オオカミの呼ぶ声 第19話


寒い。
寒い。
寒い。

なんで、こんなに寒いんだ?

暗い。
暗い。
暗い。

なんで、こんなに暗いんだ?

ああ、俺は眠っているのか。
寒いのはルルーシュが居ないからか?
もう、朝ごはんを作りに布団から出たのか?

一人で寝ててもつまらない。
起きよう。
早く、起きよう。
そして、おはようって言うんだ。
そしたらあいつも、おはようって言ってくれる。
起きよう。
寒いから、暗いから、早く起きよう。



目を開くと見慣れた天井が視界に入った。
この天井は知っている。
でも家の天井じゃない。
枢木神社の本殿の天井だ。

本殿の扉は全て閉ざされていて、幾つかの蝋燭が部屋を照らしていた。
妙に重い体をどうにか起す。
体が重い、体がだるい、頭に霞がかかっているような気がする。
何で俺、家じゃなく本殿で寝てるんだ?
それに、何でこんなに寒い。
日陰に居るからなのか?


俺は布団から這い出し、本殿正面の扉を開けた。

目に入った光景に、思わず息を呑む。

眩しい太陽の光を反射して地面がキラキラと輝いていた。
そこは一面の白。
空からも白いモノがちらちらと降っていた。
足元に積もったその白いモノに手を触れると冷たく、俺の体温ですぐに溶けた。

「雪、だ」

視界一面に広がるそれは、雪。
吐く息は白く、空気は冷たい。
あれ?でもいつの間に雪なんて降ったんだろう。
思い出せない。

本殿から外に出、新雪の上に足跡を残しながら、拝殿の方へ向かった。
ざわざわと人の声と気配がする拝殿が近づくにつれ、多くの人の姿が視界に入った。本殿の方から歩いてきた俺を見た人々は、目を見開き、その顔を喜びの表情をのせ、手を合わせた。

「スザク様だ、スザク様が目を覚まされたぞ」
「藤堂先生は何処だ?誰か先生を呼んで来い」
「ああ、お元気になられて、本当によかった」

口々に氏子たちが嬉しそうにそうに言うので、俺は思わず首を傾げた。
何の話だろう?俺は何か約束をしていたのに、寝坊をしたんだろうか?
それよりも、皆が来ている服はなんだ?中には振袖を来ている女性もいる。
辺りを見回すと、絵馬やおみくじ、甘酒の配給も視界に入った。
冬、着物、参拝、甘酒。

「・・・正月?」

不思議そうに辺りを見回している俺に「ええ、そうです」「今日は1月1日です、スザク様」と、あちこちから声がかかる。
正月、いつの間に年を越したのだろうか。
ああ、それよりも、正月なら拝殿で参拝に来た人たちに挨拶をしないと卜部が怒る。
俺は拝殿へ向かい中へ入ると、参拝に来た人々へ向き直った。
その瞼を閉じ、深呼吸をすると、辺りの神域がその呼吸に反応した。それに応えるよう聖域も反応を示す。
いつもより重厚な声音と、凛とした気配を纏い、押えていた神気をその体から迸らせている。後光が差し、清浄な空気が辺りを満たす。
再び瞼が開かれた時、そこに居るのは先ほどの犬神ではなく、土地神であり、大神の資格を有する稀有な神、枢木スザクであった。
人々のざわめきが収まり、辺りはしんと静まり返った。

「人々よ、新たな年の始まりのこの日、よくぞこの枢木の地へ訪れた。汝らと再び時を重ねられる事、我は心より嬉しく思う。この地は、古より多くの神々が産まれ、その為に多くの災いが生み出され、多くの命が失われた不浄の大地。我はこの地を浄化するための楔にして、獣でありながら神鳥の名を与えられし守護神朱雀。この地に安定と、平穏を。汝らに幸福と、希望を。我は今日この日、再び祈り、願おう」

そこまで言い終わると、再び瞳を閉じ、神気を再び封じる。
再び瞼を開けると、皆一様にポカンとこちらを見ていた。
なんだろう?挨拶は終わったぞ?
なぜか無言のまま見つめてくる人間に思わず首を傾げていると、藤堂の姿が見えた。

「藤堂先生!明けましておめでとうございます」

何故か他の人間と同じように立ちつくしている藤堂の元へ駆けよって、新年のあいさつをした。

「あ、ああ。明けましておめでとう、スザク君」
「先生、どうかしたのか?」

何故か呆然と俺を見るので、あれ?寝ぼけて神気を流し過ぎたか?と心配になってしまう。

「スザク君、今のは?」
「今のって?」
「拝殿で今君が言ってたのは」
「正月の挨拶の事?1回はやっとかなきゃ、後で怒られるからやったけど?」
「怒られる?」
「俺、この神社の神体だから、年始ぐらいそれらしくしろって」
「つまり、年始の挨拶を?」
「うん。やって無かったって知ったら、二人して竹刀持って追いかけてくるからさ。宮司になってからホント口煩くなったよな、うら・・・って、あれ?藤堂先生?」

そこまで話をして、俺はようやく自分の発言のおかしさに気がついた。
あの時、俺に口うるさくしていた二人はとっくにこの世に居ない。
だってこの神社が出来たばかりの頃の話だ。
藤堂がその事を知る筈がない。
何より俺がここで神として話す事など、数百年一度もなかった。

「あーっ!何だ俺、挨拶しなくてよかったんだ!あいつら居ないんだから!」

うわぁ。なんか損した。よく解らないけど新年早々損した。
思わず頭に手を乗せて、失敗したと言う俺に、慌てたように藤堂が声をかけてきた。

「いや、スザク君。是非これからは毎年挨拶をしてくれ」
「ええ!?やだよ俺。あんな喋り方、苦手なんだ」

そもそもあの面倒臭い挨拶を考えたのはカグヤだ。だから余計嫌だ。 俺のその言葉に、それまで硬直していた人間たちが、わっと騒ぎ出した。
彼らも藤堂と同じく毎年やってほしいと、有難い言葉を聞かせてくれ、と俺を遠巻きにではあるが、囲みながら口々に言い募ってくる。
その人々の勢いに気押されて、思わず藤堂の後ろに身を隠した。
その姿に藤堂はごほんと一つ咳払いをすると、周りの人間は、ああ、そうだったという風に、こちらを伺いながらも口を噤んだ。

「ところでスザク君、体の調子はどうだ?」
「調子?なんで?ああ、起きたとき、なんかだるかったけど、もう全然平気だ」

にっこり笑いながらそう答えると、藤堂がほっとしたように頷いた。
なんだろう、そんな心配かけるような事あったのかな?

「そうか、よかった。ずっと眠ったまま目を覚まさないから、皆心配していたんだ」
「ずっと眠ってた?俺が?」

何の話だと、思わず眉をよせ、藤堂に訊ねた。

「ふむ、まだ大分記憶が混乱しているようだな。スザク君、君は眠る前何をしていたか覚えているかな?」
「う~ん。それがよく思い出せないんだ。あ、でも雪は降ってなかったし、正月じゃなかった!」
「そうか。君が眠ったのは夏だ。昆虫採集に行った事を覚えていないかな?」
「夏?昆虫採集・・・?」

その言葉で、俺の頭の中の霧が晴れ、あの日の出来事を次々思い出す。

「森でルルーシュが行方不明になって、俺、撃たれたんだ。そうだ、思い出した」

忘れてた。思い出した。起きるまでは覚えていたのに。
大事な事をすっかり忘れてしまっていた。

「先生!俺帰る!!」
「待ちなさい、スザク君!話はまだ」

先生が俺を止める声が聞こえたけど、立ち止まる気は無かった。
夏から寝てた?俺は半年近くあそこで寝てたのか?
思った以上に傷が深かったのか?
ああ、でも目を覚ましたのだから、急がないと。
一人にしてしまった。早く帰って、ただいまっていうんだ。
きっとあいつは遅いと怒りながら、それでも笑ってお帰りと言ってくれる。

階段を駆け下り、家へ走る。
後ろから誰かが呼ぶ声が聞こえたけど、そんなの全部後でいい。

今は急げ。

家が近付くにつれ、嫌な予感がどんどん大きくなる。
おかしいんだ。おかしいんだよルルーシュ。
あの本殿にも、拝殿にもお前の匂いが残ってないんだ。
ずっと会いに来なかったのか俺に?

早く。

居るんだよな、お前そこに。
何も感じないんだ。何も。
どうして感じないんだ?どうして解らないんだ?

もっと早く。

俺の領域内なら、何処に居ても居る場所が解るはずなのに。


息を切らせながら辿りついたその家は、雪の下に埋もれていた。

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