夜の隣人 第27話


それからは、何事もなく穏やかな日が続いた。
扇の店の話があまりにもショックだったのか、自分たちが眠っている間の食事も用意するとL.L.が言ってくれたので、飲食店に入る必要も、コンビニで買う必要もなくなった。
毎食美味しい手料理を食べれるきっかけになったので、少しだけ扇に感謝した。
彼らが眠っている時間に、屋敷周りと街中の見回りを行ったことで、扇たち以外の住民とも親しくなり、この土地にまつわる話を聞く事が出来た。
L.L.とC.C.が住むあの屋敷の裏に広がっている森は、魔女の森という。
数百年の時をたった一人で生きる魔女が住んでいた、あるいは今も住んでいると言われていて、二人が住むあの屋敷も、元をただせば魔女の所有物だったと言う話だ。
扇たち以外の住人は、今あの屋敷に何も知らずに越してきた人物よりも、その魔女の方が恐ろしいのだと言う。
二人が美しい人物だと言う噂は聞いているが、万が一にも魔女に会いたくは無いため、覗いたり、屋敷を訪ねたりするような事は絶対にしないと断言された。
自分もあの屋敷に住んでいると言ったら、とても心配された。
出来るだけ早くに引っ越すよう進言されるほどだ。
なら、なぜ玉城達は堂々と侵入し、さらに庭を荒らすような真似が出来るのだろう?
その話を彼らに聞くと、そんな事をしているのかと、彼らは驚いた。
おそらく玉城達が外国人で、この土地に昔からある話を信じていないから、そんな恐ろしい事が出来るのだという。もし魔女が何かをするのなら、住んでいる二人にではなく、玉城達にしてくれればいいのだがという声まで上がった。
聞けば聞くほど彼らは扇の店に集まっている連中を毛嫌いしていることが解る。
どうやらあの店の連中はこの町で色々ともめ事を起こしているようだった。
午前中飲食店が閉まっているのは、以前玉城が近隣の店に食事をして歩き、事あるごとに因縁をつけて騒いだため、昼になるまでどの店も開けるのをやめたからだと言う。
おそらく、売り上げのなかなか伸びない扇の店に、少しでも客が入るようにと、朝開店するのは扇の店の特権にしようとしたのだろう。と言うのが住人の予想だった。
その話に、スザクは呆れてものが言えなくなった。
だが、この分だと、警戒すべきは扇の店にたむろする日本人だけで、他の住人は何も問題は無さそうだ。
むしろ、今回の件さえどうにかなれば、二人が此処に住んでいても何も問題は起きないかもしれない。
吸血鬼の噂が二人を守ったのではなく、魔女の噂が二人を守ってくれていたのだ。
でも、魔女の事は気になるから、二人が寝ている間に調べてしまおう。
安全さえ確認できれば、C.C.は嫌がるかもしれないが、組織の本部まで1時間の距離だ。十分通えるし、自分は護衛としても優秀だから、二人の身の安全は確保できる。
最終日までに、どうにか彼らが此処に腰を据えるよう、説得できないだろうか。
スザクは機嫌のいい笑顔を崩すことなく街中を走りながら、そんな事を考えていた。
そんな時、ふと視界に扇の店が見えた。
扇達とはあまり会いたくは無いが、あからさまに避けるわけにもいかず、自分の無事を確認させる意味も込めて立ちよった。
運よく扇しかいなかったので、扇が玉城達を呼び出す前に、さっさと香りも碌にしないコーヒーを飲み終え店を出れたので、余計に気分がいい。

そんな状態だったから、完全に気が緩み、油断していたのだ。

「うわぁ、ホントに何か住んでそうな森だな」

屋敷の裏の門を乗り越え、森へ足を踏み入れたスザクはそう驚きの声を上げた。
魔女の住む森。
おどろおどろしく、いかにも何か出ます。という場所を想像していたが、その予想は完全に裏切られた。
その場所は、神秘的なまでに美しかった。
長い年月を掛けて育った太く大きな木々の根元には、木漏れ日に照らされ、キラキラと輝くほど美しい緑の苔が生い茂り、辺りには色とりどりの花が咲き乱れていた。
毒々しい色の物や、自己主張の強い花は無く、清楚で可憐な花が目に付く。
カサカサという音が聞こえ、そちらに目を向けると、草の影からウサギが顔を出した。ウサギはスザクに気がつくと、踵を返し、草の中へと帰っていいく。
遠くには鹿の群れがゆったりとした足取りで歩く姿も見える。
魔女の森と言われるのだから、生き物の気配など無いと思ったのに、この森は良く見ると生き物の気配で溢れていた。
その上、これだけの苔が生えていると言うのに、じめじめとした感じはしない。
澄んだ空気と、涼やかな風を肌に感じた。
暫く歩くと、さらさらと音を立てて小川が流れていたので川べりまで足を進めた。
水は清らかで涼しげで、川の中には魚の群れが確認できた。
小川の周りにある石にも苔が付着し、歩くと足跡が残ってしまった。
動物の足跡とは違う、無粋な人間の足跡。
ああ、せっかくきれいな場所だったのにと、スザクは出来るだけこれ以上人の跡をつけないようにと、その場を離れた。

「本当に何か住んでいてもおかしくないな」

ただし、魔女や魔物の類ではなく、もっと神聖な生き物が。
もう少し奥へ進んでみよう。そう思い、スザクは森の奥深くへと歩みを進めた。
どれだけ歩いただろうか。
時間を確認しようと懐中時計を見ると、その針は動きを止めていた。
毎日起床したらすぐに巻いているのに、壊れたのかな。
そう思い、携帯を開くと、画面には【磁場の影響を受けています。現在通信機能を停止しています】という警告が表示されていた。ロイド特性のその携帯は辛うじて動いてはいるが、普通の機械なら完全に停止しているだろう。残念ながら通信関係は全てデータ維持のモードに入ったらしく、使えるとしたらカメラと録音機能ぐらいだ。

「磁場の関係か。これが使えないぐらいだから、方位磁針も狂うんだろうな」

このような特殊な磁場の発生する場所は、昔から人々は畏れ、近寄らない。
スザクはあまり影響を受けてはいないが、普通の人なら方向感覚を見失い、この森の中から出る事が出来なくなる危険性もごく稀にあるという。
周りの景色も、小川がなければ似たような風景が広がっているから、確かに迷いやすいかもしれない。
魔女の話はそこから来ているのだろうか?
人を魔法で惑わし、森の中に閉じ込める魔女。
良くある話だ。
懐中時計と携帯を仕舞うと、そう言う事もあるよね。と嘆息した。
まあ、まだ歩き始めて1時間といった所だ。
時間で言うならおそらく12時過ぎ。
まだ日が落ちるまで時間がある。
此処に入る前に早めの昼食をとったからお腹もいっぱいだ。
問題は何もない。
さらに森の奥へと足を進めると、開けた場所へ出た。
その場所は、太陽の光が降り注ぎ、とても明るく、緑の苔がキラキラと輝いて美しいというのは、今までの場所と変わらなかったのだが、その中央に台座があり、真っ赤で、巨大な石・・・いや、岩と言うべき大きさの物が鎮座していた。
近づいて良く見ると、そいの真っ赤な岩は半透明で、まさに巨大なルビー。
人工物だとは思うが、もし本当の天然石ならとてつもない価値の物だ。
まあ、有り得ないが。
良く見ると、緑の苔は台座にもこの赤い岩にも1欠片も付いておらず、まるでつい先ほど設置されたばかりのような真新しさだった。
最近誰かがこの森へ入り、設置したのだろうか。
赤い岩に掘り込まれたマークは、日本語の【ひ】のような形だった。
何か意味があるのだろうか、この文様に。
魔女に関わる物なのかもしれない。
スザクは念の為その岩と台座の写真を撮った。一通り撮影が終わると、視界の端に何やら人工物が目に入り、そちらへと足を向けた。
その人工物は家だった。木で出来たその家は、最近建てられたのではないかといえるほど真新しく見えたが、その壁の大半を苔が覆っており、それなりの月日此処にあることが窺えた。
誰か住んでいるのだろうか?
僕はその家に近づき、ドアを開けようと手を伸ばした。
ノブに触れたその瞬間、全身の力が抜け落ちる。
そこで意識が途絶えた。

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