オオカミの呼ぶ声2

第 1 話


しんしんと、音もたてず雪が空から舞い降りてくる。
冷たい氷の結晶は野山を覆い、人里を覆い、辺り一面死の世界へと塗り替えていく。野生に生きる者たちにとってこの季節は、とても辛く苦しいものだと知っているが、それでもしんと静まり返った白き死神が支配する無慈悲なこの世界は嫌いではなかった。
年中せわしなく動く人間でさえ、自然の前には大人しくなる。
そんな様子を見るのも楽しかった。
何よりも、この辛く苦しい時期を超えれば、また命に溢れた春が訪れる事を知っているから。冬の間眠っていた命が目を覚まし、草木が芽吹き、冬の間あれほど静かだったのが嘘のようなにぎやかさを取り戻す。その瞬間が好きだった。
獣にも人にも混ざる事が出来なくなって数百年。

神社の鳥居に腰掛けて、白い世界をいつも見つめていた。
あの頃は、今のように冬を嫌っていなかった。

長い間人里を見降ろして過ごしていたあの頃は。
今も見降ろしいるが、あの頃と高さが違う。

眼下に広がるのは、広く開けた人里の全景ではなく、建物に囲まれたこじんまりとした土地だ。その小さな土地で、人の子たちが駆け回っている。しんしんと降り続く雪にも負けず、短い時間でもいいからと駆け回る。それが人間の子供だ。雪の無い時期なら自分もあの中に混ざることもあるが、雪が降り積もった今はそんな気持ちすら起きない。つまらないなと思いながら、人が作った建物の中で暖を取り、降り続ける雪を、走り回る人の子を、ガラス越しに眺めていた。

***

教室に戻ると、机に突っ伏し、雪がちらちらと振り続ける窓の外を眺めている少年の姿が目に入り、ああ、またか。最近多いわねと私は息を吐く。雪が降る日は特にこうなる確率が高い。やはりあの日の事を未だに引きずっているのだろう。
実際に事が起きたのは9月だが、それを知ったのが冬だからか、この小さな神様は冬になると元気がなくなるのだ。
いつもはピンと立った獣の耳も、元気なく伏せられている。
力なく窓の外を眺める姿は、見ている私も悲しくなる。

この、中学校に似つかわしくない小さな子供は、この地の土地神スザク。
小さな男の子の姿をしているが、彼は人ではない。
私が10歳の頃は、彼とほぼ変わらない背丈だったが、私は大きく成長し、彼はあの頃のまま小さい姿でそこにいた。私達より遙かに長い時を生き、遙かに強い力を持つ心優しい神様は、寂しいのだと無言で訴えてくる。彼に会いたいのだと言っている。
大人の都合で捨てられた人間の子供と、この神様は親友となった。だが、その少年は大人の都合でこの地から引きはがされ、今は遠い異国の地にいる。
その少年を、恋しがっているのだ。
クラスメイトはその事をよく知る面々で、だからこそ、こうなったスザクに声をかけることもできず、教室に戻った私に、どうにかしてと視線を向けてきた。
はいはい、わかってますよ。
私も、こいつのこんな姿、いつまでも見たくないもの。
手に持っていたノートを丸め、私は躊躇うことなくその頭めがけ腕を振り下ろした。

「ていっ」

ぺこんっ!
小さな衝撃と共に、間抜けな音がなった。
軽い音でわかるように、痛みはほぼないはず。
衝撃で、呆けていたスザクの獣の耳がピクリと反応する。
だがそれだけで、未だ窓の外を見つめていた。
寝ているのか?と思ったが、その深い緑の目がガラスに反射してみえた。
起きているなら、遠慮はいらない。

「ていっていっ」

ぺこん、ぽこん。
間の抜けた音が頭上で鳴っても、不貞腐れている犬神は耳以外反応を示さない。
あーもーめんどくさい。いくら寂しがっても居ない者は居ないのだ。取り返しに行くつもりではあるが、それはまだ先の話。その間こんな姿を見続けるなんて冗談じゃない。毎年のこととはいえ、この姿はイラッとする。
さっさといつもの元気なスザクに戻れ!

「ちょっとぐらい、反応しなさいよ!」

私を無視するな!

「ったっ!痛っ!痛い痛い!」

叩くのはやめて、ぎゅうっと耳を引っ張ると、流石に無視しきれず悲鳴を上げた。加減をして引っ張っているからそこまで痛くないはずだが、急に引っ張ったからびっくりしたのかもしれない。

「そりゃ痛いでしょうよ。耳引っ張ってるんだから」

くいくいと耳を引っ張ると、今までとは打って変わり面白いほど反応を返してきた。
よし、後ちょっとだ。

「離せカレン!痛いって言ってるだろ!」
「ちょっ、泣かなくてもいいじゃない。・・・ごめんそんなに痛かった?」

両目に涙を溜めて顔を上げたので、やり過ぎたかしら?とちょっとだけ反省した。ちょっとだけ。今後やらないとは言わない。このぐらいじゃないと、いじけて落ち込んだこいつを浮上させられないから仕方ない。
私は、その位スザクを粗雑に扱うぐらいがいい。
神様を大切に大切に、真綿にくるむように扱って、崇め奉るのは私以外がやればいい。スザクはそれ、凄く嫌がるんだけどね。
でもやっぱり痛いのはかわいそうだなと、耳の付け根を撫でた。

「な、泣いてないだろ!」
「嘘、涙出てるわよ」

指摘すると、慌てて袖で拭う。
自覚してるんじゃない。と思うが口にはしない。

「泣いてない」
「はいはい、泣いてない泣いてない」

丸めていたノートを伸ばしながらスザクの前の席に座った。まだ立ち直ってないのか、また机に突っ伏して窓の外を見始めたので、今日は重傷ね。と私は机に片膝をつきながら、空いている手でスザクの頭を撫でた。
癖の強いふわふわで柔らかな髪質は手触りがいい。
獣の耳の付け根も撫でるとぴくぴくと反応した。

「カレン」
「いいじゃない。私、犬撫でるの好きだし」
「お前な」

若干怒っているような声だが、耳の反応を見れば喜んでいるのが分かる。なんだかんだ言っても撫でられるのが好きなのだ。暫く無言のまま撫で続け、尻尾を出してたら、パタパタと振り始めている頃を見計らって話を切り出した。

「あんたの匂いのせいで、犬も猫も怖がって逃げちゃうんだから、責任取りなさいよ」
「俺は悪くないだろ」
「私も悪くないわよね?」

犬神に勝てる獣など、この辺には居ない。力のある獣の匂いを獣が避けるのは当たり前だから、仕方のない事で誰も悪くはない。スザクと仲良くすることで、動物好きなカレンは他の動物に避けられる事になったが、それを非難してきた事は一度も無かった。
こうして撫でる理由に使うぐらいだ。
何度となくやって来たやり取りだから、スザクも撫でる理由に使っている事は百も承知。だから、苦笑しながら自分は悪くないと、いつも通り口にする。
よしよし、もう大丈夫だろう。

「で、どうするのよ?」
「なにが?」
「何がって、高校よ」
「行かないって」
「折角あんたのためにって、高校まで用意してくれたのに」

この地の楔として祀られたスザクは、基本的にこの地から離れられない。何かしら準備をすれば、短期間であるが一時的に離れれるらしく、ルルーシュを探しに行く時はついてくると言っていたが、カグヤに無理だと説得されていた。
聞けば無理をしても2日が限度らしいので、連れていくのはまず無理だろう。
そんなスザクの為に、カグヤと桐原はこの地に小学校、そして今通っている中学校を建ててくれた。スザクが思いのほか勉強熱心で成績も優秀だったため、なら高校もと用意してくれたのだ。
どこからその資金を用立てたのかは解らないが、スザクがいることで入学希望者は多いから、経営には問題なさそうだ。・・・うん?まった。スザクを客寄せに使ってショッピングモールと、神社前のお店で結構稼いでる。そう考えればスザクは金づるなのだ。スザクの為という名目でスザクを金儲けに利用していると考えれば、なんだ、そこまで感謝する必要はないのかもしれない。

「俺は中学まででいい」

顔をあげたスザクは、まだどこか陰があるが、それでも笑っていた。

「ルルーシュのノートがもうないから?」

ルルーシュが用意した勉強ノートは、中学3年までしかない。

「アレがあったから勉強できたんだ。ここから先は無理」
「じゃあ、ここから先は私が作る?」
「カレンが?」
「そ、私が」

両目をぱちくりとさせて、可愛い顔で首を傾る。
私が作るのは予想外だったのか。
神に捧げた物、それも手作り限定じゃなければ頭に入らないなら、私だけじゃなく多くの人が捧げるに決まってる。そんな当たり前のことに気付かないだから、いくら勉強が出来てもやっぱり馬鹿だ。

「あー、でも。俺、勉強嫌いだし」
「知ってる」

ルルーシュの残したモノだから勉強しただけだ。
言い方を変えれば、寂しさを埋めるため、ルルーシュの残したものに縋っている。
ここにルルーシュがいたら、まともに勉強なんてしなかっただろう。
小学校の時のスザクはそうだったから。

「じゃあそういう事で、高校進学決定ね」
「まだ決めてない」

行かない、ではなく決めてないに変わったか。
十分十分。今日はここまででいいだろう。
もうすぐ12月。
皆スザクが進学する前提で動いているから、4月までに説得が終われば十分。
最悪4月過ぎても別にいいと思ってる。

タイミング良く予鈴が鳴り、この話はここで中断された。

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