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「は?」 スザクは思わず間の抜けた返事を返した。 だってこれは仕方がない。 カグヤが可笑しなことを言ったのだから。 あり得ない事を、言ったから仕方がない。 だが、目の前にいるカグヤは真剣そのもので、その瞳には今まで見たこともない様な怒りに満ちていた。 だから余計におかしいのだ。 そんなカグヤが、そんな顔でこんなことを言うなんてあり得ないから。 「もう一度言います。よくお聞きなさいスザク。ルルーシュ様はもうおられません」 ゆっくりと言い聞かせるようにカグヤは言った。 あり得ない事を、再び。 いない? ルルーシュがいない? 何を言っているんだカグヤは? 冗談でも言っていい事と悪い事がある。 暫くの間、カグヤの言葉の意味が理解できず呆けていたスザクは、表情を一変させ、カグヤを睨みつけた。それは今まで見た事が無いほど、恐ろしい表情だった。 「カグヤ、いい加減にしろ」 聞いたこともないほど低い声だったが、その表情には似つかわしくないほど静かな言葉だった。だが、全身に怖気が走るほど恐ろしい言葉でもあった。カグヤは静かにその怒りを受け止めると、悲しげに目を細めた後、懐から何やら取りだした。 「スザク、これが何か分かりますか?」 カグヤの手には、とうの昔に枯れてしまった細い木の枝があった。 それが何なんだ?と言いたげにスザクが顔を歪めると、カグヤはそれを自分の顔の前へと持っていき、香りを嗅いだ。 「私がこれを手にした時はまだ瑞々しさがあり、こうして嗅ぐと、とても甘い香りがしたものです。甘いだけではなく、透き通るような爽やかさと、気品のある香りが」 甘い香り。 カグヤの持つ枝。 カグヤに奪われた枝。 懐かしい、ルルーシュの桜桃の枝。 まだ持っていたのかと、スザクは驚き目を見開いた。 スザクは接ぎ木に失敗し、枯れてしまった枝はすべて地中に埋めてしまったが、カグヤは枯れても大事に持っていた。 「そうですわ。これはルルーシュ様の枝。・・・私、この枝をもってカレンと人里に行って参りました」 突然切り替わった話に、スザクは眉を寄せた。 「以前あった麓の小さな村は、すでに廃村となってましたの。仕方無く、私達は少し遠くの都まで行って参りました」 カグヤはルルーシュの枝をすっと前に差し出したので、スザクはそれを受け取った。乾燥したことで軽くなってはいるが、間違いなくルルーシュの枝だった。 「そこで商いをしている行商人に、道を尋ねるふりをして世間話をしたのです」 ---お嬢ちゃん達はどこから来たんだい? ---あちらの、あの山の奥深くに住んでおりますの。 カグヤは、自分たちが住んでいる山の方を指さし答えた。 すると、行商人はそれまでのにこやかな表情を改め、突然目を血走らせ、食いつくように身を乗り出した。 ---あちらというのは、どのへんかな? ---こちらの方角の、桜がたくさん咲いている山ですわ ---ほう、桜が。それはいい、今頃は見頃だろうね。ところで、そこには桜桃も咲いているのかな? ---いえ、残念ながら桜桃は私の家の近くにはありませんの。ですが、その近くの山には、それはそれは美味しい桜桃を実らせる木がありますの。 「行商人は、立ち話は止めて御茶でもと、私とカレンを近くの茶屋へ誘いましたわ。・・・欲に目がくらんだ守銭奴の顔で」 不愉快そうに顔をゆがませたカグヤは、良く見れば眦に水滴がたまっており、感情を押し殺している事が見て取れた。そして、怒りを感じていたから気付かなかったが、カグヤの後ろの木には、項垂れて膝を抱えたまま何も言わないカレンがいた。 ざわりと、背筋が震えた。 「私たちは御茶を頂きながら話しました。桜桃の話を」 ---それで、譲ちゃん達。その桜桃はどんな実を? ---このぐらいの大きさの赤い実ですわ。食べるとそれはもう甘く美味しく、頬が落ちるのではと思うほどですわ。 本当に、美味しい実だった。 スザクが独占していたから、口にできたのはほんの数回。 それでも、年を追うごとに美味しさを増していた事は知っていた。 だから少し大袈裟に、カグヤは話した。 すると、行商人はますます食いつくような表情となった。 ---そうかそうか、そんなに甘い実なのか。それならばその桜桃は、実だけではなく木からも甘い香りがするに違いない。 ---ええ、ええ。そうなんですわ。それはもう、甘くてよい香りがするのです。ほら、今丁度昔手折った枝を持ってきていますのよ。 そうして懐から取り出したルルーシュの枝を見せ、クンクンとカグヤは香りを嗅いだ。 まるで今も良い香りがすると幸せそうな顔で。 その時の行商人の顔は、カレンの心にざわめきをもたらすほど醜悪だった。 この時、カレンはカグヤが何のために人里へ降り、こんな話をしているのか知った。 そして全てを悟り、全身が泡立った。上げそうになった悲鳴はかろうじて飲み込んだが、目が回るほどの衝撃に、カグヤと行商人の話声さえ聞こえなくなってしまった。 普通であれば満開の花が咲くこの季節、花から甘い香りがすると言うはずだ。 あるいは、葉から。 だが、この男はこちらを探るような視線を向けながら、断言をした。 花も葉も無視して 木から甘い香りがするに違いないと。 ・・・ルルーシュの樹は、とても珍しい樹だった。 その実に負けないほどの香りを放つ・・・希少な、樹。 その枝からも、人の心を惹きつける香りを放っていた。 普通の桜だとは違う蠱惑的な香りを、花から、実から、種から、幹から、皮から、葉から、枝から、根から。その、全てから放っていた。 ---残念ながら、乾燥してしまってあの頃のような香りはしませんの。ですが、手折ったばかりの頃は、それはもう、心躍るほどに甘い香りでしたわ。 行商人の変化に気づかないふりをし、カグヤは話を続けた。 だが、カグヤは気づいていた。 最悪の予想が当たっていたことに。 カレンは、気づいてしまった。 あの場所に、桜桃の痕跡が残っていなかった理由に。 人間は、良い香りのする木の事を、香木と呼んだ。 |