まだ見ぬ明日へ 第79話 |
「君がスザク・K・ランペルージだね。成程、年齢の割には随分と落ち着いている」 頭の先から足の先までじっくりと観察されながら、スザクは背筋に冷たい汗をかいているのを感じた。まずい。まずすぎる。いったい何でこんなことに。 先ほど、薬を届けに来ていたロロと共に少し早目の夕食を取っていると、ミレイが顔色を変えてスザクを迎えに来た。その内容に耳を疑いながらも、スザクは急いで身支度をし、L.L.は小型通信機をスザクに持たせた。 今頃通信機の向こうで彼は盛大に頭を抱えつつ、カグヤと咲世子を連れこの場を離れているはずだ。幸い今日はロロがいるから、何かあってもカグヤの身の安全は保障されている。スザクはギアスで消えて逃げる手もあるから、まだ詰んではいない。 まだ大丈夫だと自分に言い聞かせていると、緊張していると思ったのだろう、その人物は安心させるようロイヤルスマイルを浮かべた。 「そんなに緊張する必要はない。まずは掛けなさい」 「失礼いたします」 相手が想像しているものとは全く別の緊張から思わず硬い声で返事をして頭を下げ、促されるままスザクはその人物の前のソファーに腰掛けた。 理事長室に置かれたソファーは座り心地が良くて好きなのだが、今は石の上に座っているかのように感じられ、非常に居心地が悪い。 目の前に座っているのは第二皇子シュナイゼル。 その横に中華連邦で軟禁されていたはずのユーフェミア。 スザクの横には理事長のルーベンという組み合わせだった。 何だろうこれ。 逃げていいかな? もういいよね逃げても。 思わず現実逃避しそうになる頭を叱咤し、どうにか顔に笑みを浮かべた。 「さて、急に呼び出してすまなかったね。話というのは、ユーフェミアの事だ。君はユーフェミアからの専任騎士申し出を断っていると聞いているが、間違いはないかな」 穏やかな笑みを浮かべながらシュナイゼルはスザクに訪ねた。 あまりにも長い間、騎士の話を断り続けたことでしびれを切らし、とうとう自分より力のある皇子を引きずり出してきたのか? 最悪だと、スザクは自分の体が緊張から強張るのを感じた。 いくらL.L.が情報を念入りに改竄していると言っても、こうして有力者の前に姿を見せるなど自殺行為でしかない。しかもよりによって天才と言われている第二皇子。もしかしたら日本だった頃の有力者の写真を見ている可能性があり、スザクたちに気づく恐れもある相手だ。 ユーフェミアに関わったのがそもそも間違いだったのだと、スザクは過去の自分の行動をこれほど後悔した事はなかった。 専任騎士の申し出、学園への入学、空港での騒ぎ、そして第二皇子。 ・・・夢なら覚めてほしい。 当のユーフェミアは困惑した表情で、スザクとシュナイゼルとの間でせわしなく視線をさまよわせていた。 「間違い、ありません。私はユーフェミア皇女殿下の専任騎士にという、自分には勿体ないほどのお言葉を頂いておりますが、お断りいたしました」 「理由を聞いても?」 「私には体に障害を持った妹がおります。妹は私にとってたった一人残された肉親、何にも変えがたい宝なのです。妹の傍を離れるなど考えられません」 何より守らなければならない日本の宝。たとえ宗主国の命令でも離れる訳にはいかないのだ。自分が騎士だとすれば、守るべき主君は日本の皇である天皇カグヤ。敵国の皇女ではない。 「その障害は目だと聞いたが、治る見込みはないのかな?」 障害が治れば離れられるのか、という事だろう。流石痛い所を突いてくる。嘘を言っても意味はないと、スザクは腹をくくった。 「先日訪ねた医師の話では、回復の見込みがあると言う事です」 「成程、では妹君の視力が回復した時には、ユーフェミアの騎士になれると言う事かな」 本当に突かれたくない所を突いてくる。流石にユーフェミアのようにはいかないかと、スザクはすっと目を細めた。 「いえ、たとえ妹の視力が戻っても、彼女が独り立ちしたとしても、やはり私は彼女を見守り、いつでも手助けができる場所にいたいのです。私は彼女の兄であると同時に親でもありますから」 予想通りだと言いたげにシュナイゼルは口元に笑みを浮かべた。 「なるほど、君の主張はわかった」 これで納得してくれたのかと、気持ちが緩んだその瞬間、シュナイゼルは凛とした覇気を纏った眼差しでスザクを見つめた。 「スザク・K・ランペルージ。ユーフェミアの騎士となれ。これは命令だ」 拒否は許さないと言う絶対の命令。 その言葉に、スザクは驚き目を見開いた。 隣でルーベンが息を飲むのが聞こえ、ユーフェミアは、驚きシュナイゼルを見た。 「お兄様。私はスザクに自分の意思で騎士となって欲しいのです」 「本人はどうあっても嫌だと言っているのに、君はずっと付きまとっているという自覚は無かったのかな?彼は遠回しにだが、君の騎士となる事を完全に拒絶している。その彼を騎士とするならこうする以外ないのだよ。今回、中華連邦で起こした不祥事を再び起こさないためにも、彼を君の傍に置く」 「お兄様!」 咎めるような口調でユーフェミアはシュナイゼルを呼ぶが、シュナイゼルは今までの笑みを消し、その目を眇めユーフェミアを見た。 「ユフィ。君は気づいていないかもしれないが、今私が彼に命じたのと同じ事を君は彼に強いている。君は彼を騎士にするとすでに決めているのだろう?ならば彼には選択肢など最初からない。いたずらに時間を引き延ばしているだけならば、君がこれ以上問題を起こす前に騎士とすべきだ。いいねスザク、これは決定事項だ」 シュナイゼルは、ユーフェミアの行動を咎めながらも、皇族の願いを叶えろと命じた。 嫌な予感は常々していた。 気が付いたら彼女の騎士にされていそうなそんな予感。 こちらの意志など関係なく、気づけばその地位にいるイメージ。 だが、これは受けられない。 あの未来を回避することも大切だが、自分には守るべきものと、取り返さなければならない物がある。自分を信じ着いてきてくれる仲間もいる。それらを全て捨て、ブリタニアの騎士となるぐらいなら、この命を奪われる方がよほどいい。 そうスザクは結論を出した。 ならば答えはもう決まっている。 チェックメイトだと解っていいても、認める訳にはいかない。 「お断りします」 「決定事項だと言ったはずだが」 シュナイゼルはすっと目を細め、スザクを冷たいまなざしで見つめた。皇族の命令に逆らうと言う事の意味を知らないのかと、そう咎める視線だった。気押されそうになりながらも、スザクは強い意志を宿した瞳で、シュナイゼルを見つめ返した。 「専任騎士とは、お互いに望んで初めて成されるものと聞いております」 「本来であればそうだが、ユーフェミアは君を諦めるつもりはないそうだ。ならば君が諦めなさい」 「いえ、諦めません。自分は、騎士にはならないと、何度もお答えしています。このような形で騎士となっても、私はユーフェミア様を守る剣にも盾にもなりません」 「不敬罪で君を逮捕する事になってもかな?そうすれば妹君の元に居られなくなるのだが?」 「お兄様!」 逮捕という言葉に、ユーフェミアは兄を咎めるように口を開いたが、シュナイゼルは彼女の言葉に一切反応せず、じっとスザクの反応を伺っていた。 今ここにユーフェミアがいる。 だが、今はそのことは忘れて、このチェックを回避しなければならない。ここを逃せばもう逃げ道はないと、スザクは固唾を呑んだ。 「・・・確かに初めてお会いした頃は、ユーフェミア様をお守りしたいと言う気持ちはありました」 「ユフィに振り回されて、その気持ちが無くなったと?」 「はい。初めてお会いした時、民の事を考える優しいお方なのだと、そう思っておりました。だから私はユーフェミア様をお守りしたいと言う気持ちを抱いたのです。ですが、行政特区、そして専任騎士の宣言で、私はユーフェミア様に失望ました。弱者を救うと言いながら、周りを見ず、強者の権威を振りかざし、弱者を虐げ自らの望みを力づくで叶えている。ユーフェミア様の言動は矛盾だらけです。そのような方に忠誠を誓うつもりなどありません」 スザクの言葉に、ユーフェミアは顔をこわばらせ、傷ついたような表情を浮かべたが、スザクには彼女をいたわる余裕などないため、彼女の反応を見なかったことにした。 罪悪感でチクリと胸の内が痛んだが、自分には成さねばならない事がある。 カグヤを守り、彼女を再び天皇としてこの地に立たせることだ。 惑わされてはいけないと、スザクは自身に言い聞かせた。 ユーフェミアはたしかに優しい姫君だ。だが、今はそんなユーフェミアを敵とし、自分とは相容れぬものなのだと主張しなければならない。 忠誠があってこその騎士。 自分には欠片も忠誠心はないのだと、相手に認めさせる。 今はそれ以外の手は思い浮かばなかった。 「なるほど、ユフィには忠誠を誓う価値がないと?」 「私の心はユーフェミア様にはありません。確かに弱肉強食がブリタニアの国是です。強者である皇族の命令は絶対。一市民である私に拒否する資格はありません。ですが私は弱者である妹を守ることを選びたいのです。私がもし騎士であるなら、その忠誠は妹に向けられています。たとえ皇族とはいえ、その妹を蔑にする者に膝をつくつもりはありません」 「皇族に対する侮辱として十分すぎるほどの発言だと、解っているね」 「解っています」 皇族に対する侮辱は重罪だ。だが、それで怯むつもりなど無い。 シュナイゼルは頷くと、更なるチェックをかけた。 「成程、ではスザクの妹をブリタニアの病院へ入れよう」 「・・・人質ですか」 妹のためと口にしているのだから、その妹を抑えれば済む。 つまりはそういう事なのだろう。 「人聞きの悪い事を言わないでもらえるかな?ユフィの騎士となる者の妹、丁重に扱わなければいけないだろう?スザクはこの学園を退学し、ブリタニアの士官学校に入りなさい。騎士となっても年に1度ぐらいは妹と会う時間は取れるだろう」 「有難いお申し出ではありますが、私はユーフェミア様の騎士とはなりません。ですから妹を本国に連れていく理由はありません」 頭が怒りで沸騰しそうだ。怒鳴りつけ、殴り飛ばしたい。それがだめでもギアスでここから立ち去りたい。その衝動を抑えるのは大変だった。 まだ逃げ道はあるはずだ。落ち着け、冷静になれ、ゼロである自分がこんな事で感情に流されてどうする。これも試練の一つだと思えと、スザクは自分の感情をどうにか抑え続けていた。 表情は流石に厳しくなっているが、それはもう気にするのをやめた。 この怒りはユーフェミアに向けられている事は、誰の目にも明らかだろう。 スザクの意思を、とあれだけ言っていたのだ。 これだけ酷い命令を覆すには、ユーフェミアがスザクを諦めると宣言する必要がある。 ユーフェミアもその事には気づいているのだろう。 だから、何も言わず、兄の言葉を困惑した表情で聞いているのだ。 そんなひどい、私はそんなつもりはと口にしながら、自らの発言は撤回しない。 そう、これはスザクが諦めるか、ユーフェミアが諦めるかを決める場。 楽観的に考えるなら、シュナイゼルはスザクに侮辱罪を適用するつもりはない。 妹を諦めさせるか、あるいは妹に騎士をつけるためここに来たのだから。 ユーフェミアの言動に問題があると、本人を目の前にして口にし、スザクが迷惑している事を理解させようとしているのは、ユーフェミアを引かせたいからだ。士官学校にも入っていない、貴族でもないただの一市民であるスザクを気に入ったからという理由だけで専任騎士になど、本来あり得ない話しなのだから。だが、ユーフェミアは意地を張り頑なにスザクを騎士にといい続けている。 どちらかが折れればそれで終わり。 だがどちらも折れない。 引かない。 さて、次はどう攻めるかと、シュナイゼルが顎に指をあてた時、理事長室の扉からコンコンと控えめなノックが聞こえた。 「失礼します。お茶をお持ちいたしました」 その言葉と共にワゴンを押して入ってきた人物に、スザクは驚き目を見開いた。 黒のスーツを身にまとい、その顔に涼やかな笑みを浮かべ優美な足取りで入室したのは共犯者のL.L.。 皇族に対し一礼した後、洗練された美しい所作で歩み寄ったL.L.は、彼らの目の前で香り高い紅茶を用意した。白く美しいその指がティーポットを掴み、琥珀色の紅茶をカップへと注いでいく。まるで映画のワンシーンのようなその光景に、スザクだけでは無い、シュナイゼルもまた驚き、見とれているように見えた。 「・・・これはこれは、アッシュフォードに貴方のような方がいるとは思いませんでした。・・・失礼ながら、名前を伺っても?」 僅かな動揺を一瞬で消し、シュナイゼルは穏やかな笑みをその顔に乗せて尋ねた。 「ジュリアス・キングスレイと申します、シュナイゼル殿下」 皇族に対する礼を取りながら、どこまでも優雅に彼は振舞い、そしてその顔に美しい笑みを乗せた。その姿に、はっと我に帰り現実に戻ったスザクは、どうしてここに彼がいるのか軽く困惑していた。 既にカグヤと共にここを出ていると思っていた。 最悪ギアスで逃げるつもりだったが、彼はギアスで消せない。 つまり逃げの一手を封じられてしまった。 L.L.は動揺を隠せずにいるスザクにくすりと笑った後、シュナイゼルへ視線を向けた。 「シュナイゼル殿下、失礼ながら私に発言の許可を頂けないでしょうか」 頭を下げながら、L.L.はそう口にした。 「なにかね?」 「スザクの専任騎士のお話は無かった事にしていただきたいのです」 まさか彼が自らその事を云いに来たとは思わなかった。 今までの会話を聞き、このままではスザクが騎士になると判断し、ここに来たのだろうか。何て危険な事をと、スザクは内心舌打ちした。 「なぜその話を今私に?ユーフェミアに、では無いのかな?」 「シュナイゼル殿下がユーフェミア皇女殿下と共に、この時間この場所へ来る理由は、スザクの専任騎士のお話以外ありませんので」 優しげに笑うL.L.の答えに、シュナイゼルは満足げに頷いた。 「だが、これは皇族であるユーフェミアの願いだ。それを聞き入れるのは臣民としての義務ではないかね?例えユーフェミアを嫌い、憎んでも、皇族の騎士として仕えるのがスザクの取るべき道だ」 シュナイゼルのその言葉に、ユーフェミアは顔色を悪くし、スザクを見たが、スザクは否定せず、目を背けることで答えた。 それはユーフェミアを嫌い恨んでいる事の肯定。 傷ついたような表情をしたユーフェミアは、その手をぎゅっと握りしめ、視線を下げたが、やはり撤回はしなかった。 彼女のその姿に胸がズキリと痛む。 ユーフェミアを傷つけたいわけではないというのに。 ただ、一言スザクの騎士の話は諦めると言ってくれれば済む話なのだ。 ・・・一体彼女は自分に何を求めているのだろう。 スザクが騎士となるのを拒み、既にユーフェミアを守ろうとする意思も無く、彼女の言動を迷惑に思っていて、最悪恨んでいるという情報をシュナイゼルは再三出しているというのに。スザクの反応でも理解したはずなのに、それでも撤回しない。 「シュナイゼル殿下、そのような不穏分子を皇女殿下の騎士にするなど、あってはなりません。スザクはユーフェミア皇女殿下の騎士としては不適格です」 「それは解っているが、ユーフェミアは、それでもスザクを騎士にと望んでいるのだよ。そうだね、ユーフェミア」 突然話しを振られたことで、ユーフェミアは驚き顔を上げ、シュナイゼルを見た後、スザクに小さな声でごめんなさいと口にし、肯定するために頷いた。 「ユーフェミアの意思は変わらないようだ。ならばスザクに犠牲になってもらうほかない。ブリタニアは弱肉強食が国是。皇族の命令は絶対だと言う事は、解っているね?」 犠牲という言葉に、ユーフェミアは体を震わせたが、それでも口を開く事はなかった。 「解っております。それがブリタニアという国ですから」 あくまでもその顔に優美な笑みを浮かべ、L.L.は答えた。 「とはいえ、私も今回の件は流石にスザクに申し訳ないと思っている。ユーフェミアの我儘のために、彼の人生を無駄にしろと言っているのだからね」 無駄という言葉に、やはり彼女は反応したが、それだけだった。 それはシュナイゼルの発言を全て肯定したという事で、スザクの彼女に対する評価はこれで完全に地に落ちた。 失望の色を隠せないスザクと、俯いたままのユーフェミアを見て、シュナイゼルはさてどうした物かと思案した後、L.L.へ視線を向けた。 「ジュリアス、この学園にチェスはあるかな?」 「ございますが、お使いになりますか?」 「ここに用意をしてほしい」 「かしこまりました」 L.L.は一礼すると、音も無くこの場を立ち去った。誰も一言も発しない静寂の中、 少し冷めてしまった紅茶で喉を潤していると、L.L.はチェスセットを手に戻ってきた。 テーブルの上が開けられ空けられ、L.L.の手で駒が一つ一つ並べられていく。 「ブリタニアは弱肉強食。強い者が正義だ。ならば、スザクの人生を賭けて勝負をし、勝った者がその所有権を得ることとしよう」 対戦するのはユーフェミアとスザク。 ユーフェミアはスザクを得るため、スザクは自由を得るため。 その人生をこの小さな戦場に賭けることとなった。 |