まだ見ぬ明日へ 第6話

「どいてくださーい!」

そんな叫び声とともに、空から少女が降ってきました。
いや、冗談じゃなく本当に。
昨日の作戦も難なく終わり、今日集まるのも夕方から。L.L.はこの時間寝ているため、暇を持て余した僕は街に出ていた。そして、ぶらぶらと河川敷を歩いていると、そんな冗談みたいな場面に出くわしてしまったのだ。
さすがにこの高さから落ちるのは危険だと、僕はとっさに彼女を受け止める。
それは秀麗な目鼻立ちと、ふわふわとした桜色の美しい髪の、まさに可憐と呼ぶにふさわしい少女だった。僕が何事もなく受け止めたのが不思議だったのか、彼女の眼は僕の腕と顔を数回往復する。その後、じっと僕の顔を見て何やら思案していたので

「どうかしたんですか?」

と、問いかけると、にっこりと、まさに天使のような笑顔でと共に。

「どうかしたんです」

と、姿と同じく可憐な声で答えた。
実は悪い人に追われていて、だから助けてくださいませんか?といわれ、上を見上げると、黒いスーツにサングラスの人物がこちらを覗いていた。
そのスーツ姿の女性は、慌ててこちらに向かって走ってくるのが見えた。
どうしたものかと思案していると「急いで」と僕の手を掴み、少女は走り出した。
その可憐な姿からは想像できないほど行動的なその人は、ユフィと名乗った。
にゃあにゃあと猫と会話を始めたりと、無邪気な一面を持つ彼女は、猫の怪我を見つけて手当てをする優しさも持っていた。その人相手には猫も大人しく、ゴロゴロと喉を鳴らしながら甘えるのに対し、僕は少し手を近付けただけでも威嚇され、指をかぷりと噛まれてしまう。
くすくすと笑いながら、猫苦手なんですか?と聞かれたので、好きなのに猫に嫌われてしまう僕は、片思いばっかりなんです、と答えた。

「片思いって優しい人がするんですよ」

何気ない会話。それでも彼女が心から優しい人だという事がよくわかる。
・・・でも、追われている、というのは嘘なのだろう。辺りを気にするそぶりも、危険が迫っているような緊張感も感じられない。にこにこと楽しそうな笑顔で、純粋にデートを楽しんでいるようにしか見えなかった。クレープを見たことも食べた事もないというその言葉に、どこか貴族のお嬢様が観光に来た先で護衛を撒いて遊んでいるのだろう、と予想を立てた。
そう、これはまるでありふれたラブロマンスのよう。
そのような物語を見て、自分も、と思っての行動かもしれない。
だけど、なぜだろう。彼女と一緒にいると、ずっと昔に失った何かを見つけた気がして、心が満たされた気持ちになる。心が温かくなり、自然と笑みがこぼれる。
一瞬、これはもしかして恋なのだろうか?と考えたが、それよりももっと大切な思いのような気がした。
彼女を守りたい、守らなければならない、そんな不思議な気持ち。
L.L.と出会った時にも守りたい、という気持ちを感じたが、それとは何か違う。
彼女に対するのはもっと神聖な。
この時間を壊したくなくて、騙されているとわかっていても、それを指摘する気にはなれなかった。
でも、終わりの時間はやってくる。

「スザクさん、もう一か所だけ案内していただけますか?」
「何なりとお申し付けください。お姫様」

僕はちょっとした出来心で、臣下の礼を取りながら答えた。

「ではシンジュクに」
「えっ」
「私にシンジュクを見せてください。スザクさん」

それまでとは一変、真剣な面差しで彼女は言った。
シンジュクゲットー。
表向きにはテロリストによって毒ガスが撒かれ、数え切れないほどの死者が出た場所。真実はクロヴィス総督の命令による情報秘匿のための虐殺。人通りの多い道路に面した壁は、離れ離れになった家族や友人を探す張り紙であふれ、かつて公園であった場所には廃材で作られた墓が無数にあった。野に咲く花々が手向けられているその墓には、故人を特定するものはほとんど残されていない。名前さえも。おもちゃが供えられているのは幼い子供の墓なのだろうか。あと数日もすればこのおもちゃも誰かが持って行ってしまい、誰の墓なのかは埋めた者以外わからなくなるだろう。

「シンジュクゲットーはもうお終いです。やっと人が戻り始めていたんですが」

彼女は静かにそこに佇んでいた。
差別的な発言や同情による涙、あるいはテロに対する感想など一切口にすることなく、彼女は無言のままただまっすぐに目の前に広がる墓を見つめていた。この惨劇を目に焼き付けるように、二度とこのような事を起こしたくないと願っているように。

「・・・僕は、戦争が始まる前からこの国にいたんです」

ぽつり、と呟くように言った言葉に、彼女はゆっくりと振り返った。

「弱いことはいけないことなんだろうか。あの頃10歳の僕たちには、世界はとても悲しいものに見えた」

設定上の僕、スザク・K・ランぺルージは曾祖父がブリタニアに移住した日系ブリタニア人だ。この発言は主義者と呼ばれかねず、純粋なブリタニア人である彼女に話すのは危険な行為。だけど彼女はこの理想に共感してくれる。なぜかそう、思った。
そう、それは理想。すべての憎しみの連鎖を断ち、平和な世界を望むという夢物語。
誰もが苦しまず、誰もが幸せになれる。戦争のない優しい世界。
その方法はわからない。だけど、それを探し続けたい。そんな願い。
L.L.に話せば、鼻で笑われかねない内容だ。
でも、彼女はきっと真剣に聞いてくれる。彼女だから聞いてくれる。
そんな確信が僕の中にあった。

その彼女がブリタニアの皇族、第三皇女ユーフェミア・リ・ブリタニアだと知ったのはずっと後のことだった。
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