「あーもーあの馬鹿!どこに行ったのよ!」
深く積もった雪をザクザクと掻きながら前へ前へと足を進める。まだ除雪が入っていないから、とても歩きづらい。小さな頃は新雪の上を走り回るのが楽しかったけど、いまはただただうっとおしいだけだ。
雪国だから降るのは仕方がないけれど、もう少し降る量が少なかったら、スザクの足跡が残っていたのにと思うが、天気に文句を言っても仕方がない。
桐原に電話したところ、多分またルルーシュを恋しがっているだけではないかという。問題ないと思うが、他に気になることがあったらまた連絡をと言っていた。その他に気になることを調べたいのに、当のスザクが逃げている。
「ほんっとに、どこなのよ。うちにも来てなかったし、玉城の店にもいないし」
あいつは元気の塊で、風邪のような病気とは一生縁がなさそうなタイプだ。怪我とは違う具合の悪さが、どんなものかわかってないに違いない。
スザクはざわざわする、といったのだ。絶対あいつ調子悪くしている。
前にカグヤが言っていた。神様だって病気になるし死ぬと。神様が不死身で無敵なら、スザクはあんな大けがをしなかったし、傷が癒えるまで眠り続ける必要はなかった。血を流し、動けなくなり、長い眠りが必要で、体を癒すための神域と聖域がある。つまり神は無敵でも不死身でもないということ。
人間よりも頑丈で、はるかに長い年月を生きる特異な存在でも、些細なことで命を落とす危険はある。そしてそんな彼らの基準で考えれば、あんな大怪我をしてから今日までの年数など、瞬きほどの一瞬だろう。そんな短期間で完治したと言われても、甚だ疑問なのだ。
だからこうして心配しているのに、当の本人は嫌がって姿を消した。本当に調子が悪くて神社で休んでいるかと思えば、来た痕跡すらないときたものだ。境内には藤堂がおり、スザクが逃げる前から参道の雪かきをしていたが、スザクを見ていないという。藤堂に気づかれず、いや、大好きな藤堂がいるのに手伝いどころか挨拶もせず本堂に隠れるなんて芸当、スザクには出来ない。
藤堂に気づかれず森に向かったとなれば、木を伝って行ったのかと見上げてみたが、しんしんと降り続ける雪が痕跡を消してしまうから調べるだけ無駄。
全く困った神様よね。
「カレン君、今は授業中じゃないのか?」
おかしな時間にやってきたカレンに、藤堂は何かあったのかと眉を寄せた。
「スザクが逃げ出したので、早退しました」
スザクと違って許可を貰いましたから。といえば、スザク君にも困ったものだと藤堂は苦笑した。スザクが逃げた話を簡単に説明すると、なるほどと頷いた。
「とはいえ、心配だな。スザク君の事だから大丈夫だとは思うが」
「スザクの体調じゃなくて、もしかしたら虫の知らせってやつかもしれないんですけどね。アイツ神様だし。狼の嗅覚で何かに気付いたりってたまにありますし。念のためテリトリーを見て回っているのかも」
あいつ犬だから、縄張りって大事だろうしね。
「家の方は見てきたのかな?」
「あ、まだです。あっちにいるかもしれないですね」
とはいえ、誰もいないあの家に、それも雪の降る冬に居る確率は限りなく低い。でも、ざわざわしたというのが寂しさからきたものなら、癒せるのはあの家以上に適した場所も無い。
最近様子もおかしかったから、可能性はあるのかな。
「私、家の方に行ってきます」
「道が滑るから、階段は走らず、注意して降りるように」
「はーい」
私は別れのあいさつもそこそこに、その場を後にした。
雪が積もった石段は、普段よりも滑りやすい。それでなくても急なこの階段は危険で、凍っている日は立ち入り禁止になったりもする。冬場は参拝者も殆どいないが、年末年始には、階段の氷割と融雪剤の散布や砂撒きのため、多くの人が駆り出された。そんな階段を、私は藤堂が見えない場所まではゆっくりと歩いてから、跳ねるように駆け降りた。「見ているこちらの肝が冷えるからやめてくれ」といろんな人に言われたし、兄や両親にも何度も注意されたが、不思議と私はここで転ぶイメージがわかなかった。いや、滑って転んでもどうにでも出来ると言う自信が、年を重ねるにしたがい大きくなった。
ぴょんぴょんぴょんと、数段飛ばしで駆けおり、無事地面に着地。
そのまま止まることなく、スザクの家を目指した。
スザクの話では、数百年前からあるという古民家へと続く道に、僅かだが誰かが通った痕跡が残っていた。この先にあるのはあの家だけで、その奥はただの森だ。今の時期は特に通る人などほぼいない。降り積もる雪にかき消されそうになっているが、まず間違いないだろう。雪が降っていなければ、こんな雪深くなっても下駄で駆け回るのはスザクだけだから一発で判別できるのだが。
それにしても、家に帰っていたのか。
寂しくなったのね。
でも、もう古くなったからと、あの家のものは色々と捨てられてしまった。スザクは嫌がったが、何年も使われていない家電なんかは危ないから仕方がない。ルルーシュが帰ってきたら新しいものを入れるにしても、それまで置いておけばいいのにと思ったが、漏電したりネズミが配線をかじって家事になったらと言われたら何も言えない。
布団なんかは、カビないようにと布団圧縮袋に入ったものが押入れにあるが、そのときに新しいものと買い替えてしまっている。ルルーシュの衣類なんかは私の家で保管しているからここにはない。
そんな家にいて、どれだけ寂しさを癒せるのだろう。
考えても仕方ない、またアルバムでも引っ張り出そう。
そして、昔話に花を咲かせよう。
となると、あとで家に電話して、食べ物と飲み物とポータブル石油ストーブを持ってきてもらわなければ。そんな事を考えている間に、玄関にたどり着く。鍵を開けようとしたが、僅かに扉が開いている事に気がついた。引き戸だから、勢いよく締めたせいで僅かに開いてしまったのだろう。との隙間に雪が入り込み、閉めようとしても閉まらなくなっていたので、手で簡単に掻き出した。・・・戸締りは藤堂とルルーシュから口うるさく言われていたから、普段はちゃんと鍵をかけるのに、あいつらしくない。
なんだろう?と違和感を感じ、静かに戸を開ける。ゆっくりと気配を殺しながら。玄関に足を踏み入れたとき、ざわりと背筋が震えた。
ざわりざわりとざわめく気持ちに困惑した。
感情を押し殺し、ゆっくりと戸を閉める。先ほど雪を掻き出したから、難なく扉は閉まった。鍵をかけるべきか?逃げ道を塞ぐのは悪手だから開けておくべきか。まあ、この程度の扉蹴破るのはたやすいが。
薄暗い、見慣れた玄関にスザクはいなかったが、私は思わず息を呑んだ。
視界に入ったのはスザクの下駄で、いつもはきっちり並べるか下駄箱に仕舞うのに、脱ぎ散らかされている。足についた雪そのままに廊下を駆けたのだろう。床が水で濡れていた。このざわざわした感覚はこれか?なんだろう、スザクがおかしい・・・?スザクらしくない。わからない。ざわざわする。ああ、もしかしてスザクが言っていたざわざわした感じとは、これなのか?
家の中はしんと静まり返っている。
何かおかしい、何かが違う、でもそれが何かはわからず、背筋がざわつく。恐怖ではない。おかしな高揚感と、不可思議な感情がざわざわとせきたてる。カグヤがなにかしたわけではない。これは、違う。ああ、でも、何がどう違うのか言葉にできない。気持ちばかりが焦る。でもだめだ。この感覚を押さえ、原因を調べなければ。なにせカミサマが存在する土地だ。見知らぬカミサマが来ているのかもしれない。スザクの敵でなければいいが。
私は息を殺しながら靴を脱ぎ、コートを脱いだ。衣擦れの音を少しでも減らすためだ。かばんも置き、そろりそろりと中へ入る。犬神のスザクでさえ、風下から近づけば私には気付かない。室内だから外のようにはいかないが、気配を悟られる事は無いはずだ。足音を消し、そろりそろりと見て回る。音を立てないよう障子を少し開け中を除く。薄暗い室内だが、夜目のきく私にはすべて見えている。居間にも台所にもいない。スザクの気配はここにない。・・・もっと奥だ。スザクの気配は独特で、神様ゆえの特異さは人の中に紛れていても判別しやすい。ざわりざわりとする心を落ち着かせ、ルルーシュとスザクが、寝室として使っていた奥の間の襖を、音を立てずに開いた。
薄暗い部屋の中はしんと静まり返っており、中にはひと組の布団が敷かれていた。スザクが寝ているのかと思ったのは一瞬で、その盛り上がり方で私よりも大きな誰かだと解った。恐らくは男だろう。布団から僅かに見えるのは黒髪で、やはりスザクではない。不法侵入か?訝しんでいると、その黒髪の向こうに、見慣れた茶色い物が見えた。
それは狼の耳とふわふわのくせっ毛。
頭に一瞬で血が上った。
どこの誰だか知らないが、うちのスザクを布団に引きずり込んだ男がいる。あのスザクが人間であろうと神であろうと、添い寝なんてするはずがないから、無理やり引きずり込んだんだ。それが意味する事は一つだけ。スザクを押さえつけるという事は相手も神か。そんな事はどうでもいい。この変態が、うちのスザクに!!ふざけんな!これは、敵だ!
相手が神なら、全力であたらなければならない。
スザクを負かす相手だ、殺すつもりでやらなければ。
許さない、絶対に。
消していた私の気配は殺意で染まり、それに気付いたスザクの耳がぴくぴくと動いた。
今助けるからね、スザク!
気配を消すのは無理だ、諦めた。
だけど足音は消して一歩前に進んだ時、黒髪の向こうから、見慣れた緑の瞳がひょっこり顔を覗かせた。大きな緑の人を驚いたように瞬かせたスザクは、すぐに眉を寄せ、静かにしろと、口に指をあてた。