まだ見ぬ明日へ 第2話 |
ふるりと睫が震えたかと思うと、ゆるゆるとその瞼が持ち上がった。 その瞳の色は、深く澄んだ紫色だった。 宝石で例えるなら紫水晶。 しばらくは瞼を開いてぼんやりと宙を見上げていたが、やがて瞳が焦点を結び、ぱちぱちと瞬いた後、目を見開いて僕を見た。 「大丈夫?どこか痛くない?具合とか悪くない?」 僕はできるだけ小声で彼に話しかけた。 彼は目を見開いたままの状態で固まま動かない。 言葉が通じないのかな? それともしゃべれないとか? 僕を軍の人間だと勘違いして警戒してる? まあいい、今は安全な場所へ移動することが先だ。 僕はできるだけ優しく見える笑顔を彼に向けながらその体を降ろした。 「静かにしてて。ここ、動かないでね?」 僕は口の前に人さし指を立てながら話しかけた。 彼がゆっくりと頷いたのを確認してから、僕は意識を前に向けた。今いるのは地上へ続く階段。音を立てないようにゆっくりと登ると、銃声が聞こえた、そして何かが倒れる音。 「どうだ?」 「イレブンしかいないようです」 「このあたりなんだな?出口の一つは。」 「はい、旧市街との地図は照合済みです」 まずい。 ここを離れるべきだと、静かに階段を降りようとした時、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。 瞬間、鳴り響く銃声。そして静寂。 頭に一瞬で血が上る。許せない。ゆるせない。ユルセナイ!! 我を忘れて飛び出そうとした瞬間、腕を引っ張られた。 振り返ると、そこには彼がいた。 行ってはいけない。冷静になれ。今は、耐えろ。 怒りをにじませたその瞳がそう訴えている。 ・・・いったん目を閉じ、深呼吸をする。 視界に入っただけでも7人。全員軍人で銃を持っている。 折り重なって倒れている人と血だまり。・・・足場が悪い。この中を銃弾をよけて走る自信はない。位置も悪い。この階段はすぐに見つかる。ならば下で待ち受けて降りてきたところを。 ゆっくりと階段を降りようとする僕を見て、彼はほっとしたように息を吐いた。 ・・・あれからどれだけの時間がたったのだろう。僕はただただ放心していた。 腕の中の彼の呼吸は止まり、心臓はすでに停止していて、それはつまり彼が死んでいるということ。 周りには親衛隊の死体。殺したのは、僕だ。 ああ、今日は本当に厄日だ。どうして彼が死ななければならなかった。 移動しようとしたタイミングで僕の携帯が鳴ったのは電源を落とさなかった僕のミス。やはり毒ガスと呼ばれた彼が目的で、彼の存在自体が機密事項だったのだろう。僕たちは地上へと引きずり出された。 「テロリストの最後にふさわしいロケーションだな。まあ、学生にしてはよく頑張った。しかしお前の未来は今ここで終わった」 親衛隊の隊長だろう男の指が銃のトリガーにかかる。すべての親衛隊の意識が僕に向かっている。チャンスだった。反撃を開始した僕は、銃弾を避けながら親衛隊を次々に沈めていった。勝てる。その慢心が、油断を生んだ。 血だまりに足を取られ、バランスを崩したのだ。足場が悪い事を失念した僕のミス。 ここで終わるのか、と諦めたその瞬間。撃たれたのは彼だった。 「やめろ!殺すな!!」 銃声と同時に黒い色が覆いかぶさってきた。彼は一瞬体を痙攣させたかと思うと力なく崩れ落ちた。黒い拘束衣が、血に濡れてその黒さを深めていく。そこは心臓の位置で。 「ふん。できれば生かしておきたかったが。上にはこう報告しよう。我々親衛隊はテロリストのアジトを見つけ、これを殲滅。しかし、人質はすでに嬲り殺しにあっていた。どうかね?学生君」 生死は問わず、とのご命令だしな。 にやりと笑った男がゆっくりと銃口を向けてきた。殺されるのか僕も。彼のように。何もなさず、何もできず、なにも守れず。 ・・・っ!カグヤ・・・! 妹の姿が脳裏に浮かんだその瞬間、死んだと思った彼の手が僕の手を掴んだ。流れ込む奇妙なイメージ。そして頭に響く彼の声。意識が戻った時、僕は力を得ていた。 すでに沈めていた親衛隊から銃を奪い、まるで猫が鼠を甚振るかのように僕はひとりずつ親衛隊を撃ち殺した。僕が得た力、それは対象に認識されなくなる力。不可視のギアス。 ああ、あの学生はイレブンに似ていた、あれはイレブンの幽霊だったんだ!これがタタリというやつなのか!?あっちだ、あそこにいるぞ!また消えた!ああ、神様助けてください! 突然姿をあらわし、そして消える僕に驚き、次々撃ち殺されていく仲間の姿に慄き、親衛隊は恐慌状態に陥った。 そう、タタリだよ。日本人の、殺された人々の恨みと憎しみと、悲しみを思い知るといい。そして恐怖に怯えたまま死んでゆけ。 最後に残した親衛隊の隊長。僕の目の前で彼を撃ち殺した男。わざと弾を外し、時折殴り、外へと逃げようとした時は蹴り飛ばし。腰を抜かし、茫然自失状態となったその男を冷えた感情で見下ろしながら、その額に銃弾を撃ち込んだ。 ああ、ミスをしたのは僕なのに。 殺されたのは君で。力をくれたのは君で。そしてその力が僕を生かして。 静寂の訪れたその場所で、僕は再び彼を腕に抱えた。青白くなったその顔はまるで人形のようで、ピクリとも動かない。 「契約、したのに。君の叶えたかった願いは何だったの?これじゃ君はただ僕を救っただけだよ?」 流れた血の分だけ軽くなった彼を抱えたまま、僕はただただ放心していた。 |