いのちのせんたく 第62話


がさり、がさりと音を立て、草を踏みしめ続けた後、ようやくジャリっとした石の音が足の裏からきこえた。
視界が開けたその先に広がる光景を見て「やっともどってこれた」という安堵よりも「うわあ、なにこれ」という不快感から思わず顔をしかめてしまう。

「あっちを見た後のこっちは、きっついわねぇ」
「ホントですね・・・汚い・・・」
「まったくだ」

6時間かけて元の拠点に戻ってすぐに、三人は心の底からため息を吐いた。
本当に汚いとしか言えないのだ。
大きなものはある程度始末しているとはいえ、あちこちに散乱したゴミや汚れが嫌でも目についた。それらの腐敗した食べカスは、虫を呼び、悪臭を放っている。
先日の大雨で流されて一度は綺麗になったはずなのに、もうこの状態なのだ。
しかも、昨日今日と清掃の指示を出すラクシャータがいなかったことで、あちこちに魚の骨や果物の皮も散乱していた。
昨日の朝までは、これが長期間に渡るサバイバル生活を行った場合の当たり前な光景だと思っていた。
だが、あちらではゴミ一つ無く、人がきちんと生活をしているというのがわかる程、綺麗に整えられていた。
改めて見ると、ここは生活をしているというより、やはり遭難してどうにか生き伸びているという状況にしか見えなかった。
あれを経験した以上、たとえ僅かな時間であってもここで”生活”をしたいと思う。
同じ状況で彼らはやっているのだから、自分たちにもできるはずだ。

「まずは、温泉よね」

ラクシャータは、鋭い眼差しで川を見た。
そこは、ルルーシュたちの拠点で温泉が湧いていた場所。

「ですね、お風呂入りたいです」

川での水浴びよりも、やはり温泉に入って身体を暖めたい。
野外での生活は、なにせ体が冷えるのだ。
それに、においのこともある。ちゃんと体を温めて、皮脂や垢を落とさなければ、いくら水浴びしていても臭ってくるのだ。

「あちらと同じ場所にあれば楽なんだが」

C.C.も疲れきったような表情で、温泉があるだろう場所に視線を向けた。
もしあったとしても、人が入れるだけの穴を掘り、水をせき止め・・・そう考えると、日が落ちるまでに作れるものではないのだが。
そう話をしていると、千葉達がこちらに気がついた。
あちらでリフレッシュして戻ってきた私達とは違い、千葉たちは遠目でわかるほど疲れきっており、見た目もどこか不衛生に見える。
6時間林の中を歩いたことで汗と埃にまみれているし、疲れきっているのだが、一度色々とリセットした効果か、自分たちのほうが顔色もよく清潔感があるように見える。
重い足取りで近づいてきた千葉は、心底安堵したような表情をしていた。
話しによっては翌日の朝になるとは言っていたが、戻ってきたのはそれより更に遅く、まもなく夕暮れとなる時間だった。
何かあったのではと心配するのは当たり前だし、何より彼女一人だけが黒の騎士団という状況は、相当風当たりもキツかったに違いない。
絶対にコーネリアとヴィレッタがうるさかったはずだから。

「只今戻りました、千葉さん」
「遅かったじゃないか、何かあったのかと心配したんだぞ」
「すみません。いろいろあって。そうだ、これ。食料も沢山手に入れたんですよ」

カレンは背負っているリュックを千葉に見せた。ぱんぱんに膨れ上がったリュックには、今朝ルルーシュが詰め込んだ沢山の食材が入っている。
加工したものは流石に無理だからと、〆て血抜きをしたニワトリと、根菜類、アク抜き不用の山菜に、ビタミンが必要だと、柚子と酸味の強いりんごなど。
これだけあれば4日は食料に困らないだろう。
それを見て千葉は驚いた後、嬉しそうに笑った。

「これはすごいな」
「ふふふ、量だけじゃなく中身もすごいですよ。今日の晩ごはんに使いましょう」
「ああ、そうだな」

どうせこの状態なのだから、食材がろくに取れていないことなどわかっている。
今までだって、カレン達が歩きまわってどうにか集めていたのだから。
ふと視線を川原に向けると、いつものごとくC.C.がふらふらっと周辺をふらつき始めた。温泉はどうやらC.C.が探すらしい。 C.C.は料理の味つけ役だが、今日持ってきた食材なら灰汁も少なく見知ったものも多いし、C.C.の次にこれらの食材の扱いが上手い千葉もいるから、彼女がいなくても問題はないだろうと、早速調理にかかることにした。
千葉の後ろで安心したように笑っていたセシルも加わり、食材をまずは分ける。
カレンは調理器具を詰め込んでいた木箱から大きめの鍋を取り出そうと、その中を覗き込んだ。洗っているのだが、煤で真っ黒に汚れた鍋類や調理器具が目に入り、ああ、そうだったわねと思わず目を細めてしまう。
あちらの調理器具も使用する度になべ底が煤で真っ黒になるのだが、そのままの状態になどルルーシュがしておくはずもなく、必ずその日のうちに綺麗に洗ってしまう。
煤は普通に洗っても落ちないことは実体験で知っているため、あまりにも綺麗な鍋で驚いたものだ。森の中に長期間潜伏した経験のある千葉でも、洗い落とすならたわしで力を入れてこする必要があると言っていた。
だから、どうやって落としているのかを聞くと、ルルーシュは苦虫を噛み潰したような不愉快そうな表情をした後教えてくれた。
この島、いや、この空間は普通では無いのだと。
だから、普通であればこんなふうに綺麗に落とすにはクレンザーなどを用いて時間を掛けて洗うのだが、ここではそんなものは必要なく、たわしで水洗いするだけで取れてしまうのだという。
普通では無理だぞ、と何度も念を押してくるのだから、本当にこの場所限定の話なのだろう。こんなもので取れるのかしら?と疑いはしたが、実際に洗うのを手伝ったので、それが本当だというのは知っているのだが。
カレンは大きな鍋と小さな鍋を取り出し、小さな鍋に水を入れ、千葉が用意してくれた焚き火に掛けた。
もらってきたヘチマを手頃なサイズに切り、鍋に放り込む。
夕食に関しては千葉とラクシャータ、セシルに任せ、カレンはヘチマたわしを作っているのだ。ぐつぐつと石で抑えながら煮込み、丁度柔らかくなった頃、千葉達が火を使いたいと言ってきたので、小鍋を火から下ろした。そして、川の水で冷やしながら外皮を剥がし種もある程度落とす。

「へー、ホント簡単ね」

今日使う分以外は石の上で乾かして、カレンは早速そのたわしを使って、今日は使わないであろう調理器具をバシャバシャと洗いだした。
川の水は冷たくて、長時間洗うのは辛いのだが、見る見るうちに煤が鍋底から流れ落ち、まるで水に溶けていくかのよう、いや、消しゴムで消しているかのように綺麗に落ちていった。こうなってくると、ちょっと・・・いや、かなり楽しい。
薄汚れて汚かったものが、見る見る間に綺麗になっていくため、夢中になって洗っていたら、川の水の冷たさで両手が真っ赤になってしまった。
でも、今使っているもの以外は綺麗になったので満足した。
そんな綺麗になった調理器具を、満面の笑みでカレンが皆の元へ運ぶと、セシルと千葉は驚きの表情をした後、すごい綺麗だ、と嬉しそうに笑った。
やっぱりこんな生活でも、綺麗なものを使って料理をし、食事をとると少しだけ気分も変わってくる。
口うるさいコーネリアとヴィレッタの理不尽な文句は右の耳から左の耳へと聞き流し、美味しい鶏料理を食べた。実はルルーシュからもらってきた塩をこっそり入れているのだが、ここに来て初めて食べる食材ばかりだから、誰も気が付かない。
食事を終えた後、C.C.が「同じ場所だ」と耳打ちしてきたので、明日の朝すべきことは決まった。

ルルーシュが皇族ならば、コーネリアはルルーシュの姉ということになる。
例え敵でも、シスコンルルーシュは、姉が放置されることを心配しているようだったので、コーネリア達のためにこの場を整えると約束をした。
だから、まずは温泉。
川原の掃除もし、釜戸ももう少し使いやすいよう改良する。
竹を切り、魚を捕る罠を作成。水筒なんかも作る。
根菜類を集め、魚や肉が取れるなら保存食に。
残りの日数は少ないがやることはたくさんあるのだ。
今までのように、ギリギリの生活をし口喧嘩をしているだけではいられない。
自由という言葉は確かに素敵だけれど、今、あるいは明日、何をすべきか事前に指示され、それにそって行動することのほうが私たちには大事だったらしい。
つまり、私たちには指導者であるゼロが、ルルーシュが必要なのだ。
洗い物がおわり、完全に暗くなる前にとカレンは一度竹林まで走り、竹を1本切り出してきた。
道具を作るた目の材料にするのだ。
日が落ちた後、焚き火の前で道具を作るなんて、今まで考えもしなかった事が自然とできる。一昨日までは口論し、あるいは無言で火を見つめ、時間を無駄に費やしていたのに。
細く切り出した竹の棒を使い、ラクシャータとセシル、千葉が魚の罠をどうやって作るかを相談し、C.C.は器用に竹を削り水筒などを作っていき、こういうことは苦手なカレンは、皆の手伝いをする。
そんな光景を、輪に入れないコーネリアとヴィレッタが、不思議そうに見つめていた。
流石にこうして作業をしていると、文句や小言は出ないようだ。
それだけでもこの場の環境は非常に過ごしやすくなる。
ああ、ほんと、もっと早くこうだったら楽だったのに。
カレンはラクシャータに頼まれた通りの大きさに竹を切りながらそう考えていた。

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