黒の至宝 第8話

高層ビルの最上階、広々としたその部屋に私はゆっくりと足を踏み入れた。
毛足の長い絨毯は足音を吸収し、衣擦れの音がやけに大きく感じられた。
大きな窓ガラスを背にする形で置かれている、豪奢な一組の机と椅子だけがこの部屋の装飾品。
その椅子は、いまは窓側に向いており、私からは椅子の背が見えているだけだった。
私はその机の前まで歩くと、足を止め、ゆっくりと深呼吸をした後、その椅子に座っている男に声をかける。

「ミレイ・アッシュフォード、ただ今戻りました」

椅子がゆっくりと音を立てずに回転し、この部屋の主の姿が私の目に映った。
私を見たその男は、その顔に穏やかな笑みを浮かべた後、優雅に足を組んだ。
ただそれだけの所作でも気押されてしまうほどの、圧倒的支配者の風格を持つ男。
神聖ブリタニア帝国宰相、皇位継承権第二位、第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア。この国のナンバー2である。
ブリタニアの国色である白を基調とした衣装と、美しい金髪、ブリタニア皇族に多いとされる紫の瞳。
物語から抜け出したかのようなその美貌に、穏やかで優しい、まさにロイヤル・スマイルと言うべき笑み。
多くの女性が憧れるまさに皇子様そのものの姿でそこに座っていた。
だが、私はその優しそうな笑みを見ると、背筋に冷たい汗が流れる。

「では、ミス・ミレイ。報告を聞こうか」

優しい声音でシュナイゼルは問いかけた。

「はい、報告させていただきます。日本の皇家より手に入れた」
「違うな、間違っているよ、ミス・ミレイ。手に入れたのではない。皇家より私に、親交の証として贈与されたものだ」

何が贈与だ、と私は心の中で悪態を吐いた。
あれは贈与などと言うものではない。脅迫し、強奪したのだ。
知らない者から見れば贈与に見えるかもしれない。でも、関わった者、特に皇家から見れば完全な略奪行為。
この男は、この笑顔で相手の警戒を解き、相手の懐に入り込み、弱みを見つけ、その笑みを崩すことなく遠回しに脅しをかけ、自らの望みを叶える。

「失礼いたしました。皇家より贈られた例の箱<漆黒の夜明け>ですが、現在電磁波を用いての解析を進めております」
「手に入れてからずいぶんと経っているが、まだ開かないのかい?」

シュナイゼルは、ロイヤル・スマイルを崩し、不快そうな表情を浮かべた。

「はい。あれほどの施錠技術、数百年前のものとは思えないほどだそうです。ですが、鍵穴らしき物もいまだ見つからず」
「ならば、他の方法を試せばいい」
「他のと言いますと、壊す、のですか?あれほどの歴史的遺産を」
「箱に意味はない。ただ見た目が美しいだけの箱にすぎない。必要なのは中身だよ」

本当に無価値だと思っているのだろう、その表情には何の感情も見られなかった。

「・・・皇家の話では、あの箱にも意味があり、無理やり解錠した場合、パープル・ダイア<常闇の麗人>は、その秘宝としての価値を失うとの事でしたが」
「ああ、そんな話をしていたね。だが、それは箱を開けさせないための嘘とは考えられないかい?」
「可能性は否定できませんが、万が一箱を損傷したために秘宝が力を失えば、取り返しがつきません」
「それもそうだね。皆のためにも早く手に入れたいという欲のために、全てを壊すわけにはいかないね」

シュナイゼルは嘆息すると、再びロイヤルスマイルを浮かべた。

「世界は王を、支配者を望んでいる。人はね、その心の根底には、誰かに支配されたいという願いを持っている。私はいずれブリタニアの皇帝となるだろう。 だが、それだけでは駄目なのだよ。ブリタニアだけでは、ね。私はこの秘宝の力で世界を手に入れる。私と言う王を世界が待っているのだから」

ざわり、と背筋が震えた。これは歓喜ではない、嫌悪。
皇位継承権第一位の兄をいずれは排し、自らがブリタニアの皇帝となるという自らの野望ですら、人の為だと言いきっていた男。
その男がこの秘宝の存在を知り、ブリタニアだけではなく世界を欲した。
自分のためではない、皆が望んでいるのだ。この男は常にそう口にする。
人々の願いを叶える為の事なのだ、私は無欲なのだと声高に主張する。
私から見れば、人々は自分に対しそう思わなければいけない、願わなければいけない、私を崇めなければいけないという、我欲の塊。

「ミス・ミレイ、君は今まで通り秘密裏に作業を進めなさい。アッシュフォードの力だけでは心許ないだろうから、必要な人材や資金の話はすべて私の副官のカノンに伝えなさい。 君たちが協力を申し出てくれて、本当に感謝しているよ」

そういうと、視線で私に退室を促した。

「はっ、殿下のご期待に添えるよう全力で作業を進めます」

私は臣下の礼を取り、その場を後にした。
重厚なドアを開け、部屋の外に出ると、副官のカノンが控えていた。
カノンと今後の予定を組んでから、私は地下駐車場に待たせていた車に乗り込んだ。
ほう、と深い嘆息を吐く。

「で、どうでしたか会長」

車を発進させながら、運転席の男が訊ねてきた。
高校時代からの後輩で、はねた青髪の特徴の青年、リヴァル。
私が今心を許せる数少ない人物だ。

「どうもこうもないわよ、箱を壊してでも取り出せっていうのよ!冗談じゃないわ」
「あ~、もしそれで闇夜の麗人が何の奇跡も起さなかったら、俺たちのせいにされるんじゃ」
「決まってるわよ!だから断固拒否してきたわ。あ~腹立つ!あの胡散臭い笑顔で、何が『君たちが協力を申し出てくれて、本当に感謝しているよ』なんてよく言えるわ」

せっかくセットした髪をくしゃくしゃに掻き増せながら、私は胸の内にあったイライラを吐きだした。まあ、後は帰宅するだけだ。見た目なんて今はいい。

「協力を申し出た!?マジでそんなこと言ったのか!?うわ~厚顔無恥ってそういう奴に使うんだろうな」

普段は温厚なリヴァルも流石に怒りをその声に滲ませた。
何が、協力だ。
私の、アッシュフォードの宝を奪って脅迫したのはどこの誰だ。
指定されていた期日までに解錠できなかったけど、今回は乗り切れた。
次回はどうなるか解らない。


ああ、神様。
あんな男を支配者などにしないでください。
ああ、神様、お願いです。
私たちを助けてください。
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