市村次夫の記事

小布施には高井鴻山という文人がいました。

造り酒屋の豪商である高井家は、八代目の時の天明の飢饉時に蔵を開放して人民の救済をし、そのため名字帯刀を許されたとされています。

その十一代目である鴻山は、京都に遊学して書・画・朱子学などを学び、幕末の様々な文化人との交流も深めています。小布施においては天保の大飢饉に際して八代目同様倉を開放して人民の救済を行い、塾を開いて地域の人民の教育にも力を注ぎました。

また、葛飾北斎を招き、彼をパトロンとして支援したのです。このつながりから北斎が何度も小布施を訪れ、「八方睨み」と言われる鳳凰画を完成させています。

鴻山はしかし、単なる資金援助をしただけではありませんでした。北斎の芸術・感性を大切にし、自らもその弟子として学んだのです。北斎の鳳凰図へのアドバイス、相談にも乗ったとも言われています。

鴻山のように、単に資金面での支援・援助のみでなく、文化や感性のような「心」の部分に至るまで、自らのもっているものを人々と共有し、それを支える姿勢やその仕組み。それが「旦那文化」です。

これはつまり、財産〜金銭〜だけの共有ではなく、思想や感覚の共有にまで及ぶものです。
さらに……それを時の政府という「公的なもの」がやるのではなく、「民が主体的に」行っているのです。ソ連や中国の「共産」がうまくいかなかったのは、民ではなく官主導で行ったという要素があるのに対し、小布施がなぜ、その豊かさを今まで絶えることなく受け継いでいるのかといえば、官主導ではなく民による自発的な「共産」が行われたから……なのだと思うのです。

高井鴻山の末裔である市村氏をはじめ、小布施に生き、小布施を愛する人々が主導して進めてきた小布施の町並み作りは「小布施方式」と言われて全国から注目されていますが、その根本に流れているものは「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という町民の意識。

すなわち「共有」という感覚で町が組み立てられているせい。さらに、外から持ち込まれる文化や物産、さらには人材までも分け隔て無く受け入れ、それもまた皆の財産として共有し、町の財産として分配されているのです。

小布施の町は、人が作っているのです。そこに住む人々が、それぞれの立場でそれぞれのもっているものを町のために共有し、分配しあうのです。だから、小布施の町はみんなが幸せで、みんなが豊かに生き生きしているのだろうと思うのです。

こう考えると……今、マルクスの思想が改めて見直されつつあることと、小布施の町に観光客の客足が途絶えないこととは何か通じるものがあるような気がしてきませんか?

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*なお、小布施町の市としての名残を感じることが出来る「安市」が今週末(14,15日)に開かれます。このコラム(1)(2)で使用した写真は安市のものです。お近くの方は、是非小布施に賑わいを体感しに行ってみて下さい。

小布施安市

Photo : Midori Komamura

共産党宣言を掲げたマルクスと、小布施。

この2つに共通点がある……といったら、「なにそれ!?」とあやしまれたりいぶかしがられたりするのかもしれませんね。

実はこの文章を書いている間、わたしはあるきっかけでマルクスの社会経済への提言について少し学んだのです。それまでは社会の教科書やら政治・経済のなかで「共産党や社会主義国の基礎を築いた人」というくらいにしか認識がなかったマルクスなのですが。

彼の「共産党宣言」のもとにあるのは資本主義を成立させ、さらに現在の経済の混乱を招いている「搾取の構造」……「労働力に対して正当な報酬がなされていない状態」のみなおし。

つまり、今、人々が「なぜこんなに働いても貧乏なままなのか、生活が苦しいのか」という疑問に陥っているその部分についての考察だったのです。

資本主義の社会は、結局マルクスの訴えているとおりの状態に陥り世界的な不況。かといって社会・共産主義国がうまくいっているのかと言ったら、こちらはマルクスの目指す思いをきちんとくみ取らないからソ連は崩壊し、中国はあやしげな方向へ暴走しています。

市村氏の取材、小布施の昨年数回にわたる取材、日頃通る町並みの観光客の多さなどから感じた「小布施の豊かさ」。これがどこから来ているのだろう、と、今回この原稿を書き進めているうちに浮かび上がってきたのはマルクスの訴える「共産」の思想と、小布施の市村氏の言葉でした。

【羅針盤】の対論で、現在の小布施の町並みを作り上げた一人である市村次夫氏の言葉に、こんな言葉がありました。

「ゾウの背中で、このゾウはオレのものだとアリが争っているようなもの。」

この言葉は、羅針盤を紹介するメルマガでも取り上げました。(〜共有が生み出す新しい町並み〜 市村次夫vol.1)もともと土地の所有権も社会の権力も、この地球の上の小さな世界のこと。人間がその浅い歴史の中で勝手に決めたことであって、歴史の流れからしたらほんの些細なこと。

そんな事でお互いの権利を争うのは、まるでゾウの背中で争うアリのように端から見ていたら滑稽なものだ、という意味です。

小布施町はもともと商業のまち。外から入ってきたものを取り入れることで発展してきました。そうして築いた富を一部のものが独占し、一部のものだけが肥えることなく様々な形でまちに還元していたのです。

その最たるものが「旦那文化」でした。

……(2)につづく。

安市

Photo : Midori Komamura

本を探したいときには、「連想検索システム“想”」。自分の知りたいことについての言葉一つでそれに関連する本がぱっと表示される。今までのような本のタイトルや著者からの検索では見つからない、意外な本が引っかかる可能性、そこからどんどん検索が拡がっていく可能性。検索一つとっても、かなり楽しい作業が可能になります。

その他、国立情報学研究所との共働によるデジタルアーカイブの研究。小布施の直接は手に取れない古い貴重な文書が誰でも読めるようにデジタルアーカイブ化が進められています。これによって江戸時代に日本全国の文化人と交流のあった高井鴻山が集めた鴻山文庫も、立派な活用できる資料としてよみがえりつつあるのです。

また、iPod,iPhone用のアプリ「小布施ちずぶらり」、このアプリがあると小布施町の現在の地図だけではなく、「いにしえの小布施」(江戸時代の地図)を持ちながら小布施の町を散策することも出来るのです。

花井氏・まちとしょテラソを中心にして生まれてきたそれらの動きは、小布施という町の持つ立派な歴史と、町に活きた人々が積み重ねてきたすばらしい文化を今に受け継ぎ、生かすもの。単に「懐古主義」とかメランコリックな思いのものではなく、きちんと「今」に歴史の流れを受け継ぎ、つなげるもの。そしてそれが、小布施町の未来とその可能性へとつながっていくのです。

歴史と、その積み重ねが生み出す力強い未来への展望「イメージ」が、小布施の町を作っています。そして、その歴史が育んできた「人を愛し、人を育てる」気風が、花井氏をはじめとする多くの人々を小布施という小さな町に惹きつけ、引き寄せる。

小布施を愛する人々が自らの生きる場所を「人の住む街」として作り上げ、その心が感じられる町並みを訪れる人々をまた魅惑するのです。

そのため、北信濃のほんの小さな町に過ぎない小布施町は、平日でも観光客の姿が絶えることはありません。そしてそんな「人の生きる、人の住む街」小布施では、まちとしょテラソの取り組みだけではなく、あちこちでいろいろな試みが日々積み重ねられていくのです。(記事参照)

小布施町の躍動。それはそこに住む人々の力強い未来にむかって進む足音でもあり、心の高鳴りでもあるように思います。歴史に支えられ、それを今に繋ぐことが出来ると、こんなにも未来への明るいイメージを描き出す事が出来るのです。

一度小布施町を訪れてみてください。一歩その町並みに降り立ったら、それは実感として……力強いイメージとして、あなたの中に湧き上がってくるはずだと思います。

詳細:
☆オーディオバイオグラフィー【羅針盤】
第3巻 市村次夫
☆N-gene小布施関連記事
商業の町、小布施に受け継がれるいにしえの心〜「安市」
「ひとの住む街」を作るのは、ひと。(1)(2) 〜境内アート小布施×苗市〜
原点に立ってめざす「先進」の姿〜小布施、まちとしょテラソ〜
寄り道、みちくさ、まわり道 〜たどり着いた“小布施の花井”〜
ちりも積もれば宝になる〜まちとしょテラソ1周年

小布施

Photo : Midori Komamura

(1)「イメージ」の連鎖が作ったまちなみ 住む人が作るまち、小布施

今年のN-geneでは小布施に関して四回ほど取り上げています。

二月には「安市」を、五月には「境内アート小布施×苗市」を取材する中で見えてきたこと。それは小布施という町はかつて高井鴻山を中心とした旦那文化が盛んな土地で、豪商がその財力を文化や地域のために惜しげなく提供し、葛飾北斎をはじめこの小布施を訪れた文化人・著名人によって常に磨かれてきた小布施の文化の歴史のなか、信州の中では珍しく「外のものを積極的に受け入れる」という気風を育ててきたこと。

その気風や歴史は今でも大切に受け継がれ、その精神やそれを生かした町並み作りに取り組んだ【羅針盤】の市村氏との出逢いをひとつのきっかけに「小布施」に惹かれ、やって来た人がいます。それが現在、小布施の町の図書館「まちとしょテラソ」の館長である花井裕一郎氏です。

東京で映像作家をしていた花井氏は、仕事の関係で小布施町を訪れてそこに活きる人々や、町並みを作り上げているいにしえから受け継がれる心に感じるものがあり、ついにはこの小布施町に移り住み、さらにちょうどその頃に全国に公募されたこの町の図書館の館長に応募。2008年に館長就任以来、まちとしょテラソの館長として様々な取り組みを続け、全国から注目されつつあります。

このまちとしょテラソは、まさにイメージの固まりと言ってもいいのではないでしょうか。映像作家でもある花井氏の思い描く図書館のイメージは、「コミュニケーションスペース」。静かで厳粛な、と言う今までの図書館のイメージを見事に突き破ったこのまちとしょテラソは、しかし実は本来の図書館のあり方……原点に立ち返ったものなのです。

情報の集積所であり、また発信地でもある。そういう文化的なものを発信しつつ、そこで人々の交流も生まれ、発展していく。情報や文化を「享受」されるのではなく、自ら探り、体感できるペース。それがまちとしょテラソのイメージです。

まちとしょテラソ

Photo : Midori Komamura

INTERMEZZO5. 1960年という年

このオーディオバイオグラフィー【羅針盤】の収録を終えて、この「古いものと新しいものをつなげる」というひとつのイメージで振り返ったときに、ひとつ面白いことに気が付きました。

先に例を挙げた室賀氏と星野氏は、1960年生まれ。このお二人とも「過去と未来を繋ぐ」テーマを持っています。

実は、この文を書いている私も、N-ex Talking Overから始まってこの【羅針盤】のプロジェクトを共に進めてきた宮内氏も、星野氏や室賀氏と同じ1960年生まれです。

自らの幼い頃から今までを振り返って思うとき、この1960年というのはいろいろな意味で日本のひとつの転換期であったように思います。

幼い頃、「欲しいもの」が何でも手に入るという状態ではありませんでした。両親は第二次世界大戦のまっただ中に生きて、戦時中も、戦後の混乱もすべて見てきた人たちでした。だからものの大切さもその不足による混乱やひもじさも、みんな感じて育ってきた人たちでした。

近代化の路を突き進んできた日本の時代のうねりと、それまでの歴史をしっかりと受けとめてきた人たちを親に持って、ものを大切にし、自然や、今から考えたらものすごくたくさんの「不便さ」とも共存していた時代でした。人と人との触れあいや、近所同士の助け合いもまだまだ充分に見られた時代です。

小学生、中学生と成長するにつれて、時代はどんどん「高度成長」へと向かい、競争社会、学歴社会、使い捨ての消費社会へと移行していきました。

かつて、小学生の頃は、鉛筆一本でも短くなっても最後まで大切に使っていました。もう持てないくらいに削った鉛筆は使えなくてもなかなか捨てる気持ちにはなれませんでした。ものが壊れれば、近所の電気やさんや建具やさんが飛んできて、すぐに直してくれました。「新しいものを買うこと」はものすごい決断がいる時代でした。

今は地方との格差がどんどん開いている東京も、まだその時代は「田舎」でした。今のようにコンクリートで固められた場所は確かに多かったけれども、東京にも田園風景はごく普通にあったし、車や電車もちょっと便利……という程度の感覚でした。

今はどうでしょう。
傘一本手に入れようと思えば100円でも買えます。晴れてしまって邪魔になったら、そのままゴミ箱に捨ててしまっても、また次の雨の時には近くのコンビニや100均で手に入ります。

コンピューターはどんどんバージョンアップし、2年もするともう以前の機種とは部品が変わってしまっていて、パーツの修理をするよりも新品を買った方が安上がりだったりします。

かつての人との連絡手段は、手紙か電話。電話は固定電話しかありませんでしたから、人と人とが「即時につながる」ことはとても難しかったのに、今は携帯電話やメールの発達で「思い立ったらその時に」すぐにつながることも可能です。

人々は高度成長時代……バブル期に向かってどんどん都会に出て行き、田舎から若い人手が減り、畑や田んぼのような「命を生み出す」場所はどんどん減っていき、身近で作物の成長を感じることができる場所は今や限られてしまっています。それはまだまだ加速中で、今、その田んぼや畑を支えている「農家」の人では高齢化し、ビジネスとして取り組む大規模農業に押されてしまっています。

古い時代の温もりと、新しい時代の躍動。
そのどちらもを身近に感じてきたのが、1960年代の人間なのだと思います。自分もそうですが、同じ年配の友人たちにも「これでいいのかな」という想いを持って動いている人が結構多いように感じるのは、身びいきだけではないように思います。
室賀氏や星野氏のように、古いものの良さを感じながら新しいものにチャレンジする、という気概を持っているものが同じ年代に多いと感じています。

この【羅針盤】の取材においてそれより若い世代である鏑木氏は、「柿」やそれを育んできた「南信州の歴史」を探って模索しながら進んでいます。また大井潤氏は長野県の観光の問題点は「新しいものと古いものとの対立」にあるとしていて、ザガットサーベイの長野版がそのつながりのための起爆剤になって欲しい……と願っていました。

一方で、先輩世代である市村氏や玉村豊男氏は、「これからの世代のために」、歴史や自らが得てきた知識や経験を、この先積極的に伝えていこうという想いを持って現在も様々な活動に携わっています。市村氏は、訪れるたびに惜しげもなくその深い歴史的な知識や見解を披露してくれました。市村氏という一人の人間の中で熟成された歴史は、教科書で知るそれよりもずっと温もりや血の通った歴史で聴くものにぐっと迫ってきました。

玉村氏は、大学紛争のさなかでの東京にいて、人々が我も我もと「都会」を目指そうというときにすでに「脱・都会」を謀って長野にやってきています。かつてフランス他ヨーロッパの各地で見て感じてきたものと、長野の土に感じるものとを融合させながらここまで来て、自身が展開している「ヴィラデスト」というイメージの形の中で、訪れる人たちにそれを伝えようとしている、これからそれをしていきたい、と語っていました。

若い世代の二人は今、「歴史」や「古いもの」をたぐり寄せようとし、先輩世代の二人は自らのものを伝えようとし、そして1960年生まれの二人に加えて私や、宮内氏の目指すのはその二つを融合させ、つなげていくこと。

もしもこの「トライアングル」がバランスよく見事な形でそれぞれの世代をつなげて成立したら。

それはとても豊かなものを、この日本の社会にもたらしてくれるのではないか……と、そんなイメージが今、私の中でふくらみつつあるのです。

そして、その室賀氏の姿に重なってくるのが星野佳路氏のありかた。
子供のころから「古くさいなぁ」と思っていた自らの家は軽井沢の歴史ある温泉旅館。なぜこんな古いところに人が来るのだろう?という疑問は、やがて世界中のリゾートを見て回るうちに「そうか、これなんだ」というイメージと結びつくのです。

星野氏によって古い温泉旅館「星野温泉」は「星野リゾート星のや」として大胆に変わりました。訪れたそのたたずまいは、新しくて斬新で、「最先端」を各所に取り入れていましたが、けれどなぜかどこか懐かしい風が吹いていたのです。それはやはり、室賀氏と同じように新しいこと、アイディアをどんどん取り入れて、曰く「進化できるテーマ設定」をしながらも、「守るべき歴史の重み」はきちんとその根っこにしっかり流れているから……。

そして星野氏はそのテーマに、そこに働くものたちと見事に足並みをそろえて取り組んでいるのです。その手法のあれこれをお聞きしましたが、そこにあるのは「規律」とか「決まり」ではないのです。イメージの統一。みんなでひとつのイメージを持って、そこに向かう。やることはバラバラかもしれないけれど、ひとつのイメージに向かってそれぞれが自由に取り組むから全体の足並みはそろっていく。

室賀氏にしろ、星野氏にしろ、どんどん新しく進化するテーマを取り入れ、取り組んでいきながらもそのテーマのそこに流れているしっかりとした歴史に支えられたものが、人の心に安心や信頼といったイメージを伝えているから単なる「奇抜」なものではなくて新鮮で豊かに拡がるものとして、受け入れられてきたのでしょう。

新しいもの、面白いもの、驚きのあるアイディア。
こういうイメージを確かで安定したものにするのは「歴史」とのつながり。

歴史とはすなわち、そこに活きた人々の思いや心の温もりの集積であり、結果であり、学びの結果でもあります。そのイメージをしっかり持って新しいものを生み出す。その「つながり」が生み出すものが与えてくれる豊かさ……それはお二人の実績からも見て取れるかと思います。

鏑木武弥氏が土から受け取ったメッセージを飯田の市田柿のなかに見て、柿の歴史を徹底的に突き詰めた結果が、いまの「かぶちゃん農園」の基礎にあります。歴史や土地の力を受けとめた鏑木氏が柿をテーマにして生み出したものが、人々に伝わってどんどん拡がっていっています。

それはまた、小布施の町並みを作り上げた市村次夫氏の「歴史に学ぶ」という言葉にもつながってきます。小布施の今の町並み……町づくりのお手本として、多くの人が訪れる街、小布施を作り上げたその根本にあるのは「歴史に学ぶ」人々の姿でした。

六名の方々の収録の一回一回が終わるたびに感じたのは、自らの持つイメージをきちんと人に伝わる形にし、それを示すことの出来た人々から与えられる力がもたらすものの大きさです。そして、その力がどこから与えられるのだろうと改めて振り返ってみると、「歴史」というひとつのキーワードが浮かび上がって来るのです。

自らの夢……イメージを形にし、きちんと人に伝えることの出来た人たちの魂の言葉に「命」や「重み」……さらに「安心感」や「信頼感」を与えるもの……それは「歴史の重さや温もり」。

その土地に流れる時間や人々の思いをしっかり受けとめて、その歴史……その土地の「命の集大成」をエッセンスに加えたら、どんなに新しくて奇抜で、とてつもないと思われるアイディアさえも、しっかりとした形を持った「イメージ」として人に受けとめられ、伝わり、拡がっていく。

一方で、そのままでは時の流れの中に「古いもの」として忘れ去られてしまうはずの「歴史」に新しい命を吹き込むのが新鮮で奇抜なアイディアであるのです。その相互関係が是部妙なバランスの中で成立したときに、そこにあるイメージは豊かな香りを放って人々を魅了するのです。

そんな魔法の力が歴史と新しいアイディアにはあって、それを現実のイメージとして示すことのできたのが、この【羅針盤】の人々なのです。

アイディアのイメージを実らせる魔法は「歴史」。
歴史には魔法の力がある。
夢をあきらめないための後押しをしてくれるのも、歴史の力。

それぞれの人々の言葉の中には、実際にそれをどうするのかのヒントがたくさんつまっていたのです。

(*オーディオバイオグラフィー【羅針盤】については、六名各氏が語った言葉の中から大切なキーワードと思われるものを四つずつ選んで取り上げたメールマガジンが発行されています。また、CDの方はWebページにて紹介しています。)

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Photo : Midori Komamura

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PROFILE

駒村みどり
【スマイルコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

WebマガジンNgene特派員
(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

Twitter:komacafe 
HP:コマちゃんのティールーム
メルマガ:【うつのくれた贈り物】
facebook:Midori Komamura

詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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