帽子屋の冒険 第9話 |
太陽が昇り始めたころ、帽子屋は目を覚ましました。 ここ数日、慣れない野宿で仮眠も殆ど摂れないほど緊張していましたが、昨夜はぐっすりと眠ってしまったようです。 まだ辺りは薄暗く、それでも眠い目を擦りながら、どうにか体を起すと、肩から何かがはらりと落ちました。 それは白の騎士の上着でした。 辺りをきょろきょろと見回しても白の騎士の姿は見えません。 自分一人なら、もう動き出す時間ですが、今は白の騎士がいます。 探しに行こうかと思いましたが、連日の疲れで体が重く、体の節々も痛く、思うように動けませんでした。 「もう起きたの?まだ寝ててもいいよ」 後ろから、声を掛けられ、振り向くと白の騎士がこちらに歩いてきていました。 「これ、すまないな、ありがとう。お前、寒くなかったのか?」 まだ日も昇っていない底冷えのする時間帯です。 上着を返しながら、帽子屋が聞くと、白の騎士は全然寒くないよと首を振ります。 「こんな朝早くから何処に言ってたんだ?」 「今の時間だと、僕の愛馬が起きているから、試しに合図を送ってみたんだ」 「合図?」 「うん。あの木の上から。あそこからだと、豆粒大だったけど僕の家が見えたんだ」 「お前・・・あれに昇ったのか」 それはこの辺りで一番高い木でした。この体であれに昇るなんて、帽子屋には信じられません。 「でも、昇るのに時間が結構掛っちゃったんだ。焚火、消えてたから寒かったでしょ?」 「いや、大丈夫だ。それよりお前は休んだのか?」 「うん、大丈夫。ちゃんと休んだよ」 本当か?と疑う目を向けられて、白の騎士は、信じてよ、と肩を竦めました。 その時です。何かが駆ける音が遠くから聞こえてきました。 音が大きくなると共に地面が激しく揺れます。 「な、何だ!?」 「この音・・・もしかして!」 ドドドドドと大地を揺らしていた音がすぐ近くで止まった瞬間、二人の目の前に巨大な白い獣が姿を現しました。 「来てくれたんだね、ランスロット!」 そう、それは白の騎士の愛馬ランスロットアルビオンでした。 ランスロットはその顔を嬉しそうに白の騎士へ近づけます。 「さあ、皆の処に帰ろう」 白の騎士は帽子屋へ手を差し出し、満面の笑顔でそう言いました。 太陽が昇り、周囲が明るくなったころ、森の外れには兵士が整列していました。 「いいかい。これから探す帽子屋と白の騎士は、掌に乗るほど小さい。ああ、最優先は帽子屋だからね。それと、足元には十分注意して、捜すように」 「「「「イエス・ユアハイネス!」」」」 兵士たちが一斉に返事をしたのを聞いて、赤の王は頷きます。 全ての準備が整い、捜索を開始の合図を出そうとしたその時です。 「待ってください赤の王、あれを!」 白の王は、赤の王に、森の方を指さし、指の示す先を見るように促しました。 その指の先には白馬がこちらに向かってくる姿が見えました。 「間違いありません。あれは白の騎士の愛馬、ランスロットアルビオン」 白の女王もその姿を確認しました。 そして、その背に何か小さなものが乗っているのを見つけたのです。 「あれは帽子屋!無事だったか!」 一緒に来ていたチェシャ猫がランスロットアルビオンに駆けよります。 その背には、手を振っているニコニコ顔の白の騎士と、その体にぐったりと寄りかかる帽子屋が乗っていました。 「チェシャ猫、無事だったんだ」 「当たり前だ。それより帽子屋はどうした?何でこんなにぐったりしてるんだ!生きてるのか?どこか怪我でもしたか?」 抱き上げていいものかと、オロオロとしているチェシャ猫の姿に、思わず白の騎士は笑います。 「彼なら大丈夫だよ。この体の大きさで馬に乗るのは結構大変なんだ。上下の揺れが激しくてね」 「・・・だから・・・なん、でお前は・・・そんな・・元、気・・・なんだ・・・」 ぐったりと力の入らない体を白の騎士に支えられた状態で、恨めしげな声を上げたのは帽子屋です。 帽子屋の無事、ついでに白の騎士の無事も確認して、兵士達は歓声を上げました。 チェシャ猫は大事そうに帽子屋を両手で持ち上げます。白の騎士もついでにチェシャ猫の腕に乗っかり、帽子屋を支えます。 「すまないが、一度家に帰ってこいつを休ませる」 「僕も一緒に行くので、ランスロットをお願いします」 チェシャ猫は二人を連れて帽子屋の家へと移動しました。 それから数刻後のハートの城の謁見の間には、ハートの王と女王、白の王と女王、赤の王と女王、そして不思議の国の住人が数多く集まっていました。 その中央にバンダースナッチが椅子に縛られ、口を封じられた状態で座っています。 その後ろには赤の騎士とハートの騎士。 そんな中で、バンダースナッチの処分をどうするのか、話し合いがされていました。 「なんだなんだ、勢揃いだな」 ハートの王の玉座の裏から、籠を抱えたチェシャ猫が、するりと姿を現しました。 帽子屋を取り戻せたことで、余裕を取り戻したチェシャ猫の顔には、いつも通りの不敵な笑みが浮かんでいます。 「あら、チェシャ。その籠は何?」 「ん?見るか?可愛いぞ?」 ハートの女王は促されるまま籠を覗きこむと、そこにはふかふかの柔らかい布に包まって、寄り添うように眠る帽子屋と白の騎士。 「あらあら」 籠の中を見たハートの女王とチェシャ猫は、顔を見合わせて優しく笑います。 「まったく、あれだけ帽子屋を悪く言ってた割には、ずいぶんと仲良くなったものだな」 「ほんとうですね」 籠の中を見た白の王と白の女王も優しく笑います。 「これは可愛いね。ぜひ連れて帰りたいものだ。ああ、白の騎士はいらないからね」 「そうですわね」 籠の中を見た赤の王と赤の女王も優しく笑います。 「風呂に入って、食事をしたと思ったら二人とも眠ってしまってな。仕方がないからそのまま連れてきたわけだ」 チェシャ猫はそう言いながら、不思議の国の住人たちに、二人の無事な姿を見せて歩きます。 不思議の国の住民は、二人を起こさないよう小さな声で喜び合いました。 全員に無事な姿を見せた後、チェシャ猫はハートの王にその籠を差し出しました。 そこはこの国で一番安全な場所。王は頷き、その籠を受け取ると大切に抱えました。 「さて、どういう話になってるんだ?」 チェシャ猫はハートの王の斜め前に立ち、腕を組み仁王立ちをして、バンダースナッチを見据えます。 もう二度と帽子屋を危険な目にあわせてなるものかと、自身の中にある恐怖と闘っているのです。 その姿はまるで子猫を守る母猫が、強敵を目の前にし、毛を逆立てて全身で威嚇しているよう。 ただ、残念なことに自分の事を見ている、とバンダースナッチは大喜びしています。 「またギアスを封じて追放するしか無いと思うのだが」 白の王は腰に手を当てて思案します。 「反対だよ!チェシャ猫と僕の与えたギアスで、すでに普通と違う能力を手に入れてるんだから」 V.Vは頭に手を当てて思案します。 「ふむ、他のコード能力者からまた新たなギアスを手に入れた場合、手に負えなくなる危険性が高くなるね」 赤の王は顎に指を当てて思案します。 「でも、ギアスがある限り自由に移動出来てしまうわ。いっそのこと処刑してしまう?」 ハートの女王は頬に手を当てて思案します。 「ですが、ハートの女王、彼を処刑してしまったら、僕たちが元に戻る方法を調べる事も出来なくなるのでは?」 声のする方を見ると、白の騎士が籠からちらりと顔を覗かせていました。 「なんだ起きたのか?いや、起きてたのか?」 チェシャ猫が籠の中を覗き込みます。 そこには布に包まったまま、上半身を起こした白の騎士が座っていました。 「僕は騎士だよ?こんな状況で寝てられないよ」 「ほう、いつ目を覚ました?」 「ここに来てすぐだよ、寝たふりしてたに決まってるだろ。忘れてないかチェシャ猫、僕たち今、全裸だよ! あんな風に皆に見せて歩いてるときに、そんな事ばれたら、何されるか分からないじゃないか!」 と、騎士はチェシャ猫に文句を言います。 「あらあら?何も着てないの?」 ニコニコと楽しそうに笑いながら、ハートの女王はその布を捲って、白の騎士の裸を見てやろうと手を伸ばしました。 「うわっ!ちょっ!捲らないでくださいハートの女王っ!引っ張るのもだめです!」 白の騎士は、慌てて布を体にしっかりと巻きつけ、いまだ目を覚まさない帽子屋の上に覆いかぶさります。 これでは布の下を覗くことができません。 「ああ、そういえばそうだったな。こいつらのサイズの服なんてないから、洗ったのを干している間、この布に包まってたんだ。 なかなか二人とも起きないから、仕方なく籠に寝てるこいつらをそのまま入れてきたんだった」 忘れてた、すまない。とチェシャ猫は白の騎士に謝りました。 「もー、それでなくても今の姿を見られるのは、恥だって言ってた帽子屋だよ?寝ている間に全裸で晒しものになんてされたら、絶対立ち直れないよ?いいの?」 なにせ、この姿を見られたくなくて、現在地ですら誰にも聞けないぐらいプライドが高いのですから。 立ち直れない=ピザを作らないと、チェシャ猫は即座に理解しました。 「・・・よくない。全然よくないぞ!いいか白の騎士、お前はしっかりそいつを守ってろ」 「言われなくても」 流石のハートの女王も、そこまで言われたら手を出せません。 白の騎士は帽子屋の上から体をどけ、乱れた布を直します。 帽子屋は今のやりとりにも気づかずぐっすり眠っていました。 「そうね、バンダースナッチの瞬間移動も問題だけど、その体をどうするかも考えないといけないわね」 「このサイズだと私のピザが焼けないからな」 「・・・そういう問題なの?」 「つまり、何でもない日のお茶会が開かれないという事だ、これは忌々しき問題だぞ」 「そうですわ。あの絶品スイーツが食べられないなんて、考えたくもありません!」 白の王と白の女王が真剣な顔で訴えます。 その言葉を聞いて、不思議の国の住民が、まるでこの世の終わりのような悲痛な声を次々あげました。 「いや、あのですね、食べ物の話ではなく、僕も帽子屋も、この体だといろいろ困るというか・・・」 「何を言っている。ピザが作れない以上に困ることなどないだろう」 きっぱりと断言されてしまい、これは何を言っても無駄だと、白の騎士は悟りました。 |