し、それによって意見もまた良いか悪いか、あっち派かこっち派か、という歩み寄りのない「対立」の構造を創り出していました。

結果、力のない者、権威のない者、実績のない者、資金のない者、といった「無い者」の挑戦は取り上げられなかったり、孤立したり、という状態がおこるのです。

そこで「可能性」を掘り起こすだけではなく、それをつなげてわかりやすいイメージにすることが必要でした。

実際に、小さい動きですが「活動」して頑張っている人はたくさんいました。けれど、それを取り上げてつなげる機能を持つ機関がないのです。だから、頑張っている人たちは孤独でした。「自分だけ頑張っていてもなぁ」というむなしさや、「こう考えるのは自分だけなんだろうか」という孤独感を持った人。N-ex Talking Overや文化庁の事業で出会った人々の中に見え隠れするそういう想い。

せっかくの可能性を未来につなげるためには、そういう想いを何とかするべきだろう、どうしたらいいのだろうか?
「この先」を考えたときに、何が出来るのだろう?

荒れた海を見つめるカモメたち

Photo : Midori Komamura

その中でさらに見えてきたこと。

それは、善光寺にしろ今パワースポットと呼ばれている戸隠にしろ、南信濃の深い山に囲まれた今は過疎化している土地にしろ、学問の上で日本を引っ張る立場をになった上田にしても、たくさんの「川」によって日本の北と南を結ぶ要所だった松本にしても。もともと長野という土地は「外から入ってくるもの」をどんどん受け入れて取り込んで、陸の孤島といわれる土地の難点を逆に生かしてきた歴史があるのだ、ということです。

長野……信州という土地の持っている本来のそういう力を、このN-ex Talking Overに集う人たちはちゃんと受けとめられる人たち。それぞれの場で、それぞれの想いを持ちながらしっかりとより良い社会の姿をイメージし、それを目指して活動しているのだ、ということを強く感じることが出来たのです。

このN-ex Talking Overというプロジェクト自体は様々な理由で現在は休止状態ですが、この半年の中で生まれてつながり、拡がったものがたくさんありました。

そこから生まれたつながりで始まったプロジェクトやアイディアは、参加したぞれぞれの中で今も拡がり続けています。そして、そこで生まれたつながりや、見えたこと・出された意見や想いは、私にとても大切なイメージをはっきりと形作ってくれたのです。

「大丈夫だ、長野の人はちゃんと生きている。長野は大丈夫だ。そしてこういう人たちがあきらめない限りは、今ずたぼろでも日本もちゃんと大丈夫なんだ。」

「可能性」というすばらしいイメージが、はっきりと見えるようになったのです。

(*N-ex Talking Overについての詳細は、一部ですがエヌ[N]のサイトにまとめられています。テーマや出た話題・資料などはこちらでご覧下さい。)

mebuki

Photo : Midori Komamura

そんな学校の姿はまた社会の有様の縮図でもありました。

近所の人間が集まってワイワイ話をする場はほとんどありません。それぞれが仕事に忙しく、下手をしたら近所に誰がいるのかさえもわからない。誰がどんな知恵を持っていて、誰がどんな技術があって、こんな時にはこの人に聞いてみればいいかな、この人にアドバイスもらえるな……そういうデータは手に入りにくくなりました。

子育て中のお母さんは先輩のお母さんにアドバイスをもらう機会が無く孤立し、ちょっと子供を誰かに見ていてもらうことも出来なくなりました。職場での先輩後輩の交流も減少、仕事のノウハウはマニュアルに頼るしかありません。

地域独自の行事も参加者が減り、継承者が減り……子供は社会人としての生きざまを大人たちのその背中から見取る機会も時間も減りました。お父さんは会社、お母さんも仕事。自分は学校とその後は夜遅くまで塾。家庭でさえもこの有様です。

世代を超え、性別を超えた「寄り合い」の減少によって経験者はその経験とノウハウを伝える場を失い、若者は自らの情熱を実践や知恵に結びつける機会を失い、歴史もそれに伴う経験や実績の集積も伝わることなくそこから生まれた伝統や決まりだけが残っていく。

つまり「形」が残って、その形を作り上げ、伝えていくための中身=「心、精神」が全く抜け落ちた状態があちこちで起こっているのです。中身が抜けた張りぼての重みを感じない形を受け取った若い人間が、それを支え、伝えていこうという情熱を持つことが出来るでしょうか?

伝統や決まり事、会社や仕事のやり方というのはその中身が大切だから受け継いで守る情熱も生まれるのです。年配者は経験とそこから得た知識を、若い世代はその情熱を持ち寄って作ってきたもろもろのこと。

それを伝え合ってみんなで一つの「イメージ」を作り上げて来たものが伝統であり決まり事であったのに、「持ち寄って」「伝え合う」が場を失ったことでその中身、心が置き去りになってしまった。その結果、向かうべき「イメージ」のモデルがどこにも見つけられなくなって、ただその形を追うだけになってしまった……。

モデルというのはイメージ作りの上でとても大切な材料です。いいモデルはもちろん、悪い面でのモデル〜反面教師〜も必要です。それに触れる機会である「寄り合い」は大切な社会を動かし、成長させる場であり機会だったのです。

今の社会のあちこちが形骸化し、中身を失う原因はイメージ作りが出来ないせい。その場や機会を提供してきた「寄り合い」が必要……それはこれからのために絶対に。

漠然とそんな想いを持っていたときに、宮内氏の「カフェミーティング」の提案に出会いました。

「カフェミーティング」……そのひとことが私の中にある想いや感覚を確かな「イメージ」に変えてくれたのです。

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Photo : Midori Komamura

ところが今、人々は自分の生活に追われています。生きることが精一杯でこの「イメージ」を働かせる機能がかなり劣化しています。

無力な子供に対してのイメージが働かないから虐待が起き、友だちの痛みをイメージできないからいじめが起きる。汗をして働く人の頑張りや、その先の喜びをイメージできないから盗み、横領し、それをごまかして闇に葬ろうとする。人の命を奪うこと、それがどんな悲しみや痛みを伴うことなのかのイメージが出来ないからその手を止めることができない……。

「空気を読む」という状態も、「イメージが出来ない」から起こることです。
その場の状況、人の様子、そういう「表面的な部分」を見てただそれに「自分を合わせる」だけ。それが「空気を読む」行動。けれど、もうちょっと深くイメージしてみればその行動が端から見たら単なる茶番劇でしかない、ということに気が付くことでしょう。

実は、そこにいる人達はみんなお互いの行動を見て合わせているだけなのかもしれない……そういう「イメージ」をしながら観察してみる。そういうイメージを持ってみると人の行動に隠れている「想い」が見えてくる。それが見えたら、その場で自分はどうあったらいいのかがちゃんとわかってくる。この茶番につきあって無駄な時間を過ごすのか。それとも自分と同じように「茶番」につきあっている人間を見つけて「本当の楽しさ」を一緒に見つけるのか。

実は、じっくり観察し、確かなイメージが出来たら「その場の茶番」をコントロールして「本当に楽しかった」とその場の人々をうならせる状態に持っていくことだってできるのです。

今の社会で起きている様々な問題。現象。そのすべてを引き起こしているのが「イメージの欠如」なのだという点ではみんな同じ根っこの上に立っています。だから、容易に人にコントロールされてしまうのです。目の前の茶番や、見た目の楽しさだけに合わせて右へならえとイメージを働かせないからずるずると引き込まれ、やがてイメージする力さえも失って、結果ベルトコンベアーに乗せられたような生活しかできなくなってしまうのです。

つまり、それは「プログラムされた生活をこなすだけ」の状態。そしてそれは「機械」でも出来ること。言いかえれば「イメージできない人間」は「ロボット」のような機械に等しい、ということになるのです。人が人でなくなり、誰かのプログラムに従って動くだけの社会。体温を持ち血の流れるロボットがうごめく社会……。

(マニュアル化された客への受け答えしかしない電話対応・窓口対応やコンビニの店員などのオウム返しのような感情のない言葉から、それに近いものを感じたことはありませんか?)

テレビや新聞から「与えられる」ニュースをそのままうのみにし、もしかしたらそれが「操作された情報」かもしれないのに「真実」と受けとめて、そこに生み出された「悪者」を皆で口をそろえて批判する。昨今の政治情勢の中にも、それらしいことがたくさん隠されているように思います。

そうして、もしかしたら実は「操作」されていることに気が付かないまま、「自分たちで考える」事をしないまま、「コントロールされた社会」の中で自分自身は何も見ない、何も感じないで「作られた平和」の上で何事もないように暮らし続ける。

私たちの社会は今、イメージ力を育てないことでそこにどんどん近づきつつあるのです。もうすでにそれに気がつけない状態に陥ってしまっているのです。

イメージ力の欠如。
今の社会の問題のほとんどの一番の原因は、そこにあったのです。

逆説を唱えると。
「正しいイメージ力」がちゃんと育っていけば、今の社会は当然ちゃんと立ち直ることができるのです。

Photo : Midori Komamura

「ねえ、イメージできる?」

これは2005年に日本テレビで放送された「女王の教室」というドラマに登場する鬼教師、阿久津真矢(天海祐希)がよく口にしたセリフ。

この「女王の教室」というドラマは、当時かなりの物議を醸しました。

小学校の教室で、子供にとっては絶対の存在である担任。その担任がまるで専制君主のように生徒を支配し、命令し、懲罰も体罰も平然と行い、意図的に「差別構造」を創り上げ、そして子供同士の対立や不信感を煽っていく……。

日本の社会では当時すでに学校の権威は地に落ち、教師は親や教育委員会に囲まれて板挟み。「三歩下がって師の影踏まず」といったかつての「教育者への敬意」などはもう神話の時代の作り事。そんな時代に、まるで世の中を煽るような過激で冷酷な阿久津真矢の教育のあり方とこのドラマはPTAの団体などから非難を浴び、ドラマのスポンサーもクレジットを表示しなくなるなどの異例の状態を巻き起こしました。

実際、毎週欠かさずこれを見ていた私の横に、それまでは1話目を一緒に観ていた子供たちは怖さの余り、それ以降一度も近づきませんでした。それまで「教育ドラマ」というと、人間味にあふれた教師が悩み多き生徒を温かく見守り、包み、支えてその成長に涙する心温まるものばかりだったので、私にとってもかなりの衝撃ではありました。

けれど、なぜ私が見続けたか。……そのドラマの根底に流れているものが非常に興味深かったから。つまり「テーマ」。実は、日頃私自身が教師として学校のなかで、もっと言うと親として、社会に生きる人間として、毎日の生活のなかで心の奥で感じていた「危機感」に対しての警鐘をこのドラマが激しく鳴らしているように感じたから。

その根拠となる一つが、この真矢のセリフ「イメージできる?」であり、もう一つのセリフ「いいかげん目覚めなさい」でした。

そしてずっと前から漠然と感じていた「危機感」を持ちながら見ていると、このドラマのテーマがそこにぴったりと寄り添ってくるのです。つまり、真矢の教室で起こっていること、それは日本の教育現場で起こっていることそのままの事象……いじめ、差別、成績至上主義……であり、もっというと “今、日本の社会が陥っている状態”まさにそのものでもあったのです。

毎日のニュースで報道される悲惨な事件。理不尽な事件。人を導くべきものが人を貶め、まじめに頑張るものが踏みにじられ、人を人と思わないものがのさばっていく……。それが今の日本の社会。その事象がそのままに、ここに展開されていたのです。

Photo : Midori Komamura

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PROFILE

駒村みどり
【スマイルコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

WebマガジンNgene特派員
(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

Twitter:komacafe 
HP:コマちゃんのティールーム
メルマガ:【うつのくれた贈り物】
facebook:Midori Komamura

詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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