夜の隣人 第5話

吸血鬼は夜に行動するから危険だと、日が落ちた後は監視も嫌がらせも無いせいか、その人物は警戒心の欠片もない様子で、屋敷から姿を現した。
残念なことに、今は月が雲に隠れてしまい、星の僅かな明かりしか無いため目視では顔を確認する事は出来なかった。すたすたと、暗闇の中迷うことなく裏庭を目指すその人影に気づかれないよう、僕は木の上からじっとその姿を見つめていた。身に纏っている衣服が黒だったため、見失いそうだと内心焦りながらも、ロイド特製対魔物用高性能暗視カメラを構え、後ろ姿ではあるが、試しにシャッターを切る。
音も、光もなく動作するそれに、相手は気付く様子は無く、荒れ果てた畑の前まで歩みを進めると、腰に手を当てその場に立ちつくしていた。
その姿が、段々明瞭になって来たので、僕は思わず空を見上げると、雲に隠れていた月がゆっくりとその姿を現し始めていた。
これで確認がしやすくなると、再び調査対象へと視線を戻した時、月の光に浮かび上がったその姿に、僕は思わず息を呑んだ。
漆黒の衣服を纏った細い肢体、風に揺れる艶やかな黒髪、透き通るような白い肌、そして水晶のように輝く紫の瞳。まるで絵画から抜け出したような、同じ人間とは思えないほど美しい人がそこに居た。
その黒の人は、畑に背を向け、こちら側へ歩いてきており、僕は慌ててカメラを構えると、その姿をレンズに捉えた。デジタルカメラなのでピントは勝手に合うから、僕はズームを合わせてシャッターを切るだけでいい。
たったそれだけの動作でいいのに、体に力が入り、指先が震えた。肉眼で確認するよりも大きく映し出されるその姿に、思わず目を奪われそうになるのを、どうにか抑え、全身、そして顔のアップと、次々シャッターを切る。
屋敷近くへ移動したその人が立ち止まったので、どうしたのだろうとその顔をアップにすると、口元が動いており、誰かと話をしている事に気がついた。カメラから目を離し、その位置を確かめると、丁度盗聴器を仕掛けた辺りだったので、僕は忘れていたと、慌てて耳に装着していた通信機のスイッチを入れた。 ざざ・・・というノイズが走った後、鮮明な声を機械は拾い、僕の耳へとその声を届けた。

『ふぁ~。なんだ、またやられたのか?だから言っただろう?いくら植えた所で駄目になると』

女性の声だ。呆れたような、小馬鹿にしたような、眠そうな声音。

『そうとは限らないだろう。今回も駄目だったが、次は大丈夫かもしれない』

想像よりも低めの男性の声。残念そうな、それでも前向きな感じのする声音。黒い人の口の動きに合うその言葉。
男、か。言われてみれば、細身とはいえ、骨格は男の物だ。納得したが、残念に思う気持ちもあった。

『次は、次は。さて、どれだけ植えれば収穫できるのだろうな?いい加減諦めろ。ここで家庭菜園など無理だ』

ここからは姿は見えないが、どうやら彼の立っている位置の窓が開けられていて、そこから誰かに話しかけているようだった。・・・角度が悪い、このままではもう一人は写真には取れないか。
たしか黒髪と緑の髪の二人組と言っていたか。

『そうとは限らないだろう。どんな動物が荒らしているかは解らないが、今日裏の壁も補修する。あの穴が塞がれば、森からの出入りは出来なくなるだろう』

動物!?その言葉に、僕は思わず目を丸くした。

『現実逃避もいい加減にしろ。気付いているんだろう?明らかに人の手で荒らされているし、足跡もある。近隣の住人が門をよじ登り、日中入り込んで荒らしているんだよ。それもちゃんと熟した物を収穫してからな。それとも本気で動物に荒らされていると信じているのか?』

うんうん、女性の方はちゃんと理解しているようだ。僕も太陽がある間に見たけど、どう見ても人の手で荒らしている事が解る状態だった。いくら暗くても、見間違える物ではない。

『・・・いや、収穫する際刃物を使っているし、今日はたばこの吸い殻も落ちていた。野生動物ならこのように掘り起こさないで、葉も茎も食べてしまうだろう。侵入経路も正門からだ。人の手で荒らされていることぐらい、気付いているさ』

ああ、気づいてはいたのか。
近隣住人が何故か家の庭に忍び込み、庭と家庭菜園を荒らしている事を、黒い人は信じたくないから動物の仕業だと言ったため、現実逃避といわれたのか。

『なら、もうそこに植えるのは諦めろ。新しい苗も用意しているのだろう?それは室内で育てればいい。どこか一部屋日中カーテンを開けてもいい場所を用意すれば事足りるだろう?収穫したての野菜が美味いのは認めるが、収穫できない野菜を育てるのは馬鹿馬鹿しいにも程がある』
『・・・そうだな。その方法も次回試してみるが、プランターは用意していないからな。今回の苗もここに植えるしかない』
『そうか。お前がそう言うなら仕方ない。手伝ってやるよ』

黒の人は窓から離れ、屋敷裏へ姿を消した。
それから数分後、屋敷の正面玄関から、こちらも警戒心の欠片もない様子で、一人の女性が姿を現した。
緑色の長く美しい髪、女性らしい柔らかなラインの肢体、白磁のような肌と、金色に輝く美しいその瞳。
長い髪を風になびかせながら、優雅に歩くその女性をレンズに収め、何度かシャッターを切る。黒い人も美しかったが、こちらの女性も確かに美しい。
人とは思えないような美しさ。その報告に、僕は納得するしかなかった。
今まで出会ったどんな人達よりも二人は美しく、まるで精巧に作られた人形のようにも見えてしまう。ただ、女性の方は言葉遣いに難があり、せっかく美人なのに台無しだ。
その女性も屋敷の後ろへと姿を隠してしまった。
だが、あの会話から解るように、必ずこの家庭菜園場に戻ってくるだろう。僕はロイド特製、対魔物用高性能集音機の照準を荒れ果てた菜園へ向けた。暫く待っていると、緑の女性が段ボールと、スコップなどをのせた台車を押して戻ってきた。その後ろに、両手に紙袋を持った黒い男性が着いてきていたので、カメラで彼らの口の動きを確認しながら集音機を調整すると、やがて二人の会話が僕の耳に装着されている通信機に聞こえてきた。

『・・・ざ・・・ざざ・・・・・だが、それにしても、やはり昨日のあれは駄目だな。美しくない』
『確かにな。あれだけ無駄に辺りを血で汚すのは問題だな。掃除も大変だ』

先ほどの会話とは打って変わり、血という不穏な単語が混じったその会話に、僕は眉を寄せた。

『なんだ、お前は掃除の心配しかしないのか?あれだけの血が大量にまかれると言う事は、ほとんど血液を手に入れる事が出来なかったという・・・違うだろう!そう言う話ではなく、美しさの話だ、美しさの』

二人は会話を続けながら、その美しい姿には不似合いな軍手を身につけ、黒い男性は引き抜かれ枯れてしまった苗をゴミ袋に入れ、女性は荒らされた土を鍬のような物で均し始めた。どの作業を誰がするという話は全くなく、二人はテキパキと慣れた手つきで菜園を修復していく。

『美しさか。昨日のアレに美しさを求めてどうするんだ?大体吸血鬼は首筋に牙を立て、血を吸うのが一般的だろう?なのに、それ以外の方法で血液を入手するため、対象を傷つけると言う事は、血液の大半を無駄にするリスクは当然あるだろう』

段ボールに入っていたらしい苗を、黒い男性は手に取ると、土を均し終えた女性が、スコップで掘った穴に苗を植えていく。

『いや、だから美しさの話だと言っているだろうL.L.。血液を一滴も無駄にせず相手から搾り取るなら、注射針を使い、輸血用パックに移すのが一番に決まっているのだから、この話は意味がない。美しさの話をしたいのだ私は!』

穴を掘りながら、緑の女性は片手を前に突き出すようにし、ぐっと力を込めながら力説していて、男性、L.L.というのが名前なのだろうか?彼は、呆れたようにそんな姿を見ていた。

『だからC.C.。昨日のアレに美しさを求めても仕方がないだろう、と言っはずだ。そう言う演出が見たいなら、最初から言え。昨日のアレは、女性の体から噴き出す鮮血を見せるために、ああいう切り方をしたんだ』
『それは解るが、あの血の吹き出し方に美しさがあったのかという話をだな』

穴を掘り終えた女性、C.C.はやはり名前なのだろう。彼女は、紙袋に手を入れると何やら容器を取り出し、水らしきものが入ったペットボトルにその容器の中身を混ぜると、ジョウロにその液体を入れ、植えた苗にかけ始めた。おそらく液体肥料の類だろう。容器も念の為文字も読めるほど拡大し、写真に撮っておく。

『無いな。もし美しさを求めるのであれば、せっかく獲物が美しい女性だったのだから、もっと彼女を美しく見せる方法で血を流させるべきだ』

美しい男女が仲良く庭で土いじりをしながら話す内容としては殺伐とし過ぎている。しかも吸血鬼に関わるキーワードばかり。
当りだったのか?本当に二人は吸血鬼なのか?
僕は背中にジワリと嫌な汗が吹きだすのを感じた。確かに吸血鬼は美男美女揃いだと言われている。そしてこの二人は問題なくその枠に入る。
なにより夜にしか行動しない。
だが、この二人に当てはまるのは、その二つと、今の会話だけしかない、が。

『やはり裸か』
『どうしてそうなるんだ』
『美しい女性が最も美しく見えるの姿、それは裸体だろう!』
『純白の布を使った清楚な衣装のほうが、俺は美しいと思うが?』
『なるほど、それも一理ある。たしかに、純白の花嫁は美しいしな』
『次は花嫁を探す、とか言うなよ』
『ふはははははは、甘い、甘いなL.L.。花嫁ならば、既に目星は着けてある』
『なに?』

その言葉に、僕は眉間にしわを寄せた。

『明日だ、L.L.。明日にはお前好みの純白の衣装を身にまとった、美しい花嫁姿の女性が穢され、血に染まる姿を見せてやろう!』

高らかに宣言するC.C.と、その姿を呆れたように見ながらL.L.は、使ったまま放置されていたスコップなどを台車に置き、段ボールを潰していた。C.C.はさっさと軍手を脱ぐと、台車の上にぽいと置き、L.L.はその軍手もゴミ袋に入れ、紙袋も全て台車に乗せると、自分の軍手も脱ぎ、ゴミ袋にいれ、その口を縛った。

『明日か?また長くなりそうなのか?』
『当然だ。しっかり準備をしておけよL.L.』

そう言い残すと、C.C.は台車を押して屋敷の裏へ姿を消した。
L.L.もゴミ袋を持って後に続く。
僕は集音機の方向を変え、再び声を拾えないか、息をひそめて調整をした。
・・・最悪だ。
ガセの確立が高い通報だったが、当りの確率が跳ね上がった。どうやら屋敷裏の壁を2人で直し始めたようなので、今のうちだと僕はその場を立ち去った。
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