そこにたどり着くまでに、今までこんな建物があるなんて気が付かなかった。
いや、実際、その建物は小布施の駅近くのちょっと奥まった場所にある。けれど、一度その外観を目にし、中に入ったら多分……「何だ、これ?」と虜になるに違いない。

実際、わたしがそうだった。
一見なんだかわからない建物。その外観よりもずっと広く感じる広々としたスペースにそびえる、目の前の大きな「木」……のような柱と、外の光を採り込む大きな窓。空間に静かに流れるBGM。それを聴きながら身を預けたくなるどっしりとしたソファーに、それから……近づいてすぐ手にとって見ることの出来る、たくさんの「本たち」。

そう、わたしが足を踏み入れたのは、「図書館」。なんだけど……。

なんだけど、その場所は「本も置いてある憩いのテラス」といった趣で、今までに知っていたような図書館特有の「張り詰めた空気」は、そこにはなかった。

小布施町の町立図書館「まちとしょテラソ」。

もうすぐ開館一周年を迎えるその建物とそこに集う人たちは、「今までの図書館」という概念とはまったくかけ離れていて、それにとても強く惹かれたわたしはもっとその奥をのぞいてみたくなった。

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「実はね」とはじまる内緒話。
それを聞く相手が驚いて「え~~~!!」と思わず声を上げると、周りから飛んでくる鋭い非難の目と「し~~~~っ!」という制御。

漫画やドラマで描かれるよくある「図書館」の光景。

図書館は、静かに。
図書館では、黙って勉強や読書。
図書館では、走ったり騒いだりはタブー。
図書館では、ものを飲んだり食べたりなどとんでもありません。

そうして今までのイメージを並べる“図書館”は、その「字面」からして堅苦しい。

わたしがはじめて出会った「図書館」は、小学校のもので。自分の背よりもずっと高い書棚に本がびっしり詰まって所狭しと並んでいて、その圧迫感は子供心に相当なものだった。

足を踏み入れるのにはちょっと勇気がいって、ドアを開ける前に深呼吸して息を止める。足音や、息をする音さえもひそめて、たくさんの壁のような書架から本を探り当てると手続きをして抜け出して、やっと息をつく。

だから、図書館に友だちと行って“楽しく過ごす”……というイメージは、残念ながらわたしにはない。

「いや、実はね、図書館法をちゃんと読むと、そのイメージとはちょっと違うんですね、本来の“図書館”がめざした物は。」

開口一番、「図書館」についてこう語りはじめたのはこの「まちとしょテラソ」の館長の花井裕一郎氏だ。

花井氏も正直、「図書館の館長」というイメージとはまったくかけ離れている。それもそのはず、普通「公共の施設」である図書館の館長といったら「公務員畑」の人がおさまることが多いのだが、この花井氏の肩書きは?と聞くと「館長ですけど、他に演出家でもあり、映像作家でもあり……。」という答え。
数年前までは東京に住み、テレビを中心とした映像の世界に生きていた方だ。

そんな花井氏の話に、さらに耳をかたむける。

「図書館法の最初に図書館の定義が書いてあるんですけどね、そこには図書館って本や資料を保有してそれを提供するだけではなく、文化的な活動やリクリエーションに資することをその目的としているんです。」
「つまり、図書館って、単に本を読む場所、勉強する場所、じゃないんですよ、積極的な文化発信や人と人との交流にも役に立てるべき場所なんですよね。」

それは、ものすごく意外な言葉だった。前述したように「本を提供し、本を読んだり勉強したりする場所」=図書館、だとわたしはずっと思っていた。

実際、図書館法をわたしも調べてみた。こう書いてあった。

(定義)
第2条 この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保有して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする施設で、地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室を除く。)をいう。

「レクリエーション」という言葉はやはり意外だった。学校で行事の時に「レク係」なんて作ったけど、わたしはよくこれになった。みんなでうたう歌を考えたり、ゲームを考えたり、いろんな人が仲良く楽しめるように工夫をこらすのが腕の見せ所。「お楽しみ係」なんて名前のつくこともあったっけ。

笑顔、笑い声、にぎやかさ。そんなものと密接な関わりのある「レクリエーション」という言葉は、正直今までの「図書館」のイメージとはかなりかけ離れやものだ。
それが、戦後間もない昭和25年に制定されたこの図書館法で明記されていたのだ。

「どういうわけか、いつの間にか図書館って本を読んで静かに勉強する場所、というイメージが定着しちゃった。でも、本来 “図書館”のめざす姿って、本や資料、むろんそれはCDや映像、といったものまで含めたあらゆるものを提供しつつ、それだけでなく「文化的な発信」やそれに基づいたコミュニケーションの場……それが最初からある図書館の姿なんですよ。」


「だから、このまちとしょテラソは、今までの図書館では“ダメ”とされてきたこともかなりの事が許されるんです。」

走っちゃダメ、食べ物を持ち込んじゃダメ……さらには、本を読む姿勢まで正さねばという雰囲気の漂う禁止事項の数々が頭をよぎるのが図書館だった。

「多少走るくらいだったら何も言いません。さすがに追いかけっことかはじまると止めますけどね。
それに、ここはペットボトル(ふた付きの飲みもの)も持ち込みOKです。食べ物も許可されるスペース(カフェコーナー席)がちゃんとあります。だってね、本、家に持って帰ったらそっちの方がよっぽど食べ物とか飲みものとかにさらされる危険な状態でしょ?そのくらいだったら図書館でちゃんとマナー守ってもらえばよっぽど本は安全だし。」

花井氏の話を聞きながら、ぐるっと図書館を見渡す。
そこには、様々な本を楽しむ姿が見られる。


おっきなクッションに身を預けて本に熱中する少年、清潔なカーペットで靴を脱いでその場に座り込んで楽しむ姿………。

「静かにしなさい」などといわれなくてもそこには自然な静寂が存在している。息をひそめた張り詰めた静寂ではなく、ごく自然な日常のやわらかい空気の中で誰一人他人の存在を気にすることなく自分の世界に没頭することで生まれる心地よい沈黙。~集中~の世界があちこちで生まれていた。

けれども。
館長からこうして直接話を聞いただけでも驚きの連続のこの図書館。
外観からはじまって、図書館の方針やイメージは、「今までの概念」とはかなりかけ離れている。正直「斬新」とも言うべきこの姿が生まれる前の段階では、イメージしにくい図書館のあり方だ。いくら許容範囲の広い「小布施」とはいえ……。

「そうですね、実際、開館するまでもしてからも、かなりいろいろありましたよね。」

この図書館の構想は、まず「建てる」か「建てない」か、というところからすでに激しい意見が交わされたそうだ。

文化の薫り高い小布施町。
このまちとしょテラソが開館する前は、町役場のエレベーターもない3階に小さな図書館があるのみだった。

「図書館構想」のきっかけは、行政からだった。現町長の公約であった“図書館”についてのあり方検討会が開かれ、さらに「図書館協議会」が町に作られた。そこで町の図書館について意見募集が行われ、町民として花井氏も意見を出した。それをきっかけに図書館委員会に参加。その後、図書館建設運営委員会が設立され、町民主体、協働の図書館建設が始まった。

そうしてすすめていく中、ようやく固まってきた図書館構想の上で「館長」と「建築家」を“公募”することになった。

普通は、こういう公共の施設はまず「箱」が作られ、そこに入れる「中身」が決まる。
けれど、小布施はまず「中身」から入った。それも「公募制」。そして、全国から集まった候補者の中から館長が花井さんに決まり、建築家は古谷誠章氏(アンパンマンミュージアム、茅野市民館など)のものに決まった。

最初から、みんなで一緒に創り上げてきた。
それがこの小布施のまちとしょテラソなのだ。

そうしてみんなで創りあげてくる過程でもたくさんぶつかり合いがあった。開館してからもわだかまりが残った部分もあった。

「今まで自分は、演出とか映像作家、という立場で100%自分の意図をかなえる人たちに囲まれて20年間やってきていたんですよね。けれど、ここはそうではない。ぶつかることから出発。」

最初は、そういう慣れない状況で違う意見を“排除”出来たら楽だ、という思いも正直あったそうだが、その思いは次第に花井氏の中でこう変わってきた。

「違う意見を出してくれる、そういう“あなた”がいたから実現した」

それは感謝の気持ち。
ぶつかり合い、意見を交わすことはものすごい抵抗を伴うが、そういう抵抗があるからこそ「成長」がある。新しい発見、新しいアイディア、そのバランスがとれたときに生まれてくるものはより「成長」した姿。

そういう中で花井氏を中心としたこの「まちとしょテラソ」創立への道筋によって築かれてきたものは、まちとしょテラソの建物や雰囲気だけではない……人と人との信頼関係やつながり……見えないたくさんの物がそこには積み重ねられてきたのだろう。

このまちとしょテラソは、構想段階からすでに“交流センター”というカッコ付きの概念があったように、交流、コミュニケーションも大きな目的として持っている。“交流と創造を楽しむ、文化の拠点”という理念からそれを強く物語っている。

花井氏がめざすのは、「行動する図書館」。“図書館は外に出よう”を合い言葉にどんどん外に出て町や人の話を聞いたり、デジタルアーカイブなど活用して外の風を運び込むことを柱にして勉強会を開いたり。

イベントも目白押しだ。開館イベントで登場した落合恵子氏はじめ、谷川俊太郎氏の講演や、松本の小学生が子供だけで創り上げた映画の上映会など魅力的な企画が次々に繰り広げられ、目が離せない。

そうした目的を持ったこの建物の中には、“連想検索”が出来るシステムを導入、学校一クラス分の生徒がすっぽり収まる多目的室、視聴覚コーナー、カフェコーナーや授乳室、オストメイト対応のトイレなど利用者の多様な目的や文化発信、コミュニケーションを想定したあらゆる活動に対応できる設備が充実している。

小布施の子供たちは、このまちとしょテラソのイメージキャラクターの「テラソくん」(生みの親は小布施アート展でご紹介した中村仁氏)をみんな知っているし、毎日ぶらりとここに立ち寄ったり待ち合わせ場所にしたりという町民も多い。

そこにあるのは、単なる冷たいコンクリートの「箱」ではない。人の血の通ったぬくもりのある居心地のいい“空間”なのだ。

正直、そのすべてをここで紹介するのは不可能なので、是非まちとしょテラソのHPをのぞいてみて欲しいと思う。

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(注:こちらは、掲載当時2010年時点の情報です。)
来月7月で、開館一周年を迎えるまちとしょテラソ。

いま、館長はじめ館に関わる人々はその記念イベントの開催準備にみんなで向かっている。それが7月19日に行われる「デジタルアーカイブシンポジウム」。(詳細情報

「デジタルアーカイブで遊ぶ、学ぶ、つながる」
~100年前の小布施人が伝えたもの 100年後の小布施人へ伝えるもの~

小布施にあるこの「進化した図書館の姿」は、しかし遙か昔の図書館の構想の基礎の上に立ち、いや、それよりもっとさかのぼった小布施の偉人、高井鴻山の足跡を受け継ぎつつ、そしてこの先を見据えて100年後、200年後にも残すべきものをいま次々に生み出して発信しはじめている。

「ここの真似をして欲しい、というつもりはないんです。でも、ここのあり方を通じて、『コミュニティーとはどうあるべきか』ってみんなに考えて欲しいんですよね。」

小布施の街を歩くと感じる古きものの息づかい。それを生かしつつ今の時代に人々を惹きつける力。その力はまた、この場所でもしっかりと生きて、生かされているのだ。

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さて。
このまちとしょテラソの館長である花井氏だが、東京からこの小布施にたどり着いて館長になるまでの足跡は、この「まちとしょテラソ」のイメージにとっても、ものすごく大きな影響を持っているように思う。

本来はこの記事の中で記述しようと思ったのだが、記述しきれないほどのものがあり、それをこの次の記事で改めて、取り上げようと思う。(つづく)

寄り道、みちくさ、まわり道 ~たどり着いた“小布施の花井”~

写真・文 駒村みどり

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