小布施の町立図書館、まちとしょテラソ。
今までの「図書館」のイメージとはまったく離れた、しかし図書館の原点を基盤にしっかりふまえたそのスペースは、小布施の町の人々やその気風から生まれたものだ。

しかし、この「まちとしょテラソ」という形をイメージしてそれを提示し、そのイメージを「形」にするために、まとめ上げてリードしていく存在がないと無理なことだ。

今回、このまちとしょテラソを知りたい、知って欲しいと思って取材で館長の花井裕一郎氏と話をしているうちに、強く思ったこと。

「この人がいたからここまで来て、この人だからこそあるこの空間なんだ。」

多分、まちとしょテラソは小布施だからこそ生まれた場所だ。小布施の人々がいたからこそ実現した場所だ。そして、そこにこの人のイメージや思いがなかったら、多分形にならなかった場所だ。

今回、まちとしょテラソを取り上げるにあたって、この人について語ることも欠かせないのだろうと思う。
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花井裕一郎氏。
小布施町、まちとしょテラソ館長。演出家、映像作家。 OBUSERYTHM
福岡県 旧宮田町に生まれる。 1989年、ディレクターとしてフジテレビの番組を担当。その後、NHK、TBS、NTV、CSなどの番組を担当。2001年長野県小布施町に魅せられ移住。2008 年小布施町立図書館 館長に就任 2009 年まちとしょテラソ(小布施町立図書館)初代館長 小布施にて創作活動を続けている。

「はじめて小布施を訪れたとき、ものすごい大雪の日でしたねぇ。今でも覚えてます。」

1999年のことだった。
花井氏は、そのころフジテレビの「スーパーニュース」の土日の企画を担当していた。

それまでずっと、映像の世界で世界中を股にかけて飛びまわり、いろいろな国、いろいろな場所、いろいろな人と出会ってきた。その花井氏と小布施との出会いは、番組で担当しているミニドキュメンタリーで小布施のレストランを取り上げることになったことから。

そこで取り上げたレストランが「蔵部」。出会ったのが「白金」というお酒とその頃はまだ無名だったセーラ・マリ・カミングス氏。さらにそこから小布施堂の市村社長へとつながっていく。そこで小布施に魅せられた花井氏は、程なく月一回の小布施通いをはじめる。

当時、テレビの世界でも様々な番組を担当し、多忙な毎日だった花井氏の心の奥にあったひとつの想い。

「自分の生きるフィールドは、ここではない。」

若い頃に映像の世界に関わりたくて上京し、ずっとその世界で生きてきたけれど、テレビの世界には自分のめざす物はない。自分の「表現場所」はここではない。

そんな想いの中、東京での多忙な毎日を過ごすうちに、突発性難聴を起こしたり、事故に巻き込まれたりした花井氏が小布施に感じたもの。その「直感」にひかれて小布施通いをするうちに、次第に小布施に位置付きはじめた自分を実感しはじめる。

「通っているうちに、いろいろな人と出会い、そして小布施というこの土地で“議論を交わせる”人がどんどん増えていったんです。」

そうしてついに、小布施に住むことを決意。東京から小布施に移住して9年目を迎える。

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「思えば、ずいぶん遠くに来たもんです。」

というので、「お生まれはどちらなのですか?」と聞くと返ってきた答えは「福岡」。
………確かに、遠い。そして九州男児……なるほど、妙に納得する。生まれは九州福岡。「青春の門」の舞台となった炭坑で有名な筑豊地方。

「実はねぇ。僕はいろいろあって中学浪人しているんですよ。」

別に、高校に入れなかったわけではない。受ける学校によって差別されるようなそんな風潮に違和感を覚えて自分から「行かない」道を選んだ。「高校に流れのままに行くのは嫌だ」という思いを理解してくれた叔母の言葉……

「浪人は、大学だけじゃないんだよ、行かないという選択肢もあるんだよ。」

その声に後押しされて予備校に入学。一年間そこで学んで入った高校で「出会い」があった。仲間とバンドを結成、音楽の世界を仲間と楽しんでいるうちに当時はやりだした「音楽ビデオ」の作成に興味を持つ。それがきっかけで次第に「映像」の世界へと想いが向かっていった。

「映像の仕事をしたい」。そう思って大学は東京をめざした。とにかく、東京に出たかった。だから、東京の大学に合格して上京したあと、今度はテレビ局通いをはじめた。

その頃はテレビ局で、学生のバイト採用があったのでそれを狙った。何度も何度も空きが出るまで粘った。そして、ついにフジテレビに採用され、そのまま「3時のあなた」という番組のADに。テレビの世界での経験を積みはじめる。

やがて「学生」という肩書きが外れることになってバイトではなく「仕事」を得る必要が出、テレビ局の人に紹介されてあるプロダクションに入る。けれど、そこで任されたのは「バラエティー」。……”過剰な演出”の世界。
やりたかったのはドキュメンタリー、人間ドラマ。めざす世界とは違う。強い違和感を覚えた花井氏は、思い切ってプロダクションを辞める。

その会社からはもちろん、紹介してくれた人からも激しい非難を受ける。テレビや映像の世界には、もう戻れない……。

しばらくその世界から離れ、仕事を辞めて生活に困って花井氏が就いた仕事が「靴の販売店員」。店員募集のチラシにつられて飛び込んだその店で、花井氏は接客の毎日。まったく畑の違う仕事だったが、この“インターバル”が花井氏に与えてくれたものは大きかった。

「人間観察が出来るんですよ。いろんな人が毎日店に来る。相手の表情を見ながら、どんなものが欲しいのか、どんな言葉や表現をしたら相手が気持ちよく品物を買うのか。そういう“人を見る”スキルを身につけるのにあの頃の経験が本当に役に立ちましたね。」

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相手が望む要素、どんな要素を入れたら人が受け入れたり理解したりしてくれるのか。
「表現」を自分からするだけではない、受け止める相手の姿を見ることは実はとても大切だと思う。

どんなにいいと思う物事でも、ただ自分の想いのみを発信するだけでは、受け止める側へ想いのないそれはただの「垂れ流し」になってしまう。それは映像、音楽、情報、教育、販売、すべて「受け止め手」がある世界には共通のこと。

けれど、今の社会ではそのあたりがおろそかになっているように思う。中央からテレビを通して氾濫してくる情報。それは花井氏が過剰な演出の世界に違和感を感じたように、単に受けるため、視聴率や販売数を上げるためだけの垂れ流しに陥りがち。

発信側は、発信する責任がある。受け止め側も当然、それを取捨選択する必要がある。けれど今、そのバランスが崩れている。だからこそ発信側のこういう想いはとても必要なのだと思う。

花井氏のこういう経験が元になった表現のひとつの形である「まちとしょテラソ」がなぜ心地よいのか。そのあたりのヒントが、ここにあるように思う。

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靴(リーガルシューズ)の販売員をしながら販売スキルと共に対人スキルもアップした花井氏は、再び映像の世界への足がかりを持つ。

先生について、シナリオの勉強をはじめたのだ。シナリオの勉強は楽しく、そこでスキルアップした花井氏は以前プロダクションを辞めたときに出来てしまったわだかまりなどからあきらめていたテレビ局への関わりを、再び取り戻していった。

そして、自らのめざす「文化」「人のあり方」「音楽」「食」などに焦点を当てた番組作りなどに携わり……「小布施」に出会う。

月1回の小布施通いから、やがて小布施移住を決意した花井氏は、2001年から小布施の住民になる。まだ家族で一緒に動くのは難しかったので、一年間は自らが先に小布施に暮らし、「東京通い」をしつつ、単発での映像の仕事を請け負う。正直、東京の時よりは収入は減った。けれども、それよりもっと大きなものを花井氏は得た。

「東京にいた頃はね、○◯テレビのディレクター、という肩書きで呼ばれた。けれど、小布施に来たらね、『小布施の花井さん』っていうのが僕の肩書きになった。」

そうして「小布施」という町に積極的に関わり、町作りの話し合いや意見募集にはどんどんアイディアをぶつけ、そして今、「まちとしょテラソ」というひとつの「表現の場」に到達した花井氏。

彼の経歴は決して「図書館」に近づくものではなかった。けれど、映像の世界、テレビの世界、番組作り、演出や脚本、そして販売員として培った人を見る目……さらにさかのぼって「ただ流れにまかせて高校に行けばよい」という流れに乗らなかった自分。

そういう数々の「寄り道」「回り道」「みちくさ」とでも言える多くの要素やスキルが、今このまちとしょテラソの中のあちこちに、ちゃんと生かされているのだ。

「今まで僕は、いろんなドアを開けてきた。いろんな鍵を手に入れて。そして、ここでまたひとつ、大切な鍵を見つけたんです。」

人間、持っている引き出しはたくさんの方がいい。生きているその時その時で、今を含めてこの先、どの引き出しがいつ必要になるかなどとは誰にもわからない。だから、たくさんの引き出しにいろいろなものを詰め込んで持っていて、必要なときには必要な物をぱっと取り出せたらそれは素敵だ。

「対象は、乳幼児から高齢者の方まで」というまちとしょテラソがいろいろな年齢層の人に受け入れられ、町中の人ばかりでなく今、各地の人からも注目されはじめているのは、様々な要求や用途をちゃんと取り入れ、受け止め、答えるために花井氏が今までにあけてきたたくさんのドアや得たたくさんの鍵が大きな役割を果たしていることは確かな事実。

白か黒か、◯か×か、の世界ではなく、グレーゾーンを許容し、とにかくやってみて結果を見てまた進む、という小布施の空気がそれをあたたかく包み込み、だからこそまちとしょテラソは今、どんどんその魅力に磨きをかけて様々な人を惹きつけているのだろう。

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「なんだかよくわからなくてぶらっと立ち寄るわたしのような人間でも、すんなりと受け入れてもらえるこの雰囲気が嬉しい。これってきっと、館長さんのお人柄なんだろうなぁ。」

まちとしょテラソの一室は、その日小学生から中学生で満員だった。その会場に偶然居合わせた一年生の娘を連れた小布施在住の友人が、こうつぶやいた。

子供たちの目的は、小学生が子供だけで作った映画を観ること。花井氏から上映会のことを聞いて時間ぎりぎりに会場に飛び込んだわたしは、想像以上に子供たちであふれかえっているその様子に驚いた。1時間ちょっとの上映時間、満員の子供たちの目はずっと映画にそそがれ、ワクワク感がまわりでどんどん高まっていくのを感じていた。

けれど、その空気を誰よりも感じて一番目をきらきらさせていたのは、花井氏だった。

「こんなにたくさんの、それも子供たちが来てくれるとは思わなかった!」

そう語る花井氏の顔には、満面の笑顔。

この空気を作り出したのはこういうイベントを心から楽しんでいる花井氏と、それから会場の設営や受付を心込めて一生懸命にやった館員の皆さん。だからこそ、子供たちはその想いを素直に受け止めてイベントを楽しみ、子供たちにひかれて来る親たちにもその様子が伝わり、先に述べたような友人のひとことにつながっていくのだろう。

みちくさもあり、寄り道もあり、大きな回り道もあった。
けれども、そういういろいろな道程を経てたどり着いた小布施の地で、いろんな道程から学び、感じ、受け止めたことをもとに今、発信をはじめている花井氏。

小布施を、まちとしょテラソを、自分の行き着いた表現の場として心を注ぐ。花井氏のその想いは今、確かに人々に染みこんで伝わりはじめている。

「ここからは、人を育てたい。」

今、花井氏がめざしていることのひとつ。

自分がリードしながらすすめてきたイメージは、ここでひとつの形になりつつある。その想いは館員や周りの人々に伝わりつつある。だけど、この先それは自分だけではできない。ちゃんと人を育て、共にすすむ人、“その先”を任せられる力を育てないと。常に「協働」「共働」を頭に置く花井氏の想いがそこにある。

「この先」を強く見据える「小布施の花井」氏の目には、そういう人たちと共に紡ぎ出すはずの、さらに広がり輝く未来のイメージが次々と生まれてきているのだ。

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(注:以下の情報は、2010年記事掲載の当時の情報です)
まちとしょテラソ今後のイベント予定(http://machitoshoterrasow.com/

著者×まちとしょテラソ#5   鈴木中人さん講演会
■講 師 いのちをバトンタッチする会代表 鈴木中人氏
■テーマ 「いのちのバトンタッチ」
■日 時 7月1日(木) 18:00~19:00

第3回 紙芝居を楽しもう!
■7月10日(土) 10:30~12:00

お父さんによる読み聞かせ会
■次回 7月11日(日)

まちとしょテラソ開館一周年記念シンポジウム
「デジタルアーカイブで遊ぶ、学ぶ、つながる」
~100年前の小布施人が伝えたもの 100年後の小布施人へ伝えるもの~
■日 時 7月19日(海の日) 15:00~18:30

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「原点に立ってめざす「先進」の姿~小布施、まちとしょテラソ~」

写真・文 駒村みどり

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