オオカミの呼ぶ声 第7話

「やめなさいよ!弱い者いじめはしちゃダメなのよ!」

そう言いながら、僕たちと同じぐらいの年の少女が両手を広げ、自分よりも年上の男をその背に庇った。

藤堂が訊ねてきた翌日の早朝、紅月家の長男が朝食の迎えにと訊ねてきた。スザクにも行くのか聞いたが「藤堂先生以外は会いたくない」と言うので、僕一人でお邪魔することとなった。
ナオトと名乗った少年は、僕に自転車用のヘルメットをかぶせ、自転車の後ろに僕を乗せると「落ちないようしっかり掴まってろよ」と言うと、ゆっくりとペダルをこぎ出した。僕は腕をナオト腰に回し、ギュッと服をつかむ。舗装されていない道をガタガタと揺れる振動に耐えながら、辺りの景色に目を向けると、早朝の空気は今まで嗅いだ事のない香りがし、朝露に濡れた草花が太陽の光を受けてキラキラと光っていた。まだ6時にもなっていないと言うのに、畑には既に働いている人たちの姿がみえる。
枢木神社への参道の前を過ぎると、紅月家が見えてくる。
家に着くとおばさんは、にこにこと楽しそうに、ガスコンロの使い方と、目玉焼きの焼き方とわかめのお味噌汁の作り方を教えてくれた。自宅ではまだ料理はしない事、料理をしたければここで練習をする事、ガスは注意して使わなければ火事になる事を何度もいい聞かされた。
そんな僕とおばさんの姿を、じっと見ている人物がいるなんて、夢中になっていた僕は気がつかなかった。
朝食を終えた後、帰りは玉城と言う名の少年が送ってくれることになった。彼は紅月家の人間ではなく、玉城と、もう一人扇という名の少年は、両親が仕事で遠くへ行っているため、紅月家で預かっているのだと言う。ナオトと扇が同じ年で高校2年、玉城は中学2年。そして紅月家にはもう一人、9歳の元気な女の子、長女のカレンがいた。
その玉城とは今までまともに話したことはなく、いつも不愉快そうに僕を見ていた記憶しかないが、「じゃあ慎一郎くんお願いね」と、おばさんが言い「まかせてくれよ」と、玉城はにこやかに笑いながら僕の腕を引っ張った。 自転車で5分ほどの距離だが「どうせだから歩いていこうぜ?」と、妙に機嫌よく言って来るので、僕は頷いた。 枢木神社の参道前まで来た時「どうせだからお参りしようぜ?」と、にこやかに笑いながら、僕の腕をぐいっと引っ張ってきた。
僕の腕を離すことなく、玉城は階段をどんどん上っていく。
なんとか着いていこうと、息を切らせる僕を見て「体力ねーなぁ、カレンよりねーんじゃねーの?」と、にやにやと笑うのを腹立たしく思ったが、文句を言うだけ体力の無駄なので、足を止めることなく必死に登った。頂上にたどり着くと、ようやく手が腕から離され、僕は膝に手をつき息を整えた。

「おい、こっちに面白いものがあるぜ、ちょっと来いよ」

枢木の杜の方を指差しながら、こっちだと、何度も手を振るので、仕方がないと諦め、玉城の居る方へ歩いて行った。そこには、ある程度整備された山道があり「ちょっと行ってみようぜ」と、玉城は一人でさっさと歩いて行ってしまった。僕が躊躇していると「なんだぁ?もしかして怖いのかお前?こ~んな森に入るのが怖いなんて、それでもお前男か?」とにやにやと笑うので、安い挑発に乗ったつもりはないが、僕は足を前へと進めた。しばらく歩くと視界が開け、広々とした場所に出た。特に何もない広場で、雑草ぐらいしか生えていないのは、まだ春になったばかりだからなのだろうか。
相変わらずにこにこと、笑いながらこちらを玉城が見ていた。
さて、どうするべきだろう。
玉城の笑みが、最初から胡散臭くて、僕に悪意を持っているのは解っていたのだが、まだ何もされていないのに拒絶するのは難しかった。
なにせ、お世話になっている紅月家に住んでいる人間だ。あまり波風は立てたくない。
歩くのを断れば自転車に乗せられ、乱暴な運転で振り落とされるのは目に見えていた。 階段を上るのを断れば、ある程度無理やり登らされた後、突き落とされるのも解っていた。ここは見た限り、辺りに武器になりそうな物もなく、やれることは殴る蹴るぐらいだろう。
ならばこれが一番被害の少ない道。
玉城と言う少年は、ある程度暴力を振るえば満足するタイプのように見える。なにより紅月夫婦に世話になっている身だし、僕が動けなくなるまで暴力を振るう事は無い。
にこにこ笑いながら「良いからちょっと来いよ」と手招きをするので、僕は時間を長引かせても結果は変わらないと、一つため息をつき、その場所に足を踏み入れた。手招きしていた玉城の近くまで歩いて行くと、玉城は突然表情をがらりと変え、不機嫌そうに僕の胸倉をつかみ、僕の体を持ち上げた。
身長差があるので、僕の足は地面から離れ、自重で首が閉まる苦しさに、僕は顔を歪めた。

「てめ~生意気なんだよブリキのガキが」

予想通りの反応に、思わず苦笑が浮かぶ。それがさらに気にいらなかったのだろう、顔を怒りに歪め、空いている腕を振り上げた。僕はこれから来るであろう衝撃に、ギュッと目を閉じた。
だが、痛みによる悲鳴を上げたのは僕ではなく、「ぐぇっ!」っという悲鳴と共に僕を掴んでいた手が離された。予想外に空中に放り出され「ほわぁぁぁぁ」と、思わず素っ頓狂な悲鳴を上げた僕の視界には、顔を抑えながら後ろへ倒れる玉城の姿が映り、地面に叩き付けられるはずの僕は、いつの間にかその体を支えられていた。
後ろを見ると、眉根を寄せ、口を真一文字に結び、据わった目で真正面を睨みつけるスザクがそこにいて、どさり、と玉城が倒れた音が聞こえると、スザクは据わった目のままじろりと僕を見た。

「お前何やってんだよ!どう見てもこいつ危ないだろ!ひょいひょい着いてく馬鹿が居るか!!」

その言葉に、カチンときた僕は、助けてもらったお礼も忘れ、スザクを睨み返した。

「玉城が僕に危害を加えようとしてるなんて最初からわかっていた」
「嘘吐くな!」
「嘘じゃない。どの選択も断れば、殴られる以上の怪我をすることがわかってたから、ここまで付いてきたんだ!」
「わかってんなら、なんでコイツが送るって言った時嫌だって言わないんだ!朝の兄ちゃんに頼めよ!」

その言葉に、僕は何かおかしくは無いか?と一瞬言葉に詰まった。

「・・・ちょっとまった、何で玉城が自分から送ると言ったのを、君が知ってるんだ?」

僕がそう聞くと、スザクは「あっ」と慌てて口を噤んだが、すぐに表情を変えると、視線を僕から玉城へと移した。

「一人で来たとかやっぱ嘘じゃねーか!ガキ、お前も一緒にギッタギタにしてやるぜ」

スザクに蹴られたのだろう、顔を押えながら玉城は立ち上がると、拳を振り上げてこちらへ向かってきた。それを静かに見ていたスザクは、軽く僕を押して移動させると、殴りかかってきた玉城の腕を取り、そのまま後方へ背負い投げた。
その動作は息を呑むほど自然で美しく、綺麗に円を描いて宙を飛んだ玉城は「うおあぁぁぁぁ?」と悲鳴を上げ、背中から地面に落ちた。
どしんと重い音が響き、玉城は苦痛に顔を歪めながら、体を起こした。

「くそ!ガキが、覚えてろよ!!」

と、痛む体を引きずるように、玉城はこちらに背を向けて参道の方へ走っていった。
その姿をしばらく見ていたスザクはくるりと僕の方へ振り向くと、未だ不機嫌そうな顔のままじろじろと僕を見た。

「怪我は無いよな?」
「ああ、君のおかげだ、有難う」

ようやく言う事の出来たその言葉に、スザクは何故か驚いた後、不機嫌そうだった表情が和らぎ、照れたのか僅かに頬を染めた。そして「ここで待ってろ」と参道へ向かって走り出した。嫌な予感がした僕は、慌ててその後ろ姿を負ったが、その背中はあっという間に視界から消えてしまった。
息を切らせながらようやく参道にたどり着いた時、そこには玉城とスザクだけではなく、カレンとナオトも居た。
おそらく追いついたスザクが玉城に暴力を振るったのだろう、痛い痛いと喚きながら玉城は肩を押さえ、ナオトに痛みを訴えていた。ナオトは痛がる玉城、玉城を守るように立ちふさがっているカレン、そしてカレンと対峙しているスザクを、困ったような顔で見ていた。
その視線が、ふと僕の方へと向き「ああ、よかった」と、ホッとしたように息を吐いた。

「ナオトさん来てたんですか?」

僕はスザクにこれ以上暴力を振るわせるわけにはいかないので、足早にスザクの横に立つと、彼の道着の裾を引っ張るように掴んだ。
何で来たんだと言わんばかりにこちらを見ていたスザクは、僕が掴んだ事で一瞬驚いたような表情をした。

「君は馬鹿か。暴力を振るっても、何も解決にはしないだろう」
「だからって黙って殴られるのは変だろ!最初からこっちの兄ちゃんと帰ってこいよ!」

僕に言われたことが腹立たしかったのか、再び顔に怒りをのせ、空いてるほうの手でスザクはナオトを指差した。

「今回はそれで乗り切っても、別の機会にやられるだけだ。意味は無い」
「そんなん解らないだろ!」
「少しは考えれば解るだろ!」

玉城とスザクの喧嘩だったはずなのに、突然僕とスザクの口喧嘩となったため、玉城の正面で両手を広げていたカレンは、状況が解らずナオトを見上げていた。ナオトは、そろっと逃げようと体を動かしていた玉城の首元を掴むと、そちらに顔を向けることなく、僕たちの口論を聞いていた。喧々囂々と言いあう僕たちの声が聞こえたのか、本殿の方から一人の大人が姿を現し、その人は僕たちを見て驚きに目を見開いた。

「ルルーシュ君とスザク君!?」

驚きの声を上げる藤堂へ視線を向けた僕とスザクは、言い合うのをやめた。

「どうしてここに?いや、来てくれたのは嬉しいのだが」

そう言いながら、ナオト、カレン、玉城の方へ眼を向けた。人に姿を見せたくないと言っていたスザクが、紅月家の3人の前に姿を見せたのだから、当然の反応だ。

「おはようございます、藤堂さん」

一人冷静に状況を見ていたナオトが、にっこりと挨拶をした。それは、逃げ出そうと暴れる玉城の首根っこを片手掴んでいるとは思えない爽やかさだった。僕とスザク、そしてカレンは、あわてて姿勢をただし「おはようございます」と挨拶をした。

「ああ、おはよう。所でこれは一体?」
「藤堂先生はこちらの二人を御存じなんですね?」

ナオトが、空いている手で、僕とスザクの方を指し示すと、藤堂は大きく頷いた。

「ああ、二人とも知っている」
「藤堂先生は昨日うちに来てご飯を作ってくれたんだ!」

先ほどとはうって変わり、自慢げにスザクはキラキラとした目で藤堂を見上げていた。
迷子の子犬が飼い主に会えた時のような、嬉しそうなその表情に、耳だけではなく狼の尻尾が生えていたら、間違いなくブンブンと振られているだろうなと、思わず苦笑した。

「実はうちの玉城が、俺の居ない間に、朝食を終えたルルーシュ君を送っていくと言って家を出ていたんです。 カレンが、朝から玉城が変な目でルルーシュ君を見ていたというので、家畜の世話をしてた俺を呼びに来て」

朝食の時、ナオトとおじさんは納屋で家畜の世話をしていて、僕が帰る頃にはまだ戻ってきていなかった。どうやら、カレンの報告に嫌な予感がしたナオトは、カレンを乗せて自転車であの家に向かっていたのだが、カレンが神社の上に着いたばかりの僕を見つけ、ここまでやってきたという。
その話に対し、玉城は「俺は神社を見せてやろうと」とか「夏にはひまわりでいっぱいになる場所をみせてやろうと」とか「そいつが何もしてないのに蹴ってきたんだ」としどろもどろに言い訳をしていた。

「馬鹿玉城!言い訳なんてみっともないわよ!」

カレンは腕を組み、仁王立ちで玉城を睨みつけた。
9歳の少女が中学2年を叱ると言うのはどうも奇妙な光景なのだが、ナオトも藤堂も苦笑するだけで何も言わないところから、よく見る光景なのだろう。あれだけ偉そうに、暴力的な行動を取っていた男と同一人物とは思えないほど、玉城はカレンに対しては腰が引けた様子で後ろに後ずさる。
これほど解りやすい力関係も無いな、この玉城と言う男、実は喧嘩は弱いのかもしれない。

「いや、俺は別に言い訳なんて」

しどろもどろに視線を逸らしながら言う玉城の首を掴んだままのナオトは、にっこりと玉城に微笑みかけた。
その瞬間、玉城の表情がピクリと固まる。

「玉城、たった一人で言葉も解らない、異国にやって来たこんな小さな子を、本当に親切心で連れてきたんだな?」

じろり、とそれまでの人のよさそうな笑みからは考えられないような鋭い眼差しでナオトが玉城を睨むと、玉城はさっと目を逸らした。

「言葉も解らないって、そいつ日本語喋ってるじゃねーか」
「ルルーシュ君は日本に来ることが決まって、1ヶ月で日本語をマスターしたそうだ。すごいよな。俺には無理だ」
「一人で来たってのは嘘だぞ!そこに知らねーガキも居るじゃねーか!きっと他にも何人も来てんだよ!」

そう、ナオトに怒鳴りつける玉城に近づいた藤堂は、真剣な眼差しで玉城を見据えていった。

「玉城君、何を勘違いしているかは解らないが、ルルーシュ君は間違いなく一人で来ている。私は昨日一日お邪魔しているから間違いない」
「じゃあ、そのガキは何なんだ!この村にそんなガキいねーぞ!」

その言葉に、藤堂先生はやはりそこを突いてくるか、さて、どうしたものかと口を閉ざし、まさか土地神だなんて言う事の出来ない僕も、何も言えなかった。
その様子に「ほらみろ」と得意げに玉城は胸を逸らした。
だがスザクは、キョトンとした顔で僕たちを見回すと「俺は昔からここにいるに決まってるんだろ?この神社は元々俺んちだぜ?」と、当たり前のように答えた。

「スザク君」
「君は・・・何処まで馬鹿なんだ」

そんなにあっさり言っていいモノなのかと、藤堂は驚きスザクを見、何も考えてないだろうなと僕は呆れて呟いた。
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