まだ見ぬ明日へ 第80話


チェス盤の上で、白と黒の駒が一進一退の攻防を続けていた。
元々頭を使う事を得意としないスザクはチェスが苦手だった。L.L.がクラブハウスに来てからは、週に1度チェス大会と称し、L.L.の監修の元、カグヤ、咲世子と勝負をしてはいるが、目の見えないカグヤにさえ負け続けている。それぐらい苦手だった。
チェスは貴族の嗜みだとL.L.は言っていたから、皇族も当然チェスをする。
何て分の悪い賭けだと内心舌打ちをしたのだが、ユーフェミアもまたチェスが得意ではないらしく、予想外にスザクは善戦していた。
そして。

「チェックメイト」

黒のナイトが白のキングを打倒した。
・・・勝てた。
スザクは肩から力を抜き深くソファーに腰を沈めると、緊張からカラカラになっていた喉に、入れなおされていた暖かな紅茶を流し込んだ。そして、安堵の息が口から洩れた。
反対にユーフェミアはその顔を青くし、唇をかみしめていた。

「見事だ、勝者はスザク。ユフィ、君の負けだ。スザクの事は諦めなさい」

宰相補佐であるシュナイゼルから見れば幼稚な勝負であったが、それでも自らの手で勝ちを手にしたスザクを称賛し、ユーフェミアにそう告げた。 ユーフェミアは顔をあげ、どうしてそんな事を云うのですかと、その顔に絶望を乗せシュナイゼルに詰め寄った。

「酷いですお兄様。私はチェスが苦手だと知っているのに・・・スザクを勝たせるために、この勝負を選んだのですね?」

勝負が終わった途端、その勝負の内容が悪いと文句を言いだした事にスザクは呆れるしかなかった。

「納得した上での勝負だったはずだ。第一君たち二人の力は拮抗していた。どちらが勝つかは、私でさえ終わるまで解らなかったからね。ジュリアスはどう見る、今の勝負を」

ルーベンの後ろに静かに控えていたL.L.に、シュナイゼルは見解を求めた。

「7手前と3手前でユーフェミア様はチェック出来ることに気づかれませんでした。そして最後の一手は悪手。立ち回りによっては2手後にスザクは負けていたでしょう」

L.L.もまた安堵したように笑みを浮かべていて、本当に際どい勝負だった事が伺えた。

「そうだね。スザクが勝てたのは、小さなミスはあれど、勝つための道を見逃さなかった事だ。反対にユフィは何度も自ら勝ちを逃した」

腕で言うならばユーフェミアのほうが上だっただろう。と告げるシュナイゼルの言葉に、ユーフェミアはそれでも納得できないと首を振った。

「そんな事はありません。では、もう一度勝負をしてください。私ではスザクに勝てませんので、お兄様、私に代わりスザクとチェスの勝負をしてください」

懇願するように隣に座る兄に再戦を頼んだユーフェミアに、シュナイゼルは目を眇め、厳しい表情で口を開いた。

「ユフィ、君は私がチェスの世界チャンピオンにさえ勝てる腕だと知った上で言っているのかな」
「そ、それは」

シュナイゼルがチェスでは負け知らずだというのは有名な話だ。
ユーフェミアが知らないはずもなく、あからさまに狼狽えていた。
上級者が、初心者と勝負をした結果など、する前からわかりきっていることだから。

「私が負けると言う事は、わざと負ける以外ないと解っているね?」

それでも、と君は言うのかな?

「で、では、お兄様とジュリアスが勝負すればいいのです。ジュリアスとお会いするのは今が初めてですが、とても頭のいい方だと聞いています、ですからきっとチェスも強いはずです」
「では、私がジュリアスと勝負した結果であれば、受け入れると言うのだね?」
「はい。もしお兄様が負けるような事があれば、私はスザクを騎士にする事を諦めます」

それは、世界チャンピオンにも勝てるほどの腕を持つ兄ならば、多少頭のいい者が相手になったとしても必ず勝てると言う信頼から出た言葉。
だが、初めて彼女がスザクを諦めると口にした言葉でもあった。
スザクはこちらが辛勝したのに、ユーフェミアが最強の駒を持ちだし、再度勝負を挑んできたこの状況に、呆れて何も言えなくなった。L.L.の頭の良さは知っている。チェスも上手い。だが、世界チャンピオンに勝てるシュナイゼル相手に通じるのかは解らない。
スザクはようやく静まりかけていた怒りが再び胸の内で燃え上がるのを感じながら、唇をかみしめた。

「という事なのだが、どうだろうジュリアス。スザクを賭けて勝負をしてくれないか?」
「今の勝負で決着はついたはずですが。再度勝負してもこちらに利はありませんので、受ける理由はありません」

あくまでも穏やかに、だが決して譲れないという口調でL.L.はそう言った。
賭けとは、互いに欲しいものを提示することで成立する。
賭けが成立しない以上、勝負もまた成立しない。

「たしかにそうだね。スザクの自由は当然として、他に何か望みがあるなら、それを賭けてもいい。スザクの妹君の治療の事でも構わないよ」
「いえ、彼女の事でしたらお気づかいなく。腕のいい医者が知り合いにおりますので。ですが、何でも構わないのですか?複数あったとしても?」

シュナイゼルの申し出に予想外に食いついた事に、スザクは驚きL.L.を見た。
じっとシュナイゼルを見つめるその瞳は、相手の出方を伺っているようだった。

「こちらで叶えられる内容であればいくつでも構わない。再戦をお願いしているのはこちらだからね」
「では、こちらの条件としては、勝負はこれが最後という事。そしてスザクが騎士にならない事は当然とて、ユーフェミア皇女殿下にはこの学園の自主退学と、学園内外関係なく、二度とスザク達に関わらない事を約束していただきたい。それと、スザク達は行政特区に参加しませんので、今後勧誘もお断りします。手紙や電話などの連絡は・・・」

ちらりとL.L.が視線を向けたので、絶対いらないと首を振った。
これ以上ユーフェミア絡みでのトラブルなどごめんだ。

「手紙や電話などの連絡も一切しないでいただきたい。これは学園の生徒、教師全員に関しても同じと考えてください」

騎士の話が消えたとしても、ユーフェミアは学園に通い続ける可能性がある。理由をつけて遊びに来る可能性も。だからここで全ての可能性を潰すと宣言しているのだ。
ニーナの事を考えれば、生徒会メンバーとの連絡は可としたいところだが、彼らに何かをされても困る。だからすべてを。

「いいだろう。その条件に加えて、ユーフェミアには私が選んだ由緒正しい貴族を専任騎士としてつけ、マスコミにもこれ以上君たちの生活の邪魔をしないよう手を回そう。アッシュフォードには今までかけた迷惑料という事で、資金援助もしよう」

こちらの条件を全て飲み、更に好条件を上乗せする。それは負けるつもりのない王者の余裕か、万が一負けた時に確実にユーフェミアを抑えるための物か。
どちらにせよ、こちらに否はない。

「そうしていただけると助かります。では、以上の条件を全て飲んでいただけるのであれば、再戦をお受けします」

にっこりと美しくそれでいて覇気に満ちた王者の笑みを乗せ、L.L.は優雅に一礼した。

79話
81話