夜の隣人  第1話

カツカツと靴の音だけが響くその場所は、ステンドグラスを通した自然の光に満ち溢れた通路だった。純白の石で作られたその建物の壁面には、美しい彫刻が施されており、大理石で出来た床は磨きあげられていた。
初めてここを訪れた時は、その美しさに思わずきょろきょろと辺りを見回しながら歩いたものだが、どんなに美しくても頻繁に目にすれば美しさにも慣れてしまい、今では、どうしてただの通路にこんな無駄な装飾をするのだろう、と思う程度だ。
ここを建てた者の趣味だと言われればそれで終わりだが、組織の運営費を無駄に使ったのではないかと、思わずには居られない。
組織。
そう、ここは僕が所属している組織、ブリタニア教団の本部にある通路なのだ。
白を基調とした華美なその通路を抜け、地下へと降りていく。
地下の通路も当然だが、白い石壁と装飾が施されており、違いは自然の光か人口の光か、と言った所だろうか。最深部の最奥にある部屋が、僕の所属する部隊が使用している事務所である。
ドアノブを捻りゆっくりと開けると、そこは今までとは別世界が広がっていた。
乱雑に積まれた書類、壁一面に張られた地図、あちこちに積み上げられた書籍。
先週片付けたばかりなのにと、僕は溜息を一つ吐き、奥へと歩みを進めた。
一番奥の部屋のドアは開け放たれており、カタカタという音が漏れ聞こえていた。
僕は一度歩みを止め、その部屋の手前にある給湯室に入った。
冷蔵庫からミネラルウオーターを取り出し、棚の中に置かれたヤカンに注ぎ入れると、コンロに乗せ点火する。その音に気がついたのか、奥の部屋から「僕の分もお願い~」という間延びしした声が聞こえてきた。
僕は二つ返事で答えると、インスタントコーヒーの用意をした。
コーヒーメーカーもあるのだが、最後に使ったのが何時なのか解らないほど埃を被り、豆も封が開けられたまま放置されていて、既に湿気て使い物にならない。
前に買っておいたドリップコーヒーは僕がいない間に全部飲まれたらしく、ゴミ箱を溢れさせる原因となっていた。此処を出る時にはゴミも出さなきゃなと思いながら、沸いたお湯をカップに注ぎ入れた。ヤカンを片付けると、カップを二つ持ち、僕は奥の部屋へと向かった。
カタカタと相変わらず音は鳴り続けていて、部屋へ入ると白衣を着た細身の男の背中が見えた。大量に積まれた本や書類に囲まれて、3台のパソコンをフル稼働させながら、男はそこでキーボードを叩き続けている。僕は作業の邪魔にならないように、机の空いている場所にカップを置いた。
その事に気がついた男は「ありがと~」と、また間延びした返事をし、カップに手を伸ばし、口をつけた。

「あ、インスタントかぁ。でも、無いよりはましだよね」
「また買ってきますけど、買いに行けないのなら、ネット通販で買えばいいじゃないですか?」

今は昔と違い便利な世の中なのだ。
パソコンや携帯などの端末から何時でも何処でも欲しい物を注文でき、目的の場所まで運んでもらえる。時間も指定できる事が多いし、支払いもカードで済むのだから、家から出ないで生活することも可能なのかもしれない。そんな生活を想像してしまい、そんな生き方はしたくないなと僕は眉根を寄せた。
とは言っても、ここでキーボードを叩いているこの部隊の主任ロイド・アスプルンドは、この部屋から出る事は少ない。 つまり、まさにそんな生活をしている人物だった。
最近は自宅に帰るのも面倒だと、私物を持ち込んで住みついている状態で、尚更外に出なくなっていた。出るとしたら、食堂に食事を為に行く時ぐらいだろう。トイレもシャワーもここにあり、洗濯機も用意されている。生活する上で必要な物はあらかた揃っていた。

「買った事もあるんだけどさぁ、なんでだろうねぇ、その荷物ここに来ないんだよね」
「荷物は1階の受付に届くんですよね?届いたら連絡をくれるって、セシルさん言ってましたよ」
「え?そうなの?あ~じゃあ、受付にあるのかな~?スザク君ちょっと取ってきてよ。こっちもう少しだけ掛るからさ」

成程、この主任の性格じゃ内線電話なんて鳴っても出ないから、届いた事すら気づいてないのか。そしてこの最深部の最奥であるこの部屋に近寄ろうなんて人は少ない。

「解りました。取ってきますね」

飲み終わったカップを簡単に洗ってから、僕はその部屋を後にした。バタンと音を立てて扉が閉まると、部屋の中では再び、カタカタとキーボードをたたく音だけとなった。
それから10分ほど経っただろうか。
カタカタと鳴り響くキーボードの音がようやく止まり、ピーッという機械音と共にプリンターが動き出し、指示したページを数枚印刷した。5枚ほど印刷されたそれにロイドはざっと目を通すと、満足そうに口角を上げた。
その時、ドアの向こうでどさりと何かが床に落ちる音が聞こえ、ロイドは不審げに目を細めると、ゆっくりドアの方へ視線を向ける。この部屋に来る人間など限られていた。スザクと、長期出張中のセシルを除けば、片手で余るほどしか来ない場所だ。
僅かな警戒心を込め、ドアを見つめていると、ドアはガタガタ、と音を立てた後ゆっくりと開いた。

「ロイドさん、一体どれだけ頼んだんですか!?」

開いたドアの向こうには、大量の段ボールを抱えたスザクが、困ったような顔でそこに立っていた。後ろには、落としたのであろう段ボールが床に転がっているのが見える。ガタガタと言う音は、両手で段ボールを抱えていたため、上手くノブを回せなかった事で聞こえた物だった。

「え~と、なかなか来ないからさぁ、やり方間違えたのかな~と思って、結構クリックしたかも。でもこれで当分買わなくてよさそうだねぇ」

嬉しそうにそう言うロイドにスザクは大きなため息をついた。
受付に、もっと早く取りに来て下さいと怒られながらも、空き部屋に大量に積み上げられていた段ボールの山を3往復で全て運び終えたスザクは、さっそくコーヒーを入れたロイドからカップを渡された。ソファーに座るよう促され、スザクはコーヒーを片手にソファーに腰を下ろした。やはりインスタントよりも断然香りも良く美味しいコーヒーに口をつける。

「ん~、やっぱりコーヒーはこうじゃないとねぇ」

嬉しそうに笑うと、ロイドはごくごくと美味しそうに喉を鳴らしながらコーヒーを飲んだ。一気にコーヒーを飲み干したロイドは、テーブルにプリントした用紙をパサリと放ると、新しいコーヒーを入れに鼻歌を歌いながら給湯室へと消えていった。スザクはカップをテーブルに置くと、その用紙を手に取り、パラパラと捲りながら目を通した。
そして、その内容に思わず険しい表情になった。

「・・・また、ですか」
「そう、また、なんだよねぇ」

いい加減にして欲しいよね、と新しいコーヒーを入れ終えたロイドは肩をすくめながら戻ってきた。
1枚目は、上から来た正式な仕事の勅命文章。
その内容に、思わず嘆息する。

「今度は吸血鬼ですか」
「みたいだねぇ」

吸血鬼、狼男、魔女。彼らが実在している事はこの仕事をしていれば嫌でも解る。
僕達の所属する組織は、警察組織では扱えない犯罪を扱う機密組織で、世界各国の依頼を元に、さまざまな犯罪と戦っていた。その中にはこのように、一般的には魔物と呼ばれる者たちの処分も含まれており、その為の部隊も存在している。
この僕の所属する部隊も、本来は対魔物用特殊部隊ではあるはずなのだが、くだらない内容の任務ばかり割り振られていた。
僕が昨日まで受けていた指令も、凶暴なユニコーンが暴れ人を殺していると言う内容だったので、現地に向かってみると、確かに凶暴ではあったが、角など生えていないただの白馬で、人が死んだと言うのも落馬して頭を打った事が原因だった。
この部隊の副主任であるセシル・クルーミーが出張し調べているのは、小人が現れるせいで物が無くなる、と言った内容で、実際には小人など出ていないのだが、出ていないことを証明することに手間取り、その地に足止めされすでに10日目だ。
つまり、この特別派遣部隊、通称特派には信憑性に欠ける話だけが持ち込まれているのだ。
住人から魔物がいるという通報があり、内容が内容なので勘違いだと思うが、万が一の為に確認はしたい。本来それ専用の部署も存在しているが、特派に魔物退治の任務を回したくない上の者は、こういう任務ばかりを回してくる。だが、任務を寄こさない、と言う選択肢は上には無い。必ず何かしらの任務を命じてきた。
なぜなら本来特派は、幹部の中で最も力のあるシュナイゼル・エル・ブリタニアが所有している特別部隊なのだ。
一番最下層一番奥の部屋で、くだらない仕事をさせていい部隊ではないのだが、外国人でありながら、シュナイゼルの目にとまり、異例の引抜きをされた僕に対する嫉妬ゆえだろうと、ロイドとセシルは見ていた。
だが、そんな扱いをしていることを知られるわけにはいかないため、仕事はしているという実績を上は用意し、シュナイゼルには嘘だらけの報告をしているのだ。
そんな様子が、この文章からも滲み出ている。

「暇で楽だし、その間に研究を進められると思ったんだけどさぁ、無駄に出張多いじゃない?いい加減、君とセシル君を無意味に飛ばすの、やめてもらおうかと思うんだよね」

部屋もどんどん汚くなるし。と、その原因である男は、困ったように嘆息していた。

「どうするつもりなんですか?」
「今までうちに来た仕事の報告書をまとめてる所。どうせ上は全部作り替えてるでしょ?だから、今までの分を直接シュナイゼルに送って終わり。つーまーりー、下らない仕事はこれで最後っ。どうせだから、のんびり片付けてきていいよぉ」

ロイドはヘラリと笑いながら、新しいコーヒーを入れに給湯室へ消えていった。
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2話