まだ見ぬ明日へ 第89話 |
屋敷の中は、信じられない程しんと静まり返っていた。 当然だ、玄関の扉を開いた先には生者は一人もいなかったのだから。 たった扉1枚。 その向こうは辺り一面血の海で、死体が至る所に転がっていた。 まさに地獄絵図だった。 むせ返る血の臭いとあまりの光景に、朱雀はその場で吐いた。 そんな朱雀を背に、咲世子は辺りを警戒しながら死体を調べていく。 何があったのか、何が起きたのか。 解っているのは、死体は全て見知った者達だったということ。 外にいたような、見知らぬ賊はこの中にはいなかった。 皆手には武器を持ち、まるで同士討ちをしたような光景が広がっている。 ふらふらとした足取りで、青ざめた顔の朱雀が咲世子の傍までやってきて呟いた。 「小夜まで・・・」 死体の中に見慣れた女性を見つけた。 篠崎家当主である篠崎小夜は神楽耶の乳母であり、今スザクと共にいる篠崎咲世子の母でもあった。 彼女の体は銃弾で、刃物で無残な状態となっており、彼女の周りには口をふさがれたSPの死体もあった。彼女ほどの手練でさえこの有様だ。もう屋敷の中に生きている者は居ないのかもしれない。 感傷に浸る間もなく二人は奥へ進んだ。 小夜の血で濡れた足で走ったのだろう、廊下にくっきりとちいさな足跡が残っていた。 ここにいる子供は朱雀と神楽耶だけ。 だからこの足あとは神楽耶のものだった。 小夜に守られ、神楽耶はここまで来ていたのだ。ならば、朱雀が追い詰められている時に聞こえていた騒ぎはここでのもの。あの時、あの賊をすぐに倒せていれば、小夜は、あの場にいたSP達は死なずにすんだかもしれない。 咲世子のように戦う力があれば。 自分の無力さに打ちひしがれていると、奥の部屋で倒れ伏す神楽耶を見つけた。 彼女の傍には多くのSP達が倒れ伏していた。 口を猿轡で塞がれ、両目から涙を流した見慣れた男たち。 彼らは皆その顔には安堵の表情を浮かべながら、自らの武器で自害していた。 それは明らかに異様な光景だった。 彼らの血だまりから少し離れたところに、神楽耶はいた。 意識なく倒れる彼女の姿は、この中で殊更に異様だった。 カグヤは傷を負っていた。 だが、傷を負ったその顔には包帯が巻かれ、手当がなされていたのだ。 この状況で出せる答えは一つだけ。 誰かが、神楽耶を助けたのだ。 そして今この屋敷内で生きているのはここにいる三人だけ。 咲世子は神楽耶を抱き上げると、辺りを見回した。 しんと静まり返ったその場所に人の気配はもう無い。 この周辺のSP達は全滅している。 敵の増援がいつ来るかはわからない。 ならばこの二人を自分一人で守らねばならない。 幼い子供二人を抱え、誰とも解らぬ敵から逃げなければならない。 咲世子は思案した。 「・・・朱雀様」 そして、一つの策を口にした。 静かに、部屋の扉が開いた。 スザクはビクリと身を震わせ、反射的に攻撃態勢を取った。 誰だ。こんな時間に誰がここに? 明かりが灯されていない部屋、明かりの灯されていない廊下。 気配は感じられないが、誰かがいることだけは間違いない。 誰だ、誰が、どうする、逃げるか、戦うか、神楽耶は無事か? 混乱する頭は答えを出せず、思考がぐるぐると頭の中で渦巻いていた。 暗がりでひとつの影がゆらりと動いた。 「なんだ、起きていたのかスザク」 その影は、優しいテノールでそう言った。 「・・・L.L.?」 スザクはなんで?と、意外そうに言った。 「こんな時間に俺以外誰がいるんだ?」 苦笑しながら影は扉にロックを掛けた。 そこでようやくスザクはこの部屋に自分一人だったことに気がついた。何時もだったらL.L.が部屋にいて、少ない明かりでパソコンを操作したり、本を読んでいるはずだったのに、その姿がなかったのだ。 物音のない静か過ぎる部屋に、ああそうかと気づく。 以前は月に1度は見ていたこの悪夢をL.L.が来てから見ることはなかった。 そう、以前はよくこの夢を、あの日の記憶を見ていた。 そして目を覚ました後は眠ることが出来ず、暗闇に中で一人震えていた。 彼がここに来てから、自分以外の人の気配が傍にあった事に自分がどれほど安堵し、悪夢から自分を守ってくれていたのか今はじめて気がついた。 パチリと音を立てて部屋の明かりがついた。 やはりそこにいたのはよく知るL.L.で、スザクはようやく攻撃態勢を解くと、ベッドの上にどさりと座り込んだ。 激しい疲労感を感じ、脱力する。 「スザク?」 L.L.はいつにない様子のスザク近づくと、ベッドの端に腰を下ろした。 半ば放心した状態のスザクに眉を寄せ、悪夢を見て泣く幼い子供をあやすようにスザクの頭に手を伸ばすと、優しくその髪をなでた。 その表情は穏やかで、慈愛にあふれる笑みを浮かべ「どうしたんだ?何か怖い夢でも見たのか?」と、優しく聞いてきた。 L.L.は今までも優しかった。 優しい笑みを向けてくれた。 でも、ここまで慈愛に満ちた姿を自分に向けるのは初めてのはず。 それなのに、その姿になぜか泣きたくなった。 その笑みを見れて嬉しいと思うのと同時に、心臓が握りつぶされるように苦しかった。 まるで胸にある傷口が開き、心が悲鳴をあげているようにも感じられる。 自責の念と罪悪感と激しい後悔があふれ出し、押しつぶされそうになる。 知らない。 こんな感情知らない。 きっとあの夢のせいで混乱しているのだろう。 呼吸をするのも苦しいほどの思いに翻弄され、スザクは縋るように手を伸ばした。 「L.L.」 その痩身を抱きしめ、L.L.の肩口に額を押し付けた。 「スザク、どうしたんだ?お前震えているじゃないか」 一瞬驚いたが、スザクの体が小刻みに震えていることに気づくと、強く抱きしめた。 「スザク、スザク、大丈夫だ、俺がここにいる。もう大丈夫だよ、何も怖い事など無い。何かあっても、俺が守ってやるよ」 だから落ち着け。 優しい声が頭の上から降り注ぐ。 L.L.の手は優しくスザクの背を撫で続けた。 自分より低い体温に包まれたスザクは悲しみを抑えきれなくなり、L.L.を抱きしめる腕に力を込めると、声を出して泣きだした。 暗闇の中、膝を抱えながらブルブルと体を震わせていると、突然部屋の扉が開いた。 思わずヒッと小さな悲鳴を上げた私は、どうにか身を隠せないかとパニックになりながらベッドから降りた。何時もだったら何でもないその行為でさえ、恐怖に固まった体は普段以上の時間を要した。 震えながらベッドの横にあるはずの杖を探すが、どうしても見つからない。 どうして?何時もここにあるはずですわ! だが、何度その場所に手を伸ばしてみても、手にいつもの感触が触れることはなかった。 頭は既にパニックを起こし、自分が何をしているかも解らなくなってきて、恐怖と興奮で涙がぽろぽろとあふれ出てきた。 「どうしたカグヤ?トイレか?」 ドアの方から足音とともに聞こえたのは、私の知る声だった。 「・・・し、C.C.・・・?」 「ああ、私だ。どうしたんだ?寝る前に用を足すのを忘れたのか?」 そう言いながらC.C.はカグヤのすぐ横までやってくると「ほら、杖だ」と、カグヤの手によく馴染んだ杖を握らせた。 「限界なんだろう?ついていってやるから少しは落ち着け」 どうやらパニックを起こして杖を探しているのは、トイレを我慢しきれなくなったとC.C.は考えているようで、杖を持っていない方の手を軽く握ると、優しく手を引いた。 その動作に、私は恐怖で身を硬直させた。 これはまるであの日、乳母にあの部屋から連れ出された時のよう。カグヤは再び恐怖に心を支配され、わなわなと体を震わせ、首を振る振ると横に振った。 いくら引いても微動だにしないカグヤの様子にC.C.は困ったように嘆息した。 「どうしたんだ一体。ああ、もう歩けないぐらい限界なのか?まったく仕方ないな、ほら、運んでやろう」 そういうと、C.C.は自然な動作でカグヤの背とひざ裏に手を回し、抱き上げた。 女性のC.C.にはカグヤの体は重い。それでもC.C.は何も言わずにゆっくりとした歩みで部屋を出た。 「あ、お手洗いには・・・」 「何だ違ったのか?だが、どうせだから行っておけ。大丈夫だ、私がちゃんと見張っていてやるよ。だから何も心配するな」 お前、震えているぞ? まるで小馬鹿にするようにC.C.はそう言ったが、その声には慈愛があふれていた。そしてお手洗いに入っている間、C.C.は一人で話し始めた。まるでカグヤを安心させるように、ここにいるからと言うように。 「本当にL.L.は酷い男だと思わないか?こんな真夜中に、このか弱い私を呼び出したんだぞ?交通機関でさえ眠っているこの時間に、この美しい私をだ。まあ、マオに運転させて近くまで来たから安全ではあるんだが、こんな夜中に学園に車を着ける訳にはいかないだろう?だから仕方なく公園で車を降りざるを得ない私を迎えに来てたことは評価するが、私より体力の劣る男に護衛など出来ると思うか?どれだけ私が周りを警戒して歩いたか、わかるか?美男美女が真夜中に歩いているんだぞ?」 ぐちぐちと、そんな文句を言っていると、暫くしてカグヤが出てきた。 まだその顔は青ざめていて、C.C.は杖を持っていない手を握り締めると、部屋に向かって歩き出した。 カグヤの手はまだ震えていた。 部屋に戻り、未だ恐怖で固まっているカグヤを寝かせようとするのだが、カグヤはベッドの上に座り、横になろうとしなかった。 ベッドの端に腰を掛けていたC.C.はそっとカグヤを抱きしめた。小刻みに震えているカグヤは、縋るようにC.C.に抱きついた。 「カグヤ、怖いか?」 C.C.はいつになく慈愛に溢れた声音でそうカグヤに尋ねた。 「・・・はい」 「そうか」 そう言いながら、カグヤの黒く長い髪を優しく梳く。 「怖い夢でも見たか」 「はい。とても怖く、恐ろしい、昔の夢を見たのです」 「そうか」 「最近は見なくなっていて、油断をしてしまいましたわ」 未だ震える声で、カグヤは自嘲するように笑った。 その笑い顔にC.C.は痛々しげに目を細めた。 「何時も見ていたら慣れるが、久しぶりだとその衝撃は大きくなる、か」 子供たちの心に残った傷は根深く、7年たった今もこうして苦しめている。 普段はL.L.が眠る二人を見守っていたのだが、今日は二人揃って悪夢に囚われてしまい、慌てたL.L.にC.C.は呼び出されたのだ。 一つしかない体では、二人をあやすことは出来ないと。 今まで7年間大丈夫だったんだからそんなに過保護にならなくてもと思ったのだが、なるほど、これはL.L.が心配し、この場所を離れられなくなるのは納得だ。 L.L.の話では、特定の日の前後に、このような状況に二人は陥りやすいのだという。 特定の日。 それは彼らの家族が虐殺されたあの日、その月命日だ。 「大丈夫だカグヤ、今日は私が傍にいるからゆっくり休め。私は不老不死の魔女C.C.だぞ?私に勝てる人間などそうはいないからな。最強のボディーガードだろう?」 ゆっくりとカグヤの体を横たえさせると、C.C.はカグヤの手を握り、空いている手でカグヤのお腹の辺りを布団越しにポンポンと叩き続けた。 そして、日本では馴染み深い子守唄を口にする。 カグヤが静かな寝息を立て始めても、C.C.はまるで母親のような愛情を込めて歌い続けていた。 |