僕達の願い 第45話


ガシャンと何かが壊れる音が聞こえた。
実際に何かが壊れたわけではない。
耳障りなその音は、現実のものではなかった。
この音が聞こえたのは自分だけ。
その音と同時に世界は色を無くし、この身を包む空気が凍えていく。
今まで、壊れ、砕けたこの心を繋ぎ止めていたものが失われた。
だから、また元に戻ったのだろう。
心が凍てついていくのが解った。

「・・・なるほど、仮面の中はそうなっていたのか。久しぶりというべきかな、ゼロ」

コーネリアは、今まで浮かべていた穏やかな表情を消した。
クロヴィスはヒッと短く悲鳴を上げ、思わず体を少し離し、ユーフェミアはその瞳を大きく見開き、顔をこわばらせた。恐怖を抱き怯えた表情。
彼らのそんな姿を見ても、もう心を動かされることはなかった。

「やはり考えが甘いのだよ、ルルーシュは。一度完全に壊れてしまった人間が、そう簡単に治るはずがない」

先ほどの明るさなど微塵もない。
穏やかさも、幼さも・・・人間らしさも消えてしまった。
暗く淀んだ死者の瞳、感情が一切見られない、生気のない能面のような表情。
その身に纏う空気は凍えるほど冷たく、まるで幽鬼だなとコーネリアはじっとスザクだったはずの人物を見つめた。
懐かしい姿だ。
あの時代では、仮面の男がこの空気を纏っていた。
壊れた英雄を見続け、陰ながら守っていた女性は、悲しみを宿した瞳で見つめた。
クロヴィスとユーフェミアは、壊れた話は聞いていても見たことはない。
皆の話が大げさだと思っていただろう。
心を壊し、生きながらに死んだ男。
死を望みながら、死ぬことが許されない男。
ここまでとは想像さえしていなかっただろう。

「何が言いたい、コーネリア・リ・ブリタニア」

感情のない、冷たい声だった。
言葉遣いも既にスザクのものではない。
その声で、限界を感じたのかユーフェミアは怯えた表情でスザクから一歩離れ離れ、クロヴィスもまた無意識に立ち上がっていた。
スザクの姿をした別人。
明るく笑うスザクしか知らないのだから、このスザクは空恐ろしいだろう。
だが、これがあの時代でゼロの名を与えられた、真名を無くした男の姿だ。

「お前の話だよ、ゼロ。再会した時には驚いたよ、お前があまりにも普通だったから」

最初は、何も覚えていないと思ったよ。
あの時代のことを、何も。

「・・・何の話だ」
「ギルも驚いていた。話は聞いたよ、ジェレミアとナナリーからな。お前がお前に戻ったのは、ルルーシュを目にした時だそうだな。もしかしたら、お前の真名は今もルルーシュと共にあるのかもしれない。だから、こうしてルルーシュが消えてしまうと、お前は名を失った英雄ゼロに戻ってしまう。お前がお前として。枢木スザクとして生きるには、やはりルルーシュが必要なのだろうな」
「ルルーシュは何処にいる」

これ以上の話に意味は無いと、スザクは望みを口にした。
一切の欲を無くし、個を無くし、名を無くした英雄。
だが、英雄はただ一つだけ欲しているものがあった。

「ルルーシュはC.C.と共に生きる道を選んだ」

コーネリアは、じっとスザクを見据えたまま答えた。
その答えに、ほんの僅かに眉が動いたように見えた。

「V.V.を永遠に封印など不可能な話だ。万が一封印が解かれれば、世界は終わってしまうかもしれない。だから、ルルーシュは不老不死の呪いを継承し、V.V.を唯の人間に戻した」
「コードを受け継いだか。それで、今何処に?」

その話は確かに大切だが、今はルルーシュだ。

「二人で人の手の及ばぬ場所へ行くそうだ。ガウェインは貰っていくと言っていたから、今頃格納庫だろう」

その言葉を聞き終わる前に駆け出していた。




「はぁ~い、スザク。やっと来たのね」

スザクが格納庫に到着すると、そこには見知った科学者が作業中の手を止め、こちらを見ていた。

「ラクシャータ、ルルーシュは」
「今追跡中よ。やっぱりあの子がいないと、そうなるわよね」

スザクがゼロであった頃の状態に戻るのは予想通りだと、ラクシャータは口にした。
この結果を予想出来ていないのは、おそらくルルーシュただ一人だろう。
自信を過小評価しすぎる黒の王は、自分がいなくても誰も悲しまず、苦しまず、困らないと思っているのだ。いや、寧ろ自分が居なくなる事で皆幸せになると考えている。
自分は世界のノイズで、自分の存在は周囲の者を不幸にする。
だから白の騎士も、赤の騎士も、青の騎士も置いて、緑の女王だけ連れ姿を消した。

「ランスロットは?」
「準備はできているけど、少し待ちなさい。闇雲に追ってもエナジーが尽きるだけよ」

そういうと、ラクシャータは作業を再開させた。
ガウェインにもラクシャータ特製のステルス機能が備わっている。
普通に探しても見つからない。
発見できるとしたら、唯一人。
それを生み出したラクシャータだけ。

「そういう事。あんたも飲む?」

後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには目元を赤く腫らしたカレン。
声も枯れているから、おそらく泣いていたのだろう。
手にはミネラルウオーターのペットボトルが握られていて、そのうち一つをスザクに差し出してきた。喉は乾いていないが、受け取ることにする。

「こんな形でサヨナラなんて許さないんだから。何が、カレンは黒の騎士団の親衛隊であって俺の親衛隊じゃない、よ。今も昔も私はゼロの親衛隊。ゼロは、ルルーシュなのよ!絶対に見つけ出してやるんだから!」

不老不死だからなによ!
ペットボトルを乱暴に開けると、カレンは一気に水を飲み干した。
なるほど、主に捨てられたのはスザクとジェレミアだけではなく、カレンもなのか。
彼女の態度が演技ではないと解り、スザクはペットボトルの口を開け、水を飲んだ。 予想以上にのどが渇いていたらしく、半分ほど飲んだところで、格納前に車が止まった。
降りてきたのはユーフェミア、コーネリア、クロヴィス。
スザクは走ってきたが、流石にこれだけ距離があるから、皇族三人は車で来たようだ。

「スザク、ルルーシュを探すつもりですか?」

ユーフェミアは、不安げに眉根を寄せていた。
その反応で、彼女はルルーシュが消えることを知っていたのだと気づいた。
そうでなければ車椅子を残し姿を消したルルーシュを心配するはずだから。
彼女は慈愛の姫なのだから。

「そのつもりです」
「ですがスザク、貴方は私の」
「スザク、カレン、見つけたわよ。日本に向かっているわ、式根島かしら?」

ユーフェミアの言葉を遮るように、ラクシャータは報告した。

「・・・神根島の遺跡に向かったのか。すぐに出る」

その瞳にユーフェミアを映すこと無く、スザクはランスロットに向かった。

「スザク!」

ユーフェミアは、大きな声で名前を呼んだ。
その声もまた届かない。
スザクを追おうとしたユーフェミアを、カレンは止めた。

「ユーフェミア。ルルーシュにスザクを返してあげて。スザクには、ルルーシュが必要なのよ。主としてのルルーシュがね」

側にいて、ルルーシュが生きていることを感じながら、騎士として共にいる。
愛する主君を守り生きる事。
それが唯一、スザクの心を正常にするための処方薬。
代わりの薬は存在しない。
ユーフェミアでは力不足なのだ。
慈愛の姫と、悪逆皇帝よ呼ばれた賢帝。
口だけで能力が伴わないお飾りと、宣言通り世界を救った賢帝。
騎士が仕えたいと願う主君が何方かなんて、聞くだけ無駄だ。
何よりスザクはずっと、自分の主はルルーシュだと認識していた。
ユーフェミアの生死は関係なく、ただ一人、ルルーシュを。

「で、ですが!スザクは私の騎士です」

ランスロットに乗り込もうとしているスザクを止めなければと、ユーフェミアはカレンが掴んでいる腕を振りほどこうと、乱暴に腕を振り回した。
これだけ壊れたスザクを見ても、自分の騎士だと言い切るのはある意味すごいが、壊れたままでもいいのだと言っているようにも聞こえ、少し気分が悪くなった。
私がルルーシュを守る。それは譲れない。
だけど、スザクが壊れたままなど嫌だ。
あんなスザクはもう二度と見たくはなかった。
私でさえそう思うのに。
目を眇め、思わず声が低くなった声で、私はユーフェミアに言った。

「勘違いしないで。貴方に諦めて欲しいのは主従関係よ。スザクはルルーシュの騎士。それは認めて。ルルーシュの側にいることを邪魔しないで。替わりに貴方がスザクと夫婦になることは、邪魔しないから」

その言葉に、振り回していた腕をピタリと止め、ユーフェミアはカレンを見た。

「ふ、夫婦・・・」

ユーフェミアの顔が徐々に赤く染まる。

「スザクが好きなんでしょ?主としてではなく女として。だから騎士のスザクはルルーシュにあげて?夫としてのスザクはあなたにあげるから」

ね?と、カレンはにっこり微笑むと、ユーフェミアは、真っ赤な顔で俯いて、「わ、分かりました」と呟いた。
予想以上にあっさり承諾したため、カレンは若干呆れて嘆息した。
スザクを追いかける様子はもう無い。
カレンは急ぎ紅蓮のもとに走った。
ルルーシュの騎士という立場は、壊れたスザクを正常にするために必要だから仕方が無い。
そこは譲る。
だけど、それ以上は譲るつもり無いのよね。
騎士は一人だけって決まりも、もう必要ないのだし。
カレンはすでに飛び去ったランスロットに続くように、紅蓮と共に空へ羽ばたいた。




「さて、今のうちに我々も動こう。ラクシャータ、手を貸してくれるな?」

コーネリアは、作業を終えたラクシャータに近づき、そう耳打ちした。

「ええ。それはもう、いくらでも手伝うけど、本気なのね?」
「本気に決まっているだろう?私の願う未来は変わらないよ」

嘗てブリタニアの魔女と呼ばれたとは思えないほど、優しい笑みを浮かべコーネリアは頷いた。

「なら、私もその未来に乗ろうかしら?じゃあ、ジェレミアとロイド、セシルたちにも協力を頼みましょうか」

ルルーシュに捨てられたのは騎士だけではない。
私達科学者もだ。
ジェレミアも、セシルも、あのロイドでさえ今落ち込んで部屋にこもっている。

コーネリアの願い。
それはきっと、彼らを活気づけるだろう。
今は部屋で泣き続けているナナリーもきっと協力してくれる。
少しでも早い未来にそれが実現するようにしないとね。
そのためには騎士たちに頑張ってもらわなければ。
ラクシャータはキセルを咥え、その口元に笑みを浮かべた。

44話
46話