桜桃の君に 第15話


そもそも、おかしな話だったのだ。
あのスザクが毎日通った道を見失うなど、最初はわが耳を疑った。
きっと久しぶりで、興奮しすぎて通り過ぎたのだろう。
焦りすぎて道を間違えたのだろう。
あれだけ会いたがっていた相手と久しぶりに会えるのだ。
図体ばかり大きくなって、中身はまだ小さな子供と変わらないのだろう、それはとてもスザクらしいと思い、だからきっと二人が戻ってくるときは、「聞いてカグヤ様、スザクったら迷子になってたのよ!」「もう、何度も言わなくてもいいってば」と笑いながら、成長したルルーシュを連れて来ると疑わなかった。
だが、カレンとスザクは二人だけで戻ってきた。
やっぱり見つからないと顔を歪めるスザク。
納得がいかないというカレン。
精霊の中で最も目鼻の利く二人が揃っていながら、見つけられなかった。
そんな事あり得るのだろうか?
この時すでに、カグヤの胸の内には言い知れぬ不安が広がっていた。
翌日は丸一日かけて二人は探したが、やはり発見できなかった。

まさか、まさか、まさか。

カグヤはずっと大切にしていたあの桜桃の枝を見つめながら、最悪の想像を思い描いていた。この国では珍しい桜桃。木の枝からかぐわしい香りを出す桜は他にもあるが、これほど甘くて、それでいて涼やかで洗練された、高貴という言葉に相応しい香りを出す木などカグヤは知らなかった。
どうしても、1本だけでもいい、自分のものにしたい。
そう思わせるほどの香りだった。
だからあの時、スザクから奪ったのだ。
この枝を。
精霊である自分でさえ、それほどの欲を抱かせた香り。

もし、もしも。

そう思い、翌日は二人についてカグヤもその場所へ向かった。
そこで一度解散すると、カグヤはルルーシュがいたとされていた場所を丹念に調べ始めた。平とは言いがたいが、とても桜桃がここにあったなど思えない。
根の痕跡もなにもない、ただの地面。
倒木の跡も、枯れた痕跡すら無い。
スザクが大量にまいたという種もなく、植えて育てていたという桜桃も無い。
二人が言うように、ここには何もない。
やはり場所を間違えているだけで、ルルーシュは今もどこかにいるのだと思った。
暗く、日当たりが悪い場所、地面が硬い場所などいくらでもある。
ここは、ルルーシュがいた場所に似た、別の場所なのだ。

「それにしても、本当に薄暗い場所ですわ。こんな場所ではまともな生育など・・・」

ふと頭上に生い茂った木々を見上げ、カグヤは思わず「ああ・・・」と声をあげた。

最悪の想像。
それがますます胸の内で大きくなっていった。

まだ決定的な答えは出ていない。
出ては、いないのだ。
そう思いながらも、カグヤの瞳からは涙がこぼれ落ちた。
これを、決定的な証拠だとは認めないという感情と、これが答えなのだと納得する感情がぶつかり合い、心をかき乱していく。

見上げれば、そこには7年では癒えない痕跡が残っていた。

それらは全て、この場所に日の光を降り注がせる目的で施されたもの。
ルルーシュがいるはずの、この場所に。
太陽の光を浴びて、ルルーシュが成長できるようにと、スザクが手折った枝々。
そう、スザクが行なった、剪定の痕だった。




「行商人は、私のこの枝に大層興味を抱き、ほんの一欠けわけて欲しいと言いましたの。私は、ほら、この場所をほんの少し折って渡したのです」

カグヤが指さした場所をみると、確かに最近折ったような跡が見て取れた。

「すると行商人は、慌てて荷物をあさり始めました」

本人は冷静な振りをしているつもりだろうが、焦りと動揺からか荷物を乱暴にあさっていた。そして小さな陶器のつぼを取りだし、震える手でその欠片をつぼに入れた。そして慌ただしく茶屋の奥へ行くと、小さな枝に火をつけたものを持って戻ってきた。
そしてその火をつぼの中の欠片へと移した。
僅かに灯った赤い炎はすぐに消され、代わりに白煙が昇った。
ふわりと空気中に漂った煙はほんの僅かであったが、洗練された涼やかで甘い香りが空気に溶け、辺り一面に広がっていった。
店の外、通りを行き交う人達でさえ香りに気づき、足を止める。
生の枝だった頃より凝縮されているが、間違いなくあの桜桃の香りだった。
木々の精霊であるカグヤ達は火を使わない。
だから、香木という存在すら殆どの者は知らない。
共にいたカレンは、木を燃やしたことで生まれた芳香に、驚き目を丸くしていた。
次期頭首と呼ばれているカグヤは、多くの知識を与えられたことで、人間が何をしているのか理解したが、カレンには何が何だか分からないのだろう。
香りに我を忘れていた行商人は、ますます醜悪な顔となり、金の亡者そのものの顔となった。
そして、カグヤにとっては決定的な、最悪の答えを口にした。

---間違いない、黄金の木だ。あの、香木だ。

「黄金の木?香木?」

何の話だと、スザクは眉を寄せた。
だが、カグヤの話の結末は既に見えているのだろう。
その顔は真っ青で、後ろに座っていたカレンは、とうとう泣き出してしまった。
あの気の強いカレンが泣くなんて初めてのことで、スザクの心はますますざわめき、カグヤの顔はますます悲しみに染まった。

「私の知る限りではございますが、香木にはいくつかの種類がありますわ」

沈香とよばれるものは、風雨・病気・害虫などで受けたダメージを回復した際の分泌物を乾燥させたものに熱を加えることで香りを放つ。
白檀とよばれるものは、熱を加えずそのままの状態でも、爽やかな甘い芳香を放つため、彫刻や装飾に用いられる。
ルルーシュの桜桃は、乾燥するとその香りが落ちるが、熱を加えることでそれまで以上の芳香をはなつ。
その幹、その枝、その根、種にも葉にもその全てに香りが宿っており、ほんのわずかな量でも高額で取引されることから黄金の木として取引された。
中でも沈香・・・分泌物が付着した場所は、最も高価な部位とされた。
スザクが剪定のために、あるいは接ぎ木のために折った部位が、人間たちに最も好まれる香木として、目の飛び出るような価格で取引されていた。

「まて!まてよ!」

悲鳴のような制止の声が上がった。
今にも泣きそうな顔のスザクは、首を振りながらカグヤを見た。

「なんだよそれ!カグヤ、冗談でも」
「冗談でこんな話すると思いますか!!」

スザクの否定の言葉を、カグヤは怒鳴りつけるように叫びながら遮った。
その時、とうとう耐えきれなくなった滴がポロリと頬を伝った。泣くのを我慢し、唇を震わせるカグヤの姿など今まで見た事が無い。泣くカレンなど見た事は無い。
辺りを見回すと、しんと静まり返っており、いつもにぎやかに騒ぐ面々が皆木の中へと戻っている事が解った。
いつもは明るい日差しに充ちあふれ、精霊たちの笑い声がこだまし、活気のあるこの森がいまは陰鬱な静寂さを纏っていた。

「よくお聞きなさいスザク!ルルーシュ様は人の手で掘り起こされました。その根も掘りつくされ、新たに成長した桜桃も、芽の出なかった種でさえも、根こそぎ奪われました。もう、この地にルルーシュ様はおりません!」

大きな涙をぽろぽろとこぼしながら、それでも凛とした態度でカグヤは最悪の結末を口にした。

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