いのちのせんたく

第 177 話

皇族姉妹が何を話しているのか、ヴィレッタの耳にはもはや入っていなかった。頭の中がぐるぐると回る。何を考えればいいのか。何を考えているのかもうよくわからない。ここに立って二人を見ているはずなのに、自分はもっと別の場所にいる気さえしてくる。ちゃんと立てているかさえ、わからなくなってくる。
・・・これは、まずい。 混乱した頭の中でそれだけを理解した瞬間、ヴィレッタは歩きだしていた。
鬼気迫る様子に、コーネリアとユーフェミアは我が目を疑い思わず口を閉じた。ヴィレッタは訓練された忠実な軍人だ。その彼女が、皇族二人のそばを何も言わずに離れるなんてことはありえない。・・・二人の会話に割って入れない立場であり、参加できる内容でもない以上、ヴィレッタはただ無言でそこに立っていなければならない。これがギルフォードやダールトン。あるいはスザクであったなら会話に割って入ることが許されたかもしれないが、ヴィレッタは違う。
皇族二人の身に危機が迫ったのでない限り、そこにいなければならないのだ。
ヴィレッタはそれを熟知している。それなのに、離れた。異常事態だと言ってもいい。だからこそ、二人は動揺しヴィレッタを見た。
ヴィレッタは迷うことのない足取りで川へと向かうと、そのまま川の中へと足を踏み入れた。突然の奇行にコーネリアとユーフェミアは思わず声を上げ、川へと駆け出した。その声もヴィレッタには聞こえない。頭の中は言葉にならない感情がぐるぐると回っていて外の情報を取り入れる余裕がなくなっていた。混乱した頭を冷やさなければならない。冷静さを・・・いや、正気に戻るため川の水で頭を冷やさなければ。それしか今は考えられなかった。
足が冷たい水に沈む。体が沈む。頭が沈み、ああ、これでようやく頭を冷やせる。冷静さを取り戻せる。そう、思った。



次の瞬間、自分は空を見ていた。
意味がわからなかったが、間違いなく、青い空だ。
数度瞬きしたあと、視界いっぱいにユーフェミアの顔が見えた。

「お姉さま!ヴィレッタが気が付きました!!」

嬉しそうに笑ったあと、ユーフェミアは遠くにいるらしいコーネリアに言った。あれ?と、思ったのはその時だ。ユーフェミアは髪も服もずぶ濡れだったのだ。そうだ。雨が降るという話だった。雨が降ったのだろうか?だが、空は青い。通り雨か?
呆けながら空を見続けていたら、ユーフェミアがまたこちらを見ていた。そして遠くから砂利を踏む音が近づき、今度はコーネリアが覗き込んできた。

「・・・まだ正気に戻ったとは言い難いようだな。ユーフェミア、先に着替えてくるといい」
「わかりました。ヴィレッタの着替えとお姉さまの着替えも持ってきますね」

そう言うとユーフェミアは立ち上がり、駆け出したようだ。砂利を踏む軽快な音が遠ざかる。その音を聞いていると、コーネリアは困ったような顔を一瞬したあと、両手をヴィレッタの体の下へ滑り込ませ、その体を抱き上げた。何が起きたのかよくわからず困惑していると「おとなしくしていろ」と、コーネリアは一言言いおいてあるき出した。連れて行かれた先は、いつも焚き火をしている場所で、くべられた枯れ枝に小さな火が回り始めたところだった。コーネリアはヴィレッタの体を焚き火の前に横たえると、火の調整を始めた。
つい最近まではそんなことすらしなかった人が焚き火の様子を伺っている。
もともと軍人である彼女は野営の経験も、技術も全て持っていた。だが、それらを使うことはなかった。すべて部下であるヴィレッタたちにやらせていたからだ。
ユーフェミアの影響は大きいのだなと、改めて感じる。
砂利を踏む音が近づいてきて、ユーフェミアの声が聞こえてきた。

「着替えを温泉のそばに置いてきましたので、お姉さまは温泉に入ってください。これから雨が降るんですから」

前回の長雨を考えれば、次いつ温泉に入れるかわからない。川辺にある温泉は濁流に巻き込まれるだろうから、今の状態まで復旧するのも大変だろう。

「・・・そうだな。だが・・・」
「ヴィレッタは私が見ています。お姉さまの後にヴィレッタ、そして私も入りますので早くしてくださいね。雨の用意もまだ終わっていないので、やることがたくさんあります」
「ああ、わかっているよ」

その声を聞いて、ヴィレッタはハッとなった。
停止していた脳が動き出し、自分が置かれている状況を正確に理解し、慌てて体を起こしすとその場で土下座をした。
ブリタニアに土下座という文化はなかったが、イレブンの謝罪の風習はいつの間にかエリア11に住むブリタニア人の間に浸透しており、ヴィレッタは無意識にその姿勢をとっていた。

「も、申し訳ありません!!!」

それしか、口にできる言葉がなかった。


気が触れたのだ。完全に、自分はおかしくなった。
二人のやり取りによるプレッシャーとストレス。不安定な自分の立場。不可思議なこの島。自身の生死。あらゆることがごちゃまぜになり、思考が完全に停止した。頭を冷やしたいという欲求だけがのこり、頭を冷やす方法として、川に入ったのだ。全身を、川に沈めたのだ。それなのにここにいる。そして二人がずぶ濡れになっている。つまり、皇女二人が助けてくれたのだ。
何ということだ。
皇女を守るべき立場の自分が、二人の身を危険にさらしてしまった。
川なんて、一歩間違えれば命を落とす危険な場所だ。
しかも頭まで浸かる深さ。
流れが緩やかと言っても、服を着たままだから溺れる可能性は高い。
そんな危険を冒させてしまったのだ。
失態なんて言葉では済まない。
自分のしでかしたことの恐ろしさに体が震えて止まらない。
心のなかでとはいえ皇族の二人に対して考えてはいけないことも考えてしまった。ありえないことだ。あってはいけないことだ。
そんなヴィレッタの心境がわかったのだろう。
コーネリアはユーフェミアと顔をあわせたあと、ヴィレッタの前に膝を付き、その肩に触れた。

「この島は異常な場所だ。すでにこの世にいないはずの人間がいることでもわかるほど、ここは常識から外れた場所なのだ。そんなありえない環境にいる以上、できる限りストレスを減らし規則正しい生活をおくることが正気をたもつためには必要だった。だが、私はその環境を整えることをいままで放棄していた。ヴィレッタ。お前が一時的に正気を失ったのは、私が皇族として、いや、お前の上官としての役目を果たしていなかったからだ。謝ることなどない」

顔を上げろと言われ、ヴィレッタが恐る恐る顔を上げると、そこには心配そうに見つめている二人がいた。

「で、ですが」
「お前は今までよくやってくれた」

ヴィレッタの顔が瞬時にこわばった。
今まで。これは、自分への最後通告だ。
ヴィレッタの反応で言い方が悪かったことに気づいたコーネリアは苦笑しながら首を振った。

「そうではない。お前一人に無理をさせすぎた。動けるならまず温泉に入ってから着替えるといい。これから雨に備え三人で準備をするが、お前は無理のない範囲で私達を手伝って欲しい」
「い、いえ、準備は私が。まずはお二人がご入浴を!」

皇族より先にお風呂をいただくなどありえない。それに濡れたままだと二人が風邪をひいてしまうかもしれない。
だが、二人は厳しい顔で拒否した。

「ここは温かいですから、少しの間濡れていても風邪はひきません。それに私は死者ですから病気にもなりません。あ、お姉さまとヴィレッタ二人で温泉に入ればいいんです!さ、二人共早く温まってきてください」

これは決定です。と、ユーフェミアが言った。
何を言っても覆らないだろうとコーネリアとヴィレッタは諦めて、ユーフェミアの指示通り動き始めた。

「どうにかなったようだな」

ユーフェミアが失言をした頃からずっと様子をうかがっていたダールトンは、胃のあたりを押さえながら心底安心したという声でいった。さて、ヴィレッタがあまり動けないということは、資源をどう渡せばいいだろうか?と考えながら音を立てることなく森の奥へと消えていった。



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殺伐とさせようかと思ったけどヴィレッタが可愛そうになったので速攻で終了。コーネリア拠点も無事に雨準備に入ります。

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