桜桃の君に 第9話


「まあ、この方が桜桃の君ですのね。はじめまして、私はカグヤですわ」

スザクよりも僅かに薄い若葉色の瞳を楽しげにキラキラと輝かせ、頬を僅かに染めた愛らしい少女は、にっこりと可憐な笑顔を浮かべて挨拶をした。彼女の動きに合わせて、黒く長い髪が揺らめいた。
挨拶をされた側のルルーシュはというと、スザクが抱えている相手のことなど一切考えずに全力疾走をしてくれたおかげで、乗り物酔いのような状況になっており、真っ青な顔で頷くことしかできなかった。そのわずかな動きでも吐きそうになり、思わず手で口元を押さえ、両目をぎゅっとつぶった。頭がグラグラして、目が回る。すでに立ち止まっているというのに、未だに走り回るスザクに抱えられている錯覚を起こしてしまう。
スザクはというと、途中からは走ることにだけ集中していたため、ルルーシュの変化に今まで一切気づいておらず、青ざめた顔でぐったりとしたルルーシュの急変に明らかに焦っていた。オロオロと、迷子の子犬のような表情でルルーシュを伺う。
あの桜から離してしまったせいだろうか、なんにせよ、ルルーシュを休ませなければと、スザクは表情を一瞬で変えると、目の前に立つカグヤをぎろりと睨みつけた。
視線だけで相手を殺せそうな目で見られ、カグヤは思わず笑顔を凍りつかせた。今までこんな険しい表情、見た事が無い。思わず気圧されそうになったが、スザクより自分の方が上だと認識しているカグヤはその怯えを押し殺した。
スザクに舐められる訳にはいかない、その思いだけで、再び顔に笑みをのせる。
余裕を見せるカグヤの笑顔は、馬鹿にしているようにも見えて苛々する。ルルーシュの様子がおかしいことがわからないのか?という思いも込めて、今まで出したことがないほど低い声で言った。

「・・・カグヤ、邪魔だ」
「邪魔をしているのですから当たり前ですわね。それよりスザク。降ろして差し上げたらどうですの?」

具合がかなり悪いようですわ。

「そう思うならどけよ。中で休ませる」
「あら、必要無いわよ。スザクが馬鹿みたいに動いたせいで具合悪くしただけなんだし、地面に降ろして休ませればすぐ良くなるわよ」

背後から聞こえた声にスザクは思わず舌打ちをした。
撒いたと思ったのに、やはり目的地がばれている以上追いついてくるのは当然かと視線を向けると、にっこり笑顔で立っていたのは、軽く息を切らせているカレン。
スザクだって、最初は全力疾走などしていなかった。あの山にずっと籠っていたルルーシュに、あの周辺では見られない草花や、面白い形の岩など、通りがかりにある色々なものを見せていたため、軽い足取りで駆けている程度だった。その時はルルーシュも具合を悪くすることなく、スザクの話に相槌を打ちながら、いいからおろしてくれと、何度も何度も根気よく説得していた。
だが、途中でカレンと鉢合わせをしてしまい、あいさつぐらいさせろ!と騒ぐのを無視し、どうにか振り切ろうとした結果、ものすごい速さで飛んだり跳ねたりする動きにルルーシュが耐えきれなかったのが体調不良の原因だ。
その事に、カレンもカグヤも、当然ルルーシュも気づいていたが、スザクだけはわかっていなかった。
目の前には自分の桜があるのに、二人が邪魔で進めない。他の精霊もこちらの様子に気づき、どんどん集まってきた。あと少しなのにと、スザクは舌打ちをした。

「・・・ルルーシュ、もう少し我慢しろよ。もうすぐ俺の桜に着くからな」

呼びかけるが返事はない。真っ青な顔でその両目を閉ざし、ぐったりとしてしまったルルーシュをぎゅっと抱きしめると、再び地面を蹴った。

「御待ちなさいスザク!」
「ちゃんと紹介しろこの馬鹿スザク!」

この10年、スザクにずっと付き合わされてきたのだ。桜桃の君が来たのなら是非挨拶をして、ついでに色々話をしたり遊んだりしたい。その位の権利はある。独占欲の強いスザクの反応は解りきっていて、下手をすればまともに顔を合わせずに終わる可能性もあったため強硬手段に出たのだが、ルルーシュを腕に抱いたスザクの動きはすさまじく、今まで見たことも無いほどの反応を示した。面白がってやってきた他の精霊と、カレンとカグヤはスザクに翻弄され、一瞬の隙をつき包囲網を突破したスザクは、とうとう自分の桜の中に逃げ込んでしまった。

「・・・何今の。あいつ、こんな動きで来たの!?」

スザクに負けたことなど、今まで一度も無かったカレンは茫然とつぶやいた。反応しきれなかった。あんな動きをされたら、反応できるはずがない。
・・・あいつ、今まで本気出してなかったんだ。
カレンが女だからと手を抜いて勝ちを譲っていたのかもしれない。
だが、絶対に引けない状況となり、その本来の実力をスザクは発揮した。
他の精霊たちも、スザクの驚異的な身体能力に驚き言葉を無くしていた。

「悔しいですわ!こうなったらスザクは当分出てこないかもしれませんわ!」

そんな中、カグヤはただ一人そんな空気を打ち壊すように、地団駄を踏みながら本気で悔しがっていた。



それから何時間経っただろうか。
ぐったりしてしまったルルーシュを、どこよりも安全な木の内側に隠したスザクが木の外へ姿を現した。いつまでも外で騒ぐカグヤとカレンに腹を立てて出てきたのだろう、その顔は明らかに不機嫌そのものだった。いまスザクの桜の木の前には、この周辺の精霊たちが興味深々という顔で集まり様子をうかがっていた。その筆頭がカグヤとカレン。
こんなことになるなら、連れてくるんじゃ無かったと眉根を寄せた。
なにせ10年もの間スザクが執心し、自分に宿らせようとしていた相手が来たのだ。興味を持たないはずがない。その事を失念していた。
これが、スザクと同じ木に宿った状態なら、まだ紹介してもいいかな?と思うが、まだルルーシュはあちらの山に木がある。つまりスザクに遠慮無く自由に行動できるから、カグヤやカレンと意気投合し、スザクよりも彼女たちを選ぶ可能性は無いとはいえない。いや、あの二人では無く、ここにいる他の誰かと仲良くなる可能性もある。
ルルーシュは頭がいい。
話し相手として自分が役不足であることに気づいている。
カグヤとカレンはスザクよりも頭がいいから、きっとルルーシュは彼女達と話すほうが楽しいと思うだろう。
・・・冗談じゃない。
ルルーシュは俺のだ。
だから会わせない。
自分の木の前に立ち、スザクはカグヤ達を不愉快そうに睨みつけた。

「なに怒ってるのよ。別にあいさつしたっていいじゃない。減るものじゃないんだし」

減るかもしれない。
だからカレンの言葉に返事はせず、睨みつける。

「ここまで狭量だとは思いませんでしたわ」

カグヤは呆れたように言った。

「そうだぜスザク。俺らだってずっと手伝ってたんだ。会うぐらい、いいじゃねーか」

偉そうにふんぞり返りながら言われた言葉に苛立ちが募った。
お前は何の役にも立ってなかっただろうと、口だけ男の玉城もにらみつけると、玉城は思わずびくりと体をふるわせた後、誤魔化す様に口笛を吹いた。だが、恐怖からかかすれて音など出ていなかった。

「うるさいな。会わせるかどうかは俺が決める」

今は会わせない。
そんなにらみ合いがしばらく続いた。
ここにいるのは全員精霊で、この土地に根差した者たちだ。夜は木に引きずられて眠くなるが、それを無視してしまえばこのままの状態で何年いても疲労すらしない。だが、ルルーシュはこの土地に根差していないから疲労するし、あまり長い間い桜桃から離れるわけにはいかない。精霊が離れた木は、放おっておくと衰弱死やがて枯れてしまうからだ。
ルルーシュをあの場所へ連れ帰るには・・・全員邪魔だ。
だが、彼らはスザクがルルーシュを木から出すまで動かないつもりだろう。特にカレンとカグヤは。上手く連れだせたとしても必ず追って来る。ルルーシュの木の場所を知られる恐れもある。それは避けなければ。そう思っているのだが、いい解決策も浮かばず時間だけが過ぎていった。 空がオレンジ色に染まった頃、スザクはここで考えていても仕方がないと、周りの連中を放って木の中へ戻った。ぎゃんぎゃんと皆は騒いだが相手にするだけ無駄だ。大体自分が考えるよりルルーシュに考えてもらった方がいい。
ルルーシュの頭脳とスザクの運動神経。
二人揃えば出来ないことなんてないのだから。

「ルルーシュ、大丈夫か?」

スザクの木で休ませてから既に数時間。真上に届かなかった太陽がすでに沈む頃合いだ。いい加減具合もよくなっているだろうと、そっと声をかけるのだが、反応が無い。まだ寝ているのだろうか。

「ルルーシュ?・・・ルルーシュ、おい」

いや、反応が無い以前に。

「いない!なんで!?」

この中で大人しくしているはずのルルーシュはどこにもいなかった。

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