黒猫の見る夢 第3話 |
「ああ、それが噂の皇帝ちゃんの元愛猫かい?うちは動物病院じゃないんだけどね~。まあ、皇帝ちゃんの命令だから、ちゃ~んと処置はしますけどぉ」 スザクが持ってきた籠の中身を覗きながら、ロイドはそう言うと、少し離れた場所にいたセシルを呼んだ。近くの部屋で何やら作業をしていたセシルは、スザクに気がつくと小走り気味でこちらへやって来た。 「おかえりなさいスザク君。その籠の中の子がそうなの?」 にこやかな笑みを浮かべながら、セシルは籠の中を覗き込むと、その顔から笑みを消し、驚きと、そして悲痛な表情を浮かべた。 「弱っていると言うお話はきいていたけれど・・・生きているのよね?」 弱々しいが、間違い無く呼吸の為体は上下している。生きている事だけは間違いない。セシルに促されるまま籠を持ったスザクは、指示された部屋へと入った。入口が開け放たれたままのその部屋は先ほどまでセシルがいた場所で、部屋の中にはいくつもの段ボールがあり、どうやらそれらの封を開けている最中だったようだ。 「その子の治療にと、先ほど届けられたの。まってて、今点滴を探すから」 スザクは部屋の中ほどにあるテーブルに籠を置くと、自分も探しますと、手近な箱を開けて中身を確認していった。セシルからマジックを渡されたので、中に入っていた物を、段ボールの表側に書き出して行く。全て無地の段ボールなので、後々棚に片付けるにしても、今はこうして中身が解るようにするしかないようだ。 「ああ、あったわ。スザク君手伝ってくれる?」 ようやく点滴の道具一式を見つけたセシルは、バスタオルを一枚何処からか持ってくると、その上に猫を乗せてくれる?と、スザクに頼んだ。籠を開けてもピクリともしない猫を慎重に持ち上げる。あの日よりもはるかに軽くなったその体に、知らず眉根が寄った。一切の抵抗も反応もなく、手の中に収まったその体を、折りたたまれたバスタオルの上に静かに置く。僅かな重みで沈んだバスタオルの中でも、その体はピクリとも反応しなかった。その様子に、セシルも眉根を寄せ、泣きそうな表情を浮かべた。 セシルはその小さな背中を撫でた後、慎重に針を刺した。その時僅かにピクリと耳が動いたが、やはりそれ以上動く事は無かった。 「う~ん。この猫、どう見ても駄目だよねぇ。あと何日持つかなぁ」 いつの間にか部屋へ入ってきていたロイドがそう言った。 「ロイドさん、不謹慎ですよ」 セシルはそうたしなめるが、内心は同じ事を考えていたのだろう。それ以上口にはしなかった。セシルは撫でるようにその小さな体を調べていく。体温を測ろうかと暫くセシルは迷っていたが、これ以上体の負担はかけたくないと、それはやめたようだ。そもそも測る必要などない。触っただけで、体温が低い事は良く解るのだから。 「・・・私はアーサーがこちらに来ないようにしてくるわね」 これだけ弱った体で他の猫に接触させるのは拙いだろうと、キャメロットに預けたままになっていたアーサーの様子を見にセシルは部屋を後にした。ロイドは飽きたのか既にここにはいない。猫とスザクだけとなったその部屋で、スザクはようやくラウンズのマントを外し椅子の上に置くと、その手袋も取った。身動き一つせず、さきほどスザクが置いた時の姿のまま横になっているその体へそっと手を伸ばす。アーサーよりもはるかに低い体温、小さな心音、浅い呼吸。見た目では分からなかったが、毛並みも荒れている。 「・・・こうやって死ぬのか君は。今死んでも、誰も君だとは思わないだろうね。・・・いい、気味だっ・・・」 それが自分の本心だ。 そうでなければいけない。 そう自分に言い聞かせながら話すその声は僅かに震えていて、何故か涙が溢れる。喜ぶべきだ。彼が罰を受けて苦しむ事を。そしてその罪ゆえにこうして死を迎える事を。主を殺された自分は、そうでなければいけない。 だが、スザクも気づいていた。この姿を見てから、スザクは心の中でさえ、この猫を彼と、君と、呼ぶ事はあっても、名前で呼ぶ事は無かった。呼びたくはなかった。呼んでしまえば、その名前で認識してしまえば、こんな形で、こんな姿で彼が死ぬと言う事を認めてしまう事になる。 死。 僕は罪を償わせたいとは思っていた。殺したいほど憎んだ。でも、死んでほしいと本当に思っていたのだろうか。それも、こんな形で。 名前を奪われ、自由を奪われ、姿を、人である事さえ奪われた。 その優秀な脳はもう役には立たない。言葉を交わす事も出来ない。でも、記憶も意思も、心も人であった時のまま。プライドの高い彼は生きていける筈がない。 自分は、此処までの苦しみを与えたいと思っていたのだろうか。 それ以前に、この猫は本当に彼なのだろうか。本当はどこかで元気にしていて、これはなにか病気を抱えているだけの唯の猫ではないのだろうか。僕はまた彼に騙されているだけではないのだろうか。 きっと、そうに、違いない。 彼が、死ぬはず、ないじゃないか。 だって、ナナリーを置いて、いくはずは、ない。 真っ白になりかけていた思考で、どうにかそこまで考えて、スザクは涙をぬぐい口角を上げた。 「そういえば、ナナリーは皇族に戻ったよ?心配しなくても大丈夫、今は何不自由なく生活している」 泣き声にならないよう、出来るだけ冷静な淡々とした声音でそう話しかけた。 その言葉に、猫の耳は再びピクリと動いた。 そう、もしこの猫が彼なら、ナナリーを何より愛する彼が、ナナリーを置いていくはずがない。でも、今は心配しなくていい。安全な場所で大切に扱われているから。 この姿が、君のプライド故の物であるなら、本当に君が彼なら、そんなプライドなど捨ててでも、必ずナナリーの為に生きる道を選ぶはずだから。彼女の元へ行こうとするはずだから。 スザクは体温の低いその猫を、少しでも温めようとバスタオルで包んでから、一度も開く事の無い目の辺りをそっと撫でた。 「そのうち、ちゃんと会わせてあげるよ」 その姿をこれ以上見ていられないと、スザクはマントを手に部屋を出た。 どんなに悲しい事があっても、どんなに不安な事があっても、空腹を感じないと言う事は無かった。あんな姿を見たと言うのに、やはりこの胃はいつも通り空腹を訴える。食堂へ行き、適当な物を選び口へ運ぶが、あの姿が思い浮かんで、何を食べても味を感じない。強いショックを受けた時は、何時もこうなる。あの姿は、それだけ衝撃を与えていたと言うことか。 あれだけ憎んで殺したいと思っていた相手だったのに、あの姿を目にしてしまった今は、生きてほしいと願い始める。勝手だな、僕は。 機械的に食べ物を口に運んでいると、内ポケットに入れていた携帯がけたたましく鳴りだした。相手はセシル。 『スザク君!』 「どうしたんですかセシルさん」 何時になく慌てた様子のセシルに、まさか彼の容体が悪くなったのかと、不安が胸をよぎった。 『スザク君、あの子が居なくなったの!』 その言葉に、スザクは駆けだしていた。 |