帽子屋の冒険2  第2話


リビングに置かれたソファーの中央には、顔を真赤に憤慨している帽子屋。
その左横にチェシャ猫。そして右横に白の騎士が座り、睨み合っていました。
二人共鬼のような行相で、その視線の間には火花が飛び散っているように見えます。
帽子屋の代わりに、食材の買い出しに行っていたバンダースナッチは、冷たい冷気が漂い、ピリピリとしたこの空気に思わず身を固くしました。
両手に持った紙袋がガサリと鳴り、ああ、食材を駄目にすると帽子屋に怒られると、キッチンに置いた後、ああそうだと、バンダースナッチはギアスを発動しました。
次の瞬間、その手には帽子屋の姿がありました。

「何が原因かしらないけどさぁ。あんな二人の間に居たら帽子屋、怪我しちゃうよ?」

そう言いながら、突然の移動に呆然としている帽子屋を、キッチンにあるテーブルの上に降ろしました。
本来なら、自分に接している者だけを転移するのがギアスなのですが、転移対象が無機物の場合は特定のマーキングを、生物の場合、特定の契約を転移対象と交わしていれば、ある程度の距離が離れていても転移が可能なのです。帽子屋の弟子となったバンダースナッチは帽子屋と契約済みのため、半径20m以内に居る帽子屋が目視可能な場合は、自分の手元に移動する事ができるのです。

「・・・!偉いぞバンダースナッチ!俺の気持ちをちゃんと考えたんだな!いやその前に、ありがとう、助かったよ」

帽子屋は、他人のことも考えられるようになったバンダースナッチの変化に素直に感動し、その顔に満面の笑みを乗せ、バンダースナッチを手放しで褒めました。
帽子屋に褒められることが大好きなバンダースナッチも満面の笑みで喜びます。
そんな二人の様子を温かく見つめていたのはチェシャ猫。
ああ、あのバンダースナッチが人の痛みを考えるなんて、さすが帽子屋だ!さすが私の魔王!と此方も感動しているようでした。
そして反対にイライラと冷たい視線で見ていたのは白の騎士。
白の騎士は帽子屋のことは大好きですが、チェシャ猫のことはあまり好きではありません。そしてこのバンダースナッチに関してはあの事件のことも有り大嫌いでした。
大好きな帽子屋と、あまり好きじゃないチェシャ猫が一緒にいるだけでイライラする白の騎士です。大好きな帽子屋と、大嫌いなバンダースナッチが一緒なんて許せる状況ではありません。
ゆらりと立ち上がり、帽子屋の元へ向かおうとした白の騎士の前に、ニヤリと笑ったチェシャ猫が立ちはだかります。

「男の嫉妬は見苦しいぞ、白の騎士。そんなことより、白の女王に呼び出されていたんじゃなかったか?そろそろ時間だと思ったんだが?」

その言葉にハッとなった白の騎士は壁掛け時計を見上げました。
今の時刻は白の女王との約束の30分前を差しています。

「私は親切だからな、送ってやるよ白の騎士」

チェシャ猫はにっこり笑うと、白の騎士とともに姿を消しました。
残されたのは、帽子屋とバンダースナッチ。
静かになったその部屋で、疲れたと言わんばかりに深い溜息を吐いた帽子屋は、バンダースナッチと共に買ってきた食材の片付けと、明日の仕込みを始めました。

コードの力で転移した二人は、白の王と白の女王の玉座の前に姿を表しました。

「あら、白の騎士、そしてチェシャ猫。珍しい組み合わせですね」
「しかも謁見の時間の30分前に来るとは、何かあったのか白の騎士、チェシャ猫」

玉座に座っている白の王と白の女王は、突然謁見の間に現れた二人に驚くこともなく、そう訪ねました。
神出鬼没なチェシャ猫の来訪は日常茶飯事なので、その程度で動揺する事はありません。

「何、白の騎士が白の女王と約束している事を聞いていたからな。優しい私が、親切にも送り届けてやったんだよ」

用件は済んだと、チェシャ猫は白の騎士をその場に残して姿を消しました。
チェシャ猫が消えた場所を悔しそうに睨みつける白の騎士と、またかと呆れたように口にする白の王、相変わらず仲良しなのねと笑う白の女王。

「まあ、それだけ不思議の国が平和だということか。この国で今で起きている問題など、お前とチェシャ猫の喧嘩ぐらいだからな」
「仲がいいのはいいことです。でも、仲が良すぎてちょっぴり妬いてしまいます」

白の女王はにこやかな笑みを乗せながら、白の騎士に言いました。

「忘れないで下さいね。あなたは私の騎士なのですよ」
「イエス、ユアハイネス。私は白の女王の剣、貴女を守るため、貴女に忠誠を誓った騎士です」

その返事に、白の女王は満足気に頷きました。
実は白の女王は一人でふらりと城を抜け出し、遊び歩く癖がありました。
いくら平和な国とはいえ、女王が従者も着けずに歩きまわるなんて危険だと、いくら説得をしてもその癖は一向に治らず、それならば女王に専任騎士を着け、その者に守らせようという話となりました。
白の王、赤の王と女王、ハートの王と女王が進める騎士はどれも気に入らないと全て却下し、ある日たまたま町で出会った異国の少年を自らの騎士としてしまったのです。
周囲の反対を押し切り、騎士とした少年だけを連れて歩くその姿に、一人で出歩くよりも安全だからと、周りもとうとう諦めました。
そして今日もこれから白の女王と白の騎士は、視察という名のデートなのです。

「では、これから街へ行きますのでお伴してくださいね」

白の女王は、ぱあっと明るい笑顔でそう言うと、白の騎士の元へ足を進めました。
帽子屋の事は気になりますし、チェシャ猫のことは腹が立ちますが、今自分がすべきことはこの方の護衛だと、白の騎士は気持ちを切り替えました。

「イエス、ユアハイネス」

白の騎士は爽やかな笑みをその顔に浮かべると、恭しく白の女王の手を取りました。


ようやく邪魔者を追い返し、大好きな者がいる場所へと戻ってきたチェシャ猫は、キッチンに足を踏み入れると、その目を大きく見開き、大急ぎでハートの城へ転移しました。


キッチンに居たはずの帽子屋とバンダースナッチの姿は何処にもなく、作りかけのクッキー生地はボウルから飛び出し、床にはクッキー型や伸ばし棒が散乱していました。
そしてこぼれ落ちた小麦粉が、部屋を一面真っ白に染め上げていたのです。
小麦粉によって床には複数の足跡と、バンダースナッチが何者かと争った痕跡だけが残っていました。

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