情報交換の記事

9月11日の仙台、夜。
セキスイハイムスーパーアリーナのまわりは煌々と活気にあふれていた。

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この日は桑田佳祐さんの宮城ライブ「明日へのマーチ!!」の2日目で。
アリーナを取り囲む敷地にはたくさんの提灯が飾られ、広場の真ん中には櫓が組まれ、さらにたくさんの屋台が出ていた。まるで盆踊りの会場のようなにぎやかさ。この屋台に出店しているのは東北の人びとのお店。そして広場の数カ所には被災地を支援するメッセージボードなどの展示。

その模様からもわかるように、このライブは桑田佳祐さん自らが命に関わるような病気から立ち上がるのにたくさんの応援をもらったことに対しての感謝の想いを込め、東北を元気づけるため、日本が元気になるため、という想いを込めて開催したライブ。

私が仙台9月11日、という訪問日程を決めた理由の1つにこれがあった。このライブを1つの旗印として、仙台に人と意識とが集まってきていたのだ。

「まさか、本当に会えるなんて思わなかったけれど、会えて嬉しい。乾杯!」

4人のささやかな飲み会&慰労会。この4人が4人とも、普通の時だったら顔を合わせる可能性もないような離れた場所から集まったメンバーだった。

ヒロコさんは、普段はエジプトで生活している。ふるさとが岩手。今回の震災では、遠く離れた自分に何ができるのかと考えてエジプトからの支援活動をしてきた。岩手県の復興のシンボル、「がんだるま」くんをデザインしたTシャツを作成、販売し、そしてその売上げを岩手に支援金として送った。

アキちゃんは、神奈川在住だ。彼女は日頃、子ども達が元気に学ぶことのできる環境を考えた活動を目指しているが、募金活動をし、集めたお金で被災地の子ども達を思い切り遊ばしてあげるためにディズニーランドに連れて行こうという支援活動に今も取り組んでいるところだ。

カツオさん(と呼ばれているけど本当はヤスヒロさん。)は、仙台在住。自分自身も地震で被害を受けた被災地の人間だけれど、避難所や仮設住宅に物資が行き渡らなかったり滞っていたりする状況を見て、その流れを作ろうと自ら動いて様々な物資の流れを作って支援活動に取り組んでいる。

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そして私は長野県。自分にできる事は情報の収集と発信と、それから人を繋げること。それをするために今回被災地巡りを計画し、その2日目に石巻を見に行ったときにヤスヒロさんが忙しい時間をぬってアキちゃんと私たち親子のガイドをしてくれた。石巻の地に立っていろいろ感じた息子がぶつける質問を真剣に受けとめてくれたおかげで、息子はその場で大切な情報を得ることが出来た。

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4人が知り合った場所は、Facebookでした。

4人とも、この3月の震災を受けとめてそれぞれに「何かしよう」「何ができる?」と考えていました。そうしてその情報を得る場として選んだのがFacebookでした。

ヒロコさんは「地元岩手の情報を知りたい」という想いと、それから故郷を襲ったこの震災の被害の大きさにやりきれないきもちをもっていました。ヤスヒロさんは地元の支援活動を進めるために情報収拾と効率のよい連絡手段と言うことで選んだのがFacebookでした。アキちゃんも同様で、実際に活動しようと思ったときにFacebookでの情報と意見交換が大きな助けとなっていました。

その意見交換の場となったのが、宮城ライブを開催した桑田佳祐さんのファンの集まるウオールだったのです。桑田さんは震災直後から被災地支援のために応援ソングを作り、支援のための音楽活動や発言を続けていて、宮城ライブもその一環。ファンの集まるウオールでも当然のように「被災地支援」も1つのテーマとして加わっていて、そこに意識を持つ人たちが集まってきていました。

被災地の被害の様子、そして支援活動の模様。復興の進行度合い。福島への風評被害や原発問題のきっかけとなった東電への怒り。……Facebookに集まるメンバーは全世界の人びとなので、ヒロコさんのように遠い海外のエジプトから日本への想いを馳せる人も参加していました。桑田さんやSASのファンである、という共通点を持った世界中の人たちがそのウオールで意見交換し、被災地の人びとは自分たちの様子や想いを語るなど、あちこちから様々な情報が入るのです。

やがて協調するもの同士がフレンドリンクによってダイレクトにつながり、それによって情報のネットワークはそれぞれのウオールでどんどん拡がっていきました。

震災の緊急事態の時に、Twitterが発信したものは膨大な情報でした。
私もはじめはTwitterのタイムラインを泳ぎ回って情報を集めました。けれど、Twitterの性質上、情報を蓄積したりリンクして深めたりすること、それはとても難しいことでした。さらに匿名制のTwitterは誰がどこから発信したか追いにくい。

一方実名登録が決まりのFacebookでは情報の出所もかなり明確で、お互いの立場からそれをれが持つネットワークの情報を発信しシェアしあう事によって世界各地からのさまざまな視点からの多様な情報が、それもより正確で信憑性のある情報が手に入りやすくなっていたのです。

この「より正確で信憑性のある情報のリンク」が、この4人それぞれの情報収拾や支援活動とその拡がり、新たなつながりに大きな力となってくれたのです。私自身もそれまでほとんど活用していなかったFacebookを見直しし、自らのウオールとFaceBookページを活用して情報活動をはじめて現在に至ります。この被災地巡りを思い立ったのはFacebook上で「被災地の今を、自分の見たままに伝えたい」という情報発信を目標として持ったからでもありました。

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(4、私たち一般の人間がすること。)

(2) コミュニティーでつながり、「会話」で情報共有。

さて、ここまで書いたように「正しい情報収拾」のためにFacebookやTwitterのようなWebにおけるコミュニケーションツールは大きな力を発揮してくれています。そして、テレビや新聞といった既存のメディアに頼らずとも情報を持つ個人がじょうずに発信していくこと、そしてその発信を繋げて積み重ねることで信憑性や確実性をどんどんあげていくことが出来る事もわかりました。

しかし……メディアの劣化が明らかで、「既存のメディアに頼らない」事がWebの利用で可能になることがわかっても、日本全体に広めることは現状不可能です。ネット人口は日本の全体で2011年、一億を突破したと言われていますが、それはTwitterやmixiで日記を書いたり単につぶやくだけの人数を含めていると思われ、その中で「自分から発信し、情報収集が可能」なユーザーはとなると、果たしてそのうちの半分に行くのでしょうか?

さらにスマートフォンや携帯でのネットユーザーは、かなり若年層が多いのでしょうが、日本の社会を今現在動かしている年齢層はかなり高くなります。そして、年齢層が高くなるほどにネット人口は減少していくと思われます。……となると。日本の人口分布で逆ピラミッドの上方を構成し、現在社会を実際に動かしている中・高年層のある割合は「Webから情報得ること」が困難であったりWebに触れることがない可能性が大きく、そしてそういう層は子供のころから新聞やテレビからの情報を主に情報を収拾している可能性が大きいと言うことなのです。

では。Web上の情報を得にくい人たちにはどうやって「Web上で収拾できる情報」を伝えることが出来るのでしょうか?このNet世代とそうでない世代との格差・溝を埋めることが、情報伝達における当面の課題かもしれません。けれど、そのあたりを解決するのもやはり「情報のリンクの仕方」なのでしょう。つまり、情報を繋げるには「コミュニティー」が必要です。ネット上でもそこにあるコミュニティーでつながりあう人と人との間を情報が流れていきます。それが実際の社会でも行われればいいわけです。

実際に人が活動するときには「実際の知り合い」「現実のコミュニティー」の中での活動が主になってきます。Webのつながりと現実のコミュニティーを繋げていけばいいわけです。……と難しいことを言っているようですが、要するにWeb上で情報収拾できる人は、それを現実の「茶飲み友だち」や「家族・親戚」「ご近所さん」「ママ友」などの集まりでそれぞれが茶飲み話の話題にでも気軽にすればいい、ということなのです。本来はWeb上よりももっともっと身近な知り合いの方が信頼も厚いでしょう。テレビや新聞が流す報道よりも、そういう身近な人たちから得られる情報の方がずっと伝わりやすいでしょう。そうして多種多様な人びとによって構成される多種多様なコミュニティーを身近なところからつなげていく事でWeb上の情報をリアルにもつなげていく事はじゅうぶんにできると思うのです。

そうしたら……信頼感ある仲間内でそういう会話と話題を続けていくことで、正しい情報を皆に伝えて役立てることは十分可能になるんだと思います。……まずは今、この文を読んでいるあなたがそれをすることで。周りの人たちとそれを共有にしようと想いを持つことで。そういう人が1人でも増えることにより、情報伝達において「もう、テレビや新聞(上から与えられる情報)は要りませんよ」と言えて、正しい情報を得ることが出来、日常会話の中でみんなでその正しさを審議し、活用方法を工夫し合うことのできる世の中になっていくとは思えませんか?

また、一方で。
個々の力が小さくても「コミュニティー」でさまざまな人や別のコミュニティー・プロジェクトなどとつながりひろがって行くことで、それぞれの活動をより大きく広く強く……と成長させることも可能なのです。

「ひとりの手」という歌があります。

ひとりの小さな手 何もできないけど
それでもみんなの手と手が合わされば 何かできる 何かできる………

この歌詞に歌われたことそのままに、コミュニティーを発展・リンクさせていくことによって日本中……時に世界中を繋げて想いや活動を展開していくことは十分可能なのです。Webの世界と現実とをリンクさせることさえ出来たら……。

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さて、そんな世の中になっていくとしたら、そこで一番にみんなで伝えあって欲しいことがあるのです。それも、かつての日本を知る人たちに、是非とも大きな声で伝えて欲しいことがあるんです。それもまた、「未来を開く」ために大きなヒントになることなんですが………。

その話題は……
被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(4)  に続きます。

9月11日。この日は、東日本大震災からちょうど半年後の日。
この日の各新聞の朝刊の見出し……一面のtop記事のタイトル。

鉢呂経産相が辞任 不適切発言などで引責(朝日新聞)
成長導く復興めざせ 東日本大震災から半年(日経新聞)
就任9日、鉢呂経産相辞任…官房長官が臨時代理(読売新聞)
震災で見えた国防の穴 (産経新聞)
鉢呂経産相が辞任/被災地 遠い復興 (毎日新聞)
鉢呂経産省が辞任/希望の光 迷い 守る~大震災きょう半年 (中日新聞)

震災半年 死者1万5781人、不明4086人 避難・原発 見えぬ収束 (河北新報・仙台の新聞社)
Six months on, few signs of recovery (The Japan times)

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私が調べた新聞8紙のうち、鉢呂氏の辞任がTOPだったものが4紙。震災の復興やその後についてを書いた記事が3紙。そして、震災関連かと思いきやそれをきっかけにして「国防の甘さ」についてを書いているのは産経新聞。なぜこの日に「国防」なのか……首をひねった。

震災復興についてを記述した3紙のうち、1紙はジャパンタイムズ、もう一紙は仙台の新聞社「河北新報」の新聞。全国紙で一面に扱ったのは日経新聞ただひとつだった。

TOP記事ではないにしろ、中日新聞は一面のど真ん中に赤子を抱く母の姿。放射能の不安に我が子の未来を迷う母の記事。毎日新聞は扱い的にTOPと同等の印象なので見出しに両方併記した。

この報道を見て、何を想うのかは個人個人の想いもあるだろうけれど、私は正直国内の扱いに対してはこれでいいのか?という想いを持った。鉢呂氏の辞任は、いったい国民のどれだけに影響のあることだろう?東日本大震災の被災状況を半年という区切りでしっかり考察することが、日本の社会のこれからにとってたった八日間の在籍の大臣が辞めることよりもずっと重要なことなのではないか?

対するジャパンタイムズの一面では津波・地震・そして原発という3つの「災害」からの検証と原発にからんでの食糧問題、そして遅々として進まない復興についてをかなりの紙面と図を使用して記述してある。

……このメディアの報道の偏り。そして、震災関連の情報の扱い。
日本がこれから、再建の道を歩んでいくときにこのあり方を見直すべきではないかとそう思う。

3月11日の大震災。
その大きな被害と派生する2次、3次、4次災害……今もなお不明者が数多く残り、遺体安置所が現地にはまだ存在し、職を得られぬもの、避難所生活のもの、その精神や身体の不安は消えてはいない。膨大な量のゴミ、つぶれた車。何より先の見えない、これからさらにその影響が心配される原発の問題。さらにそこから派生した風評被害。経済に及ぼす大きな影響。

半年たった9月11日にがれきの山に囲まれた石巻の地で、14:46に鳴り響くサイレンと共に黙祷を捧げたときに感じた「震災は終わっていない。まだこれからなんだ。」というあの想い。

いまだ先が見えない問題が山積みの今の状況で、私たちはそこから何を感じ、何を学び、そして未来にそれをどうつなげていったらいいのだろうか?

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私たちの「明日」のためにできる事は何か

その団体や、その人間でなくては出来ない事があります。逆に、どんなに頑張っても出来ない事もあります。
それを見極めてできる事を出来る人が、できる範囲でやること。無理をしないこと。大切なのは「頑張ってたくさんやること」ではなく、「想いを長続きさせていくこと」。

では。具体的にはどういうことなのでしょうか。

1、被災地のするべき事

「被害から半年」という区切りの中で見てきたときに、復興の仕方には大きな差が出ていました。
それはなぜか……という疑問の中に、地元の人のこんな声を聞きました。

「場所によって復興に差が出たのは、国やいろいろなところから支援を待って動かなかったところと、自分たちでやらねば、とどんどん動き始めたところの差。」

被害の形はみんな違います。地震の被害。津波の被害。原発の被害。それから風評の被害。
そしてそこから派生する産業や経済の停滞・沈降の有様。人の流れの変化。

だから、一概に「半年」という区切りで比較することは出来ません。けれど、福島での「移動保育プロジェクト」の上國料さんの言葉にもあるように「やってみなくちゃわからない」し、「必要なのは、今」なのです。「自分たちのことは自分で」……慰霊碑を建て、植樹をし、新たな取り組みに向けてどんどん動いていた閖上地区。風評には負けられないとキャラバン隊を組んで全国を回り歩き始めた会津。町が壊滅して、警察が機能しないからと不審車や侵入者、盗難から自警団を作って地域を守ったという石巻。被災地に根ざした地域の新聞社だから、と「伝えること」を第一に地域の情報や現状を訴えている仙台の河北新報。地域の情報を集めてコーナーを組んでいた茨城の書店。「お上からの支援」を待ってはいられない。だから自分たちでどんどん動く。共通していたその姿勢が、明らかにその土地の空気から前向きさと、新しい流れを感じとらせてくれました。

 その土地に住み、その土地を知り、その土地に生きた人たちだからこそ、「どう立て直したらいいのか」が誰よりもわかるはずなのです。だから「自分たちで取り戻そう」とどんどん動くこと。これがまず、とても必要なことだと思います。そうして前に向かって進もうと動くことは、失ったものを思って動けないでいるよりもずっと早くに活気ある心を取り戻すためにも役に立つはずです。

そうして被災地の人たちが自らで動くことによって、「必要な支援のあり方」が見えてきます。「自分たちでやる」事が必要だからと言って、復興を被災地の人たちに任せっぱなしは当然無理に決まっています。心も体も傷ついた人たちの力が「復興」に向かえるように、まわりはそのための環境を整えて力を添えることが大切になってきます。

2、行政のすること……特に「国」
 
この国は、首都東京を中心に動く中央集権国家です。東京から発信されたことが地方に届いて物事が動きます。それがもたらす長所と短所を理解して、やるべき事をしっかり見極めていくことが大切です。

 当然国の中央に「実際に支援活動に動く」事を望むことは無理です。国という大きな組織を動かすには膨大なエネルギーと時間がかかります。だから中央はそれをすべきではありません。国がそれをやると、手続きに時間がかかり、組織を作り実際に動き始めるまでにはかなり手間も金もかかってしまってもろもろが後手に回り手遅れになります。

「中央に物事が集まる」ことと、それを「発信する機能」を長所としてまず活用するべきです。つまり、現地の情報収拾と正しい情報の発信です。避難所の情報を個人や私的グループが集めるにはものすごく困難を要します。しかし、国はそれを容易くできるはずなのです。

 避難所情報を集める。原発の情報や今後の予想も含めてデータを収集する。そのために必要な専門家を集めて分析し、実用化されたデータを流す。どこの避難所にどんな物資が言って何が足りなくて、という「情報」のみを集めて流す。どこのボランティアグループがどんな活動や支援ができるから、どこの避難所や被災地にそれが必要かを見極めて情報を提供する。……そういうことをネットワークを組んでひとまとめでできるのは、国という公的機関だけなのです。

 それから、被災地支援に必要な専門家をその地に派遣する。放射能関連の具体案を提供できる人材をセレクトして福島に送り出す。壊れた町を新しく作りあげるためには、今回の被災の形を考慮して、そういう分析をしつつ町づくりの専門家を派遣する。支援物資の必要なものをとりまとめて企業などに協力を依頼する。動けそうな被災地の会社があれば、そういうところにも依頼をどんどんかけて仕事を与える。

 そして、そのために必要な各地区の役場の人材が、今回の被災で失われたのだったら、各地の役所から人材をセレクトして派遣する。

 情報や人材のとりまとめ。そしてそれを発信や派遣すること。全体を把握して的確にそれができるのは国だけです。それからもう一つ。必要だったら法律を変える。今回の非常時にも、法律にしばられて出来ない事や動けないことがたくさんありました。緊急事態に適応できる法律がない限りは、臨機応変に改訂していかなくてはなりません。法律は守るため(囚われるため)にあるのではなく、社会を動かし、人を守るためにあるのですから。

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「公的機関のやってくれるのを待っていたら、いつになっても始まらない。」……それが、被災地のあちこちからの生の声でした。そしてそれは今回の震災のことに限ったことではありません。今までの社会の歪みを生み出してきたその多くの原因は、公的な機関が臨機応変に動けなくなっていることから起きていることも多かったのです……。

今回の被災地対応でも、国会は非常時緊急で法律を変え、人事を考え、支援金の分配はその地方を知っている人間とその支援に派遣した人間に任せ、必要な情報を集め、それをとりまとめてどんどん発信することができたらこんな風に地域差や風評被害や……隠蔽工作や情報操作などはなくなったはずなのです。

首相や内閣の人事等に無駄な時間を割くような「ヒマ」は、被災地にもこの国全体にも、全くなかったと私は思う。(はっきりいうと、今の日本の政治の状況では誰がTOPでも誰が大臣でもまったく変わらない。ここに書いたことが出来る人をぱっと大臣や要職に起用できるほどの采配も配慮も出来る人がいないのですから。)

そんな状態の国に、何かを期待することや何かをしてもらうことを待つことは無駄だということ、それを私たちは頭に置き、国は国のできる事……机上(情報)の整理と分析と発信に集中してもらい、やることは国民である私たちがどんどん動いていくこと。それが今、必要なことなのだと思います。

そうして、実際にそう動いている人(企業やグループ、著名人を含め)たちが今の復興を支えているのが現実です。本来のリーダーは、こういう中から生まれてくるべきなのです、そして今の時代に、そういう各地の現状をしっかりと掴んだリーダーが、地方を作りあげていくことは十分可能だと思います。

江戸時代に飢饉や災害から民衆を救ったリーダーは、幕府や朝廷ではなく、その土地の豪農や豪商であったという「旦那文化」を持っていた日本ですから。それはきっと出来るはずなのです。

3、メディアのするべき事

 まずは奇をてらった報道や衝撃性のみを追いかけ、視聴率、購読数重視の報道をやめること。そして、情報操作が明らかにあることも今回のもろもろのことからこれだけ露見しているのだから、メディアは自らの報道姿勢をしっかり見直して、本来のメディアのすべきことを再確認することだと思います。

まずは、「正しい情報」を「正しく発信」するだけではなく、「活用できる情報」をしてより多くの人が動けるように、復興へのイメージを持てるように、メディアの持つ伝達力を最大限に活用することだと思うのです。

そのためにはまず、2,で書いたように国が正しい情報を集めてしっかり分析し、使える情報として流すことで、それをメディアが正しく伝えることと同時に、国がもし、中途半端で使えない情報を出したらメディアがそれを「ダメ出し」するくらいの気概を持つべきだと思うのです。それが出来るのはメディアだけだから。

本来は、メディアでも提出された資料を分析し、正しく判断・検証する人間がいるべきだけれども、それがかなわないとなったら、必要な人災に取材をしたり依頼をしたりしてそういう機能を果たすべきなのだと思うのです。「今、国全体が本当に必要な情報とは何か」と考えてそれを伝える。それが出来るメディアだったら、9月11日のトップ記事は震災半年の遅々とした復興状況や先の見えない原発の恐怖に苦しむ人たち、海外からの非難の声……そういうものを伝えるはずだと私は思ったのです。

国が正しく進むために「三権分立」という形が考えられました。(今は正直言うとちゃんと機能していないと思いますが)国が正しい情報を把握し、それをきちんと考えて発信しているかという「情報の見張り番」がメディアのあるべき姿だと思うのです。そうしてきちんと必要な情報を要求し、正しい分析とそれに基づく具体的な復興案を要求し、それを拡げて伝えていく……メディアのできるとても大きな役割だと、私は思います。

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では………

4、私たち一般の人間がすること。

は、なんでしょう。「自分には力がなくて何もできない」と縮こまっている人、恐縮している人もいます。
でも、それは違います。ちゃんとみんなにできる事があるんです。

それを、この次の記事に書こうと思います。

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被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(2)  に続く

その時に必要なのが「個人裁量」なんじゃないのでしょうか。今回も、その”個人裁量”……つまり、「人としての想い」で救われた命がたくさんあります。マイクを握ったまま人びとを避難させて自分は間に合わず亡くなっていた消防士さんの話。今、原発の現場で被曝の恐怖を恐れず闘っている人たち。違憲と非難されながらもそこで研鑽を積んだ自衛隊と、その自衛隊に救われ肩車に誇らしげに微笑む少年の写真。

その一方で自分たちは被害に遭わなかったけれども少しでも力になりたいと使えそうなものを必死で集める人々。Twitterで自分の寝る時間も惜しんで必要な情報を繋ぐ人びと。

決まりに縛られずに個人の想いで闘っている人たちがたくさんいます。
それが「現場」なのですけれど、いまだにその「現場」と乖離した「お役所仕事」に支配されている人びとがその妨害をする。

先ほど、原発で今苦しめられている福島県の元知事のインタビュー記事を読みました。そこにはこう書いてありました。

「役所は一旦道が引かれると、止まらない。誰にも責任を取らせないし、取りたくないが故にみななぁなぁでその道を進んで、止めらない。原子力の問題を通じて、このことが判った。」

(2011年3月20日、佐藤栄佐久元福島県知事に緊急インタビュー記事より引用)

これは「いじめ」の増長、悪質化にもつながっていますし、「頑張った人間がバカを見る」と言われるようになった今の日本の社会の根本にある病巣のもとでもあります。原発がなぜ、必要なのか充分な討論もされないままに推し進められたその結果を見つめようとしない関係者の姿。ここにも「馴れ合い」という一つの悪習が巣くっています。

日本ほどの技術を持っていたら、たぶん原発の開発や維持に掛けるだけのお金を持ってしたらきっと充分な太陽光発電の開発がもっと早くに可能だったはずだと私は思います。そっちに行かなかったのは政府主導で行われた「現場との乖離」によるお役所仕事の結末のように思います。

今、浮き彫りになってきている日本の病巣。
災害によって見えてきた「人のあるべき姿」。

こういうものを今、真剣に考えて見つめ直していかないといけないときなのだと思います。
日本が、再び世界に胸を張れる国になることができるのか。

「また、再建しましょう」

戦争。チリ津波。そして今回の地震による被害。
そんな大きな波を何回もかぶってなお、こう言って笑える大先輩が日本にはちゃんと居ます。

こうしてきた「現場の人間」を心の柱にして……こういう人のあり方こそを「ルール」にして、私たちはいいかげん「お役所仕事」の「決まり」に支配され、「慣習」に押しつぶされてきた今までを脱ぎ捨てて「人がルール」の日本に立ち返るべきなんじゃないのでしょうか。

ところが、いつの間にか……最近は「決まり」があり「慣例」があって、そこからはみ出すことがいけないことになってきていて、「オレが責任持つから」という「上の人」がいなくなり、現場の物は上の人が出す指示や命令が絶対になり、それを守れないと責任とるのは現場の者。せめられるのも現場の者。

責任はどこにあるのか?といったら「現場に即した指示ができない上の者」にあるように思うのですけれど、そこには誰も言及しません……出来ないんですよね。

「お役所仕事」という言葉があります。
これは、「お役所とかお役人さんは決まり事以外のことはやらない」という個人裁量のなさを非難した言葉のように思うのですが、実は現代の社会って、お役所に限らず、会社でも、学校でも、社会全体でこの「お役所仕事」が蔓延していたように思うのです。

最初にあげた支援物資の話。それから実際に当日のライブで「寄付を募ろう!」って思ったけれど「個人でそういう事をされては困る」というひと言でその話も進まなくなりました。すべてが「こういう決まりだから」「こういうルートでやってもらわないと困るから」という理由からのことなんです。

さらに、Twitterなどでいろいろな発言を見ていますけれど、そういう中でも同じような現象は起きています。「不謹慎」発言や「偽善者」発言ははその最たるものじゃないかと思います。

こういう事態に陥ったら、被害にあって大変な人がいるから楽しいことは不謹慎だ。旅行なんてとんでもない。笑いなんてとんでもない。そんな発言は不謹慎だ!……「不謹慎」というルールが人を支配してしまうのです。そのルールからはみ出す人は「悪者」であり「あってはいけないもの」なのです。

逆に、こう言うときに自分のことのように必死で応援したり様々な行動をしている人に対して「偽善者」呼ばわりをする者もでてきました。かっこつけ、いい子ぶり、目立ちたいから……。「偽善者」という枠にはまる者は、たとえ相手がそんなつもりじゃなくてもその人にとっては「偽善者」になってしまう。

でも、ちょっと考え直してください。

「決まりだから」
「上がこう言っているから」
「不謹慎だから」
「偽善だから」

○○だから……という言葉のその○○に入る言葉を決めたのは誰でしょう?そしてその○○という言葉は、一体誰のためにあるのでしょうか?

決まり。ルール。上司の命令。
そういうものは「人がより良くあるため」に発するものであるはずです。
そして、人が発するものである限り「誤り」だってあるのです。

単に今までの慣習だから、常識だから、自分がこう信じてきたから。
そんなものに左右されたものがたくさんあるんです。

人は、人である限り「絶対」なんて不可能ですから当然「過ち」はあるはず。かつて「個人裁量」「現場裁量」がちゃんと認められたのは、こういうことがわかっていたからでした。決まりがあったって、現場では何が起こっているのかわからないから、決まり通りに行かないこともある。常識だと思っていたこと、大丈夫だと思っていたことが崩れることも絶対にある。(今回の原発のことに関してもそうですよね。「絶対に安全」という事はない。地震の規模が「想定外」であったことも、また人の常識でははかりきれないことでした。)

そういう「ありえないこと」に出くわしたとき。
決まりや常識では動かせないもの、救えないもの、抗えないものがでてきます。

○○だから……では太刀打ちできないことがまだまだたくさんあるはずなんです。

〜(3)へ続く


graphics8.nytimes.comより

先日、住んでいる町のイベントがありました。
そこに関わって出た話です。

私は、バンド活動でこのイベントに参加することになっていたので、イベント前の二日間、練習をしました。その時にこの震災の話になったのですが……。バンドのボーカルの人が支援物資を持って行ったときの話をしてくれました。

「乾電池をオークションで500コ落として持って行ったんだよ。市で集めていたのに合わせて。で、そのうち1つのパッケージだけ袋があいてたんだ。でも明らかに使ってないってわかる状態だったんだけどね、集めていたひとに言われたんだよ、“新品じゃなくちゃ困ります”って。」

この「新品限定」っていうのも何とも困ったルールだと思ったのです。
実は、私もこの災害に関して支援物資を家にある物で間に合うのだったらかき集めて持って行こうと思ったのです。娘とその情報をもらいに役場に行く途中のラジオでその募集の話をしていました。

やっぱり「新品に限る」とのアナウンス。それから他にも、個々にバラバラに持ってくるのは困るので箱単位、とかでも「購入してまで持ってこないでください」とか、指定した物以外はダメ、とか……。

「ああ…それじゃ無理」と思って娘とあきらめました。

正直、家もそんなに余裕のある生活しているわけじゃありません。だから家に「買い置きしてある物」で「新品」で「まとまった量のある」モノなんか無いんです。毛布も子どもたちが小さい頃使った保育園のおひるね用の小さいのとか、そんな物しかないんです。

新品を……と言われたら、やっぱり買いに行くしかない。
で、ふと思ったのがこのあたりのスーパーでそういう物が品薄になっているという話。もしかしたら買ってでも支援しようとまとめ買いした人のいるのじゃないのだろうか………と。

確かに、支援物資は不要品集めと違いますから、気持ちよく使ってもらえるモノを集めたいということもわかります。でも「新品」に拘る必要はあるのでしょうか?大切なのは「今すぐに必要な物が使える形で届く」事なんじゃないのでしょうか?

現場からは「足りない」の声が上がっていて。余裕のある地域の者は「なんとか届けたい」と思い。

だけど届けるためには個々で受け付けていないのだからお役所に頼るしかない現実。
一つでも多く、一刻も早くに物を届けたいという思いから家にある物で「使える物」を持ち寄りたいという想いがこの「新品に限る」というひと言でさえぎられてしまうんですよね。

確かに、電池なんかはシールはがしてしまうと使えない物かどうかもわからないし、そうして持ち込まれた「不要品」を処分する手間を考えれば「新品に限る」はとてもよくわかるんです。だから今回はそれも仕方ないのかもしれません。

その上で、ひとこと日頃思っていたことを添えたいのです。

かつては、「現場裁量」とか「個人裁量」という言葉がごく自然に行われていました。ある程度の立場にある人、上司、そういう人たちからは「オレが責任持つから思うようにやれ」という言葉を聞くことが多かったのです。

そういう「信頼」を受けた方はまた、その信頼と期待を裏切れませんから「自分に責任」を持って行動しました。

お互いに、自分の行ったこと、自分の信頼、そういう物すべてに自分で責任を持って行動していました。だからその中でもし、失敗があっても人のせいにはしなかったし、自分で何とかしようと頑張りました。責任持ち、信頼しあった者同士で物事を一生懸命に解決していきました。

そこにあるのは人間の温かさ。人の心のこもった行動。
だから、もし、失敗があったとしてもその人を責めるよりはみんなで何とかしようと考えてやって来た……。

(2)へ続く

Photo : Midori Komamura

第3章 「イメージ」という根っこの上に花開く”今”。

1 すべての根っこは同じ。

【羅針盤】によって新たに進むべき方向をおぼろげに掴んで、次に取り組んだのがエヌ[N]のプロジェクトの一つであるWebマガジン、N-geneの特派員としての取材でした。

そもそもエヌ[N]のコンセプトは、長野県の面白くて役立つ情報の蓄積、交換。特に文化・アートを軸にした講演会や公演なども行われ、積極的に長野の文化を取り上げることを詠っています。そのため交流の場であるSNSにWebマガジンを併設する、というちょっと変わったシステムをとっていました。

ですから、N-gene記事として取材する題材自体はそれまでN-ex Talking Overから羅針盤までの流れの中、次第に自分の中ではっきりしてきたこの「イメージ」というものを柱にした活動や、それをしている人たちを取り上げる、というテーマとぴったり重なっていました。自分のめざし追求するテーマに沿った人々や活動を取り上げて紹介することが出来るので、これを引き受けて仕事の合間を縫って様々なイベントに駆け付け、人と出会い、そういう人たちが目指すビジョンを受け取って1人でも多くの人に伝えようと取材活動を1年以上続けてきました。

そうして自らの中にしっかりとした想いを持って活動している人々を知り、その想いに直に触れるにつれてあることに気が付いたのです。

「どの人も、目指すものは同じで、そこに立ちはだかる壁も同じだ。」……ということに。

もともと私は、学校の教師をしていました。先生として生徒と対する毎日の中で様々なものにぶち当たり、それを解決しようと必死な毎日でした。その中で次第に「教育」とか「学校」とか「学びのあり方」に違和感を感じるようになりました。教室で騒ぎ言うことをきかない子供たち。先生を困らせる子供たち。学校に来なくなる子供たち。そしてその親御さんたちの姿。それに対しての学校のあり方。

「何か変だなぁ」と思いつつも多忙な毎日に翻弄されているうちに、私自身が「うつ病」になって学校に行かれなくなりました。さらに、中学1年の冬に、それまで「言うことは全くありません。」と担任から優等生認定を受けていた息子が不登校に陥りました。

そうして今まで「当たり前」だと思っていた学校の中でのもろもろのことを「外」からながめたときに、いかに自分が何も見えていなかったのか、ということがよくわかったのです。

教師としての常識が、親としての自分にとっては辛いものだったり、親として学校に向かったとき、教師としては苦しい状況に陥ったり。心の闇に苦しんだものとして学校に戻って同じように辛い不登校生と向かい合ったとき、いかに今の学校の仕組みというものが生徒と教師を遠ざける状態にあるのかも、教師同士の情報交換や支え合いが出来にくい状態にあるのかも。

thinking

Photo : Midori Komamura

5 まるでジェットコースター。〜人間味を引っ張り出す対論〜

この【羅針盤】のを形にしていく上で大切にしたことが二つありました。

一つは、映像でも活字でもない「音声での収録」(それも、できるだけ編集はしないもの)にすること。
もう一つは、長野県という土地と、そこに住む人々をきちんと「イメージ」した事業を展開・成功させている人を選ぶこと。

今の世の中、映像があふれています。それはイメージを共有化し、情報をより正確に詳細に伝えるためにとても効果的な手段です。けれども、裏を返すとそれは「イメージの押しつけ」にもなるのです。

美しい風景としてテレビで映した画面のすぐ横には、ごみが落ちているかもしれない。泣いて悲しんでいる人の写真の裏側には、それを見て笑っている人がいるのかもしれない。

与えられた映像というのはそれを創り出したものの「イメージ」が介入したものであり、そこに良くも悪くもある「意図」が組み込まれます。つまり「事実そのもの」を伝えるものではないのです。

この【羅針盤】では、その「イメージの押しつけ」状態を極力排除しました。映像にすると、とったカットや場所によって見るものに「固定イメージ」を与えることになります。また、そこで得た情報を活字化し、本にしたら、話し言葉と書き言葉の与えるイメージも、文にまとめるものの「意図」がからまってきて本来の事実そのものと違ったイメージを与える可能性があります。

人の話す言葉には、「言霊」があって、その人の想いや命が載った言葉が体温を持って相手に届くもの。

それを出来るだけ正確に、その人が自身のアイディアやイメージを語る言葉をそのイントネーションや音の響き、さらにその場の空気感も丸ごと含めて人に届けたい。それを聞くこと、感じることで、その人の人柄や言葉の重みから生まれるイメージもあるはずだ……。

オーディオバイオグラフィーという発想は、そこから生まれました。

もう一つの観点である「人や土地を大切にした」という部分。

N-ex Talking Overや文化庁の事業を進める上で今の世の中がなかなか明るいイメージを持てないのはこの部分が足りないため。またそういう想いを持って人の笑顔を思い描いた活動をしている人々がぶち当たる厚くて大きな壁も、この部分への理解が得られず、それをイメージできない社会の事情に阻まれがちだからです。

その壁をぶち破って、自身の事業を展開し、成功に持っていくことの出来た人々の持っているパワーやアイディアは今なかなか進めない人々に何らかのイメージをもたらしてくれるでしょう。それだけの力を与えてくれる人々が、ちゃんと身近にいるのだ、ということを知るだけでも大きな力になるでしょう。

ジェットコースター

Photo : Midori Komamura

二つのプロジェクトから見えたもの、掴んだ可能性の未来について宮内氏と語るうちに、ひとつのぼんやりとしたイメージが浮かび上がってきました。

今の社会・世の中は、まるで嵐の海のようなもの。先は見えないし、それがいつおさまるともわからない。その荒れた海で避難する場所も見えずもみくちゃで息もつけない。時に嵐は、がっしりした大きな船でもたちまち飲み込んでしまう。ニュースを賑わせる大企業の突然の破産や倒産、経営危機。みんなが必死に嵐と戦っていて、どうしたらいいのかわからなくて。みんなが嵐を乗り越えるために必死でいろいろな手段を講じているけれど……なすすべもなく抗う力も失いつつある。

それを乗り越えるためにはどうしたらいいのだろう。

自分たちも、まだそれが見えない。実際にいろいろ無我夢中で取り組んではいるけれど、どうしたらそれがちゃんと実を結ぶのか、何を目指してどんなふうにしたらいいのかわからない。……その「イメージ」がない……。「乗り越えるイメージ」が欲しい……。

今の時代にありながら、ちゃんと苦難を乗り越えてしっかり立っている人々がいる。そこにはきっと、乗り越えるためのヒントになる「何か」があるに違いない。そういう人たちに会って話を聞いて、その「何か」を集めてみたらどうだろう?

今この時に必要なのは、「乗り越えるためのイメージ」……そしてそれは、嵐にも負けずにしっかり立つことができる人々の持っている「何か」。それこそが訳のわからない苦しい状態を抜け出し、この先進む方角を示してくれるための「羅針盤」になるのではないだろうか。

いろんな人に会って、話を聞こう。そこから何かが見つかるかもしれない。その人々の言葉を集めて、自分たちだけでなく、おなじようにもみくちゃになっている人々にも伝えられるような“何かの形”にしてみたらどうだろう?

こうして、二つのプロジェクトから見えた可能性をより確かなイメージへつなげる手立ての一つとして、オーディオバイオグラフィー【羅針盤】の構想が生まれたのです。

かりがわたる

Photo : Midori Komamura

2-4そして【羅針盤】へ 〜社会という荒波を進むための指針〜

こうして、「日本の社会は大丈夫」というイメージを得、可能性を見つめるエネルギーを得ることが出来たのですが、一方で「現実」「現状」が持つ大きな課題もはっきりと目の前に山積みになりました。

日本は大丈夫、という要素も可能性もありますが、しかし逆をいうと「大丈夫ではない現実」が立ちはだかるからその可能性を探らねばならないわけです。

たとえば、一番切実なのはお金の問題。何をやるのにもお金がかかります。実際、N-ex Talking Overを半年で休止しなくてはならなかったのもそれが大きな理由でした。

同じく、若い世代がなぜ情熱を持ちながらそれを実際に生かすことができないか、という理由にも重なってきます。まだ財力の余裕がない若い世代は、活動にお金をかけることが出来ないし、自分の生活を維持するためには収入を得ることも必要で、収入を得るための仕事の時間が本当に目指すものにかける時間を圧迫する。これも現実のことです。

それから、年代や立場の差。

世代や立場を超えて交流できる場が消滅し、「異なった環境から生まれた意見」が討論される場がないことのほか、少子化・核家族化による年代バランスの崩れ、発展のために急激に進んだ競争社会、失敗が許されにくくなった環境、固定化・形骸化された決まりや伝統、もしくは増え続ける規則による思考の停止状態……。様々な要因が絡み合って、年配と若者、土地のものと外からの者、収入の多少、などの立場の二分化・二極化を創り出し、それによって意見もまた良いか悪いか、あっち派かこっち派か、という歩み寄りのない「対立」の構造を創り出していました。

結果、力のない者、権威のない者、実績のない者、資金のない者、といった「無い者」の挑戦は取り上げられなかったり、孤立したり、という状態がおこるのです。

そこで「可能性」を掘り起こすだけではなく、それをつなげてわかりやすいイメージにすることが必要でした。

実際に、小さい動きですが「活動」して頑張っている人はたくさんいました。けれど、それを取り上げてつなげる機能を持つ機関がないのです。だから、頑張っている人たちは孤独でした。「自分だけ頑張っていてもなぁ」というむなしさや、「こう考えるのは自分だけなんだろうか」という孤独感を持った人。N-ex Talking Overや文化庁の事業で出会った人々の中に見え隠れするそういう想い。

せっかくの可能性を未来につなげるためには、そういう想いを何とかするべきだろう、どうしたらいいのだろうか?
「この先」を考えたときに、何が出来るのだろう?

荒れた海を見つめるカモメたち

Photo : Midori Komamura

その中でさらに見えてきたこと。

それは、善光寺にしろ今パワースポットと呼ばれている戸隠にしろ、南信濃の深い山に囲まれた今は過疎化している土地にしろ、学問の上で日本を引っ張る立場をになった上田にしても、たくさんの「川」によって日本の北と南を結ぶ要所だった松本にしても。もともと長野という土地は「外から入ってくるもの」をどんどん受け入れて取り込んで、陸の孤島といわれる土地の難点を逆に生かしてきた歴史があるのだ、ということです。

長野……信州という土地の持っている本来のそういう力を、このN-ex Talking Overに集う人たちはちゃんと受けとめられる人たち。それぞれの場で、それぞれの想いを持ちながらしっかりとより良い社会の姿をイメージし、それを目指して活動しているのだ、ということを強く感じることが出来たのです。

このN-ex Talking Overというプロジェクト自体は様々な理由で現在は休止状態ですが、この半年の中で生まれてつながり、拡がったものがたくさんありました。

そこから生まれたつながりで始まったプロジェクトやアイディアは、参加したぞれぞれの中で今も拡がり続けています。そして、そこで生まれたつながりや、見えたこと・出された意見や想いは、私にとても大切なイメージをはっきりと形作ってくれたのです。

「大丈夫だ、長野の人はちゃんと生きている。長野は大丈夫だ。そしてこういう人たちがあきらめない限りは、今ずたぼろでも日本もちゃんと大丈夫なんだ。」

「可能性」というすばらしいイメージが、はっきりと見えるようになったのです。

(*N-ex Talking Overについての詳細は、一部ですがエヌ[N]のサイトにまとめられています。テーマや出た話題・資料などはこちらでご覧下さい。)

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Photo : Midori Komamura

そんな学校の姿はまた社会の有様の縮図でもありました。

近所の人間が集まってワイワイ話をする場はほとんどありません。それぞれが仕事に忙しく、下手をしたら近所に誰がいるのかさえもわからない。誰がどんな知恵を持っていて、誰がどんな技術があって、こんな時にはこの人に聞いてみればいいかな、この人にアドバイスもらえるな……そういうデータは手に入りにくくなりました。

子育て中のお母さんは先輩のお母さんにアドバイスをもらう機会が無く孤立し、ちょっと子供を誰かに見ていてもらうことも出来なくなりました。職場での先輩後輩の交流も減少、仕事のノウハウはマニュアルに頼るしかありません。

地域独自の行事も参加者が減り、継承者が減り……子供は社会人としての生きざまを大人たちのその背中から見取る機会も時間も減りました。お父さんは会社、お母さんも仕事。自分は学校とその後は夜遅くまで塾。家庭でさえもこの有様です。

世代を超え、性別を超えた「寄り合い」の減少によって経験者はその経験とノウハウを伝える場を失い、若者は自らの情熱を実践や知恵に結びつける機会を失い、歴史もそれに伴う経験や実績の集積も伝わることなくそこから生まれた伝統や決まりだけが残っていく。

つまり「形」が残って、その形を作り上げ、伝えていくための中身=「心、精神」が全く抜け落ちた状態があちこちで起こっているのです。中身が抜けた張りぼての重みを感じない形を受け取った若い人間が、それを支え、伝えていこうという情熱を持つことが出来るでしょうか?

伝統や決まり事、会社や仕事のやり方というのはその中身が大切だから受け継いで守る情熱も生まれるのです。年配者は経験とそこから得た知識を、若い世代はその情熱を持ち寄って作ってきたもろもろのこと。

それを伝え合ってみんなで一つの「イメージ」を作り上げて来たものが伝統であり決まり事であったのに、「持ち寄って」「伝え合う」が場を失ったことでその中身、心が置き去りになってしまった。その結果、向かうべき「イメージ」のモデルがどこにも見つけられなくなって、ただその形を追うだけになってしまった……。

モデルというのはイメージ作りの上でとても大切な材料です。いいモデルはもちろん、悪い面でのモデル〜反面教師〜も必要です。それに触れる機会である「寄り合い」は大切な社会を動かし、成長させる場であり機会だったのです。

今の社会のあちこちが形骸化し、中身を失う原因はイメージ作りが出来ないせい。その場や機会を提供してきた「寄り合い」が必要……それはこれからのために絶対に。

漠然とそんな想いを持っていたときに、宮内氏の「カフェミーティング」の提案に出会いました。

「カフェミーティング」……そのひとことが私の中にある想いや感覚を確かな「イメージ」に変えてくれたのです。

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Photo : Midori Komamura

1 「寄り合い」 の減少がもたらしたもの

「カフェミーティングというものをやろうと思っているのだけれど」

そう声をかけられたのが2007年、冬の足音が近づく頃でした。声をかけてきたのはその頃ネット上でコミュニケーションツールとして盛り上がっていた「SNS」の長野県版、N[エヌ]を立ち上げプロデュースしていた宮内俊宏氏。

Nのいちメンバーとして交流を楽しんでいた私が日ごろ「日記」や自分のHP、ブログなどで訴えていた言葉が宮内氏の目に止まり、このカフェミーティングの手伝いをしてはもらえないか、という申し出だったのです。

「カフェミーティング」の構想の元にあるのは「井戸端会議」。

かつてはよく見かけるこういった「寄り合い」の光景も今は昔になり、ご近所さんで集まって老若男女、性別や年齢差を越えた「やりとり」の出来る場所がどんどん消えていました。それはあらゆる場所で起こっていることでした。

私が学校職員として新卒の頃、よく先輩の先生が「おい、みんな今日は飲み行くぞ」と誘ってくれて、仕事の後で1日のことや生徒のこと、指導方法のことなどを先輩後輩入り乱れて熱く話をしたものです。

不思議と、学校を支えるアイディアはそういうときに生まれます。職員会で書類を前にしかめっ面で手を挙げて発言して……というよりもずっと面白くてワクワクするようなアイディアや意見が出ました。気楽でオープンな気持ちだからこそそれぞれの経験や人間味が大いに発揮されて、いかにみんなが真剣に生徒のことや指導のことを考えているのかも伝わってきました。

かつてはそれが学校の中でも行われました。「休み時間」の時にお茶を飲みながら。運動会や音楽会などの大きな行事の後、学校の体育館でPTAの皆さんと。あらゆる「気楽な交流の時間」はすなわち創造の場でもありました。

けれど、学校での「校内の宴会」は禁止されました。ごく一部の「不祥事」の事件のせいですべての「学校の飲み会」は不謹慎とされたのです。

また休み時間にお茶を飲む先生たちを見て、学校でお菓子食べたりお茶飲んだりなんて……という一息のリラックスさえも許さない意見から、さらに学校にどんどん増える雑用で……先生たちはそんな時間さえも削ってかけずり回らねばならない情勢の中、「井戸端会議」「寄せ集まりの雑談の場」が削られていきました。

さらに普段の職員の交流がほとんど無いため、年度末などの慰労会でさえも盛り上がることがなくなっていきました。

かつて若い先生は教育への情熱や生徒への想いを語り、年配の先生は自らの経験談や教師として必要なヒントを語り、その中からお互いがより良く新鮮なアイディアを生み出したり発見したりしました。

年齢や性別、経験の多少という「枠」を越え、時間の規制や言論の規制も越えた、そういうところから生まれてくるものが学校を支えていたのは確かです。その場を失った学校が温もりを失いベルトコンベヤー化するのは仕方がないことかもしれません。

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Photo : Midori Komamura

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PROFILE

駒村みどり
【スマイルコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

WebマガジンNgene特派員
(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

Twitter:komacafe 
HP:コマちゃんのティールーム
メルマガ:【うつのくれた贈り物】
facebook:Midori Komamura

詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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