オオカミの呼ぶ声 第5話 |
さっきほどまで掃除をしていた部屋をのぞいても、そこに彼はいなかった。 「スザク、何処に居るんだ?」 呼んでも返事がなく、家の中はしんと静まり返っていた。 「朱雀様って呼ばないと出てこないつもりか?」 それでも返事は無い。僕がなかなか戻らないので、飽きてどこかへ行ったのだろうか?それはすごくありえるなと、僕は嘆息した。 「せっかくスザクも一緒にって、食事に招待してくれたのに」 大体、どこかに行くのであれば一言何か言うなり、書置きを残すものだろう。 ああ、それも彼の言う人間のルールか。 窓を閉めながら、全ての部屋を見て回ったが、やはりいない。 まあいい、この家を秘密基地と言っていた彼だ。その内また戻ってくるだろう。 その事を伝えると、近所に住むと言う人のよさそうなその夫婦は「残念だけど仕方がない」と、僕だけを車に乗せてその家を離れた。 「家に行く前に、朱雀様を見ていくかい?」と聞かれたので、僕は頷いた。 車を止めたその先には、上へと続く長く階段があり、僕は息を切らせながらも、自分の足でその階段を上った。 「上るのは大変だけど、枢木神社から見る景色は綺麗なんだよ」というその夫婦の言葉通り、頂上の鳥居をくぐった後、後ろを振り返ると、遠くまで山々が見渡せて、豊かな緑と、広大な畑とこの村の家屋が一望できた。 穏やかな空気を纏った、色鮮やかな風景。こんな風に景色を見て、美しいと感じたのは初めての経験で、自由という言葉の意味を初めて実感したのはこの時だと思う。 いつも硬質的な人の手による風景に囲まれ、外出すら自由にできない環境に居た時との差に戸惑うところもあるが、悪い気はしなかった。 参道を進むと、拝殿と呼ばれる建物があり、その奥にある本殿に納められている御神体が朱雀様なのだという。 拝殿へ足を進めていたときに、鎮守の杜と呼ばれる森林から一人の男が姿を現した。 「紅月さん、来ていたんですか」 スザクが着ていたのと同じキモノを着た、体格のいい男性だった。 「藤堂先生、おはようございます」 二人が頭を下げたので、僕も「おはようございます」と頭を下げた。ここに来る前に読んだ日本文化の書物で、日本のあいさつは一通り学んでいた。 「おや、こちらのお子さんは?カレン君と同じ年頃のようですが」 「この子がブリタニアから来たルルーシュ君です」 「あの話の、ですか。こんな小さな子が?」 藤堂と呼ばれたその男は、僕を驚きの眼差しで見つめた後、ふと、口元をゆるめると、僕の視線に合せるようその場にしゃがんだ。 「はじめまして、ルルーシュ君。私は藤堂、この神社の管理を任されている者だ。とはいえ、私は宮司ではなく、今は枢木の家の者がこの土地を離れているので、その間だけ預かっている」 「はじめまして、藤堂先生。宜しくお願い致します」 再びぺこりと頭を下げると「ちゃんと挨拶が出来るなんて、偉いな」と、その無骨な大きな手で僕の頭をガシガシと力強く撫でた。 誰かに頭をなでられたのは初めてで「ほ、本で調べたので、そのぐらい知っています」と、思わず動揺しながら答え、慌ててその手から逃れた。 そんな僕の反応に少し困惑したような表情を浮かべた藤堂は「そうか、勉強家なんだな」と、再び笑いかけながら言うと、立ちあがった。 「それで、まずは朱雀様にあいさつを?」 「それもあるんですが、どうもルルーシュ君、朱雀様にお会いしたようなんです」 その言葉に、藤堂は目を見開き、驚いたような顔で僕を見た。 この紅月夫婦もそうだが、そんなに驚く事なのだろうか。 「先ほどから皆さん驚かれているようですが、スザクが何かしたのですか?」 「あ、いや、何かしたという話ではないんだが」 「確かに何か悪戯をしそうな、と言うよりも人を振り回す性格だとは思いましたが」 小首をかしげながらそう言うと、大人たちは苦笑したような顔で僕を見た 「・・・ルルーシュ君ぐらいの年頃だと、こう言う事が起こっても、当たり前だと受け入れられる物なのかもしれないな」 「こう言う事、ですか?」 「朱雀様が人間ではない事は、解っているのかな?」 「ええ、自分で日本オオカミだと言っていましたし、獣の耳も、触って本物だと言う事も確かめましたから。 それにしても日本はすごい国ですよね、妖精の話などはブリタニアにもありますが、それはあくまでも物語、架空の存在です。 でも、この国では架空のはずの存在が、こんな身近に生活しているのですから、文化の違いに驚かされます」 流石に目で見て触れた以上、信じないなんて選択肢は無い。ならばどんなに理解しがたい存在でも受け入れるしかない。 「そうか、紅月さんここで話すよりも、本殿の朱雀様の所で話しませんか」 藤堂がそう促すので、紅月夫婦と共にその後をついていった。 本殿と呼ばれるその建物の扉の鍵を開けた藤堂は、その重厚な扉に手をかけた。ギイと軋む音とともに、ゆっくりと開いたその扉の奥には、石で出来たオオカミの像が偉そうに鎮座していた。 その首には不思議な形の首飾りが付いており、彼の首にはこんな物なかったはずだが?それにスザクは子供なのに、この石像はどう見ても大人の狼だな、とスザクの石像にしてはなにか違和感があるなと、不思議に思った。 ここがスザクを祭る神社なら、ここがスザクの家と言う事になる。僕はきょろきょろとあたりを見回しその姿を探したが、どこにも見当たらない。 「ルルーシュ君の見た朱雀様はこのような御姿だったのかな?」 再び僕に視線を合わせるよう藤堂がしゃがみ、僕に質問をしてくる。 「いえ、人の姿です。最初は近所の子供だと思っていましたから。頭に獣の耳が無ければ見分けられませんよ。こんな首飾りもしていませんし」 「人の、人間の子供の姿?君にはどんな姿に見えたのかな?」 「藤堂先生と同じ日本のキモノを着ていて、髪は茶色のふわふわとしたくせ毛、瞳の色は翡翠と同じ緑色の、僕と変わらない年の少年です」 「道着を?」というので「道着?」と聞くと、どうやら藤堂が来ているのは普段着るキモノではなく、武術の鍛錬の際に着る運動着のような物なのだと言う。 「朱雀様があの家に居た理由は聞いたのかな?」 「スザクは、僕が住むあの家を秘密基地だと、誰も住んでいないから自分の物にしたと言っていました。だから勝手に住もうとした僕を、最初追い出そうとしたようです」 「最初、と言う事は今は追い出そうとしていないのかな?」 「ええ、一緒に住むと言ってましたよ」 その言葉に、藤堂はまた驚いたような顔をした。いったい何なんだろう。 「スザクの姿は人によって見え方が違うんですか?」 先ほどからの質問とこの石像で、僕はそう感じていたのだが。 「ルルーシュ君。どうも君は勘違いをしているようだが、この国でも妖精や妖怪、神様は架空の存在だと言われている」 「・・・え?」 「私たちはこの場所で朱雀様を御守しているが、その御姿をを見た事は無い。遠い昔、朱雀様にお会いした事があると言う人物が遺した文献が残っているだけだ」 真剣な顔で話す藤堂の言葉に嘘は見られない。これはどういう事だろう?本当に僕以外はその姿を見た事がないのだろうか? もしかして僕が彼らにスザクの事を話したから、彼は姿を消したのだろうか。 困惑する僕に「見せたい物がある」と言ってから、藤堂は奥へと姿を消し、数分後に戻ってきたときには、その手に一冊の古い書物を持っていた。 ぱらぱらとめくり、あるページを開くと「これを見てくれないか」と、それを僕に見せてた。 視線を向けると、そこには一枚の写真が貼られていた。くるくるとした短い癖っ毛、大きな瞳、屈託のない笑顔、そしてあの道着。 モノクロで写されたその古い写真に写っているのは、まさにスザクそのもの。 「スザク・・・・ですね」 「やはりそうか」 「架空の存在って言ってませんでしたか?ちゃんと写真に写ってるじゃないですか」 からかわれたのかと、僕は藤堂を睨みつけたが「すまない、からかったわけではないのだが」と、申し訳なさそうに謝ってきた。 「この写真が朱雀様だという確証は今までなかったんだ。ただ、この写真の持ち主が、この少年の名前が枢木スザクだと言い、もしかしたら朱雀様は人の姿になれるのではないか、と言われていてね」 「可能性として話は聞いていましたけど、本当に朱雀様の御姿だったんですね」 「こんな小さな子供の御姿なのか」 その後しばらくの間、彼らと話をした後、紅月夫婦の家で昼食を頂いた。 既にお昼をかなり過ぎていたため、紅月夫婦の子供たちは祖父母が子どもたちに食事をさせ、一番下の子供の昼寝をさせていたところだった。 初めて食べた日本の食事は箸が上手く使えず、仕方なくフォークで食べた。箸も使えないのかと、その家の、僕より年上のガラの悪そうな顔の子が馬鹿にしてきたので、帰ったら箸の練習をしようと決心した。 食事でも自分で作れるようになりたいので、料理を教えて欲しいと奥さんに頼むと「子供に料理を教えるのが夢だったのよ」と嬉しそうに笑った。 どうやらこの家の子供は、食べる専門で料理を作ることに興味は無いようだった。 掃除をしていたという話をしたところ、買い置きの洗剤やスポンジなどを譲ってくれた。 本当は、手伝いに来ると言われたのだが、スザクを思うとあまり人を上げるべきではないと判断し、丁重にお断りをした。 その後もいろいろな事を教えてもらい、気がつくと空は夕焼け色に染まっていた。 帰宅後、さっそく教えてもらった通りにお風呂を洗い、湯船にお湯をためた。 お湯がたまるまでの間、スザクが戻ってきていないか家の中を探し回ったが、やはりどこにも姿は見えなかった。 置いたままになっていた洗面器と、雑巾、箒を片付け、お風呂に向かうと、温度が熱くて火傷しそうになった。水を加えて温度を調整するのも初めてで、自分一人で入れたお風呂は、いつもよりも暖かく気持ちが良いように思えた。 荷物が置かれた、この家で唯一綺麗なその部屋の床に布団を教えられた通りに敷くと、パジャマに着替えて電気を消した。 しんと静まり返った家の中には僕一人。結局スザクは戻ってこなかった。やはり、僕が余計な事を言ったから怒ったのかもしれない。 「馬鹿スザク、話をして欲しくないなら最初からそう言えばいいんだ」 僕は彼を傷つけたのだろうか?チクリと胸が痛むのを感じながら布団にもぐりこんだ。 ざわざわと木々が風に揺れる音と、何かが転がるような音。ガタガタと壁や窓を揺らすその音はただの風だと解っていても、言い知れぬ不安を呼び起こす。 それでなくても古い家屋はあちらこちらから隙間風も入り込んでいて、すうっと冷たい風が時折頭をかすめた。 「こんな古い家で、夜中一人でいるのは怖い」と紅月夫婦が言ったのはこう言う事かと、ようやく理解する。 今までは近代的な、しっかりとした造りの建物で暮らしていたから、木々だけではなくドアや窓も風がこんなに煩く、ガタガタと揺らすものだとは思わなかった。 タオルケットを頭からかぶると、少しは静かになった気がする。 これで眠れるかもしれないと、ほっと一息ついたとき、風の音とは違う音が聞こえてきて、思わず体をすくませた。 ぎしり、と重みを感じて鳴る床に、窓と玄関は閉めた、雨戸も教えられたとおり閉めたはずだと頭の中で確認した。 足音は段々近くなり、この部屋の前で止まると、ほとんど音を立てずに襖を開いた。家鳴りでも、聞き間違いでもなく、間違いなく誰かそこに居る。 どうする、どうすればいい?こんな暗い部屋で、身を守る物もなく、あの家のように隠れられる場所もまだ見つけていない。 こんな所まで暗殺者が来たのか、と僕は恐怖にガタガタと体が震えるのを止める事も出来ず、僕の中の冷静な部分が「ああ、こんな所で終わるのか」と自嘲した。 僕のすぐ傍まで来たそいつは、僕の布団の足元をめくると、音もなく潜り込んできたので、思わずぎゅっと目をつぶると、いつの間にか溜まっていた涙がこぼれた。 潜り込んできたそれが、足元から上の方へと移動し、やがて僕の腕に当った。 腕に当ったその感触は予想に反してふわふわと柔らかい。もぞもぞと動いていたそれは、僕の胸のあたりで動きを止めた。 まさか、と思い僕はタオルケットから顔を出して、ゆっくりとタオルケットをめくる。予想通りそこにはあの茶色のくせ毛と獣の耳。 僕は思わずその耳を引っ張った。 「てっ!痛っ!痛いって!ひっぱるな!!」 つい力が入り、強く引っ張る僕の手を慌てて掴んだその声の主はやはり彼で。 「痛いじゃないだろう!こんな時間まで何処に行ってたんだ!!」 帰ってきた事への安堵と、恐怖に対する怒りで、つい怒鳴りつけてしまった。 そんなに痛かったのか、涙目になりながら、その茶色の髪の持ち主は、タオルケットから顔を出した。 「何処って外に決まってるだろ!・・・ってお前、何で泣いてんだ?」 キョトンとした表情で彼が聞いてきたので、僕はハッとしてごしごしと袖で目をこすった。 「なんだ?どこか痛いのか?それとも大人たちに何かされたのか?」 心配そうに、見下ろされてしまい、こんな姿を見られるなんて失態だと恥ずかしさに顔が赤くなった。そんな僕の様子に「お前顔赤いぞ、熱でもあるんじゃないか?」と、心配そうに僕の額に置いたその手が冷たくて、僕は思わずびくりと体を震わせ、反射的にその手を掴んだ。 その手は驚くほど冷たく、そう言えばさっき腕に触れた髪の毛も、掴んだ獣の耳も冷たかった事を思い出した。日中温かくなってきたとはいえ、まだ夜は寒い。その上これだけの風が吹いているのだから体温が奪われているのは当然だった。 「こんな冷たくなるまで何してたんだ!っもういい、いいから布団に入れ!」 僕は起きあがると、彼を布団の上に寝るよう促し、タオルケットをその体に掛けてからその隣に横になると、冷たい手がするりと僕の背中へと回った。その冷たさに、思わず鳥肌が立つ。 文句を言おうとしたが「暖かい」と、ほっとしたような声音で胸元にすり寄ってくるので、流石に引き離す事は出来ず、そのふわふわの髪に手を伸ばした。 くるくると指に絡みつくその髪に思わず笑みがこぼれる。 こうしていると、幼い妹が、怖い夢を見た、と僕のベッドに潜り込んできた時の事を思い出す。あの子の髪は彼の髪よりも長いけれど、柔らかいふわふわのくせ毛で、その髪に触るのが好きだった。 その感触と、次第に暖かくなる彼の体温に安心したのか、僕はいつの間にか眠りに落ちていた。 |