ざわざわは収まらず、むしろ先ほどよりもひどくなっていた。
そわそわと心が落ち着かず、妙にせかされる。
意味のわからない感覚に、本当に調子が悪いのかと不安になった。でもどこも痛くないし、寒いのは冬だからだし、病気とは何か違う気がした。
カレンは多分追ってくる。
それが分かっていても、俺は学校から離れたかった。
学校から離れたい?
いや、こうして走りたかったのか?
なんか良く解らない。
わからないけど、いまは走りたい。
はあはあと白い息を吐き出し、雪原と化した道を駆けていく。
目の前は雪で真白で、頭の中も真っ白で、気が付けば神社を通り過ぎていて、「あー、神社に戻るか。藤堂先生がいるかもしれない」とも思ったが、ざわざわが収まらないし、今は走りたい気持ちでいっぱいだった。だから少しだけ振り返って神社を見上げて、俺はまた駆けだした。雪が下駄に纏わりついて走りにくい。肌に触れた雪が冷たいし、体温でとけて水になり纏わりつくのも不快だった。なら冬靴をとカレンは言うが、窮屈な人間の靴なんて穿きたくも無いし、あれは走りにくい。
はあはあと、息を切らしているのは、寒くて息苦しいからなのかと思ったが、全速力に近い速さで駆けていれば息も切れるよなと気づく。
そういえば最近走って無かった。思いっきり遊んでなかった。カレンが大きくなって大人になって来たからか、前ほど全力で遊んでいない気がする。散歩だと言って駆けまわる事もなくなっていた。動き足りなかったのかもしれない。運動不足。きっとそうだ。
結論が出て気が晴れてすぐに、その考えが間違いだと気付いた。
しんしんと降りつもる雪が覆い隠していて気付かなかったが、家に近づくに従って誰かの足跡が濃くなってきたのだ。俺より大きな足跡。ナオトぐらいある。誰だろうと匂いを嗅ぐが、雪が匂いを消してしまっていた。
今日誰か来る予定だっただろうか?この雪で家の様子をナオト達が見に来た?徒歩で?ナオトや玉城なら車を使うし、玉城はこの時間は神社近くの喫茶店で働いている。この地を離れたくないという玉城の為に、桐原が出資して用意した喫茶店は、コーヒーが美味いと評判だった。玉城にこんな才能がとナオトが言っていたが、俺にはどれもこれも焦げ臭い苦い水でしかなく、人間はよくこんなの飲むなと不思議に思った。雪の無い時期、特に花見の時期は混雑する店だが、今時期は閑古鳥が鳴いている。それでも地元の人が来るからと、こんな雪の日でも店を開けていた。だから、玉城が来るとしたら早朝か閉店後、ナオトは仕事が終わってからだから日が暮れてからだ。
家に近づくに従い靴跡がはっきりしてくる。見覚えの無い靴底は見知らぬ誰かが来た事を伝えていた。神の住む、古い日本家屋には近づいてはいけない。除き見てはいけない。それはこの土地でのルールだが、興味本位で来る観光客はそのルールを無視し、時折神社の本堂や拝殿を勝手に開けたり、家に侵入したりする。当然罰が当たるし、その人間は不幸になるのだが、どれほど噂が流れてもそれでも信じない人間は多い。度胸試し肝試しだという若者が大半だが。
罰は当たるが、それまでの間に悪さをされる事もある。神がいるならこういう事をすれば姿を現すだろう。とか、神がいるなら罰を与えてみろと言う馬鹿げた連中だ。放火されかけた事もある。もしかしたら、このざわざわした感覚と、落ち着かない感じは、そういう連中に反応しているのかもしれない。
駆ける足は速くなり、あっという間に玄関についた。
足跡は家の中に入っていて、それを見た瞬間怒りが込み上げてきた。俺たちの家に、知らない奴が入り込んだ。俺の巣に、敵が。戸に手をかけると鍵が閉まっていた。
「くそっ!」
すぐに鍵を取り出し、開ける。
玄関に入ると、知らない匂いがした。
雪がかき消していた匂いだ。
ざわざわと体がざわめき、背筋が震える。
知らない匂い。この土地の人間じゃない。
怒りから、戸を乱暴に閉めた。
大きな音が響いたが、室内から反応は無かった。
隠れているのか、聞こえないほど奥にいるのか。
冗談じゃないと、下駄を脱ぎ棄て家の中を駆けた。
匂いいをたどればそこは寝室。
くそっ、と吐き捨てふすまを開けると、暗い部屋の中で誰かが寝ていた。
ルルーシュが戻って来た時の為にと用意した布団を使い、誰かが寝ている。これだけ物音を立てても気づかないほどぐっすりと。
どうする。
当然、追い出す。
一歩、歩みを進めながら考えた。
追い出すだけじゃ足りない。
だって、それはルルーシュの布団だ。ルルーシュの・・・。
「・・・・・・・・」
ふと、気がついた。
ルルーシュは、一人で寝るとき何故か頭まで布団をかぶって寝ていた。
俺が一緒なら普通に寝るのに、何が怖いのかわからないが、布団の中に隠れるようにして眠る癖があった。内側からぎゅっと布団を掴んで寝ているから、なかなか布団を引き剥がせない。そう、今目の前の人間のように。
この部屋には知らない人間の匂いがする。
知らないけど・・・そう、なぜか懐かしい匂いだ。
考えるより先に体は動き、俺は布団の中に潜り込んだ。
知らない匂い。
知らないけど懐かしくて、うれしい匂い。
人間は成長と共に匂いを変える。
でも、その元となる匂いは変わらない。
だから、知らない匂いでも何となくそれが誰のものか解る。
ドキドキと、心臓が跳ねた。
ああそうか。
だって俺は、俺の好きな奴にマーキングしている。
カレンにも、藤堂にも、ナオトにも、玉城にも。
領域内なら、どこにいるか大まかな位置だってわかる。
ざわざわしていたのは、俺の領域内に入って来たからなんだ。
そわそわしていたのは、早く会いたかったからなんだ。
答えが分かれば簡単な話だ。
もぞもぞとあの頃より大きくなった腕が、俺を抱きしめた。
あの頃と変わらない。あの頃も、こうやって入ったら抱きしめてきた。
起きたのかと思ったが、すやすやと静かな寝息が聞こえているから無意識なのだろう。布団を掴む手がなくなったので、俺はゆっくりと布団をずらし、外に顔を出した。視界に入ったのは懐かしい黒髪で、薄暗闇の中でも解る白い肌に手を伸ばした。頬に触れると暖かく、冷たかった掌に熱が戻る。あの頃とは違うけれど、間違いない。
「ルルーシュ、お帰り」
答えることなく昏々と眠る人物は、紛れも無くあの日連れ浚われたルルーシュだった。
※時間が前後してますがカレンが探し回ってた時の話。