夜の隣人 第11話 |
「・・・なに、これ」 キッチンには聞こえないよう音量を調節したパソコンから聞こえてきた内容に、僕は思わず眉を寄せた。 「聞いての通りだとしか言いようがない。私が妙な誇大妄想をする自意識過剰女なのか、あるいはアレが自分に向けられた欲望に全く気がつかない超絶鈍感男なのか、はっきりさせておきたいと思ったからな。今聞かせたのはこの前まで居た場所での物だ。まだまだあるぞ、遠慮するな」 何かあった時の証拠になるだろうと、家中に仕掛けていると言う盗聴器が拾った声がパソコンから流れ続ける。何でもないと言いたげに、表情を消しながら淡々とした動作で端末を操作する彼女を、思わず見つめてしまった。この程度の会話では、もう感情を動かされる時期は過ぎたのだろうか、それとも怒りや嫌悪をその無表情を装った仮面の下に隠しているのだろうか?年季の入ったその仮面の下がどうなっているのか、僕には解らなかった。 「これ、彼は知らないの?」 「知っているに決まっているだろう?当事者だぞ。それでも、あいつが出す答えはアレなんだ。言っておくが、L.L.は恐ろしいほど頭がいい。だが、なぜかこの手の話は一切理解しない」 新たな音声データが再生され、その内容にどんどん自分の眉間のしわが深くなるのを感じた。C.C.の話した事は予想でも妄想でも何でもない、ただの事実だ。彼らの住む家に押し掛けてきた男達の会話が鮮明に録音されたそれには、胸の悪くなるような会話ばかりが残されていた。前に住んでいた場所だと言う先ほどの録音では、C.C.一人が押し掛けてきた男たちを相手にしていたが、今回の録音にはL.L.の声も残されていた。実際に二人の前で話される下卑た言葉の数々に、段々胸が悪くなる。誰だろう、この男。いやこの男達。こんな言葉で穢すなんて許せない。 C.C.は見た目によらず体術に秀でているようで、次々相手を打倒して行く。 そしてL.L.は何やら道具を手に、こちらも相手をあっさりと無力化していた。 彼女の言うとおり、僕の予想も遥かに超えるほど、しっかりとした自衛手段を持っている二人は、だからこそ今まで無事であっただけで、一歩間違えれば欲に駆られた人間の毒牙にかかってしまう危険な生活を送っていたのだ。 音声をただ聞いているだけの僕でも解るほど強烈な欲情を向けられていたはずのL.L.は、これだけの経験をしておきながら、男が男である自分に欲情するはずは無いし、手を出そうなんて思うはずがないと言い切るのだ。その状態に、僕は思わず両手で顔を覆った。そんな僕を見てC.C.は「お前はまともだな。安心したよ」と、誇大妄想の自意識過剰女という疑いが晴れたことに満足げに頷いた。 「・・・むしろ、これだけ下品で卑猥な事思いっきり言われているのに、どうして彼は気付いてないのさ」 これは超鈍感男というレベルの話ではないと思うんだけど。 「それは決まっている、あいつがL.L.だからさ」 なにそれ?と僕が聞いても、彼女は不敵な笑みを浮かべるだけだった。 C.C.に向けられた下種な発言にはしっかりと怒りを滲ませて反応しているのだから、投げかけられる言葉の意味が解らないわけではないようだ。あくまでも自分に向けられている言葉と、その感情が理解できないのだろう。いや、理解をしていても、冗談か、脅しの類だと思っているのか? そう考えている時、どうやらC.C.に急所を思いっきり蹴りあげられたらしい男の悲鳴が聞こえて、その痛さを想像した僕は思わず竦み上がった。僕が言葉を無くしていると、C.C.は「見た目で判断するから痛い目に合うんだ」と、口元に笑みを浮かべながら紅茶の入ったカップを傾けた。 それにしても、と僕は音声に再び集中した。ここで話をしたL.L.はどこか穏やかな気配のある人物だが、録音された彼の声も言葉も、まるで別人のようだった。不遜な態度で相手がどれだけいようと決して怯まず、堂々とそこに立ち、自信に満ちた威厳ある声音で相手をひれ伏させる。この声だけ聞いていても、思わずひれ伏したくなるほどの力強さ。実際にその場に居たら、彼らのように思わずひれ伏し許しを乞う事を可笑しいとは思えないだろうな。しかも、彼が何を手にしているかは解らないが、殆ど言葉だけで相手を追い詰め、無力化している。 キッチンに立ち、真剣な顔で包丁を握る彼へと視線を向ける。あの容姿でこの言葉を投げかけられるのか。 「言っておくが、お前がこの家に入った時点で、先ほどL.L.が端末を操作するまでの間の会話はしっかり保存されている。だから、あとでお前の残した会話も聞かせてもらうつもりだ。何も問題は無いだろう?」 ここでの会話。彼らと居ない時でいうなら、ロイドとの電話か。病気の有無を確認しただけだから何も問題は無い。 「それは構わないよ。それより、C.C.。魔女狩り特例は知っているかい?」 「魔物ではないとされた者に対し、危害を加えさせない為のものだろう?ああ、そうか。今回の事で私達も適応対象になるのか」 「うん、その申請を出してみようと思う。出来ればこの録音もコピーをもらえると助かるんだけど」 「これは今回の件と関係ないだろう?」 「だけど、これを証拠として提出すれば、こちらの面も対処する可能性は高いよ。何せ君たちが吸血鬼とされた最大の理由はその容姿だからね」 「まったく、美しさとは罪だな。・・・言っておくが、私がこう頻繁に自分たちを美しいと言うのは、あの鈍感男に自覚させるためだからな。良いか、よく聞け。あの男は恐ろしい事に、自分の容姿は平凡だと思っているんだ」 「は!?無い無い!それは無いよ!?」 あまりの内容に僕は即否定の声を上げた。 「だから恐ろしいんだ。生まれた時から自分を見続けている上に傍に居るのはこの私だ。だから美的感覚が狂っている、というのであればまだいい。だが、あいつの美醜の認識は正常だ。口ではああいうが、私が美しい事は認識しているし、録音での解るように私に下卑た発言をした者は容赦しない。あれは母親似でな、自分の母は美しいと認識しているし、妹も・・・まあ、あの子は美しいと言うより可愛いという言葉が当てはまるが、可憐で愛らしく、下種な男共が群がる容姿だという事をしっかりと認識している」 「それなのに、自分は平凡だと?」 「そうだ。あれはな、自己に関しての感覚が狂っているんだ。自分に向けられる感情、自分の容姿、それをしっかり認識できていない。いや、自分に向けられる敵意と悪意はしっかりと認識しているから、この手の下種な物とはいえ好意を認識できていないのかもしれないな。まあ、私を守るという事は、自分の身も守らなければならないのだから、聞いての通り自衛出来ているが、これでもし一人暮らしをするなどと言い出したら・・・終わりだな」 守るべき対象が居なくなれば、彼の防犯意識は著しく低下する。その上、自分が男からの欲情の対象になるのだと認識していないのであれば、どんな行動をするかも解らない。ブリタニアには無いが、大浴場へも平気で行きそうだ。 その想像は間違いではないだろうと、僕は再び両手で顔を覆った。 |