桜桃の君に 第16話


辺りを一望できる、とても見晴らしのいい高台に、少女が一人座っていた。
山奥の、森に囲まれたその場所はとても険しい崖の下にある高台で、知る人ぞ知る名所、隠れた秘境と言った風情のある所だった。そんな場所に、可憐という言葉が似合う少女が体に毛布を巻き付けて座っている姿は、あまりにも不釣り合いな光景だった。

ふわ~っ。

美少女と言う呼び名がふさわしいほど可憐な少女は、その見た目にあわないほど大きな欠伸をし、眠そうに目を擦りながら辺りを見回した。聞こえるのは木々のざわめきと、動物たちが蠢く音だけ。それ以外はとても静かだった。朝日が昇ってまだそんなに経ってはいないから、もう少し経てば鳥達が起きだし、もう少しだけ森は騒がしくなる。
ここに来たのは真夜中。
いくら春になったとはいえ夜はまだ冷えるから、毛布を体に巻きつけて暖を取っていた。こうして体を温めておかないと、眠くて眠くて仕方が無いのだ。一応小さなテントが後ろに用意されているが、自分の前に使っていた男の匂いがしているから、正直入りたくない。
ああ、眠い。
早く眠りたい。
でもまだ日が昇ったばかりだから、ここを動けない。
交代まであとすこし。
帰ったら爆睡してやると、再び大きな欠伸をした。
こんなにはしたなくてだらしのない姿、私を好きだと騒ぐバカどもは驚くだろうが、自分一人しかいない場所で遠慮などする必要もない。
だから座り方も正座ではなく胡坐。
服だって着崩している。
そもそも自分はこれが本来の姿なのだから、一人の時ぐらい素の自分を出して息抜きをしたっていいじゃないと自分に言い訳をしてから、再びふわ~っと、大きな口を開けて欠伸をした。
ねむい。
徹夜なんて肌が荒れることさせるな。
これは男の役目だろう。
そう思うのだが、頼まれた時に言われたことも最もで、あと3日は念のため夜間は自分がここにいたほうがいいのだろう。

ふわ~。

再び大きな欠伸をした時、けたたましい音が寝起きの森に響き渡った。

「やっぱり、また来たのね!ほんとしつこい奴ら!」

しかもこんな早朝に!
眠りかけていた頭が冴え、ボケていた視界がクリアになる。
飛び上がるように立ち上り、既に止んでしまった音の場所を目指して駆けだした。



がらんがらんがらん
からからからから
突然辺りに鳴り響いたけたたましい音に驚き、思わず両耳をふさいだ。
寝静まっていた森が一気に目を覚ますほど大きな音は、山の向こうまで届き、やまびことなって帰ってきていた。やがて音は止んだが、今の音の原因が解らない以上引き返した方がいいだろうと、その場を離れようとして足元に違和感を覚えた。
みるとロープが足に引っ掛かっていた。
生い茂った草むらに隠れるように伸ばされたロープ。
引っかかったことに気づけないぐらい細いが、しなやかで丈夫なロープだった。これに足を引っ掛けたことで、連動していた鳴子が音を鳴らしたのだろう。

「だけど、何でこんなものがここに?」

以前は無かった物だ。
そもそもこのあたりの林道にはしっかりとした幅の広い道があったはずで、ここまで草が生い茂って歩きにくい、細い獣道では無かったはずだが。
迷った?
いや、そんなはずはない。
道に覚えはないが、景色には覚えがある。
おそらくこのロープを目立たなくするために、道を作り変えたのだろう。
ここを離れている間に何かがあった?
ロープがあると言う事は、この山に人の手が入ったという事。
だが、何のために。
すっと目を細め、辺りの様子を伺う。
これだけの音を立てたという事は、侵入者を発見するための物だろう。
ならば下手に姿を隠すよりも、これを仕掛けた人間を迎え撃とう。
肩にかけていた荷物を地面に下ろすと、辺りの気配に耳をすませた。



それは一瞬だった。
誰かが駆けてくる音が聞こえたかと思うと、その人物は眼前に居た。
それは、深紅の髪をなびかせた少女だった。
彼女はこちらを視界に収めた途端、掛け声と共にこぶしを打ち込んできた。
慌ててそれを受け止めるが、それを見越していたのだろうか、攻撃の勢いは殺されることなく、今度は流れるようにその長い脚が側面めがけて振り上げられた。
反射的に体をそらし、それと同時に膝を曲げ軸を下げると、片足を振り上げた少女の無防備な軸足に蹴りを放った。

「きゃっ!!」

目を見張るような素早い攻撃をかわされた上に、反撃にあった少女は、信じられないという表情で後方に倒れ、尻もちをついた。
だが、体制を崩したのは一瞬で、すぐ全身をばねのように使い後方へ飛ぶと体制を整えた。距離を取り、互いの顔を睨みつけていると、少女は何かに気がついたように目を見張り、首を傾げた。

「・・・もしかして・・・え?スザク!?」

スザクじゃない!と、少女は目をぱちくりとさせながら、驚きの声をあげた。
栗毛色の癖のある髪。
深い緑の瞳。
何よりその顔立ち。
人の年の頃で言うなら18歳ぐらいだろうか?
雰囲気は違うが間違いない、今から40年ほど前にこの山を飛び出した少女の同族、桜の木の精霊スザクだ。
だが、その表情は冷たく、感情が見えず、あの明るくて、コロコロと表情の変わったスザクとはまるで別人で、本当にスザクなの?と思わず眉を寄せた。他人の空似にしては似すぎているし、何より間違いなく人ではなく同族だ。僅かに困惑している少女をじっと見つめていたスザクは、ああ、やっぱりと息を吐いた。

「カレン、久しぶりだね」

やはり、感情が見えない。
声にも、表情にも。
しいて言うならば、険しい表情をしている。
あれだけ仲の良かったカレンにさえ睨むような視線を向けるものだから、40年もの間人の中で生きた彼に何があったのか、事細かに聞き出したい衝動に駆られたが、多少変わった所でスザクはスザクだ。スザクが話すまで聞くのはやめようとカレンは気持ちを切り替えた。

「久しぶりじゃないわよあんた!わかってんの!?40年よ40年!!どれだけ心配したと思ってんのよ!」

思わず怒鳴りつけていた自分の声に、カレンはハッとなった。
こんな大声出したのはいつ以来だろう。
百面相をしているカレンに、スザクは僅かに表情を和らげ、口元に笑みを浮かべた。

「わかってるよカレン。40年ぶりだね、一瞬解らなかったよ」

だって、彼女のトレードマークは元気な性格と元気にハネている深紅の髪だった。
だが、今目の前にいる彼女の髪は大人しく、まっすぐ下を向いていた。
着ている服も、御世辞にも動きやすいと思えないし、動きやすい格好を好む彼女らしくない大人しい服装だった。・・・そんな服で戦いを挑むのはどうかと思うが。

「ああ、これ?・・・私にもね、色々思う所があったのよ」

あんたの事とかね。
それは口に出さずに、毛の先に触れた。

40年前、スザクはこの山から姿を消した。
ルルーシュの桜桃を人間に切り倒されたと知った翌月だった。
あれだけ痛みに弱いルルーシュだ。
切り倒された時の痛みは、苦しみは計り知れない。
それに、新たな木へ移動する可能性は若い精霊ほど高いが、絶対ではない。
確率が高いだけで、そのまま死を迎えることもある。
ルルーシュは移動してきたばかりだから、もしかしたら期間が短すぎて移動するための何かが足りなかった可能性もある。
死んで、消えてしまった可能性はある。

死んだ。
殺された。
人間に殺された。
ルルーシュが、殺された。

ぶつりと、頭のなかの何かが切れた。

今まで見たことのないほどの怒りに顔を歪め、怒りと恨みと怨念を纏った精霊は、辺りに殺気を振りまいた。その怒りのまま山を降りようとしたスザクを、カレンを始めとした精霊たちは全力で止めた。

「離せ!!俺はっ!ルルーシュの仇を取るんだ!!」

暴れるスザクを止めるのに、周辺に居た桜以外の精霊達も集まってきて、協力してその力を抑えたが、多くの精霊が傷を負い、多くの精霊が力を使い果たし、数年の間眠り続ける事態にまでなった。今まで隠されていたスザクの力は、それほど凄まじいもので、それでもどうにか叫び暴れるスザクを洞窟に閉じ込める事に成功した。
それから1ヶ月後、スザクは見張りの隙をついて洞窟を破壊し、山から消えた。
スザクが人に害をなす前に探さなければ。
精霊と人間は姿は似ているがその力は雲泥の差で、今のスザクが本気で人を恨み、仇を討とうとするのなら、都一つぐらいすぐに消え去るだろう。
人は力が弱い代わりに群れている。
数も精霊を遥かに超える。
数で押されれば、勝ち目は低い。
それにいくら力に差があっても、山を燃やされれば終わってしまう。
そうなるまえに連れ戻すか、このスザクの宿る木を倒さなければ。
そんな話がされている中、スザクの宿る桜の木の前にじっと立っていたカグヤは、「追う必要はありませんわ」とだけいうと、スザクが当分戻らないだろうから、この木を健康な状態で維持する方法を考えなければといった。
宿っている精霊が長期間離れれば、木は徐々に弱りやがて枯れてしまう。
頭を冷やすのにどれだけかかるかわからないが、その間この木を保たせなければ。

それから40年。

怒りを鎮めた精霊がこの地に舞い戻ったのだ。

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