駒村みどりの記事

(2)「イメージ」の魔法が作る不思議空間 さくらびアートプロジェクト

「教室に海を作りたい」「クジラを泳がせよう」「花嫁さんになりたい」「ファッションショーしたいな」

子供たちのアイディアは、「そんなの無理だ」という概念にはとらわれません。できない、という思いにさえぎられることなく、「そのために何をどうしたらいいのか」という検討が毎月重ねられ、必要な材料や準備を授業だけでなく休み時間や放課後、土日などの家の時間まで使ってどんどん進めていく中学生。

「美術なんてかったるい」「作品作りめんどくさい」……そういう言葉が当たり前になってしまった今の中学の美術の時間は、受験やテストには関係ない(必要ない)教科という感覚のもと、そういう教科学習への時間を増やすためにどんどん削減されています。

美術という教科が学校から消える危険性もある。けれど「表現の喜び」や「夢の実現」は、テストや教科学習では得られにくい実情の中、「自己実現」というテーマにおいて美術教育はじめとする芸術教科のしめる役割はとても大きいのです。

それが削減されることで、子供たちは「無茶できる」場がどんどん削られることになる。その危機を訴え続けているのが長野市の桜ヶ岡中学校の中平千尋教諭です。

中平教諭は、「美術教育の中で生徒たちに育つ力は教科指導の中では得られにくいもので、かつ教科の学びには必要な力である」というイメージのもと、中学生という思春期の心を育てる時期に少しでも多くの「アート」に触れ、イメージを蓄積し、自らが表現することによって「脱皮する」事例をたくさん生み出してきました。

そのひとつの形がこの「さくらびアートプロジェクト」。学校を美術館に変身させてしまおう、という試みです。自分たちのイメージを形にしていく活動をする中でアートに触れ、生みだし、はぐくみ、育てるという過程を経る。

自らの生み出したアートを愛し、人のアートへの思いを理解し、お互いに認め合い高め合う。学校を一日美術館という形で利用し、来てくれる人たちに自分の表現を見てもらい、想いを伝え、喜びを感じる。総合学習の中でこれを取り上げて、学年やクラスの枠を飛び越えて協力し合う生徒たちが学校という無機質な建物を一日心温まる空間に変身させたのです。

階段の上からも下からもデザインしたTシャツを恥ずかしそうに披露する生徒が目の前に笑顔の花を咲かせます。「まわって!」の声に応え、スカートを拡げてくるくる回って恥ずかしそうに逃げていくけどすごく嬉しそう。ファッションショーの会場は学校のはじっこの普段は薄暗い階段。この日は笑い声と笑顔があふれていました。

教室の真ん中に、巨大なクジラのしっぽ。周りにはその動きのせいで崩れた机が積み上がり、天井からたくさんの魚がつり下げられて教室は海の中に変身しています。説明する生徒の目には、ちゃんとそこに生きて動いているクジラの姿があるのです。

その隣の教室には砂浜に波がうねった海が登場。波と戯れることもできます。天井には海を映し出すアルミホイル。ちゃんと空の演出もされる細かい表現。

「空を飛びたい」と思っても羽も飛行機もない中学生は考えました。空から地上を見下ろした情景を、それも教室を4つに区切って四季すべて表現し、真ん中に高台を作ってそれをさらに上から見下ろせるようにたらどうだろう。……台の上から周りを見下ろすと、雲がちゃんと遥か下方に浮かんでいて、その雲の下には町並みや湖などの情景が四季折々の彩りで拡がりました。いったい自分はどのくらいの高さにいるのかな?そんな錯覚を起こすような不思議な教室。

「ありえない学校」というテーマのもと、様々な不思議感覚に満ちあふれた生徒たちの表現=アートが訪れる人たちの五感すべてに働きかけます。普段はありえない学校のそんな表情が、いたずらっぽい生徒の表情を引き立てます。

「アートは、自分の気持ちを形にする手段」「人に感動を与えられるもの」「生きるための命」「人の心を左右する麻薬」……今年のプロジェクトを終えた後、生徒たちが「アート」について持ったイメージ。

「本当はもっと、大勢の人たちに見に来て感じて欲しかったですね」という中平教諭は、自らの実践と活動の成果を持って日本中を駆け巡っています。

美術教育の火を消さないために。1人でも多くの中学生がこの感受性豊かな多感な時期にちゃんとイメージを形にすることができる力をつけ、社会に出ていくことができるように。生徒たちの中に確かにある花の芽吹きを見つめながら、学び、伝え、拡げる歩みを中平教諭自身が今日も止める事はないのです。

詳細:N-gene記事
生きるための力、生きるための学び〜さくらびの挑戦1〜3
アリエナイ学校って、アリ?〜さくらび1〜4

さくらび

Photo : Midori Komamura

(1) 「イメージ」で拡げるぼくたちの未来 開智小学校6年生の映画製作

「映画を作りたい!」5年生の時、総合学習のテーマに「映画」が上がったとき、担任の麻和正志教諭は「無理だ」と思ったそうです。

担任した生徒たちははさみやのりの使い方もなっていない。ぞうきんの絞り方もなっていない。(これは麻和教諭のクラスの生徒に限ったことではありません)。

そんな子供たちがセットや衣装、小道具を作り、演技をし、カメラワークや演出を考えてすべて自分たちでできるはずがない。そうは思うのだけれど結局子供たちにおしきられ「やるならやって見ろ」となったのが昨年のことでした。

麻和教諭は、元々は漫画家を目指していました。美術が勉強したくて入った国立大学、それが教育学部の美術科で、気が付いたら先生になっていました。大学の時に映画作りの経験をし、それ以来映像作りをいろいろな学校の行事や学びの中に取り入れてきました。

「映画の先生」として松本では知られていたこともあって、新しく受け持ったこのクラスでの子供たちの「映画作りたい」という思いはそういうところからも来ていました。

映画作りに当たって、麻和教諭は子供たちと決めごとをしました。

「映画を逃げ道にしない」「時間を守る」。

学校という学びの場では、たくさんの生徒が他にもいます。他のクラスに迷惑かけたり自分たちだけが目立って浮き上がったりすることはできません。何よりも「映画作り」にはものすごく手間も時間もかかります。けれどだからといって「小学生として」やるべきことをおろそかにすることはできません。

いくら撮影に熱が入ってこれから、といえ、周りが掃除の時間に自分たちだけ映画製作するのは自分勝手な行動です。学ぶことをおろそかにするのは、本来の学生としてのあり方からは外れています。だから、子供たちはどんなに映画作りで忙しくても、ちゃんと宿題を忘れません。時間になると「おい、やめろ」などと注意されずともぱっと撤収に入ります。

そうして一年かけて一つの映画を子供たちと先生だけで作り上げたとき。その映画を大勢の会場があふれるお客さんに見てもらえたとき。その「自分たちで成し遂げた」実感がさらに子供たちを「より高みへ」と駆り立てました。

クラス変えがなく同じメンバーで6年のクラスになることが決まった時点ですでにもう「今年も映画」という方針がクラス一致で決まっていました。昨年一年間の経験がちゃんと「次のイメージ」を描き出し、いつまでに何にどんなふうに取り組むのか、もう麻和教諭が声をかけなくても生徒たちは自分たちで三月のうちにシナリオの案を出し合い、必要な係や役柄を考えはじめていたのです。

5年生の一年間で身につけた技術。はさみやのりがうまく使えないと宿題に出さずとも子供たちは小道具をどんどん創り出します。映画製作にお金がかかるからと、学校のバザーでは自分たちでお店を出していらないものを持ち寄って射的の屋台をだしてお金を稼ぎました。

「映画を作る」ことは「自分たちの夢の実現」ですから、誰に強制されることもなくどんどん自分たちで考えて動きます。

身のまわりにあるものは、すべてが「何かに使えないかなぁ」という感覚での材料となるので、要らなくなった銀の紙皿は時にUFOになり、日頃生徒が見向きもしない廊下の突き当たりの倉庫が宇宙船の内部になる。子供たちの発想はどんどん拡がっていき、その実現のために必要な力をつけるためにそれぞれがどんどんパワーアップしていくのです。

一昨年は、映画と同時に「ふるさとCM大賞」で予選を突破。本選のステージに立ちましたが、残念ながら受賞はできませんでした。

「今年こそは!」というみんなの思いが一つになった今年、再び予選を突破したCMは、本当に子供の作った物?と思うほどの出来映えです。それが何と、本選でも県知事賞を受賞しました。昨年の映画もすばらしかったけれど、さらに腕を上げ磨きがかかった作品です。

クラスの子供たちはけれどそれに驕ることなくごく普通の小学生として元気に毎日過ごしています。でも勉強はちゃんとやります。「やりなさい」なんていわれる子はいません。そんな事いわれたら、映画作りの足並みを乱すから。そういう決まりがあるから仕方なくやっているわけではありません。

そうして今年も、2月の上映会に向かって子供たちは夏の暑さにも負けることなく真剣に映画作りに取り組んでいたのです。

その子供たちを見守りながら誰よりも汗を流していた麻和教諭。教諭自体が表に立つことはほとんどありません。けれど、子供たちの中には麻和教諭という柱がしっかり立っているから、それぞれが自信を持って、前に向かって進んでいくことができるのです。さらにそれは、先生と生徒だけでなく、親と子、親と学校も強く結びつけています。

「やればできる、きっとできる。」

麻和教諭が子供たちに常に言う言葉。その信念と思いがしっかりとしたイメージとなって子供たちに伝わったとき、それに答えようとする子供たちも力をつけてのびていきます。本来の「学び」の姿がここに鮮やかによみがえっているのです。

三月に卒業して中学に巣立つときに、この子供たちはどんな大輪の花を咲かせていることでしょう。本当に楽しみです。

詳細:N-gene記事「みんなの夢をみんなで描く〜6年3組の映画製作

映画

Photo : Midori Komamura

2 イメージの花を育て、咲かせる人々。

そういう「一歩はみ出した人々」にもう一つ共通することがありました。それは「物事の全体像をイメージできる」ということです。

木を見て森を見ず、ということわざがあります。

大きな森の中にいるとその森がどんな大きさで、どんな場所にあって、どんなものがそこに住んでいて、という森全体の「様子」はまったくわかりません。そしてその森が大きければ大きいほど、鬱蒼として空さえも覆われてしまったら、森の外でどんなことが起こっているのかもわかりません。

自分の目の前や周りにある木ばっかり見ていて、森の外に出ることも、森を外から眺めることもしないと目の前のことにしか気が付かないですよ、という視野・視点の狭さや思考の固定化を戒めていることわざです。

そういう意味では、「灯台もと暗し」も似たようなニュアンスがあるように思います。見えるものばっかり見ていると、自分のすぐ手元にあるものさえも気が付かなくなるのです。こちらも視野や思考の固定化や狭さを戒めているものです。

つまり、視野や思考が固定化して、考えることや学ぶことを忘れてしまい、「今のままでいい」というところに陥ってしまうと、森の中から外にでることもしないから森全体のことにも森の周りのことにも気が付かず、明るいところばっかりに目をやるばかりで手元の暗さにも気が付かず、「見ているけれど見えていない」状態に陥ってしまうわけです。

私の出会った「はみ出した人々」に共通するのは、はみ出すこと……それは自らの場合もありますし、偶然そういうことになった場合もありますが……によって、「外から」「別の立場から」全体も、手元も、しっかり見つめている人たちなのだ、ということでした。

花を育てて咲かせるには、ただ種をまいて見ているだけでは育ちません。水をやり、栄養を与えるにも季節・気候、天気や空気の流れ、花の状態や土の様子、花を置く場所、病気や虫がつかないように……本当にいろいろなことを見て、聞いて、感じて、考えて、そして何よりも愛おしんで、そうして初めて咲かせることが出来ます。むろん、そうしたからと言って絶対に思うような花が咲くとは限りませんし、一生懸命に育てたにもかかわらず、枯れてしまうことだってあります。

けれど、それでがっかりしてあきらめて、放置したり種をまいたりすることさえも忘れてしまったらその先には当然次の花さえも咲かなくなります。失敗して悲しいけれど、そこにいつまでも留まらず「悔しい」と立ち上がり、「同じ失敗しないようにどうしたらいいのか」と必死で考えることで次の花への可能性は広がっていくのです。

自分のイメージ(目指すもの)をしっかり持っている人たちは、根っこにそれを持って、常にそこに水をやり、栄養を与え、しっかりおひさまの光を当てて育てています。イメージという根っこに与え続ける栄養は、「学び」を続ける姿であり、人とつながり、常に「じゃぁどうしようか?」と考えることをやめない姿でもあります。

そうして常に、全体を見てイメージを育て続け、自分の手元の暗さに気付いて手元を照らす工夫をする。「人の笑顔があふれる社会」を目指すために、一歩踏み出した外から社会全体をきちんと見極めつづける。

だからこそ自分の周りや住んでいる地域、仕事、出来事をしっかり見つめて何とかしようと努力を続ける必要性に気が付くことが出来るのです。

次の項では、実際にそうして“花を育てている人々”をとりあげます。

(なお、これらの人々についてはエッセンスのみをとりあげます。個々の事例についてはN-geneをご覧下さい)

サギ

Photo : Midori Komamura

さらに学校は今、非常事態のベルが鳴っているのにその音が聞こえないような状態になっている。非常ベルが鳴っているのに、誰も気が付かないし逃げ出しもしない。不登校の生徒たちは、気が付いて逃げ出した子供たちなのに、そういう子供たちは「はみ出した」生徒としてその声を聴いてもらえないのです。

そういうことを、学校の中からなんとか伝えようと思いました。けれど、とても難しいことでした。学校の中にいる状態のままでは絶対に気が付けない・見えないものがあることは、私自身がそういう状態にあったからよくわかりました。

私は、「この先をになう子供たちが、希望を持って進むための力をつけさせたい」から教師になったけれど、それは自分一人ではけっしてできることではありません。学校が一つになって、お互いに補い声を掛け合いながら生徒1人1人をしっかり見つめていかねば出来ない事です。

けれど、今の学校ではそれは無理でした。「古くからの体制」や「今までの流れを作ってきたルール」「先輩と若輩との世代の断絶」「より良いものを目指すためのモデルの不足」……そういったものが学校というものをがっちり固めてしまっていて、たった1人で声を張り上げようともどうにもなるものではなかったのです。

このままいても中から変えることは無理なんだ。そしてこぼれ落ちてしまった生徒は中からは救えない。

そう思った私は、25年間の教職生活にピリオドを打ちました。そしてこぼれ落ちた生徒たちの居場所作りや、うつ病のような心の闇に落ちた人たちが笑顔を取り戻すために出来ることをしていこう、と考え「スマイルコーディネーター」としての活動を開始、子供たちの個別学習指導を軸にして、これまでに記述してきた宮内氏とのプロジェクトに取り組んだり、うつ病理解のための活動を続けたりしてきたのです。

「どの人も、目指すものは同じで、そこに立ちはだかる壁も同じだ。」

ここまでの私自身のそういうもろもろに、ここまで出会った人々のそれが重なってきたのです。学校の中にも闘っている人はちゃんといました。N-ex Talking Over、羅針盤、N-geneの取材。みんな目指すもののもとにあるのは同じものでした。

「人の笑顔があふれる社会」

みな、自分のためだけに活動しているわけではありませんでした。自分の周りの人、家族、友人、地域、それから未来を担う子供たち、社会………そういうものに目をやって、そういうものの笑顔をイメージしつつ、私利私欲に囚われずにそれを目指していました。

そしてその人々に「立ちはだかる壁」は、警報が鳴っているのに気が付かない学校、社会、地域、家庭、形骸化した様々な決まり事や伝統、固定観念。

町づくりや観光の再生に取り組む人々の取材で教育問題に突き当たる。文化やアートの取り組みで社会の決まりや仕組みからの抵抗に突き当たる。そうして必死で「ほほえんで暮らせる毎日」を目指す人々は、みなどこか「はみ出したもの」であること。つまり、今の社会からはみ出して一歩外から眺める人々という点で、実はみんなつながっていたのです。

さらにこれは、第3章でも少し触れましたが、【羅針盤】で取り上げた人々にも共通する点でした。

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Photo : Midori Komamura

第3章 「イメージ」という根っこの上に花開く”今”。

1 すべての根っこは同じ。

【羅針盤】によって新たに進むべき方向をおぼろげに掴んで、次に取り組んだのがエヌ[N]のプロジェクトの一つであるWebマガジン、N-geneの特派員としての取材でした。

そもそもエヌ[N]のコンセプトは、長野県の面白くて役立つ情報の蓄積、交換。特に文化・アートを軸にした講演会や公演なども行われ、積極的に長野の文化を取り上げることを詠っています。そのため交流の場であるSNSにWebマガジンを併設する、というちょっと変わったシステムをとっていました。

ですから、N-gene記事として取材する題材自体はそれまでN-ex Talking Overから羅針盤までの流れの中、次第に自分の中ではっきりしてきたこの「イメージ」というものを柱にした活動や、それをしている人たちを取り上げる、というテーマとぴったり重なっていました。自分のめざし追求するテーマに沿った人々や活動を取り上げて紹介することが出来るので、これを引き受けて仕事の合間を縫って様々なイベントに駆け付け、人と出会い、そういう人たちが目指すビジョンを受け取って1人でも多くの人に伝えようと取材活動を1年以上続けてきました。

そうして自らの中にしっかりとした想いを持って活動している人々を知り、その想いに直に触れるにつれてあることに気が付いたのです。

「どの人も、目指すものは同じで、そこに立ちはだかる壁も同じだ。」……ということに。

もともと私は、学校の教師をしていました。先生として生徒と対する毎日の中で様々なものにぶち当たり、それを解決しようと必死な毎日でした。その中で次第に「教育」とか「学校」とか「学びのあり方」に違和感を感じるようになりました。教室で騒ぎ言うことをきかない子供たち。先生を困らせる子供たち。学校に来なくなる子供たち。そしてその親御さんたちの姿。それに対しての学校のあり方。

「何か変だなぁ」と思いつつも多忙な毎日に翻弄されているうちに、私自身が「うつ病」になって学校に行かれなくなりました。さらに、中学1年の冬に、それまで「言うことは全くありません。」と担任から優等生認定を受けていた息子が不登校に陥りました。

そうして今まで「当たり前」だと思っていた学校の中でのもろもろのことを「外」からながめたときに、いかに自分が何も見えていなかったのか、ということがよくわかったのです。

教師としての常識が、親としての自分にとっては辛いものだったり、親として学校に向かったとき、教師としては苦しい状況に陥ったり。心の闇に苦しんだものとして学校に戻って同じように辛い不登校生と向かい合ったとき、いかに今の学校の仕組みというものが生徒と教師を遠ざける状態にあるのかも、教師同士の情報交換や支え合いが出来にくい状態にあるのかも。

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Photo : Midori Komamura

INTERMEZZO5. 1960年という年

このオーディオバイオグラフィー【羅針盤】の収録を終えて、この「古いものと新しいものをつなげる」というひとつのイメージで振り返ったときに、ひとつ面白いことに気が付きました。

先に例を挙げた室賀氏と星野氏は、1960年生まれ。このお二人とも「過去と未来を繋ぐ」テーマを持っています。

実は、この文を書いている私も、N-ex Talking Overから始まってこの【羅針盤】のプロジェクトを共に進めてきた宮内氏も、星野氏や室賀氏と同じ1960年生まれです。

自らの幼い頃から今までを振り返って思うとき、この1960年というのはいろいろな意味で日本のひとつの転換期であったように思います。

幼い頃、「欲しいもの」が何でも手に入るという状態ではありませんでした。両親は第二次世界大戦のまっただ中に生きて、戦時中も、戦後の混乱もすべて見てきた人たちでした。だからものの大切さもその不足による混乱やひもじさも、みんな感じて育ってきた人たちでした。

近代化の路を突き進んできた日本の時代のうねりと、それまでの歴史をしっかりと受けとめてきた人たちを親に持って、ものを大切にし、自然や、今から考えたらものすごくたくさんの「不便さ」とも共存していた時代でした。人と人との触れあいや、近所同士の助け合いもまだまだ充分に見られた時代です。

小学生、中学生と成長するにつれて、時代はどんどん「高度成長」へと向かい、競争社会、学歴社会、使い捨ての消費社会へと移行していきました。

かつて、小学生の頃は、鉛筆一本でも短くなっても最後まで大切に使っていました。もう持てないくらいに削った鉛筆は使えなくてもなかなか捨てる気持ちにはなれませんでした。ものが壊れれば、近所の電気やさんや建具やさんが飛んできて、すぐに直してくれました。「新しいものを買うこと」はものすごい決断がいる時代でした。

今は地方との格差がどんどん開いている東京も、まだその時代は「田舎」でした。今のようにコンクリートで固められた場所は確かに多かったけれども、東京にも田園風景はごく普通にあったし、車や電車もちょっと便利……という程度の感覚でした。

今はどうでしょう。
傘一本手に入れようと思えば100円でも買えます。晴れてしまって邪魔になったら、そのままゴミ箱に捨ててしまっても、また次の雨の時には近くのコンビニや100均で手に入ります。

コンピューターはどんどんバージョンアップし、2年もするともう以前の機種とは部品が変わってしまっていて、パーツの修理をするよりも新品を買った方が安上がりだったりします。

かつての人との連絡手段は、手紙か電話。電話は固定電話しかありませんでしたから、人と人とが「即時につながる」ことはとても難しかったのに、今は携帯電話やメールの発達で「思い立ったらその時に」すぐにつながることも可能です。

人々は高度成長時代……バブル期に向かってどんどん都会に出て行き、田舎から若い人手が減り、畑や田んぼのような「命を生み出す」場所はどんどん減っていき、身近で作物の成長を感じることができる場所は今や限られてしまっています。それはまだまだ加速中で、今、その田んぼや畑を支えている「農家」の人では高齢化し、ビジネスとして取り組む大規模農業に押されてしまっています。

古い時代の温もりと、新しい時代の躍動。
そのどちらもを身近に感じてきたのが、1960年代の人間なのだと思います。自分もそうですが、同じ年配の友人たちにも「これでいいのかな」という想いを持って動いている人が結構多いように感じるのは、身びいきだけではないように思います。
室賀氏や星野氏のように、古いものの良さを感じながら新しいものにチャレンジする、という気概を持っているものが同じ年代に多いと感じています。

この【羅針盤】の取材においてそれより若い世代である鏑木氏は、「柿」やそれを育んできた「南信州の歴史」を探って模索しながら進んでいます。また大井潤氏は長野県の観光の問題点は「新しいものと古いものとの対立」にあるとしていて、ザガットサーベイの長野版がそのつながりのための起爆剤になって欲しい……と願っていました。

一方で、先輩世代である市村氏や玉村豊男氏は、「これからの世代のために」、歴史や自らが得てきた知識や経験を、この先積極的に伝えていこうという想いを持って現在も様々な活動に携わっています。市村氏は、訪れるたびに惜しげもなくその深い歴史的な知識や見解を披露してくれました。市村氏という一人の人間の中で熟成された歴史は、教科書で知るそれよりもずっと温もりや血の通った歴史で聴くものにぐっと迫ってきました。

玉村氏は、大学紛争のさなかでの東京にいて、人々が我も我もと「都会」を目指そうというときにすでに「脱・都会」を謀って長野にやってきています。かつてフランス他ヨーロッパの各地で見て感じてきたものと、長野の土に感じるものとを融合させながらここまで来て、自身が展開している「ヴィラデスト」というイメージの形の中で、訪れる人たちにそれを伝えようとしている、これからそれをしていきたい、と語っていました。

若い世代の二人は今、「歴史」や「古いもの」をたぐり寄せようとし、先輩世代の二人は自らのものを伝えようとし、そして1960年生まれの二人に加えて私や、宮内氏の目指すのはその二つを融合させ、つなげていくこと。

もしもこの「トライアングル」がバランスよく見事な形でそれぞれの世代をつなげて成立したら。

それはとても豊かなものを、この日本の社会にもたらしてくれるのではないか……と、そんなイメージが今、私の中でふくらみつつあるのです。

そして、その室賀氏の姿に重なってくるのが星野佳路氏のありかた。
子供のころから「古くさいなぁ」と思っていた自らの家は軽井沢の歴史ある温泉旅館。なぜこんな古いところに人が来るのだろう?という疑問は、やがて世界中のリゾートを見て回るうちに「そうか、これなんだ」というイメージと結びつくのです。

星野氏によって古い温泉旅館「星野温泉」は「星野リゾート星のや」として大胆に変わりました。訪れたそのたたずまいは、新しくて斬新で、「最先端」を各所に取り入れていましたが、けれどなぜかどこか懐かしい風が吹いていたのです。それはやはり、室賀氏と同じように新しいこと、アイディアをどんどん取り入れて、曰く「進化できるテーマ設定」をしながらも、「守るべき歴史の重み」はきちんとその根っこにしっかり流れているから……。

そして星野氏はそのテーマに、そこに働くものたちと見事に足並みをそろえて取り組んでいるのです。その手法のあれこれをお聞きしましたが、そこにあるのは「規律」とか「決まり」ではないのです。イメージの統一。みんなでひとつのイメージを持って、そこに向かう。やることはバラバラかもしれないけれど、ひとつのイメージに向かってそれぞれが自由に取り組むから全体の足並みはそろっていく。

室賀氏にしろ、星野氏にしろ、どんどん新しく進化するテーマを取り入れ、取り組んでいきながらもそのテーマのそこに流れているしっかりとした歴史に支えられたものが、人の心に安心や信頼といったイメージを伝えているから単なる「奇抜」なものではなくて新鮮で豊かに拡がるものとして、受け入れられてきたのでしょう。

新しいもの、面白いもの、驚きのあるアイディア。
こういうイメージを確かで安定したものにするのは「歴史」とのつながり。

歴史とはすなわち、そこに活きた人々の思いや心の温もりの集積であり、結果であり、学びの結果でもあります。そのイメージをしっかり持って新しいものを生み出す。その「つながり」が生み出すものが与えてくれる豊かさ……それはお二人の実績からも見て取れるかと思います。

鏑木武弥氏が土から受け取ったメッセージを飯田の市田柿のなかに見て、柿の歴史を徹底的に突き詰めた結果が、いまの「かぶちゃん農園」の基礎にあります。歴史や土地の力を受けとめた鏑木氏が柿をテーマにして生み出したものが、人々に伝わってどんどん拡がっていっています。

それはまた、小布施の町並みを作り上げた市村次夫氏の「歴史に学ぶ」という言葉にもつながってきます。小布施の今の町並み……町づくりのお手本として、多くの人が訪れる街、小布施を作り上げたその根本にあるのは「歴史に学ぶ」人々の姿でした。

六名の方々の収録の一回一回が終わるたびに感じたのは、自らの持つイメージをきちんと人に伝わる形にし、それを示すことの出来た人々から与えられる力がもたらすものの大きさです。そして、その力がどこから与えられるのだろうと改めて振り返ってみると、「歴史」というひとつのキーワードが浮かび上がって来るのです。

自らの夢……イメージを形にし、きちんと人に伝えることの出来た人たちの魂の言葉に「命」や「重み」……さらに「安心感」や「信頼感」を与えるもの……それは「歴史の重さや温もり」。

その土地に流れる時間や人々の思いをしっかり受けとめて、その歴史……その土地の「命の集大成」をエッセンスに加えたら、どんなに新しくて奇抜で、とてつもないと思われるアイディアさえも、しっかりとした形を持った「イメージ」として人に受けとめられ、伝わり、拡がっていく。

一方で、そのままでは時の流れの中に「古いもの」として忘れ去られてしまうはずの「歴史」に新しい命を吹き込むのが新鮮で奇抜なアイディアであるのです。その相互関係が是部妙なバランスの中で成立したときに、そこにあるイメージは豊かな香りを放って人々を魅了するのです。

そんな魔法の力が歴史と新しいアイディアにはあって、それを現実のイメージとして示すことのできたのが、この【羅針盤】の人々なのです。

アイディアのイメージを実らせる魔法は「歴史」。
歴史には魔法の力がある。
夢をあきらめないための後押しをしてくれるのも、歴史の力。

それぞれの人々の言葉の中には、実際にそれをどうするのかのヒントがたくさんつまっていたのです。

(*オーディオバイオグラフィー【羅針盤】については、六名各氏が語った言葉の中から大切なキーワードと思われるものを四つずつ選んで取り上げたメールマガジンが発行されています。また、CDの方はWebページにて紹介しています。)

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Photo : Midori Komamura

6 「イメージ」を実りに変える魔法 ~【羅針盤】の人々〜

「おいしいのは、おそばです」

このひとことは、善光寺を代表するお土産、七味の八幡屋礒五郎のCM。どんなに七味として人気が出ようとも、お土産として知名度が上がろうとも。あくまでも七味唐辛子は「薬味」であって、メインのごちそうではないのです。(そういいつつもちゃっかり存在アピールしていますが。)

それを表現したCMの一番最後に流れるのがこのコピー。もう一つのCMでは、他の調味料がどんどん人の手にとられていくのに、なぜか誰も使わない「七味」がクローズアップされて、「使われない日もあります」のひとこと。

……秀逸ですよね。

このCMが流れるようになったのは、【羅針盤】に登場した室賀豊氏が八幡屋礒五郎を背負って立つようになってのことでした。長野オリンピック、善光寺の御開帳。この10年前後に長野市をメインに繰り広げられた2大イベントで「お土産」としての知名度をさらに上げたばかりでなく、悲喜こもごもの観光業界の中でも八幡屋礒五郎の躍進は、端から見ても明白でした。

けれど、そうして八幡屋礒五郎の知名度がいくら上がっても、室賀豊氏自身は表舞台にはめったに登場しない。そう、「おいしいのは、おそばです」……七味はあくまでも引き立て役です……がまるで自分自身のそんな姿を表現しているように。

実際、この対論の収録におじゃました室賀氏の第一印象は「無口で物静か」。ここまで八幡屋礒五郎を躍進させた「やり手」のイメージとは正反対でした。創業280年という重いのれんを背負いながら、それをさらに躍進させるだけの力がどこから来ているのだろう?そう思いながら宮内氏との対論を聞いていました。すると、話が進んでいくうちに最初の印象とは違った室賀氏の表情がどんどん引き出されてきたのです。

室賀氏の持っているテーマのひとつが「面白いこと」。
どうせやるのだったら面白いことを……というコンセプトに基づいて様々な取り組みをしてきていた室賀氏。音楽缶。キットカットとのコラボ商品。

それからもう一つ、「あまり大きな声では言えませんが」と教えてくれたのが「脱・善光寺」。
善光寺のお土産物、という印象の強い八幡屋礒五郎が脱・善光寺って?と思うでしょうが、そのひとつの表現が「おいしいのは、おそばです」「使われない日もあります」のCMだったそうです。

室賀氏のあり方は、正直いって今までの流れからしたらかなり「奇抜」で「はみ出した」部分があるように思います。けれど、それがなぜ単なる「奇策」に終わらなかったのか……それは室賀氏の持っている絶妙なバランス感覚のなせる技。その根っこにあるのはやはり280年という歴史の重みと意味をきちっと踏まえた上での「面白さの追求」だったからなのです。

「どうせやるなら面白いことを。でも、面白いだけではダメ。」その目指す面白さの中には、単なる笑いをとるだけとか、その場の思いつき、という薄っぺらいものではない。そのアイディアに重みを加えているのが、子供のころからずっと身近に感じてきた280年の歴史によって積み上げられてきたものたちの実績とそこに心砕いてきた先達の温もりのなのです。

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Photo : Midori Komamura

実は、このオーディオバイオグラフィー【羅針盤】は、単なる一問一答式のインタビューではありません。

N-ex Talking Overや文化庁の事業を通じて目にした多くの可能性と、山のような課題。

それを目の当たりにしてきた宮内氏が自らの中にある問題意識を持って、その「可能性」を導くためのアイディアと課題を乗り越えるためのアイディアとを六名の人々から引き出していく「対論」。

つまり、宮内氏と向かい合う各氏、二人の会話の中からお互いの持っている経験や想い、アイディア、そういったものがぶつかり合い、絡み合ってどんどん拡がっていくものなのです。いわばTalking Overの根本の「立場や想いの異なる人たちの自由な討論」を基盤に置いたものなのです。

この「対論」形式による音声収録は、ものすごく面白い効果をもたらしてくれました。

この六名の皆さんは、長野県の中でも「よく知られた」存在。様々な講演会やインタビュー記事に登場することも多い方々です。収録当日にお会いするときにはそこからのイメージがあって、どちらかというと「雲の上の人々」という感覚で対するのですが、それはお会いした最初のうちだけ。

宮内氏との対論が進む上で、次第にその「人間味」のある部分がどんどん引っ張り出されてくるのです。いわば「よそ行き顔」で登場した各氏の表情が、まるで少年のようにきらきらしてくるのです。そうしてはずむ会話のやりとりの高揚感が、その場にいる私にも手にとるように伝わってきました。

それは、その場にいた私だけのものではなかったようです。

たとえば、この音声を編集して収録したCDの試作品を聞いた星野リゾートの広報担当の方から「お二人の話がどんどん盛り上がっていって、そのスピード感が楽しかったです。まるでジェットコースターに乗っているみたいな感じでした。」という言葉をいただきましたが、星野氏の日頃の語りとは何か違った感覚がこの対論から感じられたのでしょう。

対面する前は雲の上の存在だったこの「成功した人々」が、なぜ成功したのか……その答えがこの対論の中で見えてきたような気がしました。

ここで対論を交わした人々は何か特別なことができるわけでも、スーパーマンでも、仙人でもありませんでした。「観光カリスマ」といわれている星野氏も、「小布施町並み作り」が全国から注目されるところまで高めた市村氏も。この対論の中では肩肘張った“すごい人”というよりも、どちらかというと気さくな人々でした。

なぜ、この気さくな人たちが「やり遂げる」ことが出来たのか……。

何かをやり遂げるのは、特別な技術や才能が必要なわけではないのです。自分の身のまわりにあることをきちんと受けとめて、当たり前のことを当たり前と流さず、自分の持っているビジョンや信念としっかり絡めてより確実でしっかりした「イメージ」を持ち、それを人々にわかる形で、伝わる形で、表現することができる人々……。

つまり、「当たり前のことを、イメージに沿った信念を持ってあきらめずやり遂げる人々」だったのです。

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Photo : Midori Komamura

5 まるでジェットコースター。〜人間味を引っ張り出す対論〜

この【羅針盤】のを形にしていく上で大切にしたことが二つありました。

一つは、映像でも活字でもない「音声での収録」(それも、できるだけ編集はしないもの)にすること。
もう一つは、長野県という土地と、そこに住む人々をきちんと「イメージ」した事業を展開・成功させている人を選ぶこと。

今の世の中、映像があふれています。それはイメージを共有化し、情報をより正確に詳細に伝えるためにとても効果的な手段です。けれども、裏を返すとそれは「イメージの押しつけ」にもなるのです。

美しい風景としてテレビで映した画面のすぐ横には、ごみが落ちているかもしれない。泣いて悲しんでいる人の写真の裏側には、それを見て笑っている人がいるのかもしれない。

与えられた映像というのはそれを創り出したものの「イメージ」が介入したものであり、そこに良くも悪くもある「意図」が組み込まれます。つまり「事実そのもの」を伝えるものではないのです。

この【羅針盤】では、その「イメージの押しつけ」状態を極力排除しました。映像にすると、とったカットや場所によって見るものに「固定イメージ」を与えることになります。また、そこで得た情報を活字化し、本にしたら、話し言葉と書き言葉の与えるイメージも、文にまとめるものの「意図」がからまってきて本来の事実そのものと違ったイメージを与える可能性があります。

人の話す言葉には、「言霊」があって、その人の想いや命が載った言葉が体温を持って相手に届くもの。

それを出来るだけ正確に、その人が自身のアイディアやイメージを語る言葉をそのイントネーションや音の響き、さらにその場の空気感も丸ごと含めて人に届けたい。それを聞くこと、感じることで、その人の人柄や言葉の重みから生まれるイメージもあるはずだ……。

オーディオバイオグラフィーという発想は、そこから生まれました。

もう一つの観点である「人や土地を大切にした」という部分。

N-ex Talking Overや文化庁の事業を進める上で今の世の中がなかなか明るいイメージを持てないのはこの部分が足りないため。またそういう想いを持って人の笑顔を思い描いた活動をしている人々がぶち当たる厚くて大きな壁も、この部分への理解が得られず、それをイメージできない社会の事情に阻まれがちだからです。

その壁をぶち破って、自身の事業を展開し、成功に持っていくことの出来た人々の持っているパワーやアイディアは今なかなか進めない人々に何らかのイメージをもたらしてくれるでしょう。それだけの力を与えてくれる人々が、ちゃんと身近にいるのだ、ということを知るだけでも大きな力になるでしょう。

ジェットコースター

Photo : Midori Komamura

二つのプロジェクトから見えたもの、掴んだ可能性の未来について宮内氏と語るうちに、ひとつのぼんやりとしたイメージが浮かび上がってきました。

今の社会・世の中は、まるで嵐の海のようなもの。先は見えないし、それがいつおさまるともわからない。その荒れた海で避難する場所も見えずもみくちゃで息もつけない。時に嵐は、がっしりした大きな船でもたちまち飲み込んでしまう。ニュースを賑わせる大企業の突然の破産や倒産、経営危機。みんなが必死に嵐と戦っていて、どうしたらいいのかわからなくて。みんなが嵐を乗り越えるために必死でいろいろな手段を講じているけれど……なすすべもなく抗う力も失いつつある。

それを乗り越えるためにはどうしたらいいのだろう。

自分たちも、まだそれが見えない。実際にいろいろ無我夢中で取り組んではいるけれど、どうしたらそれがちゃんと実を結ぶのか、何を目指してどんなふうにしたらいいのかわからない。……その「イメージ」がない……。「乗り越えるイメージ」が欲しい……。

今の時代にありながら、ちゃんと苦難を乗り越えてしっかり立っている人々がいる。そこにはきっと、乗り越えるためのヒントになる「何か」があるに違いない。そういう人たちに会って話を聞いて、その「何か」を集めてみたらどうだろう?

今この時に必要なのは、「乗り越えるためのイメージ」……そしてそれは、嵐にも負けずにしっかり立つことができる人々の持っている「何か」。それこそが訳のわからない苦しい状態を抜け出し、この先進む方角を示してくれるための「羅針盤」になるのではないだろうか。

いろんな人に会って、話を聞こう。そこから何かが見つかるかもしれない。その人々の言葉を集めて、自分たちだけでなく、おなじようにもみくちゃになっている人々にも伝えられるような“何かの形”にしてみたらどうだろう?

こうして、二つのプロジェクトから見えた可能性をより確かなイメージへつなげる手立ての一つとして、オーディオバイオグラフィー【羅針盤】の構想が生まれたのです。

かりがわたる

Photo : Midori Komamura

2-4そして【羅針盤】へ 〜社会という荒波を進むための指針〜

こうして、「日本の社会は大丈夫」というイメージを得、可能性を見つめるエネルギーを得ることが出来たのですが、一方で「現実」「現状」が持つ大きな課題もはっきりと目の前に山積みになりました。

日本は大丈夫、という要素も可能性もありますが、しかし逆をいうと「大丈夫ではない現実」が立ちはだかるからその可能性を探らねばならないわけです。

たとえば、一番切実なのはお金の問題。何をやるのにもお金がかかります。実際、N-ex Talking Overを半年で休止しなくてはならなかったのもそれが大きな理由でした。

同じく、若い世代がなぜ情熱を持ちながらそれを実際に生かすことができないか、という理由にも重なってきます。まだ財力の余裕がない若い世代は、活動にお金をかけることが出来ないし、自分の生活を維持するためには収入を得ることも必要で、収入を得るための仕事の時間が本当に目指すものにかける時間を圧迫する。これも現実のことです。

それから、年代や立場の差。

世代や立場を超えて交流できる場が消滅し、「異なった環境から生まれた意見」が討論される場がないことのほか、少子化・核家族化による年代バランスの崩れ、発展のために急激に進んだ競争社会、失敗が許されにくくなった環境、固定化・形骸化された決まりや伝統、もしくは増え続ける規則による思考の停止状態……。様々な要因が絡み合って、年配と若者、土地のものと外からの者、収入の多少、などの立場の二分化・二極化を創り出し、それによって意見もまた良いか悪いか、あっち派かこっち派か、という歩み寄りのない「対立」の構造を創り出していました。

結果、力のない者、権威のない者、実績のない者、資金のない者、といった「無い者」の挑戦は取り上げられなかったり、孤立したり、という状態がおこるのです。

そこで「可能性」を掘り起こすだけではなく、それをつなげてわかりやすいイメージにすることが必要でした。

実際に、小さい動きですが「活動」して頑張っている人はたくさんいました。けれど、それを取り上げてつなげる機能を持つ機関がないのです。だから、頑張っている人たちは孤独でした。「自分だけ頑張っていてもなぁ」というむなしさや、「こう考えるのは自分だけなんだろうか」という孤独感を持った人。N-ex Talking Overや文化庁の事業で出会った人々の中に見え隠れするそういう想い。

せっかくの可能性を未来につなげるためには、そういう想いを何とかするべきだろう、どうしたらいいのだろうか?
「この先」を考えたときに、何が出来るのだろう?

荒れた海を見つめるカモメたち

Photo : Midori Komamura

かつて人は、様々な感謝や、祈りを捧げる一つの形として「祭」を行っていました。それは豊かな恵みや労働に、人々が生かされていることに、自然との共存を願って、厄や難を避けるために……など理由や形には様々ありますが、「より良く生きる」「豊かに生きる」ことをイメージしたときに生まれる祈りや感謝という想いを形にしたものが舞いや音楽。そしてそれを奉納するのが祭です。

南信州には、山あいとそこに住む人々に守られて、いまだにこの祭がしっかりと中身を伴って多数残っているのです。伝統だから、決まりだから、という形を維持するためではなく、人々の「より良い生き方」への想いと情熱によって今の時代に力強く受け継がれてきているものがたくさんあるのです。

この祭の中に、今の時代をよみがえらせるためのヒントがないだろうか。形だけのものに心を取り戻すためのヒントがないだろうか……。そういうテーマで取り組んだのがこのフォーラム南信州「祭の流儀」でした。

2回のフォーラムと、まとめの会。それから各地の祭の現地調査とそこで出会った人々。一年を通じて頻繁に飯田に通い、南信州の空気や土地柄を直に肌に感じながらこの事業を進めていく中で見えてきたもの。

それは、その土地土地にはそれぞれ持っている気風=地脈というものがあり、その上に成り立った生活や文化は人が生きる上で本当に必要な「命のエキス」のようなものだ、ということ。それを忘れたり捨て去ったりした土地とその人々がたどるのは衰退。けれどその地脈をきちんと感じとり、それを生かした生活の上に成り立っているところは細くても小さくてもちゃんと命のリレーが出来るのだ、ということ。

過疎化。高齢化。こういった現代社会の波は確実にこの独立状態の南信州にも押し寄せています。死んだ畑や田んぼもたくさんありますし、シャッターがおりた店が目立つのも確かです。でも、地脈を感じている土地の人々の表情は明るいのです。前向きなのです。形にはめられず、踊らされず、心を守ろうとする強さと情熱が消えていないからです。

東京の雑踏の中で、ものすごくたくさんの人の波の中で立っているときには感じられない人や大地の放つ「気」というものが、「祭」という一つのイメージの形から強烈に伝わってきたのです。

これなんだ。これが必要なんだ。「今」に欠けているもの、「今」が見失ってしまったものはこれなんだ。

それを色濃く残している南信州の土地と、そこの人々からもまた、「まだいける、まだ大丈夫」という力をもらい、一年間の事業からたくさんの「前へ進むためのイメージ」の材料を受け取ったのでした。

*フォーラム南信州「祭の流儀」 (H20年度文化庁事業)の概要とまとめはこちらでご覧下さい。

霜月祭

Photo : Midori Komamura

3 フォーラム南信州「祭の流儀」 (文化庁事業)

同じく2008年。文化庁・平成20年度「文化芸術による創造のまち」支援事業として宮内氏と取り組んだもう一つの企画。それが「フォーラム南信州“祭の流儀”」でした。

飯田・伊那を中心とする南信州という土地は、どちらかというと同じ県というよりも「独立した場所」という感覚が強いところです。諏訪湖から流れ出す天竜川が削り取った山と山に囲まれた谷と河岸段丘に細長く拡がった町。

今でこそ長野から名古屋に抜ける高速道路が通っているものの、それ以前は飯田線が外部につながる唯一の長距離交通網であり、さらに飯田線はローカル線であるので時間はかかるし本数は少ないし、東京に行くのにはいったん辰野まで北上せねばならないし、県庁所在地である長野に行くにはなんと半日以上の時間を要するといった有様でした。

県内のニュース、ということで南信濃の土地名が出てきても、そこがいったいどこにあるのかすぐに思い浮かべることの出来る人間はたぶん少ないでしょう。

そうでなくても南北に長い長野県。長野から高速道を利用して飯田に行くのと関東圏(埼玉あたり)に行くのと、ほぼ距離的には同じで、一方南信州からは県庁のある長野に行くよりも高速を使って名古屋に行く方が早い……とイメージするといかに南信濃という土地が長野県の中で「独立状態」にあるのかは伝わるでしょうか。

けれどそれは今の状態。かつて都が京にあった時代の南信州は信州の玄関口に当たる場所。

今でこそ長野県は高速道路や新幹線でだいぶ開かれたもののそれはまだ歴史に浅いことであって、「陸の孤島」と呼ばれていた時代、南信州は実は「文化の入口」であり「最先端」の土地であったのです。

今では交通網の関係でかなり取り残された感がある南信州ですが、もっと歴史をさかのぼるとそこにはかなり磨かれた文化が根付いていて、「独立状態」になってその独自の文化は逆に、いわゆる高度成長期の急激な変化の波をかぶることなく守られるかたちになりました。

「急成長」という呼び声のもと、日本各地ではその波に乗った人々によって古くからの伝統や決まりが形骸化していってしまったのに比べ、南信州のそれはきちんと「中身」=精神・意義・経験を伴ったものとして受け継がれて来ていたのです。その一つの形が「祭」でした。

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Photo : Midori Komamura

その中でさらに見えてきたこと。

それは、善光寺にしろ今パワースポットと呼ばれている戸隠にしろ、南信濃の深い山に囲まれた今は過疎化している土地にしろ、学問の上で日本を引っ張る立場をになった上田にしても、たくさんの「川」によって日本の北と南を結ぶ要所だった松本にしても。もともと長野という土地は「外から入ってくるもの」をどんどん受け入れて取り込んで、陸の孤島といわれる土地の難点を逆に生かしてきた歴史があるのだ、ということです。

長野……信州という土地の持っている本来のそういう力を、このN-ex Talking Overに集う人たちはちゃんと受けとめられる人たち。それぞれの場で、それぞれの想いを持ちながらしっかりとより良い社会の姿をイメージし、それを目指して活動しているのだ、ということを強く感じることが出来たのです。

このN-ex Talking Overというプロジェクト自体は様々な理由で現在は休止状態ですが、この半年の中で生まれてつながり、拡がったものがたくさんありました。

そこから生まれたつながりで始まったプロジェクトやアイディアは、参加したぞれぞれの中で今も拡がり続けています。そして、そこで生まれたつながりや、見えたこと・出された意見や想いは、私にとても大切なイメージをはっきりと形作ってくれたのです。

「大丈夫だ、長野の人はちゃんと生きている。長野は大丈夫だ。そしてこういう人たちがあきらめない限りは、今ずたぼろでも日本もちゃんと大丈夫なんだ。」

「可能性」というすばらしいイメージが、はっきりと見えるようになったのです。

(*N-ex Talking Overについての詳細は、一部ですがエヌ[N]のサイトにまとめられています。テーマや出た話題・資料などはこちらでご覧下さい。)

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Photo : Midori Komamura

2  N-ex Talking Over 〜可能性が、見えた!〜

翌2008年4月。長野県内の4地区(長野・上田・松本・飯田)でのカフェミーティングが始まりました。

「N-ex Talking Over」と名づけられたカフェミーティングの第1回目は大きな宣伝をしたわけでもなかったのですが、4地区とも大層な人数が集まりました。

正直、驚きました。宣伝をしない、というのは宮内氏の方針だったのですが、これはカフェミーティングという性格上みんながワイワイと話をするには10人前後だろうな、20人行ったら多すぎる、というイメージからのもの。

宮内氏のプロディースしたN[エヌ]というプロジェクトの一つとして始まったもので、カフェミーティングという形をとって世代を超えた交流、アイディアの交流の場としてカフェを利用しながら、地域の文化や問題について語り合う機会を作り、その自由な時間の中で自由な議論の場を目指すというコンセプト。

Talking Overというのは「長野」という大テーマのもと、その地域の抱えるいろいろなものを小テーマに「とことん語りあいましょう」という想いを込めたネーミングです。

そこでは何か決まりや結論を出すことが目的ではなく、世代や立場から持っているいろいろな想いや経験を自由に出し合っていく中でそれぞれの中に「アイディア」が生まれ拡がったり、それがまた別の人の「アイディア」と作用し合ったりすること……つまり、宮内氏の言うところの「アイディアの循環」が目的でした。

つまり、みんなで話し合って何かを決めるという集まりではないので、とても漠然としたものでした。その「漠然さ」とか「曖昧さ」から、イメージを持ってくれる人がどのくらいいるのだろう?……と始まる前の私はかなり心配していました。

けれど、その心配は第1回目の上田会場に集まった人たちの顔ぶれやそこで語られたことからあっという間に消え失せ、むしろ「いけるんだ」という自信に取って代わったのです。

その後、長野、松本、飯田と県内を巡り歩きながら感じたこと。それは、「長野は捨てたものじゃない!」という感覚。

それまでは、私は自然豊かで美しい長野県は好きでしたが、正直いうと長野県の人間に対してのイメージというのはあまり良い物ではありませんでした。まじめで石頭で、伝統や権威に弱くて、新しいことや外から来るものに対してものすごく抵抗感を持っていて。こんな豊かな自然や美しい水と空気を持ちながら何でこんなに堅苦しいんだろう?

それが子供のころからのイメージだったのですが、このN-ex Talking Overで各地をまわり、その長野県に生きる人たちとその場に来る人たちの想いを知るにつけ、自分の持っていたイメージを書きかえるべきだ、ということに気が付いたのでした。

確かに、長野県人は頭が固いしがんこだし、決まりや伝統や形式に弱いのです。新しいことに対しての抵抗も大きいのです。

けれどTalking Overに来る人たちはその大きな壁をちゃんと認識して、「だけどそれを何とかしなくちゃ」という想いを持ち続けてそれぞれ頑張っている人たちでした。

Found it !

Photo : Midori Komamura

そんな学校の姿はまた社会の有様の縮図でもありました。

近所の人間が集まってワイワイ話をする場はほとんどありません。それぞれが仕事に忙しく、下手をしたら近所に誰がいるのかさえもわからない。誰がどんな知恵を持っていて、誰がどんな技術があって、こんな時にはこの人に聞いてみればいいかな、この人にアドバイスもらえるな……そういうデータは手に入りにくくなりました。

子育て中のお母さんは先輩のお母さんにアドバイスをもらう機会が無く孤立し、ちょっと子供を誰かに見ていてもらうことも出来なくなりました。職場での先輩後輩の交流も減少、仕事のノウハウはマニュアルに頼るしかありません。

地域独自の行事も参加者が減り、継承者が減り……子供は社会人としての生きざまを大人たちのその背中から見取る機会も時間も減りました。お父さんは会社、お母さんも仕事。自分は学校とその後は夜遅くまで塾。家庭でさえもこの有様です。

世代を超え、性別を超えた「寄り合い」の減少によって経験者はその経験とノウハウを伝える場を失い、若者は自らの情熱を実践や知恵に結びつける機会を失い、歴史もそれに伴う経験や実績の集積も伝わることなくそこから生まれた伝統や決まりだけが残っていく。

つまり「形」が残って、その形を作り上げ、伝えていくための中身=「心、精神」が全く抜け落ちた状態があちこちで起こっているのです。中身が抜けた張りぼての重みを感じない形を受け取った若い人間が、それを支え、伝えていこうという情熱を持つことが出来るでしょうか?

伝統や決まり事、会社や仕事のやり方というのはその中身が大切だから受け継いで守る情熱も生まれるのです。年配者は経験とそこから得た知識を、若い世代はその情熱を持ち寄って作ってきたもろもろのこと。

それを伝え合ってみんなで一つの「イメージ」を作り上げて来たものが伝統であり決まり事であったのに、「持ち寄って」「伝え合う」が場を失ったことでその中身、心が置き去りになってしまった。その結果、向かうべき「イメージ」のモデルがどこにも見つけられなくなって、ただその形を追うだけになってしまった……。

モデルというのはイメージ作りの上でとても大切な材料です。いいモデルはもちろん、悪い面でのモデル〜反面教師〜も必要です。それに触れる機会である「寄り合い」は大切な社会を動かし、成長させる場であり機会だったのです。

今の社会のあちこちが形骸化し、中身を失う原因はイメージ作りが出来ないせい。その場や機会を提供してきた「寄り合い」が必要……それはこれからのために絶対に。

漠然とそんな想いを持っていたときに、宮内氏の「カフェミーティング」の提案に出会いました。

「カフェミーティング」……そのひとことが私の中にある想いや感覚を確かな「イメージ」に変えてくれたのです。

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Photo : Midori Komamura

1 「寄り合い」 の減少がもたらしたもの

「カフェミーティングというものをやろうと思っているのだけれど」

そう声をかけられたのが2007年、冬の足音が近づく頃でした。声をかけてきたのはその頃ネット上でコミュニケーションツールとして盛り上がっていた「SNS」の長野県版、N[エヌ]を立ち上げプロデュースしていた宮内俊宏氏。

Nのいちメンバーとして交流を楽しんでいた私が日ごろ「日記」や自分のHP、ブログなどで訴えていた言葉が宮内氏の目に止まり、このカフェミーティングの手伝いをしてはもらえないか、という申し出だったのです。

「カフェミーティング」の構想の元にあるのは「井戸端会議」。

かつてはよく見かけるこういった「寄り合い」の光景も今は昔になり、ご近所さんで集まって老若男女、性別や年齢差を越えた「やりとり」の出来る場所がどんどん消えていました。それはあらゆる場所で起こっていることでした。

私が学校職員として新卒の頃、よく先輩の先生が「おい、みんな今日は飲み行くぞ」と誘ってくれて、仕事の後で1日のことや生徒のこと、指導方法のことなどを先輩後輩入り乱れて熱く話をしたものです。

不思議と、学校を支えるアイディアはそういうときに生まれます。職員会で書類を前にしかめっ面で手を挙げて発言して……というよりもずっと面白くてワクワクするようなアイディアや意見が出ました。気楽でオープンな気持ちだからこそそれぞれの経験や人間味が大いに発揮されて、いかにみんなが真剣に生徒のことや指導のことを考えているのかも伝わってきました。

かつてはそれが学校の中でも行われました。「休み時間」の時にお茶を飲みながら。運動会や音楽会などの大きな行事の後、学校の体育館でPTAの皆さんと。あらゆる「気楽な交流の時間」はすなわち創造の場でもありました。

けれど、学校での「校内の宴会」は禁止されました。ごく一部の「不祥事」の事件のせいですべての「学校の飲み会」は不謹慎とされたのです。

また休み時間にお茶を飲む先生たちを見て、学校でお菓子食べたりお茶飲んだりなんて……という一息のリラックスさえも許さない意見から、さらに学校にどんどん増える雑用で……先生たちはそんな時間さえも削ってかけずり回らねばならない情勢の中、「井戸端会議」「寄せ集まりの雑談の場」が削られていきました。

さらに普段の職員の交流がほとんど無いため、年度末などの慰労会でさえも盛り上がることがなくなっていきました。

かつて若い先生は教育への情熱や生徒への想いを語り、年配の先生は自らの経験談や教師として必要なヒントを語り、その中からお互いがより良く新鮮なアイディアを生み出したり発見したりしました。

年齢や性別、経験の多少という「枠」を越え、時間の規制や言論の規制も越えた、そういうところから生まれてくるものが学校を支えていたのは確かです。その場を失った学校が温もりを失いベルトコンベヤー化するのは仕方がないことかもしれません。

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Photo : Midori Komamura

第2章 「イメージ」は豊かな社会を示す羅針盤

 1 「寄り合い」の消滅がもたらしたもの

 2 N-ex Talking Over ~可能性が、見えた!

 3 フォーラム南信州「祭の流儀」 (文化庁事業)

 4 そして【羅針盤】へ 〜社会という荒波を進むための指針〜

 5 まるでジェットコースター。〜人間味を引っ張り出す対論〜

 6 「イメージ」を実りに変える魔法 ~【羅針盤】の人々〜
    
   ・「ザガットサーベイ長野版」の反響と誕生秘話   大井潤
   ・「八幡屋礒五郎」スパイスの利いた経営戦略    室賀豊
   ・「小布施町」古さを極めた最先端         市村次夫
   ・「かぶちゃん農園」土が教えてくれた使命     鏑木武弥
   ・「ヴィラデスト」おいしい生活はここから生まれる 玉村豊男
   ・「星野リゾート」が放つ日本再生の魔法      星野佳路    

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Photo : Midori Komamura

今、世の中ではいろいろな出来事が起こっています。様々な事件はまさしく社会の「病気」で、その病気を治すために、たとえば決まりや罰則のような「薬」だけで社会は癒されるでしょうか。本当の意味で、社会が元気になるにはどうしたらいい?そのために必要なものは何?

その「本質=真実/Truth」を見つけ出し、決まりや罰則のような「薬」の効果を最大限発揮するためには、「何がこの社会に本当に必要なものなのか」を考え、「どうしたらこの様々な事件や出来事を前進の力に結びつけるのか」と考え、もっというと「よりよい終末」のためにいかに「よりよい生」を全うするのか、を考え(イメージして)行くことなのではないでしょうか。

See the whole world anew each day. Ah, the truth is, you’re well on the way.
/ すべての世界をいつも新しい視点で見てごらん、そこには真実があり、あなたはそこに近づける。

「新しい視点で見直す」ための力。それが「イメージする力」であり、今の現実や今の社会に潜む目の前の「直面する問題」だけに囚われているところから抜け出すために必要なのが、その向こう側を見る力……つまり「イメージする力」なのです。

The Power To See Invisible Things.(目に見えないものを見る力)

それが「イメージする力」。
そして、それが、「現実と真実とを結びつける力」。

「プラスのイメージ」は人に与えられるのを待っているだけではつかめません。前節で述べたように、今の世の中では「マイナスのイメージ」の方がずっと氾濫しているから。

では、どうしたら「プラスのイメージ」を得て真実に近づくことが出来るのか。自分がよい方向に向かうイメージをつかめるのか。

それには、この「目に見えないものを見る力」を自らでつけることです。自らが真実を見つける力を身につける事ができれば、人から「プラスのイメージ」を与えられなくても自分で「イメージ」することができるようになります。そうすることで自分だけでなく、自分の周りにもそのイメージは広がり、それが拡がれば、さらにより強い「プラスのイメージ」を生み出せるものが増えていき、そうしてプラスのイメージ同士がつながって拡がっていったら……やがて、そのイメージこそが「真実」になるのです。

「見えないものを見る力」をつけることは、決して難しいことではありません。
ただ、毎日の生活で、いろいろな物事に向かい合った時、心に一つの言葉を唱え続ければいいのです。

「これでいいのだろうか?このままでもいいのだろうか?いや、もっとよい答えがあるはずだ。」

疑うのではなく、真実を探し続けるのです。何がそこにあるのかを探るのをやめないことです。
それは今すぐ、誰にでも……あなたにも出来ることです。
そうして求め続けていくことによって、やがて「真実」は自分からその姿を示すようになるのです。

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Photo : Midori Komamura

(PATCH ADAMS : 1998 Universal Studios.)

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PROFILE

駒村みどり
【スマイルコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

WebマガジンNgene特派員
(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

Twitter:komacafe 
HP:コマちゃんのティールーム
メルマガ:【うつのくれた贈り物】
facebook:Midori Komamura

詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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