黒猫の見る夢 第9話 |
もぞもぞと服が動いたので、スザクはそっとそれを捲った。 「ああ、こんな所にいたんだ。探したんだよルルーシュ」 スザクが今朝脱ぎ捨てたTシャツに潜り込み、すやすやと眠るのは、ついこの間まで死にかけていたルルーシュ。 今朝は間違いなく部屋にいたはずなのに、いくら呼んでも見回してもその姿が見えず、ラウンズのマントを脱ぐ事さえ忘れて探していたスザクは、ホッと安堵の息を漏らした。 手袋をはずし、眠るその小さな体をそっと撫でる。 触れば、未だアバラは浮いているし、やせ細っているのが良く解るが、あのときよりも確実に体重は増えていた。でも、まだまだ足りない。 時計を見ると、探すのにだいぶ時間をかけてしまった事に気付き、名残惜しく感じながらもその体から手を離すと、スザクは手早くシャワーを浴び、再びラウンズの制服に袖を通した。内容は聞かされていないが、皇帝がラウンズを数名召還した。スザクもその一人で、これから謁見の間へ向かうのだ。スザクの動く気配に気がついたのか、もぞもぞ、と、ルルーシュはシャツの下から這い出すと、素早い動きでスザクの体を駆け上り、制服の中へとするりと身を隠した。 「ああっ、こらルルーシュ。駄目だって言ってるだろ!?」 人を異様に怖がるルルーシュをキャメロットへ連れて行くときは、必ずこうして制服の中に入れて移動していたせいか、スザクがラウンズの制服を着ると、置いて行くな、一緒に連れて行けと隙を見て潜り込もうとする。 いつもは難なくかわせるスザクだが、今は寝ていると思って油断した。 「ほら、出よう。これから僕は謁見に行かなきゃいけないんだ。連れていけないよ」 君だって会いたくは無いだろう? そう言いながら手を伸ばしても「うにゃぁ」と鳴きながら、ぺしぺしとその小さな前足で叩かれてしまう。まだ爪は出していない状態だが、無理に出そうとすれば確実に爪を出す事は解っていた。このルルーシュが懐いているのはスザクだけ。未だにセシルとロイドでさえ、スザクが傍にいないと触る事さえできないのだ。無理を通してスザクまでルルーシュに嫌われるわけには行かなかった。 「・・・もう、仕方ないな。いいかい、大人しくしているんだよ?」 猫の分だけ服が膨らんでしまうが、マントと、腕でどうにか誤魔化すしかないか。 スザクは身支度を整えると、部屋を後にした。 謁見の間には、ナイトオブラウンズのうち、スリーのジノ、シックスのアーニャ、セブンのスザクが膝をつき、皇帝が現れるのを待っていた。招集されたのは3人か。あるいはワンを入れて4人。ルルーシュは見知らぬ人の気配を感じ、その小さな体を更に小さくして、スザクの服のにしがみ付いていた。これなら気付かれないだろう。スザクは顔には出さなかったが、内心安堵していた。 暫くの間そうして待っていると、ようやく皇帝がその姿を現した。あの日、ルルーシュを渡されて以来会う事のなかった皇帝は、あの日と同様、あるいはそれ以上に憔悴したような顔をしていた。あまり気にしてなかったが、少し痩せたのかもしれない。 三人が招集された内容は、エリア11へ行き、テロリストを殲滅せよというものであった。 あのブラックリベリオンの折に、黒の騎士団の幹部を含む数名を捕える事に成功はしたが、幹部と団員の大半を取り逃がし、未だに捕縛出来ずにいた。なにせ彼らは日本人。一般の日本人の中にまぎれて隠れてしまえば見つける事は困難だった。その中にはエースパイロットのカレン、奇跡の藤堂と四聖剣も含まれていた。 あの日、首魁であるゼロはこちらの手に落ちたが、それでも黒の騎士団の勢いは止まらなかった。 いや、ゼロを失ったからこそ、もし生きているなら救出を、死んでいるなら弔いを。そしてゼロの悲願でもあった日本の奪還を。ゼロの妻と自ら名乗る今生天皇、皇カグヤの呼びかけに多くの日本人が応えた。日本人だけではない。既にエリアと呼ばれるようになった他の国の有志が集まり、今もブリタニアと争っている各国の援助がなされるようになり、今では黒の騎士団はブリタニア軍と対等に戦うだけの力をつけていたのだ。未だ主力部隊を送っていないとはいえ、駐在するブリタニア軍は既に幾度も敗走しており、このままではエリア11を奪還されるのも時間の問題だと言われていた。 此処までブリタニアが手をこまねいていた理由の一つは、皇帝がエリア11へ援軍を送る許可を下ろさない事だった。その上、コーネリアが行方不明となり、現在のエリア11には総督が居ないと言う異常事態となっていた。それだけではない。理由は解らないが、ブラックリベリオン以降ブリタニアは各国への侵略を停止していた。その為、皇帝が暗殺されたのではないか、病床に伏せっているのではないかと言う話も実しやかに流れているのだ。 真相は解らない。だが、この皇帝の憔悴した顔は、病を患っていると言われても頷けるものであった。 その皇帝がいままでの沈黙を破り、エリア11へラウンズを3人派遣すると言うのだ。 それはつまり、ゼロの、ルルーシュの仲間を全員捕縛あるいは殲滅せよという命令。 かつては母を、名前を、経歴を。今は人間として生きるという事を、そしてその心を。今度は部下を、仲間を。ルルーシュはこの男にあらゆるものを奪われる。 膝をつき、頭を下げているため、誰にも自分の表情は解らないだろう。今は間違いなく、ラウンズとしてしてはいけない表情となっているはずだ。考えるな、自分は皇帝の騎士。命令には従うまで。エリア11へ行き、テロを撲滅する。だが、それは日本人が日本を取り戻す事を阻止する、と言う事。日本を取り戻す為のラウンズ。それなのに僕は。 スザクの手は無意識に、まるで助けを求めるかのように懐に隠れているルルーシュに触れていた。 恐怖で小さく震えながらしがみ付いていた所に、突然スザクが触れた事で、その小さな生き物は「ふにゃぁぁっ!」と、驚いたように鳴いた。 あ、しまった。 皇帝の言葉が終わった直後の静寂で、子猫の鳴き声。 嫌でも辺りにその声は響いた。 「なんだ今の、猫か?」 「猫の声、スザクの方から聞こえた」 ジノとアーニャは、スザクを見た。 ああ、どうしようかな。 「・・・枢木、今のは何だ?」 「はっ、先日陛下より賜りました猫が自分から離れない為、連れてまいりました」 誤魔化しても仕方がないと、開き直ったスザクは、正直にそう答えた。 その言葉に、皇帝の眉がピクリと動いた。 「皇帝から賜った猫?」 ジノとアーニャは初耳だと言う顔でスザクと皇帝へ視線を向けた。 「あの猫がまだ生きておると?」 その言葉に、皇帝の予定では既に死んでいるはずだったのだと、スザクは気がついたが、表情には出さなかった。 「生きております。あの頃よりもいくらか元気も取り戻しました」 その言葉に、皇帝は口元ににやりと笑みを浮かべた。 嫌な予感がする。それはルルーシュもなのだろう。普段懐に入れている間は、軽く爪を立ててスザクにしがみ付いてはいても、爪を完全に立てることはなかった。スザクが痛いといのを理解しているからだが、今はそのことも忘れ完全に爪を立て、全身の毛を逆立てていた。 「ほう。どれ、見せてみよ。ビスマルク」 「はっ」 皇帝がそう言うと、傍に控えていたビスマルクがスザクへ近寄った。スザクの緊張を敏感に感じ取ったルルーシュは、服の中で威嚇の声を上げた。 その声に、ビスマルクが驚きの表情で足を止めた。 皇帝も眉を寄せ、スザクを見る。 その威嚇の声は、あのルルーシュが絶対に口にするはずの無い物。 「・・・枢木、その猫はあの日の猫で間違いは無いのだな?」 「間違いありません」 「・・・あれが、その様に威嚇をすると?」 「はい」 未だ威嚇を続けるルルーシュの声を聞き、皇帝の眉間には益々深いしわが刻まれた。 「スリー、シックス。話は以上だ。下がれ」 突然出た退出命令に、二人は驚いたが、すぐに臣下の礼を取ると、謁見の間を後にした。猫の威嚇の声だけが響き謁見の間には、皇帝と、ビスマルク、そしてスザクだけとなる。 「間違いなくルルーシュなのだな」 皇帝はじっとスザクを見つめながら、そう訊ねた。 「あの日賜った猫が、ルルーシュであるならば、間違いなくルルーシュです」 「だが、あのルルーシュが、その様にまるで猫のような態度を取るとは思えんのだが」 その言葉にはスザクも同意するしかない。ルルーシュならこんな威嚇などしない。スザクはこれ以上怯えて威嚇を続けさせるのはルルーシュの体に負担がかかる、どうにかしなければと、引っ掻かれるのを覚悟で手袋を外し、懐へ手を伸ばした。痛みが来るだろうと身構えていたのだが、スザクの予想に反して、その小さな塊は抵抗することなく、大人しく撫でられた。フーフーとまだうなってはいるが、スザクの手で何度か撫でられると、威嚇を止め逆立っていた毛も落ち着き、その手に甘えるようにすり寄って来た。 「ルルーシュならば、このように猫らしい反応をする事は無理でしょう」 そのスザクの言葉に、皇帝はスッと目を細めた。 「枢木よ、どういう意味だ」 「獣の姿へと変えられても、その心も記憶も人であった時のまま。それは人の心が耐える事の出来る物なのでしょうか?少なくとも、ルルーシュには耐えられる事ではありませんでした」 僕は視線を皇帝へと向け、じっとその彼によく似た色の瞳を見つめた。 「これは、彼にとって死よりも辛い責苦。そのため死を望み、食を断ち続けたのです。その証拠に、陛下より賜ったその日、私の目が離れた隙に高所より飛び降り、その命を断とうとしました」 そのスザクの言葉に、皇帝の眉間のしわが益々深くなったように思えたが、スザクはなおも言葉をつづけた。 「飛び降りたこの命を守る事は出来ましたが、人としての尊厳を奪われ、猫として生きると言うこの拷問に、ルルーシュの心は耐え切れず、こうして壊れてしまったのです」 スザクはそこまで話すと、懐で喉を鳴らし始めたルルーシュに優しく声をかけた。 「ねえ、ルルーシュ、ちょっとだけでいいから、ここから出てくれないかな?」 それはかつて親友と、その妹に向けていた声音。 「大丈夫、僕がいるから怖くないだろ?」 心を壊しても、ルルーシュは賢かった。まるで人の言葉を理解しているかのように、スザクのその声に「にゃあ」と、落ち着いた声で鳴いた。 それを聞いたスザクは、その背を撫でるのをやめ、ルルーシュが出てきやすいようにと手を差し出すと、その手へ足を掛け、とことことスザクの腕を歩き、皇帝とビスマルクの前へその姿を現した。 その様子に、皇帝が息を呑んだようにも感じたが、スザクは気に留めなかった。 思い知ればいい。例え愛情がなかったとしても、実の息子だ。その息子が壊れた姿を見ればいい。 どう見ても猫としか思えない動きで、スザクが曲げた腕にその体を収めると、ルルーシュはスザクを見上げて「にゃぁ」と嬉しそうに鳴いた。 「うん、有難う出てきてくれて」 スザクがそう言うと、ルルーシュは満足げにその小さな顔をスザクへ擦りよせた。 空いている手でその背を撫でながら、スザクは表情を改め再び視線を前へ向けた。ビスマルクは、驚きと、悲痛を混ぜたような顔でこちらをみていたが、皇帝は相変わらず眉を寄せ、厳つい顔でこちらを見下しているだけだった。 ・・・何とも思わないのか。 期待はしていなかったが、あまりの反応の少なさに、ルルーシュを哀れに思った。自分の父もそうだったが、ルルーシュの父も、子供などどうでもいいのだろう。 しばしの沈黙の後、皇帝は一つ息を吐いた。 「ふむ、本当にただの猫にしか見えぬな。枢木、それの世話をしながら任務は大変だろう。それはこちらで引き取ろう」 餓死をする心配なが無くなったのなら、お前に預けておく意味は無い。 それをこちらに返せ。 その言葉に、スザクはびくりと体を震わせた。 |