歪んだ人形 第16話 |
美しい空が視界いっぱいに広がるこの広大な空間には、地面と呼べるものは存在しなかった。 あるのは、人口の建造物だけ。 その建造物ですら、何の支えもない空中に浮かんでいるのだから、人の常識が通じない場所だということは、誰の眼にも明らかだった。 黄昏の間。 そう呼ばれているこの美しいその場所に、シャルル・ジ・ブリタニアは唯一人立ち尽くしていた。ブリタニアの皇帝であるというのに、従者一人つけること無く、凪いだ瞳でただ空をみあげているのだ。しばらくそうしていると、後ろから小さな足音が聞こてきたため、シャルルはゆっくりと振り返った。軽快な足取りで、宙に浮いた階段を登ってくる幼い兄の姿がそこにあった。 「兄さん、来てくださったのですね」 「シャルルが呼んでいるんだもん、来るにきまってるじゃないか。でも珍しいね、君がここに僕を呼ぶなんて」 いつもなら、僕が会いに行くか、地下嚮団施設で会うかなのに。 皇帝は威厳に満ちたその顔に親しみを込めた笑みを乗せると、幼い姿で時を止めた兄を招き、そこに用意されていたソファーに向かい合う形で座った。 「たまには兄さんと昔話がしたくなりまして」 ここならば誰の邪魔も入りませんから。と言うと、幼い兄は確かにそうだと頷いた。 「それはいいね。でも本当にどうしたのさ?今までそんな事無かったのに」 「疲れているのかもしれません。すこし私の話相手になってください」 皇帝という激務と侵略戦争、そしてラグナレクの接続。 年老いた弟は、確かに疲れているように見えた。 幼い兄は、弟が自分を頼ってくれたことが嬉しくて、その瞳を柔らかく細めて笑った。 「うん、いいよ。たくさん話そうシャルル」 話される内容は幼い日から共に歩んできた二人の人生。 母を亡くし、暗殺に怯え、ギアスを手に入れ、コードを手に入れた過去の話。 懐かしくも悲しく、幸せと苦しみに満ちた思い出話を始めた弟に、幼い兄は穏やかな笑みを向けた。それから数刻後、黒いマントを頭からかぶったギアス響団の者が数名この場所に訪れた。 「なんだ?今急ぎの用は無いはずだよ。シャルルとの時間を邪魔しないでよ」 楽しい時間を邪魔されたV.V.は、不愉快だと冷たい視線を響団の者に向けた。 それを、シャルルは手で制し、自分に用事があるのだと示した。 ああ、そうなの?それならいいや、とV.V.は表情を和らげた。 近づく事を許可された響団員の一人がかつかつと靴音を鳴らし、皇帝の傍まで歩み寄り、その者が皇帝の斜め後ろに立ったのを見計らい、皇帝はゆっくりと口を開いた。 「して、どうなった」 「すべて完了いたしました」 その言葉に、シャルルはゆっくりと満足げに頷いた。 「そうか。では後はこれだけだな」 「はい」 「やれ」 感情のこもらないシャルルのその命令に従い、その場にいた他の嚮団員は走り出すと、V.V.をあっという間に拘束した。 突然の事に驚きを隠せないV.V.は困惑した表情で弟を見つめた。 「どういう事シャルル?なんなの?冗談にしては性質が悪いよ!?」 「冗談ではありません」 3人の大人に拘束されたV.V.を悠然と見ながら、皇帝は立ち上がった。 「兄さんは儂に嘘をついた」 「嘘?僕がシャルルに?何の話!?」 「マリアンヌを殺したのは、兄さんですね?」 その言葉に、V.V.は思わず息をのんだが、すぐに違うと首を振った。 「僕がマリアンヌを殺すはずないよ!だれ?シャルルに嘘を吹き込んだのは!」 「兄さん。儂にはコードはありませんが、この黄昏の間にあれば、ギアスの力で死者と会話ができるのです。お忘れですか?」 淡々とした口調で話されるその言葉に、V.V.はさっと顔を青ざめた。 「知っておりました。マリアンヌが暗殺されたあの日から、兄さんの仕業だと言う事を、兄さんが儂に嘘をついている事を」 「え?そ、それは、あれはマリアンヌが!」 「もう、兄さんの話をこれ以上聞くつもりはありません。今ここで十分話しをいたしました。もう必要ありません」 そう言うと、シャルルは自分の斜め後ろに立つ響団員に視線を向けた。 それを合図に、その響団員は、その顔を覆い隠していた大きなフードを降ろし、その顔をあらわにした。 そこに居たのは、マリアンヌ譲りの漆黒を持つ廃嫡された皇子。 「な!どうしてお前がここに!まさか!!」 慌てて皇帝へ視線を向けたV.V.は、皇帝がルルーシュのギアスの支配下にある事を悟った。その意思を捻じ曲げ支配下に置く絶対遵守のギアス。 その力で皇帝はすでにルルーシュの支配下にあったのだ。 「この卑怯者め!シャルルに何をしたんだ!殺してやる、ルルーシュ!」 「言いたい事はそれだけですか、兄さん」 冷たい声音で放たれた言葉に、V.V.は再び視線を弟へ向けた。 そこには冷たい視線でこちらを見つめる愛しい弟。 心を捻じ曲げられ、歪んでしまった、ルルーシュの操り人形。 変わり果てた弟の姿に泣きそうになりながら、V.V.は声を上げた。 「何をする気だ、この呪われた皇子め!」 だが、それに答えたのはルルーシュではなく、ルルーシュを守るように立つシャルルだった。冷たく見下すようなその視線は、普段皇帝として臣民に向けているもの。 自分には向けられることのなかった視線に、V.V.は悲しげに顔を歪ませた。 「ラグナレクの接続はもはや成されません。わが主ゼロは我々が創りだそうとしていた嘘の無い世界を望んでおられません」 「主?こいつが、この、呪われた皇子が主だって!?くそっ!よくもシャルルを!僕の弟を!この悪魔め!!」 「俺の弟を奪っておきながら、自分の弟を傀儡にされた事を怒るか。勝手だな、お前は。既にギアス響団は俺が掌握した。残っているのはお前だけだV.V.」 「弟?まさか、ロロの事に気がついたのか!?どうやって!」 驚きと共に紡がれた言葉で、ようやく確定した。 やはり、ロロは弟だった。 奪われていた、隠されていた、大切な弟。 その決定的な言葉を得られて、ルルーシュはその顔に美しい笑みを浮かべた。 思わずV.V.が息を呑んだ程の美しい微笑みは、次の瞬間冷酷な笑みに変わった。 そしてその左手を、自らの目をなでるように動かすと、その両目には血のように赤い瞳と、ギアスの紋様が浮かんでいた。 皇帝、バルトシュタイン、そしてギアス響団全員を自らの傀儡としたことで、ルルーシュのギアスはさらに力をまし、その両目にギアスが宿っていたのだ。 「貴様に話す事などもう無い。よこせ、お前のコード」 その凶悪な力を持たせておくわけにはいかない。 ルルーシュはジタバタと藻掻くV.V.の額に手を当てると、V.V.の身の内にある力を奪い取るために意識を集中させた。やがて掌に焼けるような熱さを感じ、ルルーシュはゆっくりとその手を離した。 そして、自らの父親に命令を下す。 「シャルル・ジ・ブリタニア。お前のギアスでこの子供の記憶を作り替えろ。そうだな、我が母マリアンヌの遠縁で、身寄りがないため、お前の身の回りの世話をさせるために引き取った事とすればいい。かつて俺が、妹が、母が受けた皇宮での差別を、お前もうけるといいV.V.」 庶民というだけで、あの場所では手酷い差別を受けるのだから。 ルルーシュの命令に従い、皇帝はギアスを発動させた。 V.V.は目を閉じようとしたが、抑えている者たちがそれを許さなかった。 強制的に開かれていた瞳に赤い鳥が飛び込むと、体から急速に力が失われていき、そのままV.V.は眠りについた。 V.V.は、ギアスに逆らう事は出来なかった。 ギアスが効いたという事はV.V.からコードが失われている証拠だった。 つまり今はルルーシュの身の内にコードがある。 今だ赤く輝くその瞳で、ルルーシュはシャルルを見た。 すると、幼い兄を抱き上げながら、皇帝はルルーシュへ視線を向けた。 「終わりました。これで目を覚ました時には、今までの記憶は無くなり、私の従者としてここに来た記憶に書き変わっているでしょう」 「よくやった。V.V.に関してはお前に任せる。名前も元の、人であった頃の名にもどしてやれ」 「イエス・ユアマジェスティ。全ては貴方の望み通りに」 幼い兄を抱えたまま、皇帝はルルーシュに頭を下げた。 「さて、今すべきことはあと一つだな。シャルル・ジ・ブリタニアお前の持つ銃で俺の心臓を撃て」 「イエス・ユアマジェスティ」 周りにいる者が止める暇なく放たれた言葉と、そして素早く完遂されたその命令。 悲鳴をかき消すような一発の銃声が黄昏の間に響き渡った。 |