まだ見ぬ明日へ 第88話 |
「神楽耶様!神楽耶様!」 必死に叫ぶ声が聞こえ、神楽耶は目を覚ました。 寝ぼけ眼を擦りながら、自分が何処にいるのか解らずあたりをきょろきょろと見回した。暗い部屋、天井が近く、床も壁もむき出しの木の板。 状況がわからず泣き出しそうになったが、よく見ると隙間から光が指していることに気づき、その光の入り方とその周辺の作りで、ああそうだ。押入れに隠れていたんだと思いだし神楽耶はほっと息を吐いた。 どうやら自分はずいぶん長く眠ってしまったらしい。 いくら探しても見つからない私に慌て、皆が必死に探しているようだった。 その必死さに、神楽耶は思わず身を縮めた。 しまった、やり過ぎた。 ここまで大げさにするつもりはなかった。 これで見つかれば、きっとお説教される。 出たくない。 自分を必死に呼ぶ声に耳を塞ぎ、神楽耶は押入れの中で小さくなっていた。 必死な声はその後も続いたのだが、辺りに響く声はそれだけではなかった。 悲鳴。 怒声。 大気が震えるほどの、恐怖。 最初は叱られるのが怖くて隠れていた。 だが、今は違う。 怖くて、怖くて出られなかった。 何かが違う。 何かがおかしい。 まだ夢を見ているのだろうか。 ああ、そういえば昨日は古い恐怖映画を見たんだった。 きっとそのせいで、こんな怖い夢を見ているのだ。 早く起きなきゃ。 目を覚まさなきゃ。 そう考えながら体を小さくし押入れに隠れていると、この部屋によく知る人物が駆け込んできた。 「神楽耶様っ神楽耶様!」 それは私の乳母。 私は跳ねるように顔を上げ、必死になって襖を開けた。 「さ、さやっ!小夜!小夜!」 押し入れから飛び出してきた小さな体。 それに気がついた乳母は一瞬恐ろしい形相をしていたのだが、神楽耶だとわかると安堵したような顔で両手を広げ神楽耶を抱きしめた。 「良かった!ご無事だったのですね。話をしている時間はありません。しっかり捕まっていてください」 乳母はそういうと、神楽耶を抱きかかえた。 その途端、この部屋に何人かの男が駆け込んできた。 彼らの顔には見覚えがあった。 彼らは私達を守るための警護役。 「お逃げください神楽耶様!篠崎たのむ!」 苦しそうに顔を歪めた男は、そう叫びながらも、その手に持った刀を乳母と私目がけてふり下ろしてきた。 乳母はすぐさま後方へ飛ぶと、拳銃を構えた男めがけ駆け出した。 「篠崎!左によけろ!」 その言葉に従うよう乳母は左へ体を翻すと、男が放った銃弾は私達を捉えること無く、壁にその鉛球を埋めた。 「皆様、お先に行って待っていてください」 乳母はそういうと、その男たちの傍をすり抜けた。その瞬間、神楽耶を抱えていない方の手に持っていたナイフを素早く振り払った。 男たちの首筋から真っ赤な鮮血が飛び散った。 「神楽耶様を・・たのむ」 「この命に変えて、必ず」 乳母は振り返ること無くその場を離れた。 初めて見る鮮血。 初めて見る、人の死。 やはりこれは夢なのだと神楽耶は思った。 この血生臭さも、目に映る血の鮮やかさも現実のはずがないと考えていた。 考えたかった。 「神楽耶様、原因は解りませんが、屋敷の外を警備していた者達は自分の意志に反して体が動いているのです」 「え!?」 「皆を恨まないでくださいませ」 勝手に体が動き、守るべきものを虐殺している。 その言葉が信じられず、やはりこれは悪夢の続きだと神楽耶は思った。 だが、もう大丈夫。 私の乳母は篠崎小夜。 皇家を守り続ける隠密・・・俗にいう忍者である篠崎家の先代当主。 彼女に勝てるものなどいるはずがない。 乳母は屋敷を離れようとしたが、林の中に危険を感じたのか、再び屋敷へ引き返した。 「正面から出ましょう」 意外と正面の方が手が薄い事があるのですよ。 何時もとは違い感情を押し殺したような声で話した乳母は、目を閉じていてくださいと言った。だが、悪夢だと思っていた神楽耶は、目を閉じること無くすべてを目にした。 皆が話をしていたあの和室は一面血の海だった。 祖父母も両親も、朱雀の父玄武も、他の家の者達も、皆倒れ伏していた。まるで映画の殺戮シーン。そこを駆け抜けている時にも警護のものが「小夜殿!振り下ろします!避けてください」と叫び、言葉の通りに刀をまっすぐ振り下ろした。それを小夜は難なく交わし、その男もまた首元から血を流す。 今なら解る。 自由にならない体でも、自分の体。 どう動こうとしているか、誰よりも知っている。 だからそれを必死に伝え、私達を先に進ませようとしたのだ。 その両目から涙を流し、苦悶の表情で自分を制御しようとしながら、それが出来ず、それでも少しは私達が生き残れる道を。 だが、それにも限界があった。 あと少しで玄関というところで、乳母は足を止めた。 その場に現れた男たちは全員その口を塞がれていた。 何者かによって猿轡をされたような状態。 何かを言おうとしても言葉にならない。 とうとう乳母は傷を負い、男たちの手は彼女の命をあっさりと奪った。 私の目の前で彼女の体に幾つもの銃弾が打ち込まれ、刃物が刺された。 彼女の腕から投げ出された私は、その姿を呆然と見つめていた。 彼女の体がぴくりとも動かなくなった時、男たちはゆらりと私の方に向き直った。 お逃げください。 恐らく彼らはそう口にしていたのだろう。 だが恐怖に身をすくませた私には、真っ黒で巨大な化け物が唸り声を上げているようにしか見えなかった。 私は悲鳴を上げながら逃げた。 必死に逃げた。 床に転がる死体に悲鳴を上げ、家の中を駆けまわった。 男たちはどうにか自分を抑え続けたのか、私にはなかなか追いつかなかった。 でも、幼い子供の足、幼い子供の体力。 勝ち目など最初からなかった。 凶刃は私の目から光を奪った。 激しい痛みと、火が点いたような熱さが全身を支配し、私は悲鳴を上げながら転げまわった。生まれて初めての痛みを感じても、私の悪夢は終わらなかった。 暗闇に閉ざされた視界。 唸り声が、私を囲む。 恐怖から私は助けを求め続けた。 小夜、朱雀、助けてと。 怖い、助けて、誰か、助けて。 だが聞こえるのは唸り声だけ。 私も皆のように殺される。 そう思った。 だが、突然辺りは静かになった。 誰かがこちらに駆けて来くる足音が、聞こえたのだ。 私を囲んでいた男たちの意識がそちらに向かう。 足音はすぐ傍で止まった。 「何て事だ・・・!大丈夫だ、神楽耶は俺達が守る。だからもう、お前たちは死ね!」 悲しそうな男性の、死を命じる声が聞こえた。 その瞬間、苦しみと悲しみの唸り声は歓喜の唸りに変わり、幾つもの銃声と、ドサドサと何かが倒れる音が響き渡った。私を囲んでいた唸り声が消え去り、操られていた警護の者たちが倒れたのだと知った。 「間に合わなかったか。玄武も他の者たちもあちらの部屋で死んでいた」 女性の声が聞こえた。 足音が、こちらに近づいてくる。 「だが、神楽耶はまだ生きている」 悲しげな男性の声とともに、私は抱きかかえられた。 「それで、朱雀はいたか?」 「いや、まだ・・・見てはいない。応急手当てをする、手を貸せ」 悲しみと怒りを宿した二人の声は私の敵ではないことを示していて、私は助かったのだという安堵から意識を手放した。 屋敷の玄関についた朱雀は、見知らぬ人物がそこに立っていることに気がついた。 客だろうか。 そうれなければ厳重な警備がされているこの場所に他人が入り込めるはずがない。 朱雀が挨拶をした時、男は携帯を手に取り耳に当てた。 「ターゲットを発見しました。はい、間違いなく枢木朱雀です」 男の感情のこもらない言葉に、スザクは後方に飛び退った。 --敵だ。 朱雀が警戒したことに男は気づいたが、相手は10歳の子供。敵ではないと言いたげに携帯を胸ポケットに仕舞うと、ゆっくりと朱雀に近づいた。 雷鳴が轟き、暗闇に立っていた男の顔が明らかになる。 流暢な日本語を話していたが外国人で、人を見下すような、冷たい眼差しでこちらを見ていた。 「俺に、何の用だ」 「今は知らなくていいことだ。一緒に来てもらおうか」 「断る」 誘拐しに来た相手に、ついて来いと追われてついていくバカがいるだろうか。 朱雀が即答すると、男は面倒だと言いたげに息を吐き、懐から拳銃を取り出した。 朱雀は一瞬それが何か判断出来なかったが、黒光りするその凶器を理解すると、全身が凍りついた様に固まった。純粋な殺戮兵器を前にした恐怖で身が竦んだのだ。 屋敷内から聞こえる悲鳴やざわめきの犯人はこの男たちなのだ。 拳銃を持つ男たちを前に、SP達が手をこまねいているのか、それとも。 スザクは背筋にざわりと悪寒が走ったのを感じたと同時に、前へ身を転がした。 雨音にかき消されて気づくのが遅れたが、真後ろに別の男が数名朱雀を捉えようと手を伸ばしていたのだ。その手をどうにか逃れ、朱雀は男たちを正面に見据えるように体制を整えたが、男たちは拳銃をこちらに向けて構えた。 「まったく、こんな小僧に第七席を与えるなんて」 「嚮主様のお言葉を疑う気か?黄色い猿とはいえ大切な駒。怪我はさせるな」 今、男たちはブリタニア語で話しをしていた。 子供である朱雀には理解出来ないだろうと思って話したのだろう。 だが、朱雀の父枢木玄武の厳命で幼少時からブリタニア語を学んでいたから、片言ではあるが話せるし、全部は無理だがある程度の言葉は理解できた。 誘拐が目的で、怪我をさせるつもりはない、つまり殺すつもりもない。 拳銃はあくまでも脅しの道具。 自分が勝てるとしたらその隙を突くこと。 朱雀はこの僅かな時間で気持ちを立て直すと、一番左側にいる男に駆け寄った。 油断していたからだろうか。 一番左の男をスザクは難なく打ち倒すことに成功した。 「くっ!さすが、というべきか。幼い頃からこれだけの強さか!」 「このガキが!」 威嚇射撃をしてきたが、当たらないと解っている拳銃など、単に大きな音を鳴らす道具にすぎない。スザクは躍りかかったが、警戒した相手は素早くかわした。軍人だろうか、戦闘訓練をしっかりと受けたという動きだった。 二度目の奇襲は失敗し、ジリジリと朱雀は追い詰められた。 三人がかりの攻撃をどうにかかわしこの場を離れようと駈け出したのだが、別の男が死角から現れスザクは慌てて受け身を取った。 蹴りだされた足をどうにか受け止めたが、大人の本気の蹴りと、子供の軽い体。 体は後方に飛ばされ、とうとう壁に追い詰められた。 「くそっ!」 もうどうにもならないことは解っていた。これが訓練を積んでいない相手なら、体格差を利用し足元をくぐり抜けるなどてもあるのだが、彼らに隙はなかった。 男の手が伸びてきて、朱雀は負けを認めるしか無かったのだが。 その手を伸ばした男が突然倒れた。 それを引き金に、スザクを囲んでいた男たちは次々地面に沈んだ。 「朱雀様、ご無事ですか」 男たちの後ろにいたのは朱雀もよく知る人物、まだ17歳の少女だった。 「咲世子!」 「申し訳ありません、賊に入り込まれていたとは・・・」 今日、咲世子はこの場所に至る道の一つを警備するため、屋敷から離れていたはずだった。だが屋敷での異変に気づき、ここまで駆けてきたのだろう。その衣服は全身雨に濡れていて、跳ねた泥で全身が汚れていた。彼女らしくなく、樹の枝などに引っ掛けたのだろう、衣服に破れているところも見られた。 「それよりも中を!悲鳴が聞こえた!」 「はい、急ぎましょう」 二人が急ぎ中に入り見た光景は、まさに地獄絵図だった。 |