オオカミの呼ぶ声 第17話

春が過ぎ、季節は夏へと移り変わった。
日々暑くなっていく気温に僕がうんざりし始めた頃、小学校は夏休みにはいった。
日本家屋は風を通しやすく、全ての窓と扉を開けるだけで、随分と涼しくなる。
風鈴を縁の下につりさげるのは日本の伝統だと言って、カレンが赤い金魚のイラストが入った物を買ってきた。
ちりんちりんと涼やかな音が響き、それだけで体感温度が下がる気がするのだから、不思議な物だ。
紅月家で取れたと言うスイカを持って玉城が家にやってきたのは丁度お昼時。
僕は日本の夏の食べ物だと言うそうめんを茹で、スザクとカレン、そして玉城と四人で食べていた。
氷で冷やした麺と、冷たいつゆ。薬味はミョウガと長葱と少々の生姜。
さっぱりとしているそれは、夏バテ気味の僕にはとても食べやすく、美味しい。

「で、明日の朝、小学校のみんなとカブト虫を取りに行くことになったんだ!」
「ルルーシュも行くんだからね!」

朝から元気に小学校の友人と遊んできたスザクとカレンは、真っ黒に日焼けした顔をにこにこと綻ばせ、そう言ってきた。 たしかカブト虫やクワガタの類は早朝に取りに行くのではなかっただろうか?

「僕は行かない」

それでなくても、ここ最近は体力が持たないのだから、スザクが居ないのであればゆっくり眠っていたいのだ。
大体虫取りにも興味は無い。

「駄目だ駄目だ。これは決定事項なんだからな。明日は俺と扇が保護者で一緒に行くから、いくら鈍いルルーシュでも大丈夫だって」

玉城がそうめんを啜りながら、僕の不参加を取り下げた。
鈍い?誰が鈍いって?

「そうよ、ルルーシュ。私たちが居るんだから、ルルーシュでも一緒に行けるわよ」
「うんうん、いざとなったら俺が背負ってやるから」

僕でも一緒に行ける?スザクが背負う?何を言っている!?冗談じゃない!!

「待て、三人とも。僕は別に体力に自信がなくて行きたくないと言っているわけじゃない。虫取りに興味がないだけだ」

そして、夏バテ気味な上に、連日スザクとカレンに連れまわされているから少し家でゆっくりしたいだけだ。決して皆について行けないからじゃない。
そんな僕の言葉に、三人が疑いの眼差しを向ける。

「虫取りに興味ないとか、有り得ないわよ。男の子でしょ?」
「女のカレンでもこんなに楽しみにしてるのになぁ。まあ、お前カレンより女の子っぽいし、もしかして虫が怖いのか?」
「え?ルルーシュ虫駄目なのか?あ、ゴキブリが駄目なのは知ってるけど、カブトも怖いのか!?」

怖い?誰が?何を怖いだって?僕が、虫ごときを怖がると!?ふざけるな!

「違う!別に虫は怖くない!怖いはずないだろう!」
「じゃあ、明日ルルーシュも虫取り参加な!大丈夫だって俺が付いてるから」

スザクとカレンが嬉しそうに笑うので、僕はそれ以上拒絶する事は出来なかった。



早朝、待ち合わせ場所の紅月家前には、扇、玉城のほかに、小学生が8人、そして僕とスザク、カレンが集まっていた。
どうやら小学4.5.6年のみ参加の虫取りらしい。と言っても小4は僕ら3人だけだが。

「よっし、じゃあ皆自転車に乗れ!しゅっぱーつ」

枢木の杜での虫取りかと思っていたが、どれだけ取れるかの競争もするらしく、枢木の杜で取ると、主であるスザクが有利過ぎるという話となり、ここから少し離れた場所まで行くのだと言う。とはいえ、その森もスザクの守護領域なので、土地に縛られているスザクも行く事が出来る場所であった。
扇の後ろにカレン、いつの間にか自転車の練習をして乗れるようになっていたスザクの後ろに僕が乗り、先頭の玉城の後について自転車を漕ぎ出す。
スザクは自分の足で走った方が早いと言いながらも、皆で一緒に移動すると言う事が楽しいようだった。
鬱蒼と生い茂った森の登山道らしき場所の入口に自転車を止め、扇チームと玉城チームの二手に分かれることとなった。
理由は簡単だ。
スザクやカレンなど活動的で走り回るであろうタイプと、僕のようなゆっくり探し回るタイプに分かれるのだ。

玉城:スザク、カレン、小6×3、小5×2
扇:ルルーシュ、小5×1、小6×2

この組分けに文句を言ったのはスザクとカレン。
僕に虫の取り方を教えようと思ったのだと、僕を玉城チームへ入るよう言ってきたが、玉城チームだと皆の迷惑になるから、と説得すると、渋々ながら引き下がってくれた。
ならば、僕へのお土産に、どれだけ凄いものを取れるか勝負だ!とスザクとカレンは燃えていたので、これはこれで良かったのだろう。
本当は僕も二人と居たかったが、僕が居るとスザクとカレンが僕にばかり構って面白くないのだと、二人が僕の傍に居ないときに、彼らに言われていたのだ。
人気者であるスザクとカレンの二人を独占しているつもりはなかったが、二人に楽しんでもらうためにも、ここは別行動をすべきだと判断したのだ。
あの玉城を含めた8人のテンションについていけるはずがないし、あの中に居たら無駄に疲れそうだと言うのも理由の一つ。
その時はそう思っていたし、まさかこんな状態に陥るなんて予想すらして居なかった。
こんなのんびりとした優しい場所で、スザクや大人たちに守られ、命を狙われる心配をすることなく過ごしたせいだろうか。
少しでも悪意のある者が居れば、敏感に感じる事が出来たはずなのに、今回は全く気がつかなかった。
失態だ。ぬるま湯につかり過ぎて、世間の冷たさを忘れるなんて。

僕はゆっくりと顔を上げると、この古井戸の上から覗いている人物を睨みつけた。

「どういうつもりですか、扇さん」

目の前の男は、困ったような、、申し訳ないような顔で、目を逸らした。

「君に危害を加えるつもりは無い。ここに、そうだな。今日の夜まで居てくれればいいんだ。ああ、ちゃんと風邪をひかないよう毛布と寝袋もあるし、そのリュックには食料と水もある。懐中電灯もある。ここは危険な動物も居ないから、何も心配は無い」

扇の傍には、古井戸の底に居る僕を覗きこんでいる小学生3人。
おかしいと思うべきだった。玉城チームに行った5人は、虫取りを純粋に楽しむタイプだ。だが、ここに居る3人はどちらかと言えば僕と同じタイプ。虫取りなどより読書を好む。いくら夏休みの自由研究用の昆虫採集をする、と言ってもわざわざこんな朝早くに山に入るタイプではない。

「僕に危害を加えない?既に十分加わっていますが?・・・でも、僕を狙ったわけではない、と言う事ですよね?では、何が目的ですか?」

僕がこの地で大人しくしている以上、暗殺される理由は低い。
アイツらが扇達を雇ったという考えは最初からない。
なら、何だ?僕をここに閉じ込めて何をする気だ?

「アイツを始末するためだ。大丈夫、アイツが居なくなれば君も正気に戻れる」
「・・・アイツ?僕が正気にって何の話だ?」

この言葉に僕は幾つもの可能性を思い描き、その内容がどれもこれも嫌なモノばかりで、冷たい汗が背中を流れた。

「枢木スザク、あの化け物の話だ!君はあいつに操られているんだ!そうでなければ、一緒に暮らしていられるはずがない!!あいつは人間じゃないんだぞ!」
「そうだ!神様なんて物語の存在なんだ!頭のいい君なら解るはずだ、あれは神じゃない、人間を惑わす悪魔だ!」
「桜にだって呪いをかけ、人の心を暴きだすなんて鬼や悪魔の力だ!」
「人のよさそうな顔で近付いて、僕たちを食い物にしているんだ!取り返しがつかなくなる前に手を打つんだよ、僕たちが!」

扇の発言につられるように、一緒に居た子供たちも口々に叫ぶ。
この村の人たちの大半はスザクを受け入れてくれていた。
スザクの存在を歓迎していることは、先日の枢木神社のお祭りで、より理解できたのだ。実は枢木神社は、スザクの誕生日に合わせて建立されたものだと知った氏子たちが、近隣の村や町からも集まってきて、盛大に祝われたばかりだった。
枢木神社の犬神様といえば、悪戯好きの、優しい土地神として昔から言い伝えられていたのだと言う。
その様子に僕は安心していた。
油断していた。
全員が受け入れるはずなどないのだ。必ずそれを否定するモノが現れる。
そしてそのモノは、水面下で計画を立て、今日動き出したのだ。
枢木の杜から離したのもそのためだろう。
枢木の杜は神域で聖域だが、この辺りの森はスザクの守護領域であっても、神域ではない。スザクを癒す力はこの土地には無い。

「・・・何をするつもりだ。スザクに」
「今は知らない方がいい。ルルーシュ君、大丈夫だ、これが終われば君は自由になる」
「神に危害を加えて、ただで済むと思っているのか扇。知らないとは言わせない、日本の神とは祟るモノなんだぞ!」

叫ぶ僕を、まるで哀れなモノを見るような目で見つめた扇は、古井戸に木の蓋を乗せた。

「扇!馬鹿なまねはよせ!扇っ!」

僕の声に扇は返事をしなかった。
日の光が遮られ、真っ暗になった古井戸の底で、僕は立ち去る4人の足音を聞いた。
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