信州の記事

東京での山本さんのお仕事は、広告会社のプランナー。取りかかったのは実家のりんごジュースの「ラベル作り」。お友達に協力を仰ぎながらラベルのデザイン、ジュースのネーミングを考え、屋号をブランド化してデザインに組み込んで……と、まさに、彼の日頃の仕事はそのままご実家の実りへとつながっていきました。

この山本さんの取り組みは、ちょうどその頃セガレプロジェクトの取材に入っていたNHKでも番組として取り上げられ、ラベルが完成してはじめてセガレのマーケットで販売された「山本園のりんごジュース」は試飲した人たちから好評でたくさんの人が購入、それを体験した山本さんは、感激で涙が出そうだったといいます。

一方、NHKの放映の影響もあってその後もご実家のりんごジュースの売れ行きは好調。ご実家の両親の喜びようもひとしおで、それによって何より山本さん自身が「実家のために自分も役に立てた」という充実感を得る事が出来たのです。

親と子のつながり、農家のあり方。いろいろな形があって、いろいろなつながり方があって。無理をして家に戻って家で働くこともひとつかもしれないけれど、こんな形もあるのかもしれない。そういうイメージを持つことが出来た今は、以前の後ろめたさは消え去って、自分に出来ることを無理せず自分らしくやっていこう……と東京で今日も自分の仕事に、セガレプロジェクトの活動に、自分が出来ることを出来る範囲で「楽しく」取り組む毎日を送っているのです。

セガレプロジェクトのメンバーは、山本さんだけではなく皆、そんな風に「自分に出来ることを楽しみながら」無理せずやっています。自分の想いや自分の現状を曲げてまで無理して継ぐことばかりが親孝行ではなく。ほんとうの意味で、「楽しく豊かに」暮らす、ということを考えたらいろいろな形が見えてくる……。

セガレプロジェクトが今の世の中に発信しているイメージは、そういうあたらしい親と子の絆や、農家のあり方へのアイディアを日々さまざまなセガレ、セガールたちだけでなく、大都市志向、消費社会・流通社会の中で翻弄されて疲れはじめた日本の社会に提供してくれているように思います。

昨夏のバーベキューでは、そんな都会のセガレたちと長野県で実際に今、試行錯誤をしている農家のセガレたちが交流を持ったのです。都会のセガレと田舎のセガレがつながって、あたらしい何かが生まれそうな可能性で満たされた当日の会場でした。ここから先、どんなイメージからどんなアイディアが生まれていくのでしょう。このつながりが拡がって、何が生まれてくるのでしょう。

会場の熱気は、バーベキューコンロの熱や、夏の暑さからのものだけではない……とても明るくたくましい熱の高まりが、日本はまだまだこれからだよ!と教えてくれているような気がしました。

N-gene詳細記事:
「なから」がもたらす可能性(1)~セガレとセガレのBBQ
「なから」がもたらす可能性(2)~セガレとセガレのBBQ

セガレBBQ

Photo : Midori Komamura

「観光」という言葉は、「国の光を見る」という意味から生まれた言葉。

その土地に行った人が、その土地の人・地脈に触れて感じ、学ぶのが観光の本来の意味です。けれど「観光」を目指すことによっておもてなしをする土地の人々にとっても、それは大きな宝になる。

大久保さんはほっとステイのみならず、菅平に合宿に来る人々に対しても、またそこに生きる人々に対しても、その「光」を放とうと様々な試みをしています。

たとえば「爆音バス」で大久保さんは自分のホテルに泊まっている選手たちを激励しますが、そのバスは同時に菅平の道を歩く人々にむけての「おもてなし」の心の表れでもあります。

そんな風にもてなした人びとを、大久保さんはまるで家族のように大切にしています。

取材で訪れたときにちょうど合宿していた関西学院のラガーマンたちを「この子たちは強いよ!」と自分の子どものように嬉しそうに紹介してくれました。先日も花園で行われたラグビーの全国大会で彼らが上位進出を果たすと、自ら関西まで応援に出向きました。

会場で選手を激励するために何と「法螺貝」を吹いて審判に注意を受けてしまったそうですが、この法螺貝を聞いた別の方からは「興奮度が上がった」との好意的な声も。

大久保さんは、決して自分や自分のホテルだけのことを思って行動しているわけでも、菅平のことだけを思って行動しているわけでもありません。彼が出会った人々にかたむける想い、おもてなしの心は、ほっとステイでも、菅平を訪れるラガーマンたちにも、血のつながりはなくても心のつながる「第二のふるさと」を実現しているのです。

この「第二のふるさと」……帰ったら温かく迎えてくれる人がいる、というイメージは、菅平という土地を大久保さんと触れ合った人たちにとっては特別で忘れられない場所として色鮮やかに心に残ることでしょう。

そうして、大久保さんがつなげた人の輪は、高齢化や過疎化で担い手の減り始めている農村の皆さんにも、また観光という面で様々な見直しや試みを求められる菅平にも、この先どんどん力強く温かいイメージをもたらしてくれるに違いありません。

大久保さんの「家族」が増えるほどに。
菅平高原は人々の心の「第二のふるさと」として、生まれ変わって行くに違いありません。

詳細:N-gene記事
菅平の光を取り戻せ〜プリンスの挑戦
「第二の故郷」は土の匂い〜ほっとステイin真田(1)
「第二の故郷」は土の匂い〜ほっとステイin真田(2)

ほっとステイ

Photo : Midori Komamura

(2) 「イメージ」でよみがえる、心の故郷 ほっとステイ菅平と真田町

長野県の東部、上田市の根子岳、四阿山の裾に拡がる菅平高原は、冬はスキー、夏はラグビーのメッカとしての観光や高原野菜で成り立つ土地です。

地球温暖化の影響で降雪量が減り、またバブル時代に最高潮だったスキーも今はスキー人口が減少し、客足は衰える一方。そのため、経営が成り立たずに閉鎖されたスキー場も長野県内には数多くあります。それは菅平高原でも同様で、冬のシーズンはかつてのようなにぎやかさがありません。

「夏のラグビー合宿があるので、まだ他のスキー場よりはいいけれど……」

そんな時代背景をいち早く察し、この菅平高原の観光のあり方を見直そうと頑張っているのが、菅平プリンスホテルの大久保寿幸さんです。

観光地としては、決して「有名どころ」ではないし、スキー場としたら志賀高原や白馬の方とは規模的に比べものにならない。ラグビーの合宿も、それだけで観光地として成り立つものでもないし、夏のシーズンだけのもの。これから先、観光地としてちゃんと成り立つためには「春・秋」といったオフシーズンや、菅平高原を支えるもう一つの要素である「農業」についてきちんと考えていかなくては……そのためには、どうしたらいいのだろう?

大久保さんの視点は、「今」の菅平をしっかり見つめつつ、その先を見据えています。かつてのスキーブームをいつまでもイメージしていたら、この先はない。菅平を元気にするには……と考えた大久保さんが、今取り組んでいることの一つが「ほっとステイ」です。

ほっとステイとは、菅平の麓にある真田町の農家に子どもたちが1日滞在し、農業や農家の生活を体験するというもの。それは、単なる農業体験ではなく、農家の人々の生活を通じて食べ物を作ることや土に触れること、それを軸にした食文化や生活の知恵・工夫を知り、体感することによるいわゆる「文化交流」のプログラムです。

今の子どもたちは、他人との交流が下手だとか、クールだとか言われます。
けれど、1日このほっとステイで時を共に過ごした生徒たち、農家の人々、それぞれの表情を見ていると、たぶんそれは今の社会の中で子どもたちが表現しにくい部分であって、人の根本はやはり時の流れがどうあっても変わらないものなのだ、ということを感じさせてくれるのです。

「おばあちゃんとお別れがさびしい」と泣く女子生徒。「ここは、第二のふるさとだ……。」とつぶやく男子生徒。彼らが帰るバスに向かって、見えなくなるまで手を振る農家の人々。

彼らの表情にはたった1日、という時間など関係なく、その時間の中でお互いの心の琴線がどんなに触れ合って響き合ったのかが伝わってきます。

そこで見、聞き、学んだものは確かに日頃得ることの出来ない貴重なものでしょう。けれど、それ以上に、それらのことを通じて人と人とのつながりの温かさ、強さというものがどこから生まれてくるのか、それはもともと人の中にあって、人を想う気持ちもちゃんと人の中にはあって、それらはお互いのものを温め合い、拡げ合うことが出来るものだということをそれぞれの表情から感じることが出来るのです。

このほっとステイは、生徒たちだけのものでも、また農家の方々だけのためのものでもありません。菅平という土地のためのものだけでもありません。人が人として生きていく上で、こういうものがあるのだ、という大切なものを関わるすべての人たちに伝える……イメージをもたらすものなのだ、と思えるのです。

ほっとステイ

Photo : Midori Komamura

小布施には高井鴻山という文人がいました。

造り酒屋の豪商である高井家は、八代目の時の天明の飢饉時に蔵を開放して人民の救済をし、そのため名字帯刀を許されたとされています。

その十一代目である鴻山は、京都に遊学して書・画・朱子学などを学び、幕末の様々な文化人との交流も深めています。小布施においては天保の大飢饉に際して八代目同様倉を開放して人民の救済を行い、塾を開いて地域の人民の教育にも力を注ぎました。

また、葛飾北斎を招き、彼をパトロンとして支援したのです。このつながりから北斎が何度も小布施を訪れ、「八方睨み」と言われる鳳凰画を完成させています。

鴻山はしかし、単なる資金援助をしただけではありませんでした。北斎の芸術・感性を大切にし、自らもその弟子として学んだのです。北斎の鳳凰図へのアドバイス、相談にも乗ったとも言われています。

鴻山のように、単に資金面での支援・援助のみでなく、文化や感性のような「心」の部分に至るまで、自らのもっているものを人々と共有し、それを支える姿勢やその仕組み。それが「旦那文化」です。

これはつまり、財産〜金銭〜だけの共有ではなく、思想や感覚の共有にまで及ぶものです。
さらに……それを時の政府という「公的なもの」がやるのではなく、「民が主体的に」行っているのです。ソ連や中国の「共産」がうまくいかなかったのは、民ではなく官主導で行ったという要素があるのに対し、小布施がなぜ、その豊かさを今まで絶えることなく受け継いでいるのかといえば、官主導ではなく民による自発的な「共産」が行われたから……なのだと思うのです。

高井鴻山の末裔である市村氏をはじめ、小布施に生き、小布施を愛する人々が主導して進めてきた小布施の町並み作りは「小布施方式」と言われて全国から注目されていますが、その根本に流れているものは「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という町民の意識。

すなわち「共有」という感覚で町が組み立てられているせい。さらに、外から持ち込まれる文化や物産、さらには人材までも分け隔て無く受け入れ、それもまた皆の財産として共有し、町の財産として分配されているのです。

小布施の町は、人が作っているのです。そこに住む人々が、それぞれの立場でそれぞれのもっているものを町のために共有し、分配しあうのです。だから、小布施の町はみんなが幸せで、みんなが豊かに生き生きしているのだろうと思うのです。

こう考えると……今、マルクスの思想が改めて見直されつつあることと、小布施の町に観光客の客足が途絶えないこととは何か通じるものがあるような気がしてきませんか?

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*なお、小布施町の市としての名残を感じることが出来る「安市」が今週末(14,15日)に開かれます。このコラム(1)(2)で使用した写真は安市のものです。お近くの方は、是非小布施に賑わいを体感しに行ってみて下さい。

小布施安市

Photo : Midori Komamura

本を探したいときには、「連想検索システム“想”」。自分の知りたいことについての言葉一つでそれに関連する本がぱっと表示される。今までのような本のタイトルや著者からの検索では見つからない、意外な本が引っかかる可能性、そこからどんどん検索が拡がっていく可能性。検索一つとっても、かなり楽しい作業が可能になります。

その他、国立情報学研究所との共働によるデジタルアーカイブの研究。小布施の直接は手に取れない古い貴重な文書が誰でも読めるようにデジタルアーカイブ化が進められています。これによって江戸時代に日本全国の文化人と交流のあった高井鴻山が集めた鴻山文庫も、立派な活用できる資料としてよみがえりつつあるのです。

また、iPod,iPhone用のアプリ「小布施ちずぶらり」、このアプリがあると小布施町の現在の地図だけではなく、「いにしえの小布施」(江戸時代の地図)を持ちながら小布施の町を散策することも出来るのです。

花井氏・まちとしょテラソを中心にして生まれてきたそれらの動きは、小布施という町の持つ立派な歴史と、町に活きた人々が積み重ねてきたすばらしい文化を今に受け継ぎ、生かすもの。単に「懐古主義」とかメランコリックな思いのものではなく、きちんと「今」に歴史の流れを受け継ぎ、つなげるもの。そしてそれが、小布施町の未来とその可能性へとつながっていくのです。

歴史と、その積み重ねが生み出す力強い未来への展望「イメージ」が、小布施の町を作っています。そして、その歴史が育んできた「人を愛し、人を育てる」気風が、花井氏をはじめとする多くの人々を小布施という小さな町に惹きつけ、引き寄せる。

小布施を愛する人々が自らの生きる場所を「人の住む街」として作り上げ、その心が感じられる町並みを訪れる人々をまた魅惑するのです。

そのため、北信濃のほんの小さな町に過ぎない小布施町は、平日でも観光客の姿が絶えることはありません。そしてそんな「人の生きる、人の住む街」小布施では、まちとしょテラソの取り組みだけではなく、あちこちでいろいろな試みが日々積み重ねられていくのです。(記事参照)

小布施町の躍動。それはそこに住む人々の力強い未来にむかって進む足音でもあり、心の高鳴りでもあるように思います。歴史に支えられ、それを今に繋ぐことが出来ると、こんなにも未来への明るいイメージを描き出す事が出来るのです。

一度小布施町を訪れてみてください。一歩その町並みに降り立ったら、それは実感として……力強いイメージとして、あなたの中に湧き上がってくるはずだと思います。

詳細:
☆オーディオバイオグラフィー【羅針盤】
第3巻 市村次夫
☆N-gene小布施関連記事
商業の町、小布施に受け継がれるいにしえの心〜「安市」
「ひとの住む街」を作るのは、ひと。(1)(2) 〜境内アート小布施×苗市〜
原点に立ってめざす「先進」の姿〜小布施、まちとしょテラソ〜
寄り道、みちくさ、まわり道 〜たどり着いた“小布施の花井”〜
ちりも積もれば宝になる〜まちとしょテラソ1周年

小布施

Photo : Midori Komamura

(1)「イメージ」の連鎖が作ったまちなみ 住む人が作るまち、小布施

今年のN-geneでは小布施に関して四回ほど取り上げています。

二月には「安市」を、五月には「境内アート小布施×苗市」を取材する中で見えてきたこと。それは小布施という町はかつて高井鴻山を中心とした旦那文化が盛んな土地で、豪商がその財力を文化や地域のために惜しげなく提供し、葛飾北斎をはじめこの小布施を訪れた文化人・著名人によって常に磨かれてきた小布施の文化の歴史のなか、信州の中では珍しく「外のものを積極的に受け入れる」という気風を育ててきたこと。

その気風や歴史は今でも大切に受け継がれ、その精神やそれを生かした町並み作りに取り組んだ【羅針盤】の市村氏との出逢いをひとつのきっかけに「小布施」に惹かれ、やって来た人がいます。それが現在、小布施の町の図書館「まちとしょテラソ」の館長である花井裕一郎氏です。

東京で映像作家をしていた花井氏は、仕事の関係で小布施町を訪れてそこに活きる人々や、町並みを作り上げているいにしえから受け継がれる心に感じるものがあり、ついにはこの小布施町に移り住み、さらにちょうどその頃に全国に公募されたこの町の図書館の館長に応募。2008年に館長就任以来、まちとしょテラソの館長として様々な取り組みを続け、全国から注目されつつあります。

このまちとしょテラソは、まさにイメージの固まりと言ってもいいのではないでしょうか。映像作家でもある花井氏の思い描く図書館のイメージは、「コミュニケーションスペース」。静かで厳粛な、と言う今までの図書館のイメージを見事に突き破ったこのまちとしょテラソは、しかし実は本来の図書館のあり方……原点に立ち返ったものなのです。

情報の集積所であり、また発信地でもある。そういう文化的なものを発信しつつ、そこで人々の交流も生まれ、発展していく。情報や文化を「享受」されるのではなく、自ら探り、体感できるペース。それがまちとしょテラソのイメージです。

まちとしょテラソ

Photo : Midori Komamura

(2)「イメージ」の魔法が作る不思議空間 さくらびアートプロジェクト

「教室に海を作りたい」「クジラを泳がせよう」「花嫁さんになりたい」「ファッションショーしたいな」

子供たちのアイディアは、「そんなの無理だ」という概念にはとらわれません。できない、という思いにさえぎられることなく、「そのために何をどうしたらいいのか」という検討が毎月重ねられ、必要な材料や準備を授業だけでなく休み時間や放課後、土日などの家の時間まで使ってどんどん進めていく中学生。

「美術なんてかったるい」「作品作りめんどくさい」……そういう言葉が当たり前になってしまった今の中学の美術の時間は、受験やテストには関係ない(必要ない)教科という感覚のもと、そういう教科学習への時間を増やすためにどんどん削減されています。

美術という教科が学校から消える危険性もある。けれど「表現の喜び」や「夢の実現」は、テストや教科学習では得られにくい実情の中、「自己実現」というテーマにおいて美術教育はじめとする芸術教科のしめる役割はとても大きいのです。

それが削減されることで、子供たちは「無茶できる」場がどんどん削られることになる。その危機を訴え続けているのが長野市の桜ヶ岡中学校の中平千尋教諭です。

中平教諭は、「美術教育の中で生徒たちに育つ力は教科指導の中では得られにくいもので、かつ教科の学びには必要な力である」というイメージのもと、中学生という思春期の心を育てる時期に少しでも多くの「アート」に触れ、イメージを蓄積し、自らが表現することによって「脱皮する」事例をたくさん生み出してきました。

そのひとつの形がこの「さくらびアートプロジェクト」。学校を美術館に変身させてしまおう、という試みです。自分たちのイメージを形にしていく活動をする中でアートに触れ、生みだし、はぐくみ、育てるという過程を経る。

自らの生み出したアートを愛し、人のアートへの思いを理解し、お互いに認め合い高め合う。学校を一日美術館という形で利用し、来てくれる人たちに自分の表現を見てもらい、想いを伝え、喜びを感じる。総合学習の中でこれを取り上げて、学年やクラスの枠を飛び越えて協力し合う生徒たちが学校という無機質な建物を一日心温まる空間に変身させたのです。

階段の上からも下からもデザインしたTシャツを恥ずかしそうに披露する生徒が目の前に笑顔の花を咲かせます。「まわって!」の声に応え、スカートを拡げてくるくる回って恥ずかしそうに逃げていくけどすごく嬉しそう。ファッションショーの会場は学校のはじっこの普段は薄暗い階段。この日は笑い声と笑顔があふれていました。

教室の真ん中に、巨大なクジラのしっぽ。周りにはその動きのせいで崩れた机が積み上がり、天井からたくさんの魚がつり下げられて教室は海の中に変身しています。説明する生徒の目には、ちゃんとそこに生きて動いているクジラの姿があるのです。

その隣の教室には砂浜に波がうねった海が登場。波と戯れることもできます。天井には海を映し出すアルミホイル。ちゃんと空の演出もされる細かい表現。

「空を飛びたい」と思っても羽も飛行機もない中学生は考えました。空から地上を見下ろした情景を、それも教室を4つに区切って四季すべて表現し、真ん中に高台を作ってそれをさらに上から見下ろせるようにたらどうだろう。……台の上から周りを見下ろすと、雲がちゃんと遥か下方に浮かんでいて、その雲の下には町並みや湖などの情景が四季折々の彩りで拡がりました。いったい自分はどのくらいの高さにいるのかな?そんな錯覚を起こすような不思議な教室。

「ありえない学校」というテーマのもと、様々な不思議感覚に満ちあふれた生徒たちの表現=アートが訪れる人たちの五感すべてに働きかけます。普段はありえない学校のそんな表情が、いたずらっぽい生徒の表情を引き立てます。

「アートは、自分の気持ちを形にする手段」「人に感動を与えられるもの」「生きるための命」「人の心を左右する麻薬」……今年のプロジェクトを終えた後、生徒たちが「アート」について持ったイメージ。

「本当はもっと、大勢の人たちに見に来て感じて欲しかったですね」という中平教諭は、自らの実践と活動の成果を持って日本中を駆け巡っています。

美術教育の火を消さないために。1人でも多くの中学生がこの感受性豊かな多感な時期にちゃんとイメージを形にすることができる力をつけ、社会に出ていくことができるように。生徒たちの中に確かにある花の芽吹きを見つめながら、学び、伝え、拡げる歩みを中平教諭自身が今日も止める事はないのです。

詳細:N-gene記事
生きるための力、生きるための学び〜さくらびの挑戦1〜3
アリエナイ学校って、アリ?〜さくらび1〜4

さくらび

Photo : Midori Komamura

(1) 「イメージ」で拡げるぼくたちの未来 開智小学校6年生の映画製作

「映画を作りたい!」5年生の時、総合学習のテーマに「映画」が上がったとき、担任の麻和正志教諭は「無理だ」と思ったそうです。

担任した生徒たちははさみやのりの使い方もなっていない。ぞうきんの絞り方もなっていない。(これは麻和教諭のクラスの生徒に限ったことではありません)。

そんな子供たちがセットや衣装、小道具を作り、演技をし、カメラワークや演出を考えてすべて自分たちでできるはずがない。そうは思うのだけれど結局子供たちにおしきられ「やるならやって見ろ」となったのが昨年のことでした。

麻和教諭は、元々は漫画家を目指していました。美術が勉強したくて入った国立大学、それが教育学部の美術科で、気が付いたら先生になっていました。大学の時に映画作りの経験をし、それ以来映像作りをいろいろな学校の行事や学びの中に取り入れてきました。

「映画の先生」として松本では知られていたこともあって、新しく受け持ったこのクラスでの子供たちの「映画作りたい」という思いはそういうところからも来ていました。

映画作りに当たって、麻和教諭は子供たちと決めごとをしました。

「映画を逃げ道にしない」「時間を守る」。

学校という学びの場では、たくさんの生徒が他にもいます。他のクラスに迷惑かけたり自分たちだけが目立って浮き上がったりすることはできません。何よりも「映画作り」にはものすごく手間も時間もかかります。けれどだからといって「小学生として」やるべきことをおろそかにすることはできません。

いくら撮影に熱が入ってこれから、といえ、周りが掃除の時間に自分たちだけ映画製作するのは自分勝手な行動です。学ぶことをおろそかにするのは、本来の学生としてのあり方からは外れています。だから、子供たちはどんなに映画作りで忙しくても、ちゃんと宿題を忘れません。時間になると「おい、やめろ」などと注意されずともぱっと撤収に入ります。

そうして一年かけて一つの映画を子供たちと先生だけで作り上げたとき。その映画を大勢の会場があふれるお客さんに見てもらえたとき。その「自分たちで成し遂げた」実感がさらに子供たちを「より高みへ」と駆り立てました。

クラス変えがなく同じメンバーで6年のクラスになることが決まった時点ですでにもう「今年も映画」という方針がクラス一致で決まっていました。昨年一年間の経験がちゃんと「次のイメージ」を描き出し、いつまでに何にどんなふうに取り組むのか、もう麻和教諭が声をかけなくても生徒たちは自分たちで三月のうちにシナリオの案を出し合い、必要な係や役柄を考えはじめていたのです。

5年生の一年間で身につけた技術。はさみやのりがうまく使えないと宿題に出さずとも子供たちは小道具をどんどん創り出します。映画製作にお金がかかるからと、学校のバザーでは自分たちでお店を出していらないものを持ち寄って射的の屋台をだしてお金を稼ぎました。

「映画を作る」ことは「自分たちの夢の実現」ですから、誰に強制されることもなくどんどん自分たちで考えて動きます。

身のまわりにあるものは、すべてが「何かに使えないかなぁ」という感覚での材料となるので、要らなくなった銀の紙皿は時にUFOになり、日頃生徒が見向きもしない廊下の突き当たりの倉庫が宇宙船の内部になる。子供たちの発想はどんどん拡がっていき、その実現のために必要な力をつけるためにそれぞれがどんどんパワーアップしていくのです。

一昨年は、映画と同時に「ふるさとCM大賞」で予選を突破。本選のステージに立ちましたが、残念ながら受賞はできませんでした。

「今年こそは!」というみんなの思いが一つになった今年、再び予選を突破したCMは、本当に子供の作った物?と思うほどの出来映えです。それが何と、本選でも県知事賞を受賞しました。昨年の映画もすばらしかったけれど、さらに腕を上げ磨きがかかった作品です。

クラスの子供たちはけれどそれに驕ることなくごく普通の小学生として元気に毎日過ごしています。でも勉強はちゃんとやります。「やりなさい」なんていわれる子はいません。そんな事いわれたら、映画作りの足並みを乱すから。そういう決まりがあるから仕方なくやっているわけではありません。

そうして今年も、2月の上映会に向かって子供たちは夏の暑さにも負けることなく真剣に映画作りに取り組んでいたのです。

その子供たちを見守りながら誰よりも汗を流していた麻和教諭。教諭自体が表に立つことはほとんどありません。けれど、子供たちの中には麻和教諭という柱がしっかり立っているから、それぞれが自信を持って、前に向かって進んでいくことができるのです。さらにそれは、先生と生徒だけでなく、親と子、親と学校も強く結びつけています。

「やればできる、きっとできる。」

麻和教諭が子供たちに常に言う言葉。その信念と思いがしっかりとしたイメージとなって子供たちに伝わったとき、それに答えようとする子供たちも力をつけてのびていきます。本来の「学び」の姿がここに鮮やかによみがえっているのです。

三月に卒業して中学に巣立つときに、この子供たちはどんな大輪の花を咲かせていることでしょう。本当に楽しみです。

詳細:N-gene記事「みんなの夢をみんなで描く〜6年3組の映画製作

映画

Photo : Midori Komamura

その中でさらに見えてきたこと。

それは、善光寺にしろ今パワースポットと呼ばれている戸隠にしろ、南信濃の深い山に囲まれた今は過疎化している土地にしろ、学問の上で日本を引っ張る立場をになった上田にしても、たくさんの「川」によって日本の北と南を結ぶ要所だった松本にしても。もともと長野という土地は「外から入ってくるもの」をどんどん受け入れて取り込んで、陸の孤島といわれる土地の難点を逆に生かしてきた歴史があるのだ、ということです。

長野……信州という土地の持っている本来のそういう力を、このN-ex Talking Overに集う人たちはちゃんと受けとめられる人たち。それぞれの場で、それぞれの想いを持ちながらしっかりとより良い社会の姿をイメージし、それを目指して活動しているのだ、ということを強く感じることが出来たのです。

このN-ex Talking Overというプロジェクト自体は様々な理由で現在は休止状態ですが、この半年の中で生まれてつながり、拡がったものがたくさんありました。

そこから生まれたつながりで始まったプロジェクトやアイディアは、参加したぞれぞれの中で今も拡がり続けています。そして、そこで生まれたつながりや、見えたこと・出された意見や想いは、私にとても大切なイメージをはっきりと形作ってくれたのです。

「大丈夫だ、長野の人はちゃんと生きている。長野は大丈夫だ。そしてこういう人たちがあきらめない限りは、今ずたぼろでも日本もちゃんと大丈夫なんだ。」

「可能性」というすばらしいイメージが、はっきりと見えるようになったのです。

(*N-ex Talking Overについての詳細は、一部ですがエヌ[N]のサイトにまとめられています。テーマや出た話題・資料などはこちらでご覧下さい。)

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Photo : Midori Komamura

2  N-ex Talking Over 〜可能性が、見えた!〜

翌2008年4月。長野県内の4地区(長野・上田・松本・飯田)でのカフェミーティングが始まりました。

「N-ex Talking Over」と名づけられたカフェミーティングの第1回目は大きな宣伝をしたわけでもなかったのですが、4地区とも大層な人数が集まりました。

正直、驚きました。宣伝をしない、というのは宮内氏の方針だったのですが、これはカフェミーティングという性格上みんながワイワイと話をするには10人前後だろうな、20人行ったら多すぎる、というイメージからのもの。

宮内氏のプロディースしたN[エヌ]というプロジェクトの一つとして始まったもので、カフェミーティングという形をとって世代を超えた交流、アイディアの交流の場としてカフェを利用しながら、地域の文化や問題について語り合う機会を作り、その自由な時間の中で自由な議論の場を目指すというコンセプト。

Talking Overというのは「長野」という大テーマのもと、その地域の抱えるいろいろなものを小テーマに「とことん語りあいましょう」という想いを込めたネーミングです。

そこでは何か決まりや結論を出すことが目的ではなく、世代や立場から持っているいろいろな想いや経験を自由に出し合っていく中でそれぞれの中に「アイディア」が生まれ拡がったり、それがまた別の人の「アイディア」と作用し合ったりすること……つまり、宮内氏の言うところの「アイディアの循環」が目的でした。

つまり、みんなで話し合って何かを決めるという集まりではないので、とても漠然としたものでした。その「漠然さ」とか「曖昧さ」から、イメージを持ってくれる人がどのくらいいるのだろう?……と始まる前の私はかなり心配していました。

けれど、その心配は第1回目の上田会場に集まった人たちの顔ぶれやそこで語られたことからあっという間に消え失せ、むしろ「いけるんだ」という自信に取って代わったのです。

その後、長野、松本、飯田と県内を巡り歩きながら感じたこと。それは、「長野は捨てたものじゃない!」という感覚。

それまでは、私は自然豊かで美しい長野県は好きでしたが、正直いうと長野県の人間に対してのイメージというのはあまり良い物ではありませんでした。まじめで石頭で、伝統や権威に弱くて、新しいことや外から来るものに対してものすごく抵抗感を持っていて。こんな豊かな自然や美しい水と空気を持ちながら何でこんなに堅苦しいんだろう?

それが子供のころからのイメージだったのですが、このN-ex Talking Overで各地をまわり、その長野県に生きる人たちとその場に来る人たちの想いを知るにつけ、自分の持っていたイメージを書きかえるべきだ、ということに気が付いたのでした。

確かに、長野県人は頭が固いしがんこだし、決まりや伝統や形式に弱いのです。新しいことに対しての抵抗も大きいのです。

けれどTalking Overに来る人たちはその大きな壁をちゃんと認識して、「だけどそれを何とかしなくちゃ」という想いを持ち続けてそれぞれ頑張っている人たちでした。

Found it !

Photo : Midori Komamura

そんな学校の姿はまた社会の有様の縮図でもありました。

近所の人間が集まってワイワイ話をする場はほとんどありません。それぞれが仕事に忙しく、下手をしたら近所に誰がいるのかさえもわからない。誰がどんな知恵を持っていて、誰がどんな技術があって、こんな時にはこの人に聞いてみればいいかな、この人にアドバイスもらえるな……そういうデータは手に入りにくくなりました。

子育て中のお母さんは先輩のお母さんにアドバイスをもらう機会が無く孤立し、ちょっと子供を誰かに見ていてもらうことも出来なくなりました。職場での先輩後輩の交流も減少、仕事のノウハウはマニュアルに頼るしかありません。

地域独自の行事も参加者が減り、継承者が減り……子供は社会人としての生きざまを大人たちのその背中から見取る機会も時間も減りました。お父さんは会社、お母さんも仕事。自分は学校とその後は夜遅くまで塾。家庭でさえもこの有様です。

世代を超え、性別を超えた「寄り合い」の減少によって経験者はその経験とノウハウを伝える場を失い、若者は自らの情熱を実践や知恵に結びつける機会を失い、歴史もそれに伴う経験や実績の集積も伝わることなくそこから生まれた伝統や決まりだけが残っていく。

つまり「形」が残って、その形を作り上げ、伝えていくための中身=「心、精神」が全く抜け落ちた状態があちこちで起こっているのです。中身が抜けた張りぼての重みを感じない形を受け取った若い人間が、それを支え、伝えていこうという情熱を持つことが出来るでしょうか?

伝統や決まり事、会社や仕事のやり方というのはその中身が大切だから受け継いで守る情熱も生まれるのです。年配者は経験とそこから得た知識を、若い世代はその情熱を持ち寄って作ってきたもろもろのこと。

それを伝え合ってみんなで一つの「イメージ」を作り上げて来たものが伝統であり決まり事であったのに、「持ち寄って」「伝え合う」が場を失ったことでその中身、心が置き去りになってしまった。その結果、向かうべき「イメージ」のモデルがどこにも見つけられなくなって、ただその形を追うだけになってしまった……。

モデルというのはイメージ作りの上でとても大切な材料です。いいモデルはもちろん、悪い面でのモデル〜反面教師〜も必要です。それに触れる機会である「寄り合い」は大切な社会を動かし、成長させる場であり機会だったのです。

今の社会のあちこちが形骸化し、中身を失う原因はイメージ作りが出来ないせい。その場や機会を提供してきた「寄り合い」が必要……それはこれからのために絶対に。

漠然とそんな想いを持っていたときに、宮内氏の「カフェミーティング」の提案に出会いました。

「カフェミーティング」……そのひとことが私の中にある想いや感覚を確かな「イメージ」に変えてくれたのです。

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Photo : Midori Komamura

1 「寄り合い」 の減少がもたらしたもの

「カフェミーティングというものをやろうと思っているのだけれど」

そう声をかけられたのが2007年、冬の足音が近づく頃でした。声をかけてきたのはその頃ネット上でコミュニケーションツールとして盛り上がっていた「SNS」の長野県版、N[エヌ]を立ち上げプロデュースしていた宮内俊宏氏。

Nのいちメンバーとして交流を楽しんでいた私が日ごろ「日記」や自分のHP、ブログなどで訴えていた言葉が宮内氏の目に止まり、このカフェミーティングの手伝いをしてはもらえないか、という申し出だったのです。

「カフェミーティング」の構想の元にあるのは「井戸端会議」。

かつてはよく見かけるこういった「寄り合い」の光景も今は昔になり、ご近所さんで集まって老若男女、性別や年齢差を越えた「やりとり」の出来る場所がどんどん消えていました。それはあらゆる場所で起こっていることでした。

私が学校職員として新卒の頃、よく先輩の先生が「おい、みんな今日は飲み行くぞ」と誘ってくれて、仕事の後で1日のことや生徒のこと、指導方法のことなどを先輩後輩入り乱れて熱く話をしたものです。

不思議と、学校を支えるアイディアはそういうときに生まれます。職員会で書類を前にしかめっ面で手を挙げて発言して……というよりもずっと面白くてワクワクするようなアイディアや意見が出ました。気楽でオープンな気持ちだからこそそれぞれの経験や人間味が大いに発揮されて、いかにみんなが真剣に生徒のことや指導のことを考えているのかも伝わってきました。

かつてはそれが学校の中でも行われました。「休み時間」の時にお茶を飲みながら。運動会や音楽会などの大きな行事の後、学校の体育館でPTAの皆さんと。あらゆる「気楽な交流の時間」はすなわち創造の場でもありました。

けれど、学校での「校内の宴会」は禁止されました。ごく一部の「不祥事」の事件のせいですべての「学校の飲み会」は不謹慎とされたのです。

また休み時間にお茶を飲む先生たちを見て、学校でお菓子食べたりお茶飲んだりなんて……という一息のリラックスさえも許さない意見から、さらに学校にどんどん増える雑用で……先生たちはそんな時間さえも削ってかけずり回らねばならない情勢の中、「井戸端会議」「寄せ集まりの雑談の場」が削られていきました。

さらに普段の職員の交流がほとんど無いため、年度末などの慰労会でさえも盛り上がることがなくなっていきました。

かつて若い先生は教育への情熱や生徒への想いを語り、年配の先生は自らの経験談や教師として必要なヒントを語り、その中からお互いがより良く新鮮なアイディアを生み出したり発見したりしました。

年齢や性別、経験の多少という「枠」を越え、時間の規制や言論の規制も越えた、そういうところから生まれてくるものが学校を支えていたのは確かです。その場を失った学校が温もりを失いベルトコンベヤー化するのは仕方がないことかもしれません。

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Photo : Midori Komamura

第2章 「イメージ」は豊かな社会を示す羅針盤

 1 「寄り合い」の消滅がもたらしたもの

 2 N-ex Talking Over ~可能性が、見えた!

 3 フォーラム南信州「祭の流儀」 (文化庁事業)

 4 そして【羅針盤】へ 〜社会という荒波を進むための指針〜

 5 まるでジェットコースター。〜人間味を引っ張り出す対論〜

 6 「イメージ」を実りに変える魔法 ~【羅針盤】の人々〜
    
   ・「ザガットサーベイ長野版」の反響と誕生秘話   大井潤
   ・「八幡屋礒五郎」スパイスの利いた経営戦略    室賀豊
   ・「小布施町」古さを極めた最先端         市村次夫
   ・「かぶちゃん農園」土が教えてくれた使命     鏑木武弥
   ・「ヴィラデスト」おいしい生活はここから生まれる 玉村豊男
   ・「星野リゾート」が放つ日本再生の魔法      星野佳路    

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Photo : Midori Komamura

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PROFILE

駒村みどり
【スマイルコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

WebマガジンNgene特派員
(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

Twitter:komacafe 
HP:コマちゃんのティールーム
メルマガ:【うつのくれた贈り物】
facebook:Midori Komamura

詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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