いのちのせんたく 第89話


「藤堂、服を脱げ」

突然投げかけられた言葉に、藤堂は一瞬思考が止まった。
目の前にいるのは、さらりと流れる艶やかな黒髪を持ち、こんな環境下で生活しているとはとても思えないような透き通るような白い肌と、美しい紫玉の瞳を持つ、並の女性では太刀打ち出来ないほどの美貌の少年だった。すらりと伸びる長い手足はモデルのようで、細い体は庇護欲をそそる。・・・いままで、そういう目で見たことのない相手だが、美人という言葉が恐ろしいほど似合う相手に、突然笑顔で「服を脱げ」と言われ混乱した藤堂は、思わずそんな事を考えてしまった。
こちらの反応が鈍かったことで、目の前の少年は、長いまつげに縁取られた瞳を数度瞬かせ、小首を傾げた。

「・・・服を?」

聞き間違いの可能性を考え聞き返すが「ああ、早く脱いでくれ」と返されてしまう。
それは一体どういう意味なのだろうか、まさか・・・いや、それは・・・。

「あ、そっか。藤堂さんこれからカレンたちと会うんだよね」

第三者の声が耳に届き、藤堂はハッとなった。
声の主は納得顔で頷くスザク。
・・・当然だ。
別に藤堂とルルーシュが二人きりになっていたわけではない。
朝食を終えたばかりの、みんながいる場で言ったのだ。
突然の内容に視界が狭まってしまい、まるで二人きりの空間のような錯覚を覚えていたが、スザクだけではなく、朝比奈も仙波も、クロヴィスもここにいる。みな食後のお茶を飲みながら、こちらを見ていた。その様子に、表情にこそ出さないが、顔が青ざめる思いだった。
・・・この奇妙な島では誰もが禁欲生活をしている状況だった。食と睡眠の確保で精一杯な生活。心に大きな不安を抱えながら、今日を、明日を生き残ることに必死で、そこまで余裕がなかったし、周りにいたのは全員むさい男だからそんな感情さえわかなかったのだが、心に余裕が出た上に、ここには女性に負けない容姿の人物がいたことが、このようなおかしな想像を働かせてしまったのだろう。
まだまだ未熟だなと、心の弱い自分に呆れてしまう。
藤堂でさえこれなのだ。
スザクとクロヴィスはずっと共にいたから問題はないが、朝比奈と仙波の事は少し注意をすることにした。信頼している部下だから大丈夫だとは思うが・・・いや、自分でさえこうなのだ。何が起きてもおかしくはない。
藤堂は自分の想像を深く深く反省したが、今後警戒すべきことがわかったと前向きに考えることにした。なにせ、これから女性も来るのだ。その辺は後でラクシャータとしっかり話しておかなければ。

「・・・彼女たちを迎えに行く事と、服を脱ぐ事にどんな関係が?」

頭の整理がようやく終わった藤堂は、たっぷりと時間を置いてから質問をした。

「アイロンをかけ、ほつれている場所を直す」

藤堂の問に、ルルーシュは即答した。
そことそこ、枝か何かで引っ掛けたんだろう?と言われ示された場所は、確かに鉤裂きができていた。裁縫道具を持ってきたから、それで繕い物をするつもりなのだろう。
納得しルルーシュを見ると、寧ろそれ以外に何があるんだ?と不思議そうに首を傾げている。先ほどの自分の妄想をますます恥じ、その心境を誤魔化すように藤堂は更に質問を投げかけた。

「アイロンを?」

こんな場所で?と、投げかけると、ルルーシュは片手鍋を手にした。

「この片手鍋と焼石を使えば、それなりに皺は伸びる」

まあ、扱いはなかなか難しいが。
江戸時代の頃は、火熨斗(ヒノシ)と呼ばれる鉄でできた柄杓に炭を入れたり、あるいは焼きごてを使っていた。その後、今のアイロンの形に似た容器に炭を入れる炭火アイロンが使われた。ここでは炭はまだ手に入っていないため、焼石で代用する。

「だが、なぜアイロンを?」
「少しでも見栄えを良くするためだ。こちらの拠点では、余裕を持って暮らしている、ということを目に見えてわかるようにする」

そこまで言われて、藤堂は納得した。
藤堂たちを迎えに来たスザクは、純白の騎士服を身にまとっていた。汚れがほとんどわからない綺麗な服と、皺のないマントは、自分たちとの生活の違いをひと目で理解させるものだった。いま、ルルーシュがひざ掛け代わりに使っているマントも、箱に仕舞われている騎士服も、綺麗に汚れを落とし、アイロンを掛けてシワを無くしたのだろう。扇達にブリタニア軍がしっかりとした拠点を築いていると認識させるために。
身なりを整える。
たったそれだけのことで、こちらの状況を、人数を錯覚させるのだ。
綺麗な身なりのスザクを見た時の、朝比奈と仙波の反応を思い出す。今日は、あの日のスザクの役を藤堂が行う事になる。
黒の騎士団の拠点があると、あちらに、コーネリアとヴィレッタに錯覚させるために。
その、身なりを整えることだけでもこの島では大変なはずだが、ルルーシュは受け取った藤堂の服を濡らしたタオルも使いながら手際よくアイロンがけをし、手に入れた裁縫道具を開くと、あちこちほつれていた箇所を綺麗に繕いだした。
その間に温泉に入り身支度をしろと言われたため、藤堂は言われるがまま入浴した。おいしく栄養価の高い食事をとり、ぐっすりと眠ったことで体調もいい。髪を整え、ヒゲを剃り、アイロンがけと繕いを終えた団服を着ると、この島に来た頃のような出で立ちとなっていた。この姿を見れば、先日までは心身ともにくたびれ果てていたとは思わないだろう。よし。と、ルルーシュは満足気に頷いた。

「弁当はすでにリュックに入っている。いまから出れば約束の時間まで余裕を持って辿り着けるだろう。藤堂、スザクの説明は覚えているな?」

それは弁当の運び方の説明だった。完全に密閉できないため、運び方を誤れば中の汁物が全てこぼれてしまう。倒れないよう竹で固定はしているが、運んでいる藤堂がそれを忘れ、荷物を横倒しにしては意味が無い。実際に持ち運んだ経験のあるスザクから、運ぶ際の注意点を藤堂は聞いていた。

「ああ、大丈夫だ。では行ってくる」

藤堂は荷物を背負うと、合流場所を目指して歩き出した。

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