まだ見ぬ明日へ 第62話


静まり返った室内に居るのはひと組の男女。
一人はベッドの端に座り項垂れており、一人はソファーに座っていた。
やがて静寂に耐えきれなくなったと言わんばかりに、少女、カグヤは笑い声をあげた。

「枢木のお兄様、随分と狡賢くなりましたわね。機嫌など、とうに治っているではありませんか」

コロコロと楽しげに笑うカグヤに促され、困ったような笑みを浮かべながら、スザクは顔を上げた。その頬は僅かに赤くなっており、なんだ、ばれてたのかと、頭を掻いた。
カグヤは目は見えないが、周りの気配には敏感だ。
特に兄の変化には誰よりも早く気がつく。
シンジュク事変のあの日から、不安と喜びが混ざった複雑な感情を漂わせていたことも、7年の間張りつめていた空気が和らいで、穏やかな気配を纏った事も。兄が話すまでは何も聞くまいと口を閉ざしてはいたが、何かがあった事には気づいていた。
まさかそれが共犯者を得た為だとは気づかなかったが。
てっきり恋人が出来たのだと思っていたから。
カグヤのために生き、カグヤのために死ぬ。その人生すべてをカグヤに捧げた従兄。
目が見えなくなり、暗闇の中で生きるうちに、カグヤの心は全てを諦めてしまい、日本人ではなくブリタニア人としてこのまま生きて死ぬ未来を受け入れていた。
皇の血を後世に残すことも、日本の奪還も諦めていたカグヤとは違い、スザクはどちらも諦めることはなかった。
好きな人ができれば人は変わるという。
スザクがモテていることは知っていたから、早く恋人を作って、天皇家と六家から離れ、自分の幸せも考えて欲しい。
何にも縛られず自由に生きて欲しいと思っていた。
その相手がたとえ男性でも、スザクがカグヤの呪縛から逃げられるなら受け入れようと思っていたのに、まさかカグヤ自身が、L.L.とスザクに感化され、日本を取り戻すのだ、ブリタニアに勝つのだと考えを改める日が来るとは思わなかった。
諦める気持ちを捨て、明るくなったカグヤは本当に楽しそうにコロコロと笑う。
暗さのないその笑みに、スザクもまた笑顔を浮かべた。

「L.L.にもばれてたかな?」
「いえ、気付いていないようですわ。でもあの様子では、枢木のお兄様がいくらこの演技を続けても、折れてくれないと思いますわ」
「やっぱり駄目か。いい手だと思ったんだけどな」

スザクは深く息を吐いた。
虫の居所が悪かったのも、機嫌が悪かったのも本当だ。
L.L.に宥められたことですぐに機嫌は良くなっていたが、L.L.の考えを曲げさせるには強く言っても意味は無いと気付き、この状況を利用して情に訴えるような方法を取ってみたのだが、どうやらこれも失敗らしい。
とはいえ、スザクのストレスが限界まで溜まっていたのも本当で、今L.L.が甘やかしたことで少しそれが解消されている事にもカグヤは気づいていた。
カグヤには、自分を甘やかせ、守ってくれる存在がいる。
咲世子とスザクだ。
だが、スザクにはいなかった。
自分は守る側で守られる側ではないという態度を常に取り、咲世子に甘えることも無かった。
咲世子はカグヤを守る盾。
スザクを守るものではないのだ。
あの事件からずっと、守るためだけに生きてきたカグヤの剣。
手入れされる事無く錆つき、傷つき、刃の欠けた剣。
本来は我儘で独善的で乱暴者、独占欲と執着心が強く、決して折れない頑固者。
そんな自分を全て押し殺し、人当たりのいい優等生を演じ続けている従兄。
それがどれほど辛いことか。
天真爛漫で我儘で、自分勝手で楽しい事が大好きで、人の迷惑など考えもしない。
そんな自分を全て押し殺し、御淑やかな優等生を演じているカグヤは知っている。
だが、そのスザクを甘やかし、守る存在が現れたのだ。
恋人ではなかったが、カグヤは素直にその存在を喜び、受け入れた。
スザクだけではなく、自分と咲世子も甘やかすその存在。
我儘を言って、駄々を捏ねると、文句を言いつつも望みを叶えてくれる。
まるで三人の保護者のように頼もしく、時には厳しく、そして優しい人。
その人がたった一人で、しかも1週間以上離れるのだ。
カグヤも断固反対だし、スザクはカグヤ以上にその気持ちが強い事は解っていた。
だから。

「いい考えがあるんですの。お兄様」

カグヤはにっこりと、かつて御転婆姫と呼ばれていたころの笑みを浮かべたので、スザクは思わず顔を引き攣らせた。



「駄目だ!何を考えているんだお前は!」

美味しい水羊羹と渋めのお茶で喉を潤していたL.L.は、提示された内容を聞き、驚き声を荒げながらそう叫んだ。

「何って、交換条件。君が中華連邦に行くなら僕も一緒に行く。来週から大型連休だから丁度いいじゃないか。連休中に行って、帰ってこよう」

ズズッと熱い渋茶をすすりながら、スザクは平然とそう口にした。
この水羊羹おいしいな、渋茶に凄くあうと内心幸せいっぱいなのだが、表情に表す事は無い。この7年間でポーカーフェイスは慣れた物だった。

「お前、自分の立場を解っているのか!?仮にも隠れ住んでいるお前が、堂々と外国に行くなんて危険すぎるだろう。何より、カグヤの傍を離れるつもりか!?」

スザクは天皇であるカグヤを守るため、7年間身分を偽り潜伏していたのだ。
その守るべき者を置いて行くなんてあってはならない事だった。
当然のその指摘にも、スザクは表情を変えることなく無言のまま羊羹を口にした。

「あら、そうですわね。スザクが私の傍を離れるというのは問題ですわ」

困ったように頬に手を当てるカグヤに「ほら、カグヤもそう言っているだろう」と 、L.L.は子供に言い聞かせるような口調で言った。

「ならば、私も一緒に行けばいいんですわ。となると、護衛の咲世子も一緒ですわね」
「かしこまりました。ではそのように準備を致します」

この兄妹と付き合いの長い咲世子は、全てを悟るとそう口にした。

「は!?まてカグヤ、どうしてそうなるんだ!?」

コロコロと笑うカグヤにL.L.は慌てて尋ねた。
ブリタニアからも日本からも隠れ住んでいる天皇を外国へ?
いったいどんな冗談だ?
想定外の展開に、L.L.は軽く混乱していた。

「L.L.を一人では行かせられないから、枢木のお兄様も一緒に行くのでしょう?ならば私たちも一緒に行けば何も問題ありませんわ」
「問題しかないだろう!お前たちはパスポートだってないんだぞ!?」

念のため海外に逃げることも想定し、スザク・カグヤ・咲世子の偽造パスポートや身分証、免許証の類は全て用意しているが、その事を三人に話した事は無い。だから三人は知らないはずだ。
外国に行くならパスポートは必須。そんなことわかっているよと、スザクは不愉快そうに口を開いた。

「偽造、するんでしょ自分の分。なら僕たちのも出来るよね?しかも隠れているのはL.L.も同じなんだから、そのL.L.が問題無く移動できるなら、僕たちも問題無いんじゃないかな?ああ、ごめん。さすがにL.L.でもこればかりは無理か、僕たちを誰にも悟らせずに移動させるなんて。ごめんね、無理な事言って」

淡々とした口調で言われたその言葉。
当然、L.L.の反抗心とプライドを刺激した。

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